第61話
シュレディンガーの猫は知っているだろうか?
まぁ、最近はいろんなアニメやゲームなんかで取り入れられているから知名度は高いと思う。
もっとも、最近では動物愛護の見地から箱の中の猫の扱いは変わってきている。
1900年代と比べた今の常識では仕方ないことだが、実在しないネコのことを議論するよりもっと考えないといけないことがあるだろってな。
ともかく、そのネコに関する思考実験だ。
簡単に言えば、事象は観測されることで確定される。と言ったところか。
量子力学のパラドックスなのだが、この考え方自体は色々と応用できるのでは無いか?
つまり、物体にしろ精神にしろ観測者によって観測されて初めて存在を確定される。
なら、人の感情とはその人が観測することで確定されるのではないか?
だから、俺はそれを観測せずに箱に収めておく。
週明けも晴れた日だった。
学校までの道を進みながらスマホのメッセージを確認する。
そこには、久遠と別れた後に送られてきたみんなからの誕生日祝いの言葉が表示されている。
壱岐が久遠に、久遠はマエに、そしてマエが残り全員に教えたのだろう。
少しこそばゆいが、嬉しいのは確かだ。
あの日は、あのまま誰にも祝われることなく過ぎていくと思っていたからだ。
……思い出すとやはり恥ずかしい。
人前で泣いたのはいつ振りだったろうか……。
俺はそれ以上考えるのをやめた。
それ以上考えたら、俺はあれを観測してしまうからだ。
俺は久遠の恋を成就させる。
余計なことは考えない。
そのまま、俺は黙々と歩きいつの間にか校門を通過していた。
靴を履き替え、階段を上がる。
教室の扉を空ければ、そこはいつもの日常だった。
「おはよーナルくん!」
「おう、おはよ」
教室に入った俺を最初に出迎えたのはマエだった。
軽い挨拶を交わすと、俺は自分の机にカバンを放り投げて席に座る。
マエは、俺の席の左隣に座ると何かを取り出す。
「はいこれ、みんなからのプレゼント」
受け取ったそれは綺麗に包装されていた。
「さんきゅー」
受け取ったそれは長方形の箱で、カバンに簡単に収まるくらいのサイズだ。
持った感じはそれほど重くない。
なんとなくだが、中身が察せられる。
「お菓子か?」
「せいかーい!」
お菓子を与えておけばとりあえず喜ぶと思われていないだろうか?
いや、事実喜ぶんだが。
「ありがとう、帰ったら開けてみる」
カバンにそれをしまい、俺はちらりと時計に目を向ける。
時計はいつもの時間を示している。
俺は教室の入り口に目を向けるとそこにはやはり久遠が居た。
「よう」
「……おはよ」
久遠が俺の机に近づいてきたタイミングで話しかける。
短い挨拶を交わすだけだったが、それにはこの間までのぎこちなさが無い。
久遠が通り過ぎたあたりでマエが言う。
「仲直りできた?」
「そもそも喧嘩してねーから」
マエは、安心したような表情を見せると自分の席へ戻った。
そして、昼休み。
昼食を終え、教室に入る直前で俺と壱岐をアキトが呼び止める。
アキトに連れられて俺たちは屋上へ向かった。
屋上には、まばらに人が居たがスペースが広いためそれほど気にはならない。
「で、なんの用だよ?」
眠そうな顔の壱岐が気怠そうに言う。
一方、呼び出したアキトは深刻そうだ。
俺は、その様子を見て気付く。あ、これはどうでもいい話だなと。
「ダメだった」
アキトは唐突にそう言った。
仕方がないので訊ねる。
「何がだよ?」
「キス出来なかった」
「はい、解散」
「お疲れー」
アキトの言葉を聞いて予想通りの回答だったため俺がそう宣言すると、壱岐が即座にその場を離れようとする。
「いやいや! 詳細を聞いてよ!」
引き止めるアキトの必死な姿を見て、俺と壱岐はお互いの顔を見る。
「ちょっとは興味ないわけ?」
「「ない」」
「同時に否定しない!」
俺と壱岐はそう言われると、やれやれと肩をすくめる。
そんな俺たちにアキトは食い下がる。
「全く興味ない?」
「全く」
「全然」
「欠片も」
「興味ない」
「打ち合わせでもしたの!?」
俺と壱岐が交互にそう言うとアキトがツッコミを入れる。
練習なんてしなくても、日頃からアキトの相手をしていれば自然と呼吸も合う。
すると、アキトはわざとらしく落ち込んだような振りをする。
それを見た壱岐がため息を吐く。
「成嶋、聞いてやれ」
「なんで俺が?」
「アキトのお守はお前の役だろ」
「最近は壱岐の方がつるんでるだろ」
「だったら、たまには交代しろ」
そう言われて俺はしぶしぶ了承する。
「で、何でダメだったんだ?」
「ナル君――!」
「抱き着くな! 離れろ! 壱岐は写真を撮ろうとするな!」
「いや、三倉に送って嫉妬心を煽ろうかと」
「それで嫉妬されても困るだろ!」
「俺は困らない」
「僕は嬉しい」
「お前ら打ち合わせでもしたのか!?」
ようやくアキトを引きはがし、壱岐のスマホを奪い写真を消去する。
アキトはわざとらしく咳ばらいをした後に話し始める。
「あの日は良く晴れた暑い日だった」
「壱岐、やっぱ帰るぞ」
「帰って寝よう」
「わー! ゴメン、ちゃんと話す!」
すると、アキトは真面目に七夕デートの詳細を話す。
時々出る惚気に一発殴りそうになるのを壱岐に嗜められたりした。
「要点をまとめると、いつも楽しい雰囲気でデートはするけど、結局そういった空気を作れなくて毎回失敗するってことか」
「その通りです……」
俺の指摘にアキトは珍しくしょんぼりしている。
確かに、アキトの性格から考えると場を楽しませることは出来るが、逆にロマンチックな空気は無理なのは納得だ。
しかし、原因がわかっているからといって、解決策が簡単に出る訳でも無い。
「壱岐、お前はどう思う?」
俺は隣に立つ壱岐に意見を求める。
こういう時は、他人との何気ない会話からヒントが出たりするものだ。
「…………」
しかし、壱岐からの反応が無い。
「壱岐、どうかしたか?」
「壱岐くーん?」
俺とアキトが壱岐を除き込むようにして見た。
すると、俺の耳に確かに聞こえてくる。
壱岐の寝息が。
「寝るな!」
壱岐の頭を叩く。すると、壱岐は頭をばっと上げて一言。
「三途の川――」
「まて! そのネタが俺らの年代に通じると思ってるのか!?」
「というか、二人ともやっぱり打ち合わせしてるよね」
そうして、俺の貴重な昼休みは浪費された。




