第三話
しかし酒場のマスターはそこで、はたと我に返った。
彼は慌てて立ち上がると、聖騎士の少女に向かって頭を下げる。
「す、すみませんでした! 本当に聖騎士様とは思わず、あのような無礼な態度を──うっ」
だが彼は、殴り飛ばされてテーブルに頭をぶつけたダメージから、すぐによろけて倒れそうになる。
後頭部から血を流していた。
「大丈夫ですか!」
慌てて駆け寄ったセフィーリアが、それを支える。
それからマスターに肩を貸し、手近な椅子へと座らせた。
「無礼とか、そういうのは全然いいですから、無理をしないでください。それより治癒魔法をかけますね──ヒール」
セフィーリアは椅子に座らせたマスターの横に立ち、血を流している彼の後頭部に手を近づけて、魔法を使う。
その手から暖かな光が生まれ、傷口を癒していく。
数秒が経つと、マスターの後頭部の怪我は綺麗に治癒されていた。
マスターは立ち上がり、患部に手をあてて感動する。
「おおっ……すごい、これが治癒魔法。まさに聖女様……」
「あわわ、やめてください。私は聖女なんかじゃなくて、ただの聖騎士です。治癒魔法だってそんなに高位のものは使えません」
顔を真っ赤にして、わたわたと両手を振って否定するセフィーリア。
それから下唇を出して、少し拗ねたような顔をする。
「……あと、さっきまでみたいに普通に接してほしいです。そうやって他人行儀にされると、少し寂しいです」
「いえ、しかしそういうわけにも」
「私がそうしてほしいって言っているのに、ダメなんですか……?」
そう言って、上目遣いの眼差しを向ける聖騎士の少女。
マスターはたじたじになった。
「え、いや、しかし、その」
「……そうですか。マスターさんは、自分を助けた人の些細なお願い事も聞いてくれないんですね。ぐすん。助けなければ良かったです」
「えっ、ちょっ、聖騎士様……?」
「あーあー、ひどいなー。『聖騎士様』じゃなくて、さっきまでみたいに『お嬢ちゃん』って呼んでほしいなー。っていうか、そうでないと拗ねます」
「あ、え、ええと……」
マスターは困った。
困った末に、やむなくその言葉を発する。
「その……お嬢ちゃん、で本当にいいんですか?」
「はい。あと敬語もやめてほしいです。マスターさんのほうが年上です。人生の先輩です。年上の人から敬われるとか、ひどい罰ゲームです。助けたのに罰ゲームです。可哀想な私」
「わわわわ、分かりました、じゃなかった、分かった。分かったよお嬢ちゃん。お嬢ちゃんの言うとおりにする。これでいいのか?」
「えへへっ、それでいいんです♪」
拗ねた表情から一変、満面の笑顔を見せるセフィーリア。
それを見たマスターは、慌てて視線を泳がせていた。
一方、マスターの対応に満足したセフィーリアは、話題を変える。
「ところでマスターさん、どこかにロープのようなものはありませんか?」
「ロープ? それなら倉庫にありま……あるが、何に使うんだ?」
「この人たちを縛ります」
そう言ってセフィーリアが指さしたのは、床でノックアウトされているごろつきたち。
「ああ、なるほど」
得心したマスターは厨房奥の倉庫に行ってロープを持ってくる。
そしてセフィーリアとマスターは協力してごろつきたちを縛り、酒場の隅っこに転がしたのだった。
***
その他一通りの後始末が終わったあと、セフィーリアとマスターは酒場のカウンター席に隣り合って座っていた。
店内にわずかにいたほかの客は、臨時閉店ということでマスターが頭を下げて帰らせていた。
「それで……? あのごろつきさんたちのこと、近くの村に住みついた山賊の一員だとか言っていましたよね。その辺りのことを、詳しく教えてもらえますか」
セフィーリアがあらためて質問をする。
マスターはうなずいて答える。
「ああ。あいつらはつい最近やってきて、東の山にある廃墟に住みついた。あいつらよくうちの村に来て、俺たちに暴力で言うことを聞かせて好き放題をしていくんだ。穏健ぶっているが、実質的には略奪と変わらないよ」
セフィーリアは、そのマスターの言葉を静かに聞いていた。
マスターは話を続ける。
「酒や食糧を巻き上げていくのはもちろんだが──この間なんて、村一番の美人のアイナを数人がかりで無理やり連れていった。アイナの恋人だったホリスがそれを知ってほかの村人の制止を振り切って武器を持って山に向かったが、ホリスはそれっきり帰ってこない。今頃はおそらく……」
マスターが、その手をぎゅっとにぎりしめる。
話を聞いていたセフィーリアの眼差しが、鋭く細められた。
「この地の領主には、その山賊の件は伝わっているんですか?」
「ああ。だが、討伐の兵を編成するからしばし待てという報があったきり、もう一週間近くが経つ。本当に討伐をしてくれる気があるのかどうか……」
「いえ、ないですねそれは。その領主には今度話を聞きにいく必要がありそうです。それはさておき──」
セフィーリアは席を立った。
そしてそのまま、おもむろに酒場を出ていこうとする。
それを見て、マスターが慌てて声をかける。
「お、おい、ちょっと待てお嬢ちゃん。どこに行く気だ」
「どこって、東の山です。そんな連中は放っておけません」
「『放っておけません』って……! やつら二十人ぐらいはいるんだぞ! それにやつらのリーダーは、なんだか得体のしれないやつだった。しかもお嬢ちゃん、武器も防具も身に着けていないじゃないか。いくら聖騎士様だって、そんな丸腰でどうこうできるような相手じゃ──」
マスターがそう言って制止すると、酒場を出ていこうとしていた少女は足を止め、少しだけ振り向く。
そして──
「大丈夫ですよ、マスターさん。それに──武装なら、ここにありますから」
そう言って胸元のペンダントをポンと叩くと、聖騎士の少女は今度こそ、酒場の扉をくぐって外へ出ていった。
そのあとには、呆気にとられた様子のマスターが残されていたのだった。