1ー2
シュンは着地して、助け出した母娘を下ろす。娘の片側だけ結んである髪の毛が揺れ、少しだけ起きた衝撃を表した。
母親は頭から血を流して気を失っていたが、娘の方には意識がある。
「君、名前は?」
意識のある娘に聞く。
その娘は恐る恐るといった感じでその質問に答えた。
「わ...私はシノ...です...」
「そうか。じゃあシノ、ここから動くな。それに、お母さんの血を止めないと」
ある程度距離をとったとはいえ、危険であることに変わりはないのだ。
今はナオトが対峙しているから穢落ちも動けないでいるが、その矛先がシノ達に向かないとは言い切れない。
「シュン!2人で挟むぞ!」
「待ってくれ!止血しているから!」
穢落ちの向こう側からナオトの声が届いた。
シュンは自分のローブを引きちぎり、シノの母親の頭に手際良く巻いていく。
「よし、ひとまずこれで大丈夫だろう」
手当てが終わったことを確認し、シュンは立ち上がった。しかも既にナオトは穢落ちと戦っている。
ナオトに加勢するために一歩踏み出そうとしたら、右手を誰かに引っ張られた。
「...?」
後ろを振り返ると、人間の女の子・シノがシュンの手を掴んでいる。
その手は震え、俯いているが涙を流しているのが分かった。
「....怖いの?」
シュンのその単純な質問に、シノは頷いた。
怖かったのだろう。辛かったのだろう。目の前で母親が頭から血を流しているを見たら、怖くもなる。
「おいシュン!早くしろ!」
穢落ちの攻撃を躱し、カウンターを食らわせてナオトは叫んだ。
シュンは自分の父親とシノを交互に見て、考えを固めた。
「俺はこの子達を守るから1人で何とかしてくれ!」
「......分かった!しっかり守っとけよ!」
ナオトは立ち上がろうとした穢落ちに一瞬で距離を詰める。頭を固定して膝を顔面に直撃させる。
『穢れ』を解放しているナオトは更なる身体強化が施され、その一撃は鉄板でさえ歪ませる威力を誇る。
その攻撃をまともに受け、穢落ちの顔がボロボロになった。
すると穢落ちの背中から出る粒子がナオトの首へとを攻撃した。その攻撃は迅かった。
不意をつかれた一撃であったがナオトは腕で弾き、再び顔に蹴りを入れる。
「こんなもんか」
ナオトは呟き、穢れを吸収しようと穢落ちに近づいた。
「アアアアアアア!!!!!」
穢落ちは再び動き出した。ナオトには勝てないと悟ったのか、さっきの標的であるシノへと狙いを変えた。
「......」
「......」
2人の間には沈黙が流れていた。元々口下手なシュン。ずっと泣いているシノ。
シュンはなんて声をかければいいのか分からず、ただただ手を握ってあげることしか出来ない。
ナオトたちは視界から外れてしまったから、もう戦闘が終わったのかさえ分からない。
「えっと.....シノ...ちゃんは何才なの?」
なんて話しかければいいのか分からなかったシュンは、無難に年齢の話から始めた。
「....8才..です」
鼻を啜りあげながらも答えてくれたことにシュンは安堵し、話を続けようとした時、嫌な気配を感じた。
「アアアアアアア!!!!!」
建物の上から穢落ちが襲ってきた。その顔はボロボロで、原型すら留めてすらいない。
「....!」
穢落ちが自らの穢れを5つの太い針へと変え、同時に撃ち出した。
(反応が遅れた..!)
2人を背負って避けることは時間的に不可能。
シノを見ると、目は大きく見開かれていた。
その針は確実にシノを狙っている。
「クソッ...!」
シュンは『穢れ』を解放し、シノと針の間に身体をねじ込む。
「クッ...」
背中に感じた一瞬の熱さ。そして訪れる痛み。
穢れの針はシュンに直撃し、貫いた。
シュンは口から血を吐き出し、しかしそれでも立っている。
「シノ、大丈夫。俺が守るから」
恐怖で震えているシノに、シュンは気丈に笑った。
シュンは自分が理解出来なかった。人間相手にここまで自分を犠牲にする必要があったのか。
それでもシュンは思ったのだ。
【シノを守りたい】
と。
シュンは痛みをこらえながら振り向いた。
「イテェじゃねえか、クソ野郎」
シュンは『穢れ』を最大限解放した。
身体に力が溢れる。紋様が広がる。
確かに力が上がっていることを実感出来た。
右足に力を込め、穢落ちとの彼我の差を一瞬にして詰める。
広がった紋様から吹き出てくる『穢れ』を右腕に纏わせ、巨大な『穢れの右腕』を作り出した。
「....ッ!!」
鋭く息を吐き、その手を右下から左上へと閃かせる。
直後、その腕が空間を裂いた。
『穢れの右腕』が穢落ちに直撃し、4分割される。
それと同時に穢落ちは霧散され、漂う『穢れ』がまるで引き寄せられるようにシュンの紋様に集まった。
シュンは貫かれた箇所から血が吹き出し、その場に膝をつく。
「ハァ...ハァ....」
乱れる呼吸を落ち着かせる。
しばらくその状態でいると、誰かが近付いてくる気配を感じた。
「親父、すまない。手当てを...」
ナオトだと思って話しかけたが、顔を見ると違った。
「大丈夫、おにいちゃん?」
そこに立っていたのは、シノだった。
心配そうな顔でシュンを見つめ、また泣きそうな顔をしている。
「大丈夫。それに、じきに衛兵が来る。お母さんはそいつらに見てもらえ」
シュンはその場から立ち去ろうと、痛む身体に鞭を打って立ち上がった。
『穢多族』であると知られれば、もうこの街に来ることは出来なくなるから消えなければ。
「おにいちゃん!」
「.....なんだ?」
歩き出すと同時にシノが呼びかけた。
シュンは振り返って聞き返す。
「ありがとう!」
純真無垢で、この世界の穢れを知らなそうな笑顔で、『穢多族』であるシュンにお礼をしたのだ。
その時、シュンは自分の心が動いたのが分かった。それが何かは分からないが、とても心が温かくなるのを感じる。
この言葉は、シュンが生まれて初めて人間から言われたお礼だった。