第1話
ラブコメ漫画は好きだろうか?
俺は大好きだ。
主人公を取り巻く人間関係、魅力的なヒロインが織りなす恋愛模様。
笑いもあって涙もある。しかし、最後には必ず笑顔が待っている。
たとえ当事者でなくとも、たとえ架空の存在であっても、誰かの幸せな姿は見ているだけで俺も幸せになる。
ただ、その幸せな最期を迎えられるヒロインは一人だけだ。まぁハーレム物なら話は別だが、あれは俺的にカレーライスとインドカレーくらいには別ジャンルだと思っている。
カレーの事はどうでもいい。
ともかく、主人公と結ばれる正妻ヒロインはただ一人。
では選ばれなかったヒロインとは?
負けヒロインだ。
汎ヒロインとは一線を画す個性、それゆえに溢れる魅力は時に正妻さえ凌ぐ人気を集めることがあるものの、作品外のそれとは裏腹に作品内では主人公と結ばれることなく、その役割を終える悲しい宿命を背負っている。
もしも、そんな負けヒロインの運命を変えられるとすれば?
俺は何でもするだろう。
その日は良く晴れた気持ちのいい朝だった。
ゴミだらけの散らかった部屋を抜け出して、真新しい制服に袖を通す。目つきの鋭い悪人面を洗い、金色に染髪した髪を整え、まだ慣れないピアスの具合を確認する。
二人暮らしの叔母に見送られ、俺は今日から入学することになる高校へ向かう道を進む。
ごくごく普通。いや、少しチャラいタイプだが普通の高校生の朝に見える。
実は違う。
ところで、漫画の様な不思議な体験をしたことはあるだろうか?
俺は今まさに絶賛体験中だ。
寝て起きたら別人になっていた。
いや、正確ではないな。寝て起きたら前世の記憶が蘇って別人みたいになっていた。
冗談みたいだろ? 本気なんだなこれが。
かつての俺は漫画が好きなしがないサラリーマンだった。
その時、一番好きだった漫画は『ボッチの俺には荷が重い』というラブコメ漫画だ。
内容は学園モノでダブルヒロインが売りの漫画で結構な人気作だ。
俺はヒロインの一人、『久遠千代』が大好きだった。
しかし、悲しいかな。彼女は作品内では主人公と結ばれることの無かった“負けヒロイン”だ。
他人に関心の薄かった彼女が、初めて恋をした主人公のために献身的に、そして懸命に自分を磨き、魅力を高めるための努力を重ねてきた姿を思い出すと涙が出てくる。
だが、正妻ヒロイン『二上双葉』の存在によって、彼女は負けヒロインへと転落してしまう。
あの展開を否定したいわけではない。あんなにも心を揺さぶられる物語が面白く無いわけなく、間違っているわけがない。主人公の選択は間違っていない。
それでも、彼女の、久遠千代の努力は報われて欲しかった。
あの一途な思いは実を結んで欲しかった。
さて、何でこんな話をしているか。
簡単だ。俺がその漫画の当て馬ライバル『成嶋鳴希』だからだ。
大丈夫だ。ちょっと前世の記憶が混ざってるくらいで頭に異常は無い。
CTスキャンも脳波測定も必要ない。
前世の俺はこことは別の世界の人間だったようだ。
異世界と言っても良い。
その異世界では、俺にとっての現実の世界がラブコメ漫画の世界だったのだ。
魔法もなければチートスキルも無い。魔王も勇者もいない。
ただ、その漫画のキャラが実際に生きている以外には何もおかしなことは無い。
ラブコメの神は天にいまし、すべて世はことも無し。
そういうわけで俺は前世経験でアップデートされたスペシャル高校生だ。
少し前の俺は頭の中は空っぽで、理性よりも下半身を優先するクズ野郎だったが、まともな倫理観と頭脳を更新された結果、こんなにも世界が輝いて見える。
かつての人格に未練が無いわけではないが、こうなったからには仕方ない。
重要なのは過去ではなく今、そして続く未来だ。
なら、俺は何をするべきか。
簡単だ、前世の無念を晴らす絶好の機会。
「負けヒロイン久遠千代の恋を成就させる。彼女が幸せになる未来を作る」
決まったな。
道すがら見つけたネコも今の話を聞いて感動しているようだ。
決意を胸に一歩を踏み出した俺は、何気なくスマホで現在の時間を確認した。
そして、画面に表示された時刻を見て顔から血の気が引いて行くのがわかる。
一歩踏み出すどころか全力疾走が必要だった。
それでも俺はあきらめない。
負けヒロインを幸せにするために。