[ノエル]ユグドラシルの侵攻
「ユグドラシルがレイアーに侵攻?」
エルクが食後の珈琲、とか言う、最近お気に入りの飲み物を飲んでいると、アレクシアが情報を伝える。エルクが驚き、言う。
エルクにしなっと寄りかかっていたセリアが身を起こす。
「そのようです。小部隊を向けられるくらいなら、撃退できるだけの戦力を整えてあるのですが・・・部隊数2万、軽くあしらえる規模ではありません。援軍を送らなければ勝利は難しいでしょう」
エルクは思案する。自分や眷属クラスが行かなければ、止めるのは難しいだろう。
「ご主人様・・・!此度の戦、ノエルを派遣して下さい!」
ノエルが強い意志を込めて言う。エルクは考える。確かに、ノエルの産まれた国。心配は当然だ。また、ノエルは水路を利用した高速移動が出来る。単独での先行、確かに可能だ。今は一刻を争う時。それが最良か。
「分かった、ノエル。お前に先行を任せる。他には・・・」
セリアが挙手する。
「ご主人様、私が参ります。ユグドラシルの常駐兵をまとめ、迎撃にあたります」
「そうか、ではセリア、ノエル、頼んだぞ」
「御心のままに」
セリアとノエルが傅くと、準備の為場を離れた。
「こう言う時、兵士を連れて行けないのは痛いな・・・俺達と兵士で、移動速度が数倍異なる・・・兵力の少なさ、それはこの国の規模ゆえ、仕方がない事だ。そして支配地が地理的に離れすぎている。しかも、レイアーは聖戦が始まれば、狙われる危険性が極めて高い。何か手があればいいのだが・・・」
エルクが呻いた。
ノエルは先行する。地理は把握している。川伝いに、身を水の概念に変え、移動。エルクでも歩いて二日はかかる距離を・・・数時間。レイアーに到着し・・・再度移動。そのまま、進軍する兵士を横目に、ユグドラシルへと向かう。今ユグドラシルは、兵力の2割を進軍、他の兵力も各地の守備をしているので、王宮の守りは薄い筈だ。
王を止める必要がある。だが、その前に気がかりな事を済ませたい。私的に力と時間を使う事は許されないだろうか。エルクならきっと許してくれる。
ユグドラシルは、神樹の国。清らかなる聖水を、城の各地に守りとして流している。聖水、本来は魔に属する物には猛毒であるが、ノエルには心地よい。水路を利用して、各地を見回る。後宮・・・居ない・・・王の寝室・・・居ない・・・見つけたのは・・・趣味部屋、のような場所。
「クロエ・・・私が分かりますか、クロエ!」
ノエルが呼びかけるが・・・その心は遥か過去に壊れ、もう戻らないのは明かだ。身体を蝕む毒、は除去できるが、壊れた心は戻らない。
「クロエ・・・」
ノエルは優しくクロエを抱きしめると、
「眠れ眠れ安らかに。与えるは癒やし。安らかに眠れ」
なるべく苦しまずに命を失うよう、強く力を込めた言霊を紡ぐ。自分が得た力は水だが、今必要なのは、毒。あの時拒みはしたが、見た。なら、今使うのは、造作も無い。
神々しく光る緑の水滴が出現。クロエの身体に入り・・・そのままクロエは息を引き取る。
ノエルはそのまま、意識を城全体へと向ける。緑の水滴は無数に出現。細かく分裂。視認が難しい小ささとなり、隙間から漏れ出て、城を満たす。この城に安らぎを与える為に。ただし、平等にではない。
ユグドラシルの王、ギュスターヴ=ユグドラシルは、愚王である。だが、その軍事的才能、体術、魔法構成能力、魔力、全てが歴代最強である。その彼が今、恐怖と混乱に襲われていた。最初は部屋に居た少女であった。次はお気に入りの侍女が部屋の外で倒れているのを発見した。歩けども歩けども、あるのは死体ばかり。
向こうから歩いてくるのは・・・生者、あれは・・・ノエル?ギュスターヴは疑問に思う。ノエルは魔族に浚われ、今は聖界には居ないはず。ギュスターヴはノエルを詰問する。
「貴様、何故ここに居る」
「何故・・・?それは哲学的な問いでしょうか?水があるなら、私がここに居て不思議が有りましょうか?」
本物か?偽物か?おかしくなったのか?ギュスターヴが疑問符を浮かべる。ノエルの手がすっと上がり、ギュスターヴを指し示す。
「その手、熱いですよ」
ノエルの放った言霊が力を表し、ギュスターヴの手の中の水分が沸騰する。
「ぐあああああああ」
ギュスターヴは飛びそうな意識を抑えつつ、目で魔力を練り、自分の手を切断する。続いて止血の魔法で傷口を固定。
「き・・・貴様ああああ・・・・」
「足」
ノエルの放った言霊が、ギュスターヴの足を沸騰させる。同じく足を切り取る事を余儀なくされるギュスターヴ。
「貴様・・・悪魔・・・か・・・」
「その通りです。私はヴァンパイアクイーン、悪魔ですよ?」
可愛らしく首を傾げ、ノエルが言う。
「次は何処がいいですか?」
「やめ・・・何でもする・・・兵も引く・・・望みは何だ・・・?富か・・・?地位か・・・?名誉か・・・?そうだ・・・貴様から奪った女騎士・・・奴も返す・・・従姉妹も・・・だ・・・・」
「何でもするの、ですね?」
「そうだ・・・何でもする・・・」
「受け入れよ、闇の契約を」
ノエルが手渡した闇の塊・・・ギュスターヴは受け取る。
「受け入れよ、飲み干せ」
ギュスターヴは闇の塊を飲み干し・・・
ゴウッ
躰が、魂が変質していく。闇の獣の契約。汚された魂は二度と浄化できないし、輪廻に戻るのも難しくなる。ただ殺戮を繰り返す魔物となり、簡単な攻撃ではすぐに復活する。熟練の騎士や冒険者であれば完全に死滅させるのは難しくない。だが、元となった素体の強さにより強さが比例する為、ギュスターヴを元にしたこの獣は非常な脅威となるだろう。これは普通は扱える魔法ではない。術がかかる側の絶対的な同意が必要だからだ。しかも、聖から魔への魂の相転移を利用する。それ故、魔族を素体とする事はできない。この魔法が行使される事はない。何でもする、そんな馬鹿な事を高位魔族に対して聖に属する存在が口走らない限り。
そのままではノエルも標的とされるが・・・霧と化してその場を離れる。最早ここに用はない。
ノエルは、ついでに神樹を汚しておく事にした。誰かが後を継いでは面倒だ。どうせ誰かが引き継ぐのだろうが、邪魔くらいはしておきたい。
神樹の間に移動する。神樹は、ノエルを敵と認識出来ない。ノエルは神樹に手を触れ、
「反転せよ、反転せよ、反転せよ」
ノエルが言霊を紡ぐ。神樹の持つ癒やし、浄化の力。その力に触れ、その流れを利用し、反転させ、乱す。本来神樹の守り手となるべきノエル。そのノエルが害しようとするのだ。耐えられる筈が無い。
神樹はあっさりと朽ちる。
「んー・・・後は・・・」
ノエルは少し思案する。力の流れは・・・こっち。
神樹の間の後ろ、封印された扉。封印をこじ開け、中に入る。中にあるのは・・・聖柱。こちらは、古代より聖神が建立した方の柱だ。柱に触れ、やはり力の流れを反転させる。聖域の守護者にのみ与えられた秘密の特権、それを利用すれば、通常の神柱の制圧より、遥かに少ない力、少ない時間で実施出来てしまう。本来は取り返す際に有利にする為の物なのだが・・・
「反転せよ、反転せよ、反転せよ」
ノエルが送る言霊。聖柱は急速に汚されていき・・・聖界に、魔柱が誕生した。ここは既に魔界と呼ぶべき場所だ。
もうやる事はない。流石に、城下町を全滅させるような真似はしない。ノエルは、来た時と同じように水路を通って帰る。レイアーには寄らない。途中、レイアーへと向かうセリアを見かけたので、終わった旨を笑顔で伝える。
ノエルを出迎えた仲間は、ノエルを見て、
「今日の功労者はノエルですね。一晩エルク様を独占していいよ」
「うん、たっぷり甘えるといいよ」
そう言ってエルクを譲った。
「有り難うございます」
ノエルは笑顔でそう言うと、エルクに報告に行く。
「ご主人様、ユグドラシルは陥落しました」
エルクは報告に来たノエルを見る。気になる事はあったが、ノエルを信じている。特に問題はないだろう。それより。
エルクはノエルを抱き寄せる。ノエルは、僅かに震えている。そっとノエルの頭を撫でてやる。ノエルは、エルクで顔を隠したまま・・・泣き声を漏らす。エルクはただ、そっとノエルを撫でてやるのだった。