あなたが望む働かない世界
青年が目覚めると、目の前には水蒸気が広がっていた。
さっき眠ったばかりのはずなのに、まぶたが重くて仕方ない。起き上がろうにも、体は思うように動かなかった。まるで、筋肉の存在を忘れてしまったかのように。
「無理に起き上がろうとしないでください。一世紀近くも動かしていない体ですので」
声がした方を見ると、白衣姿の女性が立っていた。彼女は整った顔立ちで、スラッとした体つきをしている。心配しているような口ぶりだったが、その顔は無表情そのもので、まったく瞬きをしていない。
彼女に不気味さを感じつつ、辺りを見回してみる。
今の医療技術では治せない病だと言われ、コールドスリープした場所とは少し違う気がした。
「ごごわ?」
「ここは?」と訊く。普通に声を出したつもりだったが、口から出たのは呻き声に近かった。どうやら口もうまく回らないらしい。
「ここは、この国で唯一の病院です」
「ゆいず?」
「はい。病気に罹る人が少なくなりましたし、大抵のことは外出せずに済むようになりましたので、施設として用意する必要性が薄れたのです」
そう話しながら、女性は用意していた衣服を青年に着せていく。服は浴衣に似ていたが、その生地は随分と伸縮性があり、温かい空気に包まれるような肌触りだった。
女性が青年を卵型のカプセルに移すと、カプセルは30cmほど浮いて、ゆっくりと前に進み出した。女性はカプセルの後ろに回り、進行方向に向かって軽く押し始める。
部屋のドアが自動的に開いて外に出ると、頭上から眩しい光が差し込んでいた。久しぶりに浴びる日光ではあったが、よく見ると透明な天井でドームが形成されている。
周りには窓のない建物が幾つもあるが、通行人の姿を見つけることはできなかった。
「人は?」
「外出する人は少なくなりました」
何とか発音することができ、ちょっとホッとしたのも束の間、振り向きざまに見た彼女に驚いた。彼女は口を開けて話しているものの、発する言葉に合わせて口の形が変わっていない。単に口を開けているだけで、言葉に合わせて開閉していないのだ。
青年は腹話術の人形を見ている気分だった。
「ご自宅にお送りします」
消波ブロックが入りそうなくらい大きなパイプの前に連れて行かれると、ちょうどいいタイミングで黄色い車が目の前に停まった。車と言ってもタイヤは無く、車体は宙に浮いている。
車のドアが自動的に上に開き、後部座席にカプセルごと乗せられたが、運転席にあたるところには誰もいなかった。
誰も何も言っていないのにドアは閉められ、車は大きなパイプの中を浮いたまま移動し始める。
何処へ行くのか訊こうとしたところで、自宅に送ると言われたばかりなのを思い出す。
自宅と言っても、一世紀近くも眠っていたのなら、自分の知っているそれではないだろう。その青年の想像は正しかった。
「着きました」
車から降ろされたのは、かまくらに似た建物の前だった。
「これが家……」
女性にカプセルを押され、徐々に家へと近づいて行く。乗ってきた車はドアを閉め、大きなパイプの中を進んでいった。
「あの車は何処へ?」
「待機ポイントまで移動します。必要に応じて乗せに来ますが、それ以外は特定の地点で整備され、呼ばれるのを待っている仕様です」
「呼ばれるまでって……。さっきは、呼んでもいないのに来たけど?」
「いえ、私が呼びました。声に出さずとも、私たちは繋がっておりますので」
何がどう繋がっているのか訊こうとしたところで玄関に着く。自動でドアが開いて中へと入る。
そこは家具が見当たらない真っ白な部屋だった。人の気配もない。
「誰もいないの?」
「はい」
「家族は……って、もう生きてないか」
「はい、残念ながら」
「僕を知ってる人は?」
「おりません」
予想できたこととはいえ、現実を突きつけられると堪える。一世紀以上も眠っていたのなら、知り合いが存命という可能性は低い。医療技術の発達で何とかなっている期待もあったが、そこまで都合よくはいかなかったのだろう。
「知っている人は、おりませんか……。いや、でも君は僕を知ってるんじゃない? 少なくとも、一人はいるってことだよね」
「質問は“知ってる人は?”でしたので、私は“その対象”には該当しません」
彼女は相変わらず瞬きせずに、同じ口の形で言葉にした。人間技ではない。
「それにしても、何もない部屋だね」
「必要な物は、こちらで」
腕に透明なベルトを付けられる。よく見るとベルトの中心部は液体で、ゆっくりと動いているようだった。
「これは何?」
「一世紀以上前の言い方をするなら、電子演算器の類になります」
「これが機械? どう考えても液体だよね」
「現在では、スタンダードな物になります。お休みになられている間に、EMP攻撃への対処や処理速度の向上が図られた末、このような形状に行き着きました。物理的なことを除けば、その腕輪状のものと私に大きな差はありません」
彼女がベルトと自分を比較したことで、その正体が少しわかった気がした。
「私が人の形を模しているのは、少しでも安心して頂く為です。長い眠りから覚めた後、見たこともない存在ばかりに囲まれていては、大きな混乱を招くのではないかという推測の元、出来るだけ古い人間のデータを元に真似ております」
「そっか……」
なぜ、出来るだけ古い人間のデータなのか。それが少し気になったが、青年の興味は腕のベルトに移っていた。
「これ、どうやって使うの?」
「指で触れ、必要な機能を口にすれば起動します」
「……テレビ」
軽く触って、試しに言ってみる。
何処から出たのかわからないが、目の前には薄い膜が張られ、複数の映像が分割表示された。
「これが今やってる番組?」
「いえ、今日の配信分です。午前四時に、その日の配信分を受信し、見たいものだけ見る仕様です。以前は緊急性のある情報を伝える為の枠もありましたが、今は大抵のことが予測できてしまうので停止中です」
「へぇ~……。で、どれが人気なの? 一番、視聴率がいいのは?」
「視聴率は0%ですから、どれもが一番で、どれもが最下位です」
衝撃的な数字に言葉を失ってしまう。
「見る人はいなくなってしまいましたが、文化の保存という観点から、こうして配信だけは続けています」
「それじゃ、テレビ局の人もやり甲斐が無いだろうね」
「テレビ局は存在しません。配信サービスを行っているシステムがあるだけですので、やり甲斐が問題になったことはございません。番組も、過去に制作したものを流しているだけですので、制作会社というのも今はありません」
そう言われると、目の前の映像が酷く虚しいものに思えてくる。
「テレビは、もういいや……」
ベルトに触れたまま言ったせいか、スクリーンはスッと消えてなくなった。
「あのさ、テレビが廃れたのはわかったけど、何か流行ってる娯楽とかないの? ゲームとか、漫画とか」
「娯楽と言ってしまっては語弊がありますが、多くの方が受けられているサービスは快楽刺激です」
「まさか、ドラッグ的な……」
「いえ、脳の特定部位に刺激を与えることで快感を得る装置です。快楽カプセルの中に入れば、栄養の補給と排泄の補助が自動的にされ、眠った状態でも快楽刺激を受け続けられます。お見せしましょうか?」
「うん……」
再び目の前にスクリーンが展開される。そこに映し出されたのは、カプセルの中に入れられた人間たちだった。全裸で口に管付きのマスク、肛門にも管が取り付けられ、液体で満たされたカプセルの中に浮いている。
目を開けている人は皆無で、誰もが眠っているようだった。
「何時間くらい、こうしてるわけ?」
「この装置が利用可能なほど成長した後、多くの方は死ぬまで使い続けます」
「えっ? このカプセルの中にずっと? この装置の管理は誰がやってるの? ここから出ないんじゃ、どうやって子孫を残すのさ? あと、誰も働いてないわけ?」
矢継ぎ早に質問を浴びせると、彼女は数秒間停止したのち、口をカパッと開けて説明しだした。
「まず、この国の労働人口はゼロです。労働は人間には向いていません。私たちの方が作業効率がいいですし、コストパフォーマンスも高いです。何より、人間が働くことで生じる問題があります。例えば、何らかの問題を解決するものが出来たとして、それは人が働く組織にとってはプラスになるとは限りません」
「と、言うと?」
「一世紀以上前の例を用いて説明するなら、洗剤を使わなくて済む洗濯機があれば、洗剤にかかる費用という問題が無くなります。しかし、洗剤メーカーにとっては死活問題。既存の問題の解決によって別の問題が生じてしまうので、この改良は無かったことにされます」
「はぁ……」
「薬にも同じことが言えます。何らかの病気に罹った際、それを完全に治す薬を作ってしまうと、その薬を作っている会社の利益はそこまで。しかし、症状を緩和する程度のものなら、継続的な収入が望めます。ここに人間であるが故のジレンマが存在します。人類の為には完全なる解決が望ましいですが、一部の人類にとっては不利益となります。そして、不利益になる者が解決の決定権を握る場合、その選択は一部の者を重視してしまうでしょう」
「君らは違うの?」
「私どもは必要な分だけ労働力を捻出し、不要であれば凍結することが可能ですので、個体の作業を維持する為に全体より一部を優先することはありません。結果、非常に効率の良い社会を形成できました。ですので、快楽カプセルの管理も、私たちが行っています」
働かずに暮らせたらいいのにとは思っていたが、こんな風に言われると面白く無かった。何より、まだ人が働かない社会というのが信じきれなかった。
「誰も働いていないだなんて……」
「かつて、奴隷を使うことによって、働かずに暮らす人々がいたと、太古の記録に残されていました。それと同じことです。次に子孫の問題ですが、そちらも人類保護の為に私どもで行っています。精子は快楽刺激の際に放出されますし、卵子の摘出も難しくありません」
「子育ては……」
「私たちが用意した育成プログラムの元、養育スペースで成長しています。育つ過程における親の存在の重要性を考慮し、擬似親の役割を担う存在もありましたが、今は人間の改良が進められた結果、その役割を終えようとしています」
「なんて話だ……」
「擬似親に関しては、人間が作り出したものだという記録がございます。子育てと仕事が両立しにくい社会になった際、職業人として親になる者が現れました。子育てもプロフェッショナルが行った方が効率が良いとされ、生みの親である第一親の他に、幼少期の育ての親である第二親、思春期の子供の相談相手となる第三親など、様々な区分けがされ……」
青年が頭を抱えると、彼女は音声を発するのをやめた。
「どうして、こんな世界に……」
「今まで話してきたのは世界ではなく、この国の話になります。世界の中には、あなたが目覚める前と同じような暮らしをしている国もありました」
「もう無いってこと?」
「はい、そのような国はありません。残っているのは我が国のようなタイプか、原始的な生活を続ける地域になります」
「随分と両極端だ……。ずっとカプセルの中か、原始的な生活か。君らからすれば、僕はどっちに近いわけ?」
少し間を置いて彼女が口を開ける。
「後者です。知識量で分類するなら前者になるでしょうが、行動様式で分けると受動的なライフスタイルではないので、後者と区別するのが妥当だと判断しました」
「受動的、ね……」
「はい。娯楽に関しても、以前は快感を得る為に行動を起こしていましたが、今は刺激としての快感を享受するだけになりました。突き詰めれば、娯楽とは何らかの快楽を得るものです。その快楽を得る為に、ゲームでは指を動かし、読書では文字を読み、音楽では耳を傾けます。しかし、その動作すら作業として面倒に感じた人類が選んだのが、快感だけを感じる装置でした」
カプセル内の彼らを思い出し、青年は無意識で腕のベルトを擦る。
「確かに、目的だけ果たせばいいと言うのなら、あのカプセルは究極的の娯楽道具だよ。しかも、働かずに済む社会だっていうんだから、楽っちゃ楽だけど、人間は居てもいなくても変わらないっていうか……。究極の便利さを求めた先にあるのは、存在意義の喪失かもね」
彼女の体がピクッと反応したかと思うと、消えていたスクリーンが展開し、『緊急報道』の文字が浮かび上がる。
画面には青年の姿が映し出され、『人間による存在提言』という文字スーパーが入った。
「たった今、一世紀以上の眠りから目覚めた人間から、画期的な見解が示されました。カプセル内で快楽刺激を受けるだけの人間に存在意義は無いという発言を受け、人類の保護に関する規定が再検討され始めました。あと五分で、様々なケースを想定し、より効率の良い人類保護プログラムが策定されます」
「どういうこと?」
報道内容に嫌な予感を覚え、青年は彼女に問うた。
「文字通り、人類を取り巻く環境が変わります。貴重なご意見、ありがとうございました。あなたの意見は腕の端末、さらには私が繋がっているネットワークを経由し、この国の方針を決めるシステムに送信されたのです」
五分後、育成プログラムによる人類の養育が見直され、人口を増やさないことが決定した。人類の保護は数個の受精卵を保存するだけとなり、国の負担が大幅に軽減されると伝えられる。
だが、そのことを知る人間は青年しかいなかった。