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夢の終てまでも  作者: 木原式部
4.盲目的な愛
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「――青井蛍さんのお母さまでしょうか?」

『――えっ? あっ、はい?! あなたは?』

 潜ったように聞こえて来る紅葉の声が、明らかに驚いていた。

「私、青井さんが働いているバイト先の所長をしている賢木紫と言います」

『――所長さん?』

「はい、そうです。今日、私が誘拐されてしまって、それを青井さんに助けてもらったんです。青井さんのおかげで怪我もなく無事に帰ることができました。ありがとうございました。あと、息子さんを危ない目に遭わせてしまって申し訳ございませんでした」

 紫は言いながら自然な仕草で頭を下げた。


 蛍は思わず紫を見た。

 紫の表情は相変わらずの無表情だが、話している口調は穏やかで紅葉を安心させようとしていることが良く分かった。

 それよりも紫が紅葉に電話で言った話の内容……。

 紫が誘拐されたことで蛍には迷惑をかけたのは確かだし、蛍は紫の「警察には言わないで」という言葉を信じて一人で紫を助けに行こうとした。

 でも、だからと言って紫が自分の母親に「ありがとうございました」とか「申し訳ございませんでした」と頭を下げるなんて意外だ、と蛍は思った。

 もっとクールで情に厚くない女の子だったと思っていたのに。


『――まあ、そんな、気にしないでください。それよりも、誘拐されたって、大変でしたよね。大丈夫なんですか?』

 電話の向こうの紅葉の声は、もう紫を心配するような声色に変わっていた。

「おかげさまで大丈夫です。警察との話も終わりましたし、これから帰ります。息子さんもこれから帰りますので、ご心配なさらないでください」

『――蛍のことなんて大丈夫、あの子、案外丈夫なんですよ。でも、所長さんは大丈夫なんですか? 家に帰るって、誰か迎えに来てくれる方はいるんですか? ご家族は?』

「私、一人暮らしなんです」

『――一人暮らし?! そんなの危ないじゃない?! もしだったら、今日、私のうちに来たらどうかしら? 部屋空いてますし』

「――えっ?!」

 蛍は思わず紫の手から自分のスマホを取り返した。「ちょっと、母さん、いきなり何言ってんの?」

『――何ってあんた、女性が誘拐された日に一人暮らしの部屋に帰るなんて、そんな心細いことないじゃない。うちは交番も近くにあるし安心だと思って』

「いや、それは……」

 確かに一人暮らしの部屋に戻るのは心細いかもしれない。

 でも、紫のあのお嬢さま加減を見れば、ひとり暮らしの部屋とは言え、セキュリティーのしっかりしているマンションに住んでいるに違いない。

 一般家庭の一軒家よりも、安全面に関しては遥かにしっかりしているのではないだろうか。

『――とにかく、その賢木さんにもう一度代わりなさい。あんたに聞いてんじゃなくて賢木さんに訊いてるのよ』

「わかった……」

 蛍は再び紫に自分のスマホを手渡した。




(――まさか、こんな展開になるなんて)

 蛍は自分の少し後ろを無表情で歩いている紫をちらりと見た。

 自分の母親である紅葉の突然の申し出……、つまり一人暮らしをしている紫が心細いだろうから家にくれば良いという申し出に対して、紫はなぜか首を縦に振ったのだ。

 どうして紫が紅葉の申し出を了承したのか、蛍にも良く分からなかった。

 もしかすると、特に気にはしていないと思ったが、案外紫は誘拐されたことに相当ショックを受けているのかもしれない。

(――まあ、確かに一人で過ごすよりは誰かと一緒に過ごした方が良いけど)

 だったら、実家に帰っても良いだろうとも思ったが、一人いるよりも実家に帰る方がいやなのだろう。

 そして、行ったこともない他人の家に行くよりも遥かにいやなのだろう。


 ふと、紫と目が合う。


 薄暗い街灯に照らされた紫の瞳は、いつも以上に黒く輝いているように見えた。

「――あっ」

 蛍は自分が紫を見ていたのを誤魔化すために何か話そうと必死になって言葉を探した。「疲れた? もうすぐ着くから。家、駅から遠くてごめん」

「別に。疲れてないし、私が好きで来ているんだから、全然構わないで」

「母さん、急にあんなこと言ってごめん。おせっかいと言うか……」

「おせっかいとは思わないけど、電話で話した限りだと、親子なのにあなたと随分雰囲気が違うのね」

「俺、性格とか顔つきとかは父親似なんだ。母親は社交的と言うか、ちなみに姉さんは母親似」

「あなた、お姉さんがいるの?」

「うん、姉と俺の二人姉弟」


 そう言えば、自分の家族構成とか今までの生い立ちとかを紫に話したことがなかったな、と蛍は思った。

 蛍も紫に「君は兄弟いるの?」と訊こうとしたが、それ以上は何も言わなかった。

 他の質問ならまだしも、「実家に帰りたくない」と言っている相手に家族のことを訊くのも気が引ける。

(――だからって、どういうことだったら訊けるんだろうか?)

 蛍が考えながら歩いている内に、自分の家の前にたどり着いてしまった。


「――家、ここだよ。どうぞ。狭いと思うけど」

「どうしてそんなこと言うの?」

「いや、だって……」

 紫はあんな大きな会社の社長の娘さんだし、どんな豪邸やホテルのスィートルームを見ても動じない。

もしかすると、こんな一般家庭の狭い家はむしろ驚いてしまうかもしれない。

 蛍はそう思っていたが、紫は普段と変わらない無表情で自分の後を着いて来た。


「――ただいま」

 玄関のドアを開けて蛍が言うと、普段はキッチンやリビングからただ「お帰り」と言うだけの紅葉が、トントンと足音を立てながら玄関先までやって来た。

「――お帰りなさい。あら!」

 息子の後ろに立っていた紫を見て、紅葉は明らかに驚いた表情をした。


 まあ、確かに驚くだろうな、と蛍は思った。

 蛍だって、紫を初めて見た時はただ美しいと思って視線が離せなかった。

 紫は一歩前に出ると、口元にうっすらと笑みを浮かべて深めに頭を下げた。

「突然お邪魔してしまいまして、申し訳ございません。賢木紫と言います。青井さんの……息子さんが今アルバイトをしている研究所で所長をしている者です」


 蛍はまさか紫がうっすらとは言え、笑みを浮かべるとは思ってなかったから目を見開いた。

「――まあ、そんな! お誘いしたのはこっちなんだから、そんなに恐縮しなくても良いんですよ!」

 紅葉は言うと、「さあ、どうぞ!」という感じで紫の手を本当に自然に取った。

「ありがとうございます、お邪魔します」

「でも、賢木さん? あなた、蛍の上司なんですよね? そんなにお若いのに研究所をやっているなんてすごいわ。おいくつなのかしら?」

 いくら同性とは言え、初めて会った女性にそんなこと訊くか? と蛍はぎょっとしたが、紫は特に気にしている様子ではなかった。

「はい、19歳です」

「えっ?!」

 紅葉も驚いたが、蛍はもっと驚いた。

(――19歳って、まだ未成年だったのか?!)

 蛍は紫をまじまじと見つめた。

 紫の今までのあの堂々とした仕草や仕事振りを考えると、25歳の自分よりも6つも年下でまだ未成年だとは信じられない。

 ただ、確かに……というところもなくはない。

 紫のあの時々無鉄砲とも言える行動や表情がくるくると変わるところを見ると、確かにまだ社会人経験の浅い未成年と言われても頷けるような気もする。

「まあ、19歳なの? お若いのに偉いんですね。――どうぞ、入ってください。夕飯まだでしょ? 用意してあるから一緒に食べましょう」

「はい、ありがとうございます」

 紫はさっきよりも口角を上げて笑顔を見せると、家の中へと入って行った。

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