1ー1
何が起きたのか、分からなかった。
母親と買い物をするために外出し、街を歩いていた。
たくさんの人が歩き、目的の場所へと向かう。
たくさんの人とすれ違い、見上げると隣に母親がいる。
よくある風景。いつも母親と買い物をする時に見る光景。
だが、初めて見るモノが現れた。
すれ違った男。虚ろな目をしていて、歩調も安定していない。何かブツブツと言葉を発しているが聞き取れず、その口端からはヨダレを垂らしている。
「ねえ、ママ」
「なあに、シノ?」
男の事が奇妙で、シノは母親に話しかけた。
「あの人....」
男を指差し、その方向を母親と一緒に向いたその瞬間。
「アアアアアアアアアア!!!!!!!!」
その男が頭を抱えながら叫び、暴れだした。
背中からは黒い粒子が絶えず出続け、人間ではないような雰囲気を漂わせる。
周りにいた人たちは一瞬何が起こったのか理解しかねていたが、理解した瞬間に空気が変わった。
その場にいた人が顔色を変え、悲鳴を上げ、我先にと逃げ出す。
「シノ、逃げるよ!早く!」
シノは状況が飲み込めず、その場で立ち止まって男の人をジッと見てしまった。
「アアア、アア、アアア!!」
その男は逃げ出す人を殺していく。
動きも人間離れしていて迅く、腕を一突きしただけで人の体が貫かれる。
シノは人の体から吹き出る鮮血を間近で見てしまい、足が震え動くことが出来なくなってしまった。
恐怖、畏れ、畏怖。恐れの感情しか出てこない。
「シノ!シノ!」
母親が慌てた声で名前を呼んでいるのに反応できない。身体が石のように固まってしまい動かすことも出来ない。
そして、その男は首を回してシノを視界に捉える。
全身が縮み上がった。次は自分なのだと理解した。心なしか呼吸が早くなる。心臓が早鐘を打ち、警鐘を鳴らす。額から汗が噴き出る。逃げたいのに逃げられない。動きたいのに動けない。
その男はゆっくり、ゆっくりとシノに近付く。
シノは早い呼吸をしながら男の顔を見る。
するとニタァと笑い、一瞬で距離が詰まった。
何が起こったのか、理解出来なかった。
急に眼前に現れた顔。その腕は既に上にあげられ、振り下ろすだけだった。
シノは感じた。『死』というものを。
目から涙が溢れる。数秒後に訪れる『死』が怖かった。
「シノ!」
シノに当たる寸前、母親がシノを思いっきり引っ張った。
後ろへ急激に引っ張られ、シノは何が起こったのか理解出来ずにいる。
振り下ろされた腕が地面に当たった。
大きな音が響き、衝撃で地面が抉れた。余波で母娘も吹き飛ばされ、その衝撃の大きさを物語る。
周囲にも大小の石が飛び、建物に損害を与えた。
「ウッ...!」
大きな石が不幸にもシノの母親の頭に当たり、小さい呻き声を上げて倒れた。
「お母さん!」
母親は頭から多量の血を流し、気を失ってしまった。
どんどん流れる血を見て、シノの目から更に涙が溢れる。
母親が死んでしまうかもしれないという恐怖。自分では何も出来ない無力感。
ただただ泣き叫ぶことしか出来なかった。
「お母さん!お母さん!」
それでも男は止まらない。仕留め損なった標的に歩いて近づく。
今度はゆっくり、ゆっくりと。
「お母さん!お母さん!」
しかしシノは気付かない。母親へ呼びかけるのに必死だからだ。
「.....!!」
そして近付いていることに影で気付いた。
恐る恐る見上げると男はまたニタァと笑い、腕を上げた。
シノは母親だけでもと全身を母親に被せる。
「アアアアアアア!!!!!」
男の腕が振り下ろされる時、風が吹いた。
シノは全身に衝撃を受け、直後包まれる。
それは温かく、昔を思い起こされる。
「え....」
目をゆっくり開けると、空を飛んでいた。
頭での理解が追いつかず、そして気付いた。誰かに抱かれていると。滑り込んで来た人に助けられたのだと。
抱いている筋肉は密度が高く、腕も丸太みたいな太さではないのに力強さを感じる。
シノは自分を抱く人物の顔を見ようと見上げた。
男の人だった。髪は黒く、短く揃えられた髪の毛は逆立っていた。
男を見据える瞳もまた黒く、睨んでいるようにも見える。
でも、その瞳は綺麗で澄んでいた。
瞳をずっと見ていたら気付いたのか、2人の目が合う。
「.....大丈夫?」
その男は気遣うように声をかける。その左肩には母親が乗っていた。
シノは1度頷くと、その男・シュンは安心するように優しく微笑んだ。