第四話
夜の闇がだんだんと深まっていく時間。
旅姿の少女が、煌々と燃え盛るたいまつを手に、山を登っていく。
茶色く煤けたフード付きマントに身を包んだ少女が進む先を見上げると、山の中腹に見えるのは石造りの廃墟。
人が住んでいそうもない、打ち捨てられたはずの建物だが、そのあちこちの窓からはランプによるものであろうオレンジ色の灯りが漏れ出ていた。
「あそこに山賊たちが……。二十人ほどいるという話だったけど、随分と賑やかそう」
何やら騒いでいる男たちのだみ声や笑い声が、少女の元までかすかに流れてきていた。
少女──セフィーリアは、その小さな手をぎゅっとにぎりしめる。
「村の人たちは、あんなに困窮しているっていうのに……」
酒場を出て村のあちこちを見て回った少女は、飢えとひもじさに打ちのめされながら身を寄せ合って暮らしている村人たちの姿を見ていた。
今すぐ飢え死にするといった状態ではないが、冬越しのことなども考えると、とてもまともな生活ができる状況ではないという。
セフィーリアとて、そうした村人すべてに施しができるほどの路銀を持ち合わせているわけではない。
また聖王国の王都に戻っても、国全体のことを考えなければならない財務担当者にあの村にだけ特別給付を与える旨の説得をするのは、かなり骨の折れる交渉であるように思えた。
そして何よりも、問題の元凶を叩くことが先決だ。
それこそがセフィーリアの任務である。
少女は想いを胸に、山道を上っていく。
***
セフィーリアが廃墟のすぐ前までたどり着く。
その朽ちかけた門の前では、二人の男が焚き火を囲んでいた。
あぐらをかいた男たちは、一人は短槍を傍らに置き、もう一人は鞘に納められた小剣を腰のベルトに引っかけて身に着けている。
彼らの周囲には、食い散らかした食べカスと、飲み散らかした酒瓶がいくつか転がっていた。
旅姿の少女は、その二人の男たちへと向かって無造作に歩み寄っていく。
身を隠すことや不意を打つことを、彼女はしようとはしなかった。
だから酔っぱらっている男たちも、当然ながらその接近に気付く。
それでも少女は堂々と進み、彼らのすぐ前に立った。
「こんにちは。一つ聞きたいんですけど」
そう言って少女は、たいまつを持っていないほうの左手を自らのフードにかけ、それを背へと下ろす。
その姿を見て、男たちは呆気にとられた。
少女のあまりの美貌と、彼女がその場にいることの似つかわしく無さに、呆けるしかなかったのだ。
「なんだ……妖精? 幻か?」
「いや、俺にも見えるってことは、幻じゃないだろ」
「ハハッ、見張りなんてさせられてる可哀想な俺たちに、神様からの贈り物かぁ?」
男のうちの一人が立ちあがり、少女へと歩み寄る。
そして酔って赤くなった手を、少女の胸元へと伸ばした。
──パンッ!
その男の手が、少女の手によって打ち払われる。
「……あぁ?」
一瞬にして、不愉快そうな顔に変わる男。
彼に向かって、旅人の少女は答える。
「妖精じゃなくて悪いですけど。ただの旅の聖騎士です」
「旅の……聖騎士だぁ?」
二人の男たちは、少女の言葉を聞いて顔を見合わせる。
そして──
「プッ──ギャハハハハハッ! 聖騎士って、あの聖騎士かよ……!」
「そりゃそうだろ! 聖騎士って言ったらお前、聖王国最強の、あの聖騎士様たちしかいねぇだろ!」
男たちは腹を抱えて笑い転げる。
しかし一方の少女は、淡々とした様子だ。
「私のことはいいです。それよりも確認なんですけど──その、今あなたたちが食べていたものや飲んでいたお酒は、西の麓の村から略奪したものですか?」
少女のその言葉に、男たちの笑い声がピタリと止まった。
「──だとしたらどうする、自称聖騎士のお嬢ちゃん? 悪党の俺たちを、成敗しちゃいまちゅかあ?」
「ハハハッ! おい、やめてやれよ。英雄物語とか読みすぎちゃった子供の、ちょっとした英雄ごっこだろ?」
「いやぁ、だからっつって、こんなトコまでこられちゃ逃がせねぇだろ。悪者として、しっかり相手してやらないとなぁ」
「ギャハハハッ! ゲスいなぁお前。だが分かるぞその気持ち。よし、やっちまえ! っつーか俺も混ぜろ!」
もう一人の男も立ち上がり、のしのしと少女の方へと近寄ってくる。
一方の少女は、はぁと大きくため息をついた。
「……どうやら、黒で間違いないか」
「おうよ、俺たちゃ悪者だぜぇ? さ、正義の聖戦士ちゃん、叩きのめしてくれよ。できるもんならなぁ?」
そう言って、先に手を伸ばしたほうの男は腰の小剣を抜きもせずに、少女の前で両手をあげて威嚇するクマのようなポーズをした。
それに対し、セフィーリアは二度目のため息とともにつぶやく。
「じゃ……遠慮なく」
少女はたいまつを投げ捨てる。
それから一瞬遅れて──ドゴッ。
鈍い音が響き渡った。
「か、はっ……!」
クマのポーズの男は、その格好のまま、苦痛の声をあげていた。
男の懐には、いつの間にか間合いを詰めたセフィーリアの姿。
その少女の鋭い肘打ちが、男の腹部に埋まっていた。
少女がトン、トンとステップを踏んで後ろに下がると、男が崩れ落ちるようにどさりと倒れる。
「あ、がっ……あぐっ……!」
苦痛に腹を抱えて、地面でうずくまる男。
焚き火と、セフィーリアが投げ捨てたたいまつとが、パチパチと爆ぜる音を鳴らしていた。
旅装束の少女は、もう一人の男に対して半身で立ち、冷たい瞳を向ける。
「英雄ごっこじゃありません。あなたたち悪党を退治するのは、私の任務です」
「なっ……ウソだろ!? く、くそっ……!」
男は焚き火の前に慌てて戻り、地面に置いてあった短槍を手に取る。
それから少女へと向き直るが──
「遅いです」
「はっ……? ──うおっ!」
すでに至近距離まで近寄っていたセフィーリアは、男が手にした槍を片手でつかむと、同時に足を引っかけて、男を仰向けに転倒させる。
そしてブーツで男の右腕を踏みつけにしつつ彼が手にしていた槍を奪い取ると、それをくるんと持ち替えて、その槍の鋭利な穂先を、男の喉元へと突きつけた。
「もう一つ、聞きたいことがあります」
「わ、分かった、何でも話すから……!」
「何日か前に、村から拉致した女性がいたはずです。それと、その人を助けに来た男性。その二人は、今どこにいますか?」
「い、いや、あいつらはもう、死ん……いや、地下牢! 地下牢にいる!」
「……そうですか。じゃあ、あなたはもういいです」
セフィーリアは手にした槍を一度引き、再びくるんと回して持ち替えると、その柄の部分で男の額を突いた。
「がっ……!」
男はそれで、意識を失う。
セフィーリアはそれを確認すると、手にした槍を捨て、地面に落ちたたいまつを拾い上げる。
そして倒れた男たちを放置し、朽ちた門をくぐって、少女は廃墟の中へと踏み込んでいった。