バレンタイン特別篇 前編
バレンタインデー。
一説によれば、聖ウァレンティヌスの殉教日という事らしい。キリスト教に関係する祭日なのだろうが、現代日本においてはそんな宗教的な面など意味をなさない。
資本主義を標榜する拝金主義者の商業主義的キャンペーンが展開され、それに便乗する大人たちが職場内外のコミュニケーション手段として利用する。甘さの欠片も無いビターな現状が繰り広げられる。
職場内マウント、取引先への賄賂的意味合いの贈答、家庭内不和を期待して放り込まれる爆発物。もはやビターでは無くブラックだ。
もっとも、まだ薄汚れた大人になっていない学生諸子に置いてはそんなブラックな展開は無い。
ただ目の前のイベントを楽しむ。悪く言えば何も考えず、良く言えばあるがままに。楽しければそれでいい。起源も思惑も関係なくただ楽しむ。それが一番の正解なのかもしれない。
それでも、持つ者と持たざる者の明暗がハッキリと可視化される。されてしまう。
それは、残酷なほどに。
「バレンタインだね!」
登校の途中、寄り道したコンビニからおでん片手に出てきた俺にアキトは屈託の無い笑顔でそう言った。
「いや、バレンタインは過ぎただろ」
そう、今日はバレンタインデーではない。正確に言えばその翌日に当たる。
「だって、昨日は学校休みだったじゃん」
学校が休日だと、イベントごとが自動的に翌日以降にシフトするシステム何なんだろうな。なんでかそれが当たり前の共通認識になってる気がする。
おでんの汁を一口すする。温かい出汁が冷えた体に染み渡るようだ。
「それで、そのバレンタインがなんだよ」
「いやー、今年は何個もらえるかなーって」
もらえることが前提のその言いぐさは、持つ者。いや、モテる者を象徴する言い回しである。持たざる者、否、モテない者が聞けば飛び蹴りモノだ。
「お前、三倉がいるだろ。彼女以外からも貰うつもりか?」
「貰えるものは欲しい!」
マジで飛び蹴りされねーかな。三倉にチクればヤクザキックくらいは拝めるかもしれない。
頬張った厚揚げを咀嚼しながらそんな展開を思い描く。
「というか、ナル君こそどうなの? 今年は何個くらいとかあてはあるの?」
そういえば、俺もありがたい事にそちら側の人間だった。
一応、心当たりは何人かあるのだ。それに気付くと俺も現金なもので少しウキウキとした気分になる。
「ま、それなりにもらえるだろ」
残った具と汁を食べきって容器をゴミ箱に放り込む。
カバンを持ち直してコンビニの駐車場を後にして、学校を目指す。
「それなり、ねー」
ニヤニヤと、まるで何かを期待しているかのような笑みを浮かべるアキト。
「何が言いたいんだ?」
「それなりですめばいいけどねー」
意味深な事をほざくアキトをしり目に俺は学校への道を急いだ。
学校が近づくにつれて、挙動不審な男子生徒の姿がちらほらと見え始めた。すれ違う女子生徒をあからさまに目で追う者、定期的に振り返りきょろきょろと周りを見回す者、聞いてもいないのに甘いモノ好きアピールをしだす者。
「……、ねぇナル君」
「言うな」
見るに堪えない、とはこの事か。
「ちょっと自重しよう」
アキトからその言葉が出たこと、そしてその言葉の意味を理解していることに少しの驚きを覚えた。
そうこうしているうちに校門を抜けて下駄箱に到着する。
すると、そこにはいつもと変わらない調子で気怠そうな表情の壱岐がいた。
「おっはよー、壱岐くん!」
朝一のテンションが真逆の二人が邂逅する。壱岐はアキトを一瞥すると視線を自分の上履きに戻してため息交じりに呟く。
「朝からうるさいな」
「それな」
体調によっては朝から絡むと殴りたくなるアキトのテンションを浴びせられた壱岐は、心なしかさっきよりも肩が重く見える。
「酷いなー、二人とも」
そう言いながら、靴を手にしたアキトが自分の下駄箱のロッカーを開けようとしたところで動きを止めた。
あからさまなその様に俺は、ツッコまずにいられなかった。
「どうしたんだよ?」
扉に手を掛けたまま一点を見つめていたアキトが、勢いよくその手を引く。
開け放たれたそこには何のことは無く、小汚い上履きが鎮座しているだけであった。
「だから何なんだよ?」
「いやー、もしかしたらチョコが入っているんじゃないかなーって」
「漫画の読みすぎだ」
壱岐の的確なツッコミが炸裂する。
「だよねー」
壱岐の言う通り、下駄箱開けたらチョコレートが入っているなんてイマドキのラノベでも見ない使い古された安直な展開だ。
そんなバカバカしい事に一瞬でも本気になれるのはある意味で羨ましい。
なんて考えながら俺も扉に手を掛ける。
「んー、こうなると机の中からはみ出しているって展開も無理があるかなー」
「あるわけないだろそんなバカな――」
ドサドサッ。
扉を開けた瞬間、何かがそこから滑り落ちてきた。
一瞬、時間が止まったかのように壱岐とアキトの動きが止まる。
「いや、まさかそんな」
俺は、そんなバカなと思いながら恐る恐る床に転がった物に視線を向ける。
それは、綺麗な包装に華やかなリボンでラッピングされた箱状のモノだった。
「成嶋……」
壱岐の呆れ声が耳に届く。
恐る恐る床に落ちたそれらを手に持つ。物は一つでは無かったのだ。
「ナル君。それ」
「まて、早まるな」
その言葉を口に出しそうなアキトを制して俺はまじまじと物を眺める。
それは、内容物のラベルがむき出しでワゴンセールに並ぶ市販品とは違い、明確に贈答用にわざわざラッピングされていることが見てわかった。
「これは、あれだ。多分、あれだ」
ああ言った手前、その名前を口にするのが恥ずかしい俺は、曖昧な言葉しか吐き出せない。
「ナル君、あれじゃないって、明らかに」
「いやいや、まだそうと決まったわけでは……」
「決まってんだよ。決まってないわけないだろ」
やはり的確な壱岐のツッコミである。否定の言葉が浮かんでこない。
「いやいや、だとしても必ずしも俺宛とは――」
「思いっきりメッセージカード挟まってるよ。成嶋くんへって書いてあるよ」
リボンに挟んであるそれをアキトは見逃さなかった。
俺はなぜか急激に恥ずかしくなってくる。
「壱岐くん、あったよ漫画みたいな展開」
「ああ、それも下駄箱で雪崩がおきるというあざとすぎる展開の奴だ」
二人から冷ややかな視線を浴びせられる。
「まてまて、別に雪崩がおきるほど詰まっている訳じゃ無い。上履きの上に載せてあったから不安定だっただけで、これ以上なかには何も――」
と、言い切ろうとしたが上履きの陰に同じようなラッピングをされた物があるのを見つけてしまう。
落ちてきた分と合わせると三つになってしまった。
「まだ教室にも入ってないのに3つもゲットするなんて」
「成嶋……」
向けられる視線が刺々しくなってきた。
「というか、何で俺が責められるんだ?」
そもそも、俺は何も悪い事はしていない。なのに、まるで俺が諸悪の根源かの様な扱いを受ける意味が分からない。
理不尽な扱いを受けながら、俺たちは教室へ向かった。
教室内もやはりと言うべきか、いつもよりも雰囲気が騒々しい。バレンタインはここでもバッチリ影響していた。
「あ、三人ともおはよー」
教室に入った俺たちを見つけたマエが小走りで駆け寄ってくる。
今日も寒いというのに、相変わらず短いスカートが寒そうだ。反面、制服のブレザーの下に着た大きめのカーディガンが温かそうでもある。
「マエちゃん、聞いてよ。ナル君てばいきなり3つもチョコゲットしたんだよ」
まるで告げ口の様に言うアキト。しかし、マエの反応は思ったより鈍いものだった。
「あー、下駄箱にもかー」
何故かマエは、詳しい事を聞く前から下駄箱にチョコが入っていたが解ったようだ。
「ん? 下駄箱にもって、どういうこと?」
不思議そうな顔をしたアキトに、マエは俺の机を指さす。
「あれ、見てよ」
マエの言葉につられて俺たち三人はそちらに目を向ける。
なんの変哲もない、いつもの俺の机。とは明らかに様子が違った。
「「「…………」」」
俺たちは目にした光景に黙りこくってしまう。
そこには、机からはみ出した箱状の物体が溢れそうに、というか、溢れたであろう分が机の上に並べられていたのだ。
「物置にされている、って事じゃ無いよな?」
「残念? ながら」
マエに確認するが、首を横に振られる。
実は俺の机じゃない、という無意味な期待を抱きながら席に近付くが、やはり俺の机で間違いなかった。
「いやもう、数えるのが怖いんだが」
「いいなぁー、僕もそんなセリフ言っても見たい」
アキトを一発しばいた後、俺は机の中と上に広がる物を整理していく。
もはや冗談にしか思えなくなってくる。ここらでドッキリ大成功の看板が出てきてくれてもいいくらいだ。
「何でこんなことになった?」
「自分の胸に手を当ててみたら?」
ため息交じりの俺に、マエが少しツンとした声色で言った。俺は何もやましい事はしていない。
「ホントのこと言うと、バレンタイン前にみんなナルくんにチョコあげるって言ってたよ」
それは初耳だった。というか、その行動に何の意味があるのか?
「ナルくんになら、チョコあげても変にからかわれることも無いし、ナルくんに渡すついでって事で他の男子にも上げやすくなるからって」
「俺を出しに使うな」
「あと、単純にバカみたいな数のチョコ貰ったらどんな反応するのか見てみたいって言うう人も混じってる」
「俺で変な実験するな」
種を明かされてしまうと、それはそれで少し残念に思えてくるあたり、俺も現金な奴だと思う。
落ち着きを取り戻した俺は、貰ったチョコを一つずつ積み上げていく。
「と、いうわけで。はい、アタシからもチョコ」
そう言いながらマエが俺の目の前にラッピングされたチョコを差し出す。
「これは、素直に喜んでいいんだよな?」
「さーて、どうでしょう?」
マエは意地の悪そうな笑みを浮かべている。俺は受け取ったチョコの包みをまじまじと見つめる。
俺のその様子をバッチリ見ているマエの姿をみて察しがついた。
「なぁ、これって作るの大変なのか?」
「そうだねー、溶かして固めるだけって言ってもデコレーションとか結構たいへんで――」
マエはそこまで言ったところで自分が何を言ったのか気付いたようだった。動きが止まり、頬を少し赤らめて恥ずかしそうにしている。
「ラッピングも綺麗に出来てるな。売り物って言われてもわかんねーかもだ」
「……ありがと」
先ほどまでとは打って変わって恥ずかしそうに、消え入りそうな声でそう答えた。
「こいつは、家に帰ってからゆっくり開けさせてもらうから」
「……うん、そうして。ここだと、恥ずかしいし……」
マエがカーディガンの裾を握った右手で口元を隠す。伏し目がちに顔を背けて、恥ずかしそうにもじもじとする姿に、不意に俺の胸が高鳴るのだった。




