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第5話 ヒロキくん

 なんとか時間内に応援席に着くと、走ってきたわたしにさゆりが気づいた。

「遅かったね」

「うん、のんびりしすぎちゃった」

 笑いながらそう言うと、さゆりはじっとわたしの顔を見つめた。

「……何?」

「捺、今まで、恵美ちゃんと一緒にいたの?」

「そうだけど……」

「楽しかった?」

「え……、うん、楽しかったよ。久しぶりにたくさん話せたし」

「……そう、よかったね」

 さゆりはふいっと目をそらした。

 あぁ、そうか。顔に出ていたのか。さゆりはよく人を見ている。いや、わたしがポーカーフェイスが苦手なだけか。

「ふふ、さゆり、ありがと」

「……何がよ」

「心配してくれたんでしょ?」

「別に」

 そっぽを向くさゆりの頬が、わずかに朱に染まる。それから、キッとわたしを睨み付けた。

「あのさぁ、捺」

「なあに?」

「何でも、相談してくれていいんだからね? 面倒だとか、迷惑だなんて思わないよ。捺が一人でウジウジ抱え込んでる方が、よっぽど迷惑なんだから」

 怒ったような口調で話すさゆりの言葉に、とくんと胸が高鳴る。さゆりに抱きつきたい衝動に駆られる。でもふざけてると思われたくなくて、今は堪える。言葉で、気持ちをしっかり伝えたい。

「うん。さゆり、ありがとう」

 さゆりの優しさが、痛いほどに身にしみる。ありがとう。わたしが本当に感謝していること、ちゃんと伝わっているだろうか。

 いつか、ちゃんと話したい。聞いてもらいたい。中学時代のことを。わたしがどんな人間なのか、知ってもらいたい。そして、その上でこれからもわたしと友達として付き合ってくれるなら、とても嬉しい。

「みんなパフォーマンスの隊形に整列してー!」

 応援団長の呼びかけで応援席は慌ただしく動き出す。

 さゆりは「行こう」とだけ言って、先に応援席を出ていった。




 北高の玉入れの籠は、玉入れ専用のものではなく、長くて太い鉄の棒にただ籠を縛り付けただけのものだ。とても重い上、足がないので競技中も係りが支えていなければならない。

「吉村さん、大丈夫ですか?」

 前後に並んで籠を運びながら、前を歩く真田くんが振り返る。

「うん、大丈夫」

 本当はかなり腕に疲労が溜まってはいたが、所定の場所まであと少しだったため、何とか堪える。それに、真田くんは籠の取り付けられた重心に近い方を持ち、更に大きな袋に詰められた玉も持っているのだ。どうやらわたしは他の人より非力らしいが、後輩の足を引っ張るわけにいかない。

「あー、疲れたよー。重いよばかー」

 やっと所定の場所に着き籠をおろしたわたしは、しゃがんで誰にぶつけたらいいのかわからない文句を嘆いた。真田くんはクスクス笑いながら袋から赤色の玉を出し、白線で囲まれた円の中に散らばらせていく。青連のわたしと黄連の真田くんで、赤連の籠を担当することになったのだ。

 ちゃっちゃと仕事をする真田くんを見て、体力あるなぁと感心する。わたしなんてもう、腕が動かないというのに。

「吉村さん、このくらい俺一人でできるんでいいですよ。本番に向けて腕休めてください」

「……ごめんね、ありがとう。お言葉に甘えます」

「いいえー。明日は勉強教えてもらうし、今のうちに体で払っておかないと」

「奢りはなくならないからね」

「えええ、そんなぁ」

 恵美と過ごして緊張していた心が、真田くんと言葉を交わすことで弛緩していくのを感じた。他愛のないやりとりで、心の血流が回復しじんわりと温かくなる。あぁ、やっぱり彼の隣は居心地がいい。

 アナウンスが流れ、出場する生徒が入場門から入ってくる。赤連の生徒がぐるりとわたしたちを取り囲む。練習の時は皆白い体操着だったが、今日は赤の連合Tシャツを着ていて、なんだか威圧感があった。

「吉村さんは根本のとこ支えててください。いきますよー」

 ゆっくり、籠を立てていく。自分たちの身長の倍はある重い棒を立てるのは結構難しい。しかし真田くんは、支点と力点を的確に判断して危なげなく立てた。去年もわたしは玉入れの担当だったが、女子同士で組んだため上手く立てられず、結局出場する生徒に手伝ってもらった。そういうのも見ていて、上田先輩は今年男女で組ませたのだろう。

『一回戦に出場する生徒は、ラインの外側に立ってください。それ以外の生徒は着座してください』

 真田くんと向かい合う形で立ち、わたしが下側を、真田くんが頭の高さで籠を支える。仕事とはいえ、こんな至近距離で向かい合うのはさすがに緊張する。何となく顔を上げられず、競技中はずっと下をむいてやり過ごした。


 二回戦の終了のピストルが鳴り、籠を下ろすと、ゼッケンを着た男子生徒が「二個抜いてください」と伝えに来る。彼は審判役を務めていた生徒だ。明らかに終了のピストルが鳴ってから投げ入れられた玉を見ていたのだろう。

 真田くんが二つ、無造作に取り出す。

「じゃあ今度は、真田くんが投げてね」

「はーい」

 一回戦では、真田くんが玉を手渡してくれて、わたしがアナウンスのカウントに合わせて投げた。二回戦では交代。

「なんか、多いね」

「ですよね」

 籠の中を覗くと、思っていた以上に玉が山盛りになっていた。競技を終えた赤連の生徒たちも手応えがあったのか、色めき立っていた。

『それでは玉を数えます。会場の皆様もご一緒に。一!』

「いーち」

 真田くんがカウントに合わせて、投げていく。なかなか減らない。最下位の連合が数え終わっても、まだ半分は残っていた。

 やがて残っているのが赤連と青連だけになった。さゆりが出場していたこともあり、青連が勝ってくれと祈ってしまう。しかし、先に玉が切れたのは青連だった。

 青連を讃える拍手と、赤連の歓喜の声が入り混じる。

「残り赤だけ? まだ玉あるんですか」

「あともう少し」

 真田くんが玉を一つ投げる度に、歓声が大きくなっていくようだった。

「あと三個……はい、これでラスト」

「はい」

 最後の玉を、真田くんは一際高く投げ上げた。

「ふぅ、長かったですね」

「そうだね。お疲れさま」

『第二回戦の結果を発表します。第五位……』

 円の真ん中に座って、結果を聞く。結果発表は、片付けをせずに座って聞くよう先生に指示されていた。

 二回戦の結果発表が終わり、続いて総合結果が発表される。

『第三位、白連合! 百二十六個!』

 遠くの方で歓声が上がる。

「赤と青、どっちが勝ちますかね」

「青でしょ」

「ふふ、吉村さんって意外と負けず嫌いですか?」

 拍手しながら真田くんと話す。優勝候補は二回戦でダントツだった赤連と、一回戦と二回戦、共に二位ではあったが堅実にポイントを稼いだ青連だ。別に、負けず嫌いというわけじゃない。ただ、さゆりの喜ぶ顔が見たかっただけだ。

『第二位! ダラララララ……』

 アナウンスの生徒が、口でドラムロールを真似る。赤連の人たちは優勝を祈って両手を握り合わせていた。

『ダン! 赤連合! 百七十個!』

 赤連の応援席からは歓声と拍手が起こる。しかし、選手として出場していた生徒からは、むしろ落胆のため息が多かった。

『それでは第一位の発表です! 第一位は……』

 赤連が二位ということは……。わたしは期待に胸を踊らせていた。来い、来い、と祈る。

『青連合! 百七十一個! なんと、二位の赤連合と一点差です!』

「やった! 青一位だ!」

 思わず、ガッツポーズを作って喜んでしまう。真田くんも「やりましたね」と一緒に喜んでくれた。後になって、赤連の真ん中でこんなことするなんて、バカなことしたなぁと反省した。

「さっき、あの二個抜かなかったらうちら勝ってたじゃん」

 背後で赤連の女子生徒が文句を言っている声が、耳に入ってきた。

「それにさぁ、なんで他の連合の人が数えるわけ?」

「あの青連の人なんて、青を勝たせたいからってズルしてたかもしれないじゃん」

 彼女たちはわざとわたしに聞こえる声で話しているようだった。一気に気持ちが萎む。役員の仕事をすることで恨まれ役を買うことになるなんて、思ってもいなかった。

「気にする必要ないですよ」

 真田くんも彼女たちの話し声を聞いていたようで、わたしの耳元で囁いた。

「うん……」

 でも、わたしが無神経に喜んだりしたからだ。赤連の気分を害するのに十分なことをした。自業自得だ。

「さっ、玉集めますよ」

 ポンと、真田くんはわたしの背中を叩いて立ち上がり、ポケットから小さくまとめた袋を取りだし広げた。二回戦に出場していた赤連の生徒も玉拾いを手伝ってくれた。もともと玉集めも福祉委員だけの仕事なのだが、練習の時に自主的に手伝ってくれた生徒がいて、それが他の連合にも伝染したのだ。撒き広げるのは簡単だが、集めるのは大変なのでとても助かる。

「あっ」

 しゃがんで玉を集めていると、突然に背中を押された。バランスを崩して膝と手をついてしまう。集めていた玉がばらまかれる。それでもまたさらに強く押された。のし掛かられているようだ。かなりの強さだった。地面についた膝が開き、擦れて痛みが走る。

 さっきの女子生徒の声が脳裏を過る。まさか、彼女たちが……。背後に恐怖を感じる。腕が震え、ぶわっと冷や汗があふれ出るのがわかった。ドクドクと、心臓が早鐘を打つ。

 離れた所から、「吉村さん!」と真田くんの声が聞こえた。ホッとして、やっと息がつけた。

 手をついた先に、誰かの靴が現れた。真田くんじゃない。女子の足だった。立毛筋が収縮する。思わずサッと手を引っ込めた。

「大丈夫?」

 三年生だろうか。どこか大人っぽい雰囲気のある彼女は、わたしの手をつかんで助け起こしてくれた。

「ありがとう、ございます」

 礼を言うと、彼女はわたしの膝を指差し、

「それ、救護で手当てしてもらうといいよ。擦り傷でも、バイ菌入ると良くないから」

 と言った。見ると、擦り傷になって血が滲んでいた。

「お仕事お疲れ様。こちらこそ、ありがとね」

 彼女は微笑んでそう言うと、白線の外側に戻っていった。

 いつの間にか玉はすべて集まって、真田くんは袋の口を縛っていた。手伝ってくれた生徒に頭を下げ礼を言う。音楽が流れ、生徒は退場していった。

「吉村さん、膝……」

 人の捌けた中、真田くんが心配げな表情で駆け寄ってくる。

「あ、全然、大丈夫だよ。擦り傷だし」

 真田くんは何か言いたげな顔をしながらも、「とりあえず戻りますか」と言って籠を持った。

「吉村さん、もっと端の方持ってください」

 わたしに棒の端を持たせた真田くんは、より重心に近い部分を持った。準備の時より幾分軽くなったが、その代わりに真田くんに負担がかかってしまう。

「真田くん、それじゃ重いでしょ」

「俺は平気ですから」

 真田くんは振り返らずに歩き始める。ズキズキ痛みだした膝を我慢して、距離の変わらない彼の背中を追った。


「みんなありがとう。籠はこっちで、玉はそこに置いといてね」

 グラウンドの外れにある倉庫に着くと、新任の女性教師が出迎えてくれた。籠を下ろして息をつく。

 最後のペアが戻ってくるのと一緒に、上田先輩もやってきた。

「みんなお疲れ。片付けの仕事もあるから、四時半にまたいつものとこ集合してくれな」

「えー、今日もあるんですか?」

「当たり前だろ。大丈夫、今日の仕事は軽いやつだけだから。すぐ終わるよ」

「みんな本当にありがとう。すごく助かるわ」

 最後に先生から塩飴をもらい、一旦解散となった。

「膝、洗いに行きましょう。ここからなら、部室棟の水道が近いですかね」

 倉庫を出たところで真田くんに手を引かれる。グラウンドでは中距離走が行われていた。

「え、大丈夫、一人で行けるよ」

「まぁ、俺も暇なんで。……あと、吉村さんを押し倒した人見てたんですけど、知りたくないですか?」

「え……」

 真田くんはちらりとわたしの顔を見て、ニヤリと笑った。

「知りたいですか?」

 もう一度、真田くんはわたしに尋ねた。

「……知りたい」

「じゃあ、教えますね。赤連の中に、すごく太った男子いたの覚えてませんか? その人が、犯人です」

 太った男子。確かにいた。校内でも何度か見かけたことがある。その体型が印象的で覚えていた。

「え、でも、どうしてその人が……」

 彼とは、面識はないに等しい。

「わざとじゃないですよ。その人も玉拾い手伝ってくれてたんですけど、立ち上がるときによろけて倒れちゃったんですよ。吉村さんの上に」

「あぁ、なるほど」

 その時のことを思い出す。最初に手で押された感覚があった。その後も強く体重を掛けられていた。なあんだ、と笑ってしまいたくなる。

「ちなみに、その人が吉村さんに謝らなかったのは、単にタイミング逃しただけだと思うんで、許してあげてください」

 ここで真田くんは、堪えきれない、といったふうに笑いだした。

「あの人、仰向けに転がって、なかなか立ち上がれなかったんですよ。吉村さんが助け起こされた後も、まだ後ろに転がってたんですから」

「えっ、嘘」

「ホントですよー。あの先輩、吉村さんは助けたのに、太った人には目もくれなくて……もう、ホント面白かった。それ見て結構みんな笑ってたのに、吉村さん全く気づかないですし」

 全然わからなかった。内心混乱していて、それどころではなかったのだ。

「あー、なんだー。わたしてっきり、女子に恨まれて転ばされたのかと思ってたよ」

「吉村さんならそう考えちゃってるんじゃないかと思ってました。あの時の言葉、気にしてましたもんね」

「うん、まぁあれは、わたしが悪いし」

 部室棟の水道に着き、靴と靴下を脱いで膝を流水で洗い流す。砂が落ち、傷口がはっきり見えてきた。

 グラウンドの喧騒が遠い。

「でも本当に、気にしなくて大丈夫ですから。女子高生が、玉入れにそこまでムキになりませんよ」

「うん、ありがとう。真田くんのおかげで、なんか、気が楽になったよ」

 水で流していて、痛いはずなのにあまり痛みを感じない。嫌な思いが払拭されたからだろうか。

「それなら良かったです。……傷、大丈夫そうですか?」

 真田くんがわたしの膝を覗き込んでくる。足をそんなふうにまじまじと見られると、恥ずかしい。

「うん。血もほとんど出てないし、大したことないよ」

 ポケットからハンカチを取り出して水気を取っていく。

「あれ、吉村さん、鉢巻してないんですか」

「鉢巻?」

 真田くんに言われ、額に手をやる。今朝ここに巻いたはずだが、触ってみると鉢巻の感触はなかった。

「あれ? ええと、どうしたかな……あ、そうだ」

 ハンカチを入れていたのと逆のポケットを探る。ぐしゃぐしゃになった青色の鉢巻が出てきた。午前の競技中、緩んで落ちてきてしまったので一旦はずしてポケットに入れていたのだ。

「外したまま忘れてた」

 適当に頭に巻き付けようとすると、真田くんに「待って」と止められる。

「吉村さんの髪型なら、こう、高い位置で結んだ方が似合うと思うんですよ」

 いわゆるカチューシャ風というやつか。真田くんは「ちょっとやらせてください」と言ってわたしの手から鉢巻を取った。

 真田くんはわたしの背後に回り、髪に鉢巻を通していった。彼の指がわたしの髪を掻き分ける。くすぐったい。汗臭くないかな、と心配になる。

「はい、できました!」

 またわたしの前に回り込んだ彼は、一人満足げに頷いた。

「やっぱり、ショートボブにカチューシャは最強だと思うんですよ」

「え?」

「吉村さん、似合ってまよ。かわいいです」

 男子からかわいいなんて言われたのは初めてだ。顔が熱くなるのを感じ、視線を逸らした。しかし真田くんはそれを見逃さなかった。

「あー、吉村さん照れてる」

「うるさいっ。真田くんのも結び方、変えてやる!」

 真田くんの頭から鉢巻を奪い取る。彼は嫌な顔せず、「どうなるかなー」とニヤニヤしながら少し屈んでくれた。

 わずかに汗の匂いがした。懐かしい、男の子の匂いだ。

 もともと彼は額に鉢巻を通していたが、今のわたしと同じく冠状縫合上に通し、そして結び目を右耳の上で蝶々結びにする。

「はい完成」

「……リボン?」

 真田くんは自分の結び目に指先で触れた。

「似合います?」

「似合わないけど、かわいいよ」

「かわいいならいいです」

「いいんだ」

 顔を見合わせて、くすくす笑う。

 そっと、自分の鉢巻に触れる。似合うと言われたが、どんなふうになっているのだろう。早く、鏡で見てみたかった。

「あ、次借り物競争だ! 真田くんも出るんだよね?」

「やべっ、もうすぐ召集かかっちゃう! 戻りましょう!」

「うん!」

 小走りでグラウンドに戻る。とても身体が軽かった。雲一つない青空も、グラウンドの喧騒も、土埃の匂いも、全てが愛しいと思えた。




 救護テントで膝に大きめの絆創膏を当ててもらっているうちに借り物競争の召集がかかり、結局応援席には戻れなかった。早くさゆりに、玉入れ一位おめでとうと言いたかったのに。

 召集場所で同じクラスの女子を見つけ、頑張ろうと励まし合う。

「変なお題じゃなければいいね」

「去年『好きな異性』とかあったよね」

「それ、毎年あるかしいから、きっと今年もあるよ」

「えー、出たら嫌だなぁ」

「なんかさぁ、借り物競争なのに、借り人が多かったよね」

 彼女と話ながら、わたしは周囲をぐるりと見渡した。離れたところに真田くんを見つける。無意識の内に真田くんを探していたことに気づき、内心少し焦る。真田くんは、同じく一年生と思われる黄色のTシャツを着た男女数人と楽しげに笑っていた。そのことに小さな嫉妬心を覚える。しかし彼の鉢巻はわたしが結び直した状態のままで、それを確認して優越感に浸る自分もいた。


『借り物競争一組目がスタートしました! 緑連、素晴らしいスタートダッシュです!』

 借り物競争は、各連合一人ずつの一組五人でスタートし、伏せてある五枚のお題の紙から好きなものを選ぶ。そしてお題の物を持ってゴールし、ゴールした順番に借り物の判定が行われる。判定で認められなければ、失格となる。

『この組のお題は、黒い帽子、レースの付いたハンカチ、日傘……』

 組ごとのお題は既に決まっていて、放送席には予め情報が入っているのだ。

「あの人、なかなか見つからないね」

 後ろに並ぶ同じクラスの女子と、レースの展開を観察する。自分たちが同じ目に遭うかもしれないという不安も少しあったが、それ以上にレースを楽しみたかった。

 レースは着々と進み、ついにわたしのいる五組の番になった。

「捺、がんばれ!」

「うん、ありがとう」

 クラスメイトからの励ましを受け、スタートラインにつく。スターターがピストルを鳴らし、五人一斉に走り出した。

 お題の紙が置かれた机まで三十メートルくらいだろうか。その短い距離の中でも他の生徒に離されてしまう。やる気はあるのだが、なにせ足が遅いのだ。お題は残った最後の一枚を取るしかなかった。

 紙を広げお題を確認したわたしは、紙を左手に握りしめ青連の応援席へ全力で走った。

『五組目のお題は全て人で統一されています。校長先生、アロハシャツを着た男性、白連応援団長、青い服の男の子、そして、親友!』

 酸素の少なくなっていく頭で、『親友』なんてお題は良くないよなぁと考える。体育祭実行委員だろうが、きっとこのお題を考えた人は、友人関係で悩んだことなんてないのだろう。だから気安く『親友』という言葉が使えるのだ。

 応援席に近づくと「どうした?」「お題は?」と声がかかる。わたしは一度大きく息を吸って、

「さゆり!!」

 と叫んだ。

 さゆりが慌てたように、椅子を一つ倒しながら出てきた。

「捺、お題は?」

 さゆりから尋ねられるが、呼吸が苦しくてそれどころじゃない。右手でさゆりの左手を握り、ゴールへ走る。応援席からの「頑張れー!」という声援が背中を押した。

 まだ誰もゴールしていなかった。しかし、白連の選手が白連の団長を連れて走っているのが見えた。あの組み合わせはずるい。

 実況が流れているが、言葉として耳に入ってこない。苦しい。こんなに本気で走ったのはいつ振りだろうか。

 負けたくない。はっきりそう思った。さゆりの手を握る右手に力を込める。さゆりもぎゅっと握り返してくれた。手を離して走った方が速くなるが、その時のわたしの頭に、手を離すという考えは浮かばなかった。

 白連よりわたしたちの方がゴールに近づいてはいた。しかし、男同士の白連の二人の方が速い。逃げ切れるか。あと少し、あと少し……

 さゆりの手を一層強く握り、ゴールテープに飛び込む。テープが身体に巻き付く。役員の生徒が「一着」とわたしたちに手を向けた。

 さゆりと顔を見合わせる。一着だ。白連に勝ったのだ。

「あっ、」

「捺!」

「やった!」

「うん!」

 手を握りあったまま、その場でぴょんぴょん跳ねて喜びを分かち合う。全力で走った苦しさも、忘れてしまうようだった。

 五組全員がゴールし、判定へ移った。

『では一着の青連合からお題の判定を行います。お題は何ですか?』

 体育祭実行委員の男子生徒が、わたしにマイクを向ける。

『親友です!』

 わたしは胸を張って答えた。さゆりが「えっ」と声を上げてこちらを見る。そういえば、さゆりにはお題を伝えずに連れてきてしまったのだ。

『親友! 判定基準の難しいお題ですねぇ……ですが、ゴールしてからもずっと繋がれている彼女たちのこの手が、親友の証ではないでしょうか!』

 会場から拍手が沸き起こる。会場も認めてくれたということだ。青連の応援席に目をやると、由美と早苗が拳を突き上げているのが遠目でもわかった。彼女らに返答するように、さゆりと繋いだ手を高く掲げる。応援席からは一際大きく歓声が上がった。

 さゆりと二人で並んで歓声を受けられることが、誇らしかった。とても気持ちが良かった。

「やったね、捺」

「うん! さゆり、ありがとう!」

 さゆりは照れくさそうに笑った。しかし、そのまま目線を下げた彼女は、驚いたように顔を上げた。

「捺、足、どうしたの!?」

「あー、ちょっと転んじゃって。でも全然大したことないよ。一応手当てしてもらっただけ」

「そう……。あ、鉢巻、結び方変えたんだね」

「うん。変じゃないかな?」

「似合うよ。かわいい」

 真田くんと同じことを言うさゆりに、笑ってしまう。

「さゆり、後でいろいろ話すよ。話したいこと、いっぱいあるんだ」

 怪我のことも鉢巻のことも、話したい。玉入れで青連が一位で嬉しかったことも伝えたい。恵美のことは、話せるだろうか。まだちょっと自信がない。でもいつか必ず。

「わかった。わたしも話したいことあるよ。じゃあ、また後でね」

 借り人のさゆりは応援席へ戻っていった。出場者は、全員が終わるまで待っていなければならないのだ。

 ゴール横の待機スペースに移動したところで、未だに左手にお題の紙を握りしめていたことに気づいた。そっと広げてみる。マジックで書かれた『親友』 という文字に胸がくすぐったく疼くのを感じながら、その紙をポケットにしまった。


「あー! 出たよ『好きな異性』!」

 出番の終わったクラスメート数人で固まって座り、レースを見物する。借り物競争はもう終盤に入っていた。

「誰かなー」

「あ、あの人じゃない? 赤連、今女の人連れてきてる」

「ぽいぽい! わー、美男美女だ!」

 彼女たちの指差す方を見やる。赤連の男女が手を繋いでゴールへ走ってきていた。

「上田先輩?」

 男子生徒の方は、上田先輩だった。彼も、借り物競争に出場していたのか。

「捺、知ってるの?」

「委員会の先輩」

「へー、あの女の人、彼女かな」

 上田先輩と走ってきた女子生徒は、ゴールすると膝に手を当て肩で息をしていた。

 そして、顔を上げた彼女を見て、わたしは「あっ」と声を上げた。

 さっきの人だ。玉入れで、わたしを助け起こしてくれた、あの先輩だ。

『三着の赤連合、お題は何ですか?』

『好きな異性です!』

 判定でマイクを向けられた上田先輩は、大きな声で答えた。もう、ヤケクソになっているように見えた。二人に黄色い悲鳴や冷やかしの声が浴びせられる。

『好きな異性ということですが……本当に好きなのか、あなたの気持ちをこの場で彼女に伝えてください!』

『はぁ? なんだよそれ』

 先輩の、思わず口についた文句がマイクを通ってしまい、会場の笑いを誘っていた。会場が盛り上がり、後に引けなくなった先輩は、実行委員からマイクを奪い取った。そして彼女に向かい合う。

『あー、ナナミ! 大好きだ!!』

 会場は、今日一番の盛り上がりではないだろうか。ナナミと呼ばれた彼女は、顔を赤くしてうつむいている。玉入れの時は大人びた人だと思ったが、こうして照れているところを見ると、かわいらしく思える。

『彼女さんの返答も聞きたいところですが、時間がないので次に進みます。お二人は末永く爆発してください。……さあお待たせしました。黄連合、お題をどうぞ!』

 ナナミさんと別れた上田先輩は、わたしたちのいる待機スペースへ移動してきた。先輩と目が合う。

「よぉ、見たか、俺の勇姿」

「すごかったですね、先輩」

 先輩と言葉を交わしていると、周りの友達も気づいて「きゃあ」と声を上げた。先輩はどこの少女漫画のイケメンキャラですか。

「さっきの人、彼女ですか?」

「あー、まぁ、そんな感じ」

 上田先輩は照れているのかぶっきらぼうに答えた。

「きゃー、いいなー」

「高校最後の体育祭で、そんな素敵な思い出作りたーい」

「彼氏じゃなくていいから、あのお題で選ばれたーい」

 興奮した彼女らの妄想を、先輩はニコニコしながら聞いていた。そして「頑張れよ」と言って立ち去ろうとする。

「あ、先輩」

「ん?」

「先輩の彼女さん、優しい人ですね」

「……何、吉村、面識あったの?」

「今日、たまたま」

「ふーん」

 先輩は急にしゃがんで、わたしの耳元に顔を寄せた。

「実は、まだ付き合ってはいないんだよね。あいつから告られて、一度は振ったの」

「えっ、じゃあ!」

「ナナミが、心変わりしてなければ、な」

「それは絶対大丈夫です!」

 先輩から大好きだと言われた時、彼女は一瞬笑顔を見せたのだ。彼女は、先輩が好きだ。論理的な根拠はないけどそう確信できた。

「おぅ、サンキューな」

 先輩は幸せを隠しきれない表情で立ち上がった。

「あ、吉村、おまえもかっこよかったぞ。『親友です!』って」

 ひらりと手を振り「じゃあまた放課後」と言って、先輩は同級生のいる方へ歩いて行った。そこでもまた、先輩は質問攻めにあっているようだった。


 そういえば真田くんを見ていないなと思ったら、彼は最終組に出場していた。

 ピストルの合図で走り出した彼は、一番にお題の紙を取った。さすが、足が速い。

 お題を確認した真田くんは、観客席の方へ走った。しかし目当ての物は見つからないようで、うろうろしている。お題はなんだろう。何か叫んでいるが、アナウンスや応援がうるさくて、ここからでは聞き取れない。

 早くも二人が借り物を持ってゴールした。真田くんが焦っているのが遠目からでもわかった。

 立ち止まってキョロキョロ見渡していた真田くんは、ある一点で視線を止めた。そして、短く叫んだ。


 今、彼は「えみさん」と叫ばなかったか?


 早く、と真田くんの口が動く。足踏みしながら、観客席に手を伸ばした。

 観客席の人混みから、恵美が出てきた。間違いない。お昼に会ったときと同じ服装をしている。

 真田くんは恵美の手首を掴み、走り出した。恵美も引っ張られるようについていく。

 風が吹いて、ふわっと、恵美の帽子が舞い上がった。恵美が立ち止まり、真田くんが恵美の手を離して帽子を追いかけようとする。恵美はそれを制し、真田くんの背中を押した。二人は手を離したまま、ゴールへ走った。

 速い。二人とも長距離とはいえ、さすが陸上部だ。恵美なんて、私服で運動靴も履いていないのに。二人はきれいなフォームの走りで、前を行く緑連の女子を抜いた。そして、四着でゴールした。

 順番に判定が行われる間、二人は笑いながら何か話していた。そんな彼らを見ながら、頭がどんどん混乱していく。

 彼らは中学での陸上部の先輩と後輩だ。しかも、同じ長距離ブロック。お互いを知っていて当然だ。仲が良くたって不思議じゃない。

 だけど……

 既視感が、あった。恵美と、真田くん。二人がこうして笑いあっているところを、以前も見たことがあった。

『黄連合、お題をどうぞ』

『花柄のワンピースです!』

 真田くん、君の下の名前は、なんだっけ。

 委員会の自己紹介で、聞き覚えのある名前だと思った。昨日連絡先を交換し、携帯のアドレス帳には『真田弘樹』と登録された。

「ヒロキ、またね。残りも頑張ってね」

 恵美は真田くんに手を振り、実行委員から帽子を受けとると、応援席に帰っていった。真田くんが待機スペース側に体を向けたのを見て、わたしは彼と目が合わないよう顔を伏せた。

 あぁ、真田くん。君は、ヒロキくんだったんだね。

 砦の一部が崩れたような、そんな気がした。

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