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第3話 メール

「で、福祉委員の担当は今年も玉入れと綱引きになります。玉入れの仕事は、玉と籠の準備片付けと、籠を競技中ずっと支えていることと、あとは玉のカウントです。綱引きは綱の準備片付けだけです」

 六月になり、体育祭のシーズンとなった。明日からは全体練習が始まる。体育祭実行委員はいるが、人手が足りないため各委員会が競技の準備を手伝うのがこの学校の風習だ。

「じゃあ、一、二年生が玉入れで、三年生が綱引きの準備をお願いします。その種目に出たい人がいたらいくらでも交代するけど……いますか?」

 誰も返事をしない。「じゃあ担当決定で」と言って先輩は話を進めた。

「玉入れは二人ペアになってもらうんだけど……あの籠、結構重たいから男女で組んだ方がいいと思うんだよね。一、二年、ちょうど男女半々だし、今のうちに男女でペア作ってみてよ」

 上田先輩の言葉に、福祉委員の二年生同士で顔を合わせる。委員は、一学年五人なのだ。二年生は男子二人に女子三人。一年生は男子三人、女子二人だ。一年生の様子を窺ってみると、こちらも「どうしようか……」と少し困った顔をしていた。誰かが、学年を越えてペアになる必要があるからだ。自然と真田くんと目が合う。

「吉村さん、俺と組みませんか?」

 わたしも今、同じことを言おうと思っていたところだ。彼に向かって頷く。

「うん、そうだね」

 わたしと真田くんが組めば、あとは同じ学年の中でペアが成立する。偶数になった彼らは「じゃあこことここで」と簡単にペアを作ってしまった。

「ペアできた? えーっと、じゃあ、あとは……何かあったかなぁ」

 手元の資料をパラパラめくっていた上田先輩は、資料から顔を上げると、なぜかわたしを見た。なぜこっちをみるんだ、と思わず顔をしかめてしまう。先輩は片目を大きく見開いたりしている。何やら目配せをしているようだ。去年も同じ仕事をしていたわたしに、何か他に注意事項等がないか聞いているのだろう。

「えっと、去年は玉入れで、自分の連合の籠は担当しちゃいけないことになってましたけど……」

 とりあえず思い付いたことを言うと、先輩はパチンと指を鳴らした。

「そう、それ、昨日の会議で言われた! ナイス吉村」

 先輩はまた資料をめくった。三年生が「委員長頑張れよー」とヤジを飛ばす。

「あったあった。えっと、騎馬戦や全校種目、玉入れ等でカウントを行う生徒は、自身の連合以外を担当してください。……綱引きは関係ないね。玉入れの人は、まあ、色被らないように適当にやってくれよ」

 先輩が一番適当ですよ、と内心でツッコミを入れる。先輩から頼られているのは、まぁ、嬉しいと感じてしまうけれど。

「うん、あとはそんなもんかな。じゃあみんな、明日の全体練から頼むな。集合かけるアナウンス入るはずだから、ちゃんと聞いてろよ。何か質問ある人いる? ……いないね、はい、今日は解散!」

 お疲れさまでしたとまばらに声が上がる。

 上田先輩の方を見ると、三年生だけで集まって話し合いを始めようとしているところだった。

 何となく、本当に何となくだけれど、今日もまた先輩から声をかけてくれるんじゃないかな、なんて期待していた。バカみたい、とため息をつく。自分からはなかなか話しかけられなくて、待ってばかりだ。先輩は、わたしのことなんて特別視してないよ。先輩みたいな人は、誰にでも隔てなく声をかけてくれるだけなんだよ。

「吉村さん、帰りましょうよ」

 真田くんが、わたしの席の目の前に現れる。委員会の日は、彼と一緒に帰るのが恒例となっていた。懐かれた、と感じる。初めて話した時は恵美に似ていると思ったが、真田くんという人物像が見えてくるに従って、恵美の面影は消えていった。

「うん、ちょっと待って、すぐ支度するね」

 筆入れを鞄にしまい、彼と並んで教室を出る。ちらりと振り向けば、上田先輩は三年生の人たちと楽しげに笑っていた。

 わたしが異性と二人きりで帰ろうとしているのに全く気にしないということは、そういうふうには見られていないんだろうな。そんなの、わかってた。

「真田くん、中間テストどうだった?」

「はっはっは。吉村さん、面白いこと言いますね」

「あら、そんなにおかしなこと言ったかしら」

「もう、ホント吉村さん面白すぎですよ。はははははは」

 棒読みで会話をするわたしたちを、すれ違う生徒が訝しげに見やった。

 胸にほろ苦い気持ちが溢れてくる。でも、あのヘドロのようにドロドロした汚い感情に比べれば、ほろ苦さなんてたまにはいいじゃないかと思えた。




 その日の夜、お風呂から上がり自室へ戻ると、携帯電話にメールの着信を知らせるライトが点滅していた。開いて差出人を確認する。

 花野恵美。

 心臓が、どくんと大きく跳ねた。

『北高の体育祭、見に行くね。終わった後でもいつでもいいから、なっちゃんと会えないかな?』

 彼女からのメールは久しぶりだった。相変わらず、絵文字の多い賑やかな文面だった。

 高校に進学して会わなくなったのをいいことに、わたしは彼女のメールに返信をしなくなっていった。次第に、恵美もメールを寄越さなくなった。

 本当に久しぶりのメールだし、会いに来ると言っているし、返信した方が良いとは思うのだが文章が定まらない。そもそも、わたしは体育祭で本当に恵美と二人で会おうとしているのだろうか。それさえもわからない。

 一旦今来たメールを閉じて、過去の恵美からのメールを遡ってみる。返信をしたマークのないメールがいくつか続く。恵美は、返信が来るかもわからないメールをどんな気持ちで送っていたのだろう。

 やがて、『Re1』と書かれたメールを見つけた。最初にわたしから送り、それに対する返信のメールだ。わたしからメールを送ることは、めったになかったはずだ。

『ごめんね。土曜日は部活で、日曜日は大事な予定があるの。来週は土日とも空いてるからそこで遊ぼうよ! なっちゃんに話したいことたくさんあるんだ!』

 日付はほぼ一年前。そうだ、この時は珍しくわたしから誘ったのだ。ちょうど観たい映画があり、恵美も以前に観たいと言っていたから。でも、フられてしまった。部活はわかる。だが、「大事な予定」とは何なのだ。いつも聞いてないことまで教えてくれる恵美にしては、やけに曖昧な言い方だった。言えないようなことなのか。自分から離れておいて、相手から突き放された途端、ショックを受けていた。そんな自分が余計醜く思えて、純粋で綺麗な恵美の傍には居たくなくて、もうそれっきり彼女にメールは返さなかった。

 さらにメールを遡っていくと、中学生の頃のやり取りが現れた。池田くんと別れた後の日付だ。メールの文章を見返すだけで、当時の嫌な感情がよみがえってくる。Reの後ろの数字は偶数ばかりだった。

 その頃のメールは読みたくなくて、一気に飛ばす。すると、Re50を越えるものが続々と出てきた。自分でも驚く。一体どれだけの時間を彼女とのメールに費やしてきたのだろう。でも当時は、これが時間の無駄だなんて考えたこともなかった。むしろ、大切な時間だった。大人は次の日学校で話せばいいなんて言うけれど、そうではないのだ。このやり取り自体に意味があるのだ。

 文面を見ていくと、心なしか、今までより楽しそうな雰囲気があった。わたしも、この頃はメールも楽しかったなと思い出す。楽しかった。恵美が、好きだった。

 もう一度、さっき届いたメールを開く。そして、返信の作成画面を表示させた。

『帽子か日傘、ちゃんと持ってくるんだよ。お昼ご飯、一緒に食べよう』

 送信ボタンに指をかけるが、押せない。指が震えている。目を瞑り、えいっ、と指を押し込む。そっと目を開くと、画面には『送信しました』の文字が出ていた。たった一通の、それも本文の短いメールを送るだけで、どっと疲れた。

 5分もしないうちに、恵美から返信が来た。

『ありがとう! なっちゃんも熱中症に気を付けてね! 体育祭、楽しみにしてるね!』

 あ、恵美が、喜んでいる。

 画面の向こう側で、可愛らしいパジャマを着てベッドの上に座り、両手で携帯電話を握りしめている彼女の姿が思い浮かんだ。そんな想像が簡単にできるくらいには、彼女の傍にいたのだ。

 彼女と会って、何を話そう。彼女は何を伝えに来るのだろう。

 さゆりの顔が浮かぶ。由美、早苗。上田先輩に、真田くん。恵美のいない場所で出会った人たちだ。今の学校生活は、とても楽しいと思える。わたしの人生に、恵美はもう関係ない。恵美がいなくたって、わたしは充実した生活をおくっている。

 じゃあ、今さら、何のために恵美に会うのだろう?

 わからない。わからないけど、会わなければいけないような気がした。

 床に乱雑に置かれた鞄にぶら下がる、クマのキーホルダーが目にはいる。以前、真田くんが付け直してくれたものだ。そして、恵美とお揃いで購入したものである。恵美はまだ、その時のキーホルダーを持っているだろうか。





「吉村さんって、文系理系どっちですか

?」

 テントの骨組みを抱えながら、真田くんがやけに暗い顔つきでそう尋ねてきた。彼は、今日はずっとこんなテンションだ。何度彼のため息を聞いただろう。

 明日は体育祭本番。今日は一日、予行練習だった。そして放課後、当日に向けた雑用が各委員会に振り分けられた。今わたしたち福祉委員が行っているのは、本部や保護者席、救護用のテント設営である。

「理系だよ」

 彼から受け取った骨組みを接続させながら答える。真田くんは「ホントですか?」と嬉しそうに聞き返した。

「じゃあ、化学得意ですか?」

「得意ってほどじゃないけど、一年生の範囲ならわかるかな。……どうして?」

「お願いします! 勉強教えて下さい!」

「……テスト終わったばかりでしょ」

「これからが本番なんです」

 真田くんは、泣きそうな顔でわたしを見上げた。それでもテントを組み立てる手は止めない。

「再試験?」

 ゆっくりと、真田くんが頷く。今度はわたしがため息をつきたくなった。まだ一年の一学期中間ではないか。

「友達に頼めばいいじゃない」

「友達……みんな、部活だとか、デートだとかで、俺を見捨てていくんです」

「はぁ……、で、試験はいつなの?」

「来週の火曜日です」

 明日、土曜日が体育祭で、月曜日は振替休日。つまり連休明けだ。

 組み立てた骨組みに、横幕が被せられ、みんなで形を整えていく。

「吉村、その角もっと強く引っ張れるか?」

 福祉委員の二年の男子から声をかけられる。これでも力を入れて引っ張っているのだが、横幕がうまく被さらない。

 すっ、と横から手が伸びてくる。真田くんだ。彼は、わたしの目の前の横幕を掴み、引っ張った。

 ぐぐっと腕の筋肉が盛り上がる。薄付きではあるが、やっぱり男の子なんだなぁと、思わず見とれてしまう。

「うん……しょっと」

 横幕が徐々に綺麗に被さっていく。

「お、いいぞー。高橋、そっちはどうだ?」

 結構力を使ったようで、真田くんはふぅーっと息をついた。

「真田くん、ありがとう」

 礼を言うと、彼はニコッと笑い「いいえー」と答えた。本当、愛嬌のある笑いかたをする。

「日曜と月曜、どっちがいいの?」

「え?」

「化学。見てあげるよ」

 ガバッと、彼は顔を上げた。

「本当ですか。本当ですか、吉村さん」

「うん、いいよ。どうせ暇だし」

「やったー! ありがとうございます!」

 一瞬、尻尾が見えた気がした。作業中じゃなければ飛びかかってきてたかもしれないな、なんて想像して、一人で笑ってしまった。

「いいよいいよ、そのかわり、何か奢ってもらうからね」

「えー、そんなぁ」

 その時、後頭部にゴツッと衝撃がきた。「いたっ」と声をあげてしまう。

「そこ、いちゃついてないで仕事しろよ」

 上田先輩の声だ。後輩の女子になんてことをしてくれるんだ。

「あ、委員長、仕事ほったらかしてどこいってたんですか。こっちもう終わりますよ」

 二年の男子が文句を言う。わたしも同調してうんうんと頷くと、また頭を叩かれた。

「委員長様にはいろいろ仕事があるんだよ。……そのテントで最後か?」

「はい。あと足立てて、紐結ぶだけです」

「いくぞー。せーの」

 テントを持ち上げながら、足を伸ばしていく。重たい。正直、キツい。うまく支えられず、腕が震えている。

 傍にいた上田先輩が、わたしのつかんでいる骨組みに手を貸そうとしてくれているのが、気配でわかった。慌てて力を入れ直し、足をしっかり立てる。先輩はすっと離れていった。

 可愛くない態度を取ってしまったな。しかし、このくらい自力でやれる。他の女子だって、男子の力を借りずにやっているんだから。さっき真田くんが手伝ってくれたのは助かったが、自分で頑張ればできることまで頼りたくなかった。

「お疲れ。 解散していいか先生に聞いてくるから、ちょっと待ってて」

 上田先輩は、グラウンドのライン引きの指示を出している先生の元へ駆けていった。残った委員で、テントを縛っていた紐や袋を回収する。

「吉村さんて、委員長と仲いいですよね」

「去年も福祉で一緒だっただけだよ」

「えー、でも、ただ委員会が同じなだけで、みんなと仲良くなるわけじゃないですし」

 真田くんの言葉に、ふと手を止めて福祉委員のみんなを見回してみる。わたしは誰とでも友達になれるような性格はしていない。たった十五人の委員でも、他学年には顔と名前が一致しない生徒もいる。

「確かに……。じゃあ、わたしが真田くんと仲良くなったのと同じようなもんだよ」

 上田先輩と話すようになったのは、特別きっかけがあったわけではない。活動中に世間話をちょこっとした程度だ。それに先輩は、誰にでも優しい。

「ふーん。そうですか……」

 それから上田先輩が戻ってくるまで、彼は一言も喋らず、目も合わせなかった。彼の態度が若干気にはなったが、解散したあと「帰りましょうか」と笑いかける真田くんはいつも通りだった。

「真田くん、メアド、交換しておこうよ」

「……えっ?」

「メアド。 学校以外で会うのに、連絡できた方がいいじゃん」

 真田くんはパッと笑顔になった。

「そうですね。あっ、勉強、どこでやりましょう。中学の近くの図書館とかどうですか?」

「うん、いいね」

「俺、化学頑張るんで、合格したらご褒美ください」

 赤外線受信をしながら、今日も彼は楽しそうに話す。真田くんと話すのが好きだ。彼の屈託のない笑顔は、こちらまで明るく照らすようだ。彼の隣は、とても居心地がよい。

 明日恵美と会う約束をしていることも忘れ、わたしは楽しい気分で家路に着いた。

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