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影食いリルマ  作者: 雨月
83/98

リルマ編最終話:白影リルマ

 身体のあちらこちらが痛いことに気づいて目が覚めた。

 白い天井、カーテン、窓から見える大きな駐車場、その先に広がるちょっとした畑。そして、大きくて白い看板が目に入った。

「……羽津病院?」

 看板を読んで自分が羽津病院にいることに気づいた。窓から見える景色から、四階程度の部屋にいるようだ。

 ベッドの近くにある椅子の上に、女性もののバックが置かれていた。

「起きたんですね、啓輔さん」

「白井か」

 部屋にあるお手洗いが開いて白井が部屋へと戻ってきた。いつもの白い服ではなく、シャツにジーンズだ。

 白い服を脱いでしまうと、やはり、どこにでもいる姉ちゃんに見える。それでいて、どこか安心してしまう自分がいたりする。

 まるで、鏡を覗き込んだときに自分がうつる感覚だ。なんだ、ちゃんといるじゃないかという感覚。

「どうかしたんですか?」

「……なんだか久しぶりに白井を見たような気がしてね」

「嬉しいことを言ってくれますねぇ」

 何度か白井と話すうちに俺は落ち着いていられた。鏡を覗き込んだときに、自分がうつるのは当たり前の事だ。

「さ、それでは何があったのか話をしましょうかね」

「看護師、呼ばなくていいのか」

 入院は小さい頃に一度したきりだから久しぶりとなる。

「先に何があったのか話さなくていいですか?」

「そうだな。聞かせてほしい。体調の方は大して問題ない」

 時刻は午後二時。リルマはまだ学園にいるんだろう。

「まず、リルマの事から話してほしい」

「わかりました」

 そういって白井は指を組む。

「影食い後、リルマさんは無事に黒の手帳を二冊手に入れました」

「そうか」

「枯渇もなくなり、現状、無事に影食いもできています。異常も見られません」

 それはよかった。

 なんだかとても、思い出に浸れるような夢を見ていた気がする。本来は会えないような人間に会って、短いながらも一緒の時間を過ごせた。

 それが誰だったのかは思い出せない。母親だろうか。いや、俺の母親はおそらく家にいるだろう。

「問題は啓輔さんです」

「俺が?」

「はい。手帳を抜き取られた後、白目をむいて痙攣し、動かなくなったことですね」

「ぷっ」

「ここ、笑うところじゃないですよ。あれほどぞっとしたのは生まれて初めてです」

 自分のそんなところを想像すると笑うしかないだろ。白目剝いてあひあひ言っているなんてさ、傑作じゃないか。

 もし、俺がそれを幽体離脱なりなんなりして見ていたらやはり笑っていた事だろう。生きていて、これほど面白いことなんてなかなかないね。

「わりぃ、それで?」

「まず私の父がいるこの病院へ連れてきました」

 突っ込みたいところだったが、やめておこう。患者か、医者のどちらかだが前者はないだろうな。

「つぎに、以前手帳を持っていたすみれさんに話を伺いました」

 美紀といい、白井といい、どうやってあいつの居場所を掴んでいるんだか。

「まぁ、手帳の事を知っていそうなのはすみれだし、そうなるよな」

 本来なら手帳を作成した相手に聞きたいが、どちらも故人だ。イザベルもよく手帳の事を知らないようだし、すみれに聞くのは妥当なところだ。

「仮説として二つ聞きました」

「うん」

「一つは、大きすぎる手帳の存在が啓輔さんから引き出されたため、それでショックを受けたとこと」

「なるほど」

 それは何となく美紀から聞いていた。

「二つ目は、頻繁に影食いを受けていたため。短期間、といっても一年程度でしょうか。啓輔さんは四回以上影食いを受けています。頻繁に受けているからと言って慣れることはほとんどありません。大抵が精神を疲弊し、いずれ廃人になるとのことでした。下手をすると、意識を失ってそのまま戻らない事もあり得ると」

「ああ、そうなの」

 思い出し笑いをしそうになったので、一生懸命しかめっ面をしてみる。

「軽く見ていませんか? 心配したんですよ」

 白井が険しい表情をしていた。

「大丈夫、重く受け止めているから。どっちかはわからないけど、もう影食いされない方がいいって言うんだろ?」

 俺の言葉に白井はため息をついた。まるで何を言っても無駄だと言わんばかりという表情だ。

「今日はリルマさんだけ呼びます。啓輔さんに何があるかわかりませんからね」

「そうだな。二人きりで話してみるよ」

「本来なら口を出すことではありませんが」

 咎めるような視線を俺へと向ける。

「リルマさん、影食いとしての知識が少なすぎませんか。啓輔さんがきちんと勉強するよう言ってあげないといけませんよ」

「影食いのやりすぎが危険なのは知っていたようだがな。俺から言っておくよ」

「甘やかすだけが、相棒じゃありません。優しさと甘えは別ですよ」

 白井にしては珍しい真面目な口調。それでも俺は首をすくめて見せた。

「ああ、白井の言うとおりだ。参考意見として聞いておくよ」

「何を言っても聞いてくれそうにないですね」

 一つため息をつかれた。

「今は聞くだけになりそうだけど、将来的に解決させる」

 表向きは貧血という扱いになっていたようで、医者も特に何も言わなかった。母ちゃんからは気分はどうだとメールが来ていた。

 ともかく今日は様子見という事で病院に泊まることにした。退院は明日になる。費用は不要とのことで、一人暮らしの身にはありがたかった。

 もちろん、ただではない。黒の手帳の事と影食いを頻繁に受けた人間がどうなるかのデータを取られたとのこと。それが嫌なら十数万払えとなぜか白井から言われた。データでチャラになるのならそっちの方がいいに決まっている。

 午後五時半過ぎ、ベッドの淵に腰かけてテレビを見ていると、リルマがやってきた。

「けーすけ」

「よぅ、元気そうだな。どうだい、手帳の力は?」

 びくついた様子で俺の方へと近づいてくる。

「なにびびってんだよ」

「だって……実感がわかないっていうか。あれだけ呼んでも起きてくれなかったのに。ただの幻や幽霊かも」

「おいおい、幽霊じゃないぞ、触って見ろ」

 リルマが手に触れて、そのまま俺の肩に顎をのせる。遠慮がちに抱きしめられた。

「もう、起きないかと思った」

「寝ていただけだ。ちゃんと起きるさ」

 けど、起こしてもらった気がする。誰だっけ……目が覚めた時に白井がいたからあいつかな。

 いや、違うな。俺を起こしてくれたのは別の奴だ。たぶん、リルマだ。

「それにしてはよく寝たよ。ちょっと、寝すぎたかな」

「うん、うん……」

 そのまま泣き始めた。まったく、最近は泣き虫になっちまったな。

「泣くなよ、どうした?」

「け、けーすけ」

「なんだ?」

 リルマを一度離すと、目を閉じて唇を突き出していた。

「ん」

「リルマ、そういうのはムードがある時にするもんだ」

「恋人と再会できた。そんな理由じゃダメ?」

「ダメじゃないが」

「じゃあ、する」

「まぁ、待て落ち着……んっ」

 眼前に広がるのはリルマの顔だった。唇を押し付けられる。そのまま、ベッドに押し倒される。

「ぷはぁっ」

 息を止めていたらしいリルマは息継ぎすると俺から視線をそらさなかった。

「無理やりでごめん。もう後悔したくないの。もし、けーすけが起きてあたしを許してくれたらこっちから絶対に奪うって決めてたから」

 俺の意志は関係ないのな。まぁ、いいけどさ。

 ただ、俺の表情を見てリルマは少し勘違いしたらしい、そっと目を逸らして俺から離れた。

「ごめん、あたしの一方的な気持ち押し付けちゃ迷惑だよね。顔洗ってくる」

 背を向けて歩き出したリルマに、俺は言葉をかけた。

「好きだよ、リルマ。俺はこっちのお前に会うため、戻ってきたんだ。好きな相手の我がままぐらい聞いてやるさ。これから先、ずっとな」

 リルマは立ち止まって振り返る。

「けーすけ……」

「リルマ、お前……」

 鼻血、でてんぞ。

 鼻血だけならまだしも、こっちに寄ってくる過程で制服のタイを取り除き、ファスナーを下ろして前を開く。

 立派な谷間を惜しげもなくさらして俺に抱き着いてくる。この後の展開を想像して、ちょっとだけ青ざめた。嘘だよね。

 わがままを聞くと言ったが、まさかそっち方面の流れにもっていかれるとは思いもしなかった。

「もう我慢できないっ。め、滅茶苦茶にして」

「この勢いだと俺がめちゃくちゃにされそうっ」

「き、キスして、けーすけ」

「おい、鼻血がつくだろっ。まずは止めろ、鼻血を止めて、深呼吸をして頭を冷や……なんこの馬鹿力はっ!」

 唇を突き出して迫るリルマを押し返そうとして、一方的に押さえつけられていることに気づく。

 まったくもって歯が立たない。俺を振り回し、コンクリの壁を穿つだけの力があるのを改めて思い知らされた。

「そうか、影食いは力が強かったな……くそぅ、シャレにならんぜ」

 たがの外れたリルマを見上げ、俺は運を天に任せることにした。まさか、彼女に組み敷かれるとは思いもしなかった。

 まじで、滅茶苦茶にされるのかもしれない。もうこうなったら神様に助けを求めるしかなかった。

「リルマ、あなた何をやってるの?」

「お、お姉ちゃん」

 そして、天は俺を見放さなかった。

 来た、ここぞと言うときで助けを寄越してくれる神様マジで愛してるよ。

「次の試験を伝えに来たわ」

「う、うん」

 そそくさと俺の上にまたがったまま衣服を戻す。しかし、はーちゃんや、その手に持っているデジカムはいったい何を撮るつもりだったのかな。

「……くっ、つい良心が働いてしまった。絶好のスクープを逃してしまったと残念がってる自分がいる。しかし、弟的存在のピンチを救えてあの助かったと言う表情をこの私に向けたことに市場の歓びを感じるのもまた確か……あの助けを求める表情を収められたのは僥倖。生んでくれてありがとう、お母さん」

 はーちゃんがそんなことを呟いていた。相変わらず暴走気味だった。

 そういえば、子供の頃、誘われて一緒に鼻息荒くカブトムシのつがいの交尾を見ていたっけ。あの時の好奇心旺盛な目を俺らに向けている気がする。

「こほん、試験は、私を倒すこと。それだけよ。もし、枯渇を迎えて打つ手がないのなら、影食いをやめなさい」

 咳払いによってはーちゃんは冷たい視線へと戻っていた。改めてリルマに試験を伝え、更に拒絶するような言い草になっていた。

「はーちゃん、もしかしてこの前の試験ってリルマを潰すことが目的だったのか」

「まぁ、ね」

 簡単に認めてくれた。だが、彼女は複雑な表情でリルマを見ている。

 はーちゃんが複雑な表情なのは鼻血を出しながら男の上に馬乗りになっていたからなのかわからないな。

 間抜けな格好だよ、まったく。

「誤解しないでほしいけれど、私はリルマの事が心配なの。あの程度で枯渇を迎えるようならこの先、不安しかないから」

 しかし、はーちゃんは敢えてこのままの空気を尊重し、シリアスな方向性で続けたいらしい。

 デジカムはRECボタンが押されているようで赤くランプが光っている。名残惜しいらしい。そして、デジカムはそのいやらしいレンズを俺に向けているままだ。

「それで、リルマ。試験は続けるつもり? 怪我しない内に辞めることも認めるけど?」

 今のリルマなら大丈夫だ。黒の手帳を二冊手に入れている。枯渇はしたが、試験を合格できるはずだ。

「えへへ、けーすけぇ。あたしね、けーすけに好きって言われてすっごく嬉しくなっちゃった」

 渦中の人物は俺を見てご満悦だった。

「あ、これは駄目だわ」

 俺はカメラに向かってそう言っておいた。

「リルマっ」

「っ、は、はいっ」

 はーちゃんの一喝により、直立不動でリルマは緊張した顔を見せる。

「ご、ごめん、お姉ちゃん。試験は受けます」

「話は聞いてたのな」

「うん、耳から入ってきたけど、脳内にあるけーすけ成分に邪魔されてた」

 けーすけ成分。その頭の悪いネーミングをどうにかしろ。

「……分けてもらおうかな。いや、むしろ大元から抜き取る方がいいのかも」

 はーちゃんもおかしなことを言っていた。

「あの、はーちゃん?」

 俺の言葉ではーちゃんはまたシリアスな顔になった。復帰が早くて助かるよ。

「受けるのならこの前の場所に、明日来なさい。時間は好きなタイミングでいいから」

 いらだちを隠さないはーちゃんはリルマを睨んでいる。

「この泥棒猫」

「え?」

「一度言って見たかったの。私の妹なんだから、だらけた表情を見せないでしっかりしなさい」

「わ、わかった」

「ちょっと、顔、しまりのない顔をしてるっ」

「ご、ごめん。これはね、お姉ちゃんに対しての恐怖よりね、けーすけへの幸せのせいで顔が……えへへ、けーすけぇ」

 はーちゃんは人を殺す眼力でリルマを睨んだが、当の本人には効果がなかった。幸せオーラに阻まれて効果がないようだ。

「ちっ、甘党脳がっ。手加減なしでやってやるかんなっ。覚悟しとけよ、ぺっ」

「はーちゃん、口調口調」

 あからさまにいらついた態度で近くにあったゴミ箱をけとばし、壁にめり込ませる。

「……けいちゃん、これさ、よかったら使って?」

「え」

 渡されたのはデジカムだった。

「って、これ何に使うの」

「記念に」

 いったい何に対して使うのさ。

「でさ、貸してあげる代わりに今度、撮った奴を見させてくれない?」

 いったい何のことなのか。俺にはさっぱりわからない。わかりたくもない。

「じゃ、お願いね」

 はーちゃんはやりたい放題やって、そのまま帰ってしまった。

「さ、お姉ちゃんもいなくなったし続きを……」

 再度、はだけさせて迫ってくる。

「まさかこんなにリルマの押しが強いとは。逞しくなったものだな」

「そうそう、リルマさんの都合よくいきませんよ」

 白井が腕を組んで入ってきた。

「リルマさん、一体何があったんですか。一階の待合室で会った時は顔面蒼白だったじゃないですか」

 リルマの変わりように、白井は驚いている。あの白井の上を行くなんて、あまり褒められたものじゃない。

「けーすけがね、好きだよって」

「はい、それで?」

「胸がきゅんきゅんしちゃって、せつなくなってね。こうなったの」

 病室内が静かになった。白井は首を傾げた後、リルマに言った。

「……え、それだけで? どこかで頭を打ったんですか? 壁にゴミ箱がめり込んでますし」

「もう、けーすけに滅茶苦茶にしてもらわないと引っ込みつかないのっ」

「……ああ、そうですか」

 冷めた口調でそういうと、八体の影を周囲に展開する。

「じゃ、私が滅茶苦茶にしてあげます。こんなところでするなんて、動物じゃないんですからっ」

 いったい何をするんだろうな。俺には全然わからないよ。

 病院だから、お医者さんごっこかな。

「行ってくださいっ」

 白井に指示を出された影はリルマへと押し寄せる、が。

「嘘、阻まれた。これが噂のバカップルオーラですか?」

 影はリルマの手前で消滅したのだ。影の一撃は一発たりとも当たっていなかった。

「おい、俺は冷静だぞ」

「黒の手帳の効果ですかね」

 俺の主張は悲しくも無視された。彼女に力づくで押し倒されてるのよ、俺。

「思った以上に厄介なことになりましたか。美紀さん、お願いします」

「わかった」

 美紀が廊下から入ってきて影の籠手を装着する。

「はああっ」

 思いっきり振りかぶって右ストレートをリルマの顔へとぶつけようとする。しかし、激しい音がしただけだ。

「くっ、駄目ね。固くて骨が折れるかと思った」

 籠手は手前で見えない壁にぶつかって、籠手自体が消えた。美紀は右手を抑えて腕の痛みをこらえている。

 何かの冗談に思えた。

「じゃあ、次。イザベルさん」

「ん、やってみる」

 今度はイザベルが入ってきてあのでかい黒犬の右手を作り出し、リルマへとぶつけた。

「……ダメっぽい」

 これまた霧散した。

 万策尽きたか。まさか、みんなの目の前でなんて。

「あたしはけーすけがいればどこでもいいよ」

「駄目に決まっています」

 俺の代わりに白井は一つため息をついた。

「しょうがない。気絶させるのがダメなら、力づくで連れて帰りましょう」

「うん」

 イザベルと白井が腕を組んでリルマを連行していく。見えない壁ってなんなんだろうな。

「あ、ちょっと、け、けーすけぇっ」

 リルマがいなくなった後、美紀が残っていた。

「元気そうで何より」

「……みんなのおかげでな」

「しかし、変われば変わるものね。影食いリルマがああなるなんてね」

 美紀は悪い意味でとらえているようだ。俺も、ちょっとどうかなって思うけどあれはあれでかわいいと思う。

「そうだな」

「ああいう姿は見たくなかった」

「俺も」

「ま、大切にしてあげなさいよ」

「ああ、あれを何とか制御できるよう頑張ってみるよ」

「本当、頼むわよ。手帳の力を解放したら、洒落にならないわ」

 それ以上何かを交わすことはなく、美紀は部屋を出て行った。呆れて笑っているように見えたけれど、それはたぶん、気のせいだ。

 次の日の朝、退院の手続きをして外へ出るとリルマがいた。彼女に対して俺は元気よく右手を挙げる。

「よう、待たせたか?」

「まぁね」

「わるいね」

 俺は声を張り上げる。

「あの、けーすけ」

「なにかな?」

「なんだか距離が遠いんだけど?」

 二十五、いや、三十メートルの距離は影食い相手だときついかもしれない。全力疾走で五秒逃げられるだろうか。

「昨日のようなことがないかと不安でな」

 個室ならまだしも、路上で押し倒されたら大変だ。

「さすがにしないわよっ。あの時はちょっと嬉しくておかしくなっちゃっただけ」

「だよな? だよなぁ」

 よかった、少し時間が開いたからか理性的な話が出来るようになった。あれは本当に一時的な暴走だったようだ。

「他に人がいるんだから。でも、いなかったらわからないかも」

 人通りが少ないところは通らないようにしよう。

 二人で目的地まで歩く間、手をつないでいた。

「これまでも二人で一緒にいたんだから手をつなげばよかった」

 失くした時間は手に入らないと思えるが、そんな事はないだろう。

「そういう関係じゃないんだから繋がない。あの時間があったからこそ、今の俺たちが存在するんじゃないのか」

「そっか」

 駅前を通過する途中、俺とリルマが出会った場所に到着する。

「あ」

「ん?」

「えっと、ここってけーすけにとって嫌な場所よね」

 すみれにフラれ、リルマに大笑いされた場所だ。そして、リルマに恐怖した。

 もし、俺がすみれとつきあっていなかったら。もし、リルマが俺の事を笑わずにそのまま歩き去っていたら、今の時間は存在しているのだろうか。

 ここは俺たち二人が始まった場所だ。

「けーすけ?」

「ここは、リルマと出会った大切な場所だ」

「……あ、そうだった」

 リルマはそれ以上何も言わず、俺も何も言わなかった。

 互いに無言のまま、目的地へと歩いた。つないだ手のぬくもりだけをずっと味わっていたかった。

 俺とリルマがこの先もずっと一緒に居るには、はーちゃんの試験を突破しないといけないだろうな。こんなことを考えちゃいけないんだろうが、リルマが負けたら少し面倒な事になりそうだよ。

「ねぇ、けーすけ」

 これからの事を考えるとリルマは不安なのか足を止め、両手を握ってきた。

 彼女が不安を感じたのなら、それを取っ払ってやるのが俺の仕事だ。相棒であり、彼氏である俺にしかできない仕事。その程度なら自惚れたっていいだろう。

「我慢できなくなっちゃった。キス、しよう? 頭の中が真っ白になるぐらいに!」

「シリアス感!」

「だって、ここなら人がいないし? なんなら、その先もちょっとぐらいは出来るかも?」

 なんっていうか、リルマがここまであれだったとは。好きになったら一直線タイプか。いやいや、これはきっとストレスを感じた脳みそが現実逃避をしたがっているだけに違いないね。

「冗談だってば。キスだけしかしないから」

「……本当かよ?」

「本当だよ。だってさ、これまでずっと邪魔されてたし……」

 リルマの言う事も正しいかもな。

「それに、寝ているけーすけだと見ているだけで物足りなかったし。悪戯しようとすると、白井や美紀が邪魔しにくるんだもん」

 こいつ、なにして、いいや、何をしようとしたんだ。

「白井とか、美紀とかイザベルが邪魔に来るかもと思ったけど、さすがにここには来ないでしょ?」

「む、まぁ、確かに」

「ね、だから……」

 何故だろう。そこで視線を感じて辺りを見渡してみた。

 地下に続く一軒家の引き戸が少しだけ開いて、ビデオカメラのレンズが怪しく光っていた。

 見られているじゃんか、どうせ、はーちゃんだろうけどさ。というか、俺に渡したもの以外に持っていたのかよ。

「ん? どうかしたの?」

「リル……」

 言おうとした瞬間に扉が閉まった。なんというか、手慣れているような感じの静かに姿を隠すのが怖かった。

「あ、そっか。お姉ちゃんが邪魔しに来るかも」

 あの人はたぶん、邪魔しに来ないよ。草葉の陰で、映像を記録してニヤついているよ。

 結局、リルマはやるべき事を思い出し、繋いでいた手を離した。

「お姉ちゃん、来たよ」

 一軒家の引き戸を引いて中へはいる。

「そのまま下に来なさい」

 地下へと続く階段から声が聞こえてきた。先ほどまで覗き行為をしていた人間とは思えないほど、凛とした力強い声だったりする。

 切り替えが早すぎて恐れ入るね。

 リルマと共に下へと降りる。黒の騎士がいた広間には誰もいない。今回はそのまま素通りしていく。

「ここじゃないみたい」

「ああ、下の階へつながる扉が開いてる。そっちみたいだな」

 地下二階へたどり着くと真っ暗だった。

「いらっしゃい」

 はーちゃんの声が聞こえてきたかと思うとライトがついた。地下一階よりも広く、天井も二十メートルほどあった。普段は髪を下ろしていたのに、今ではポニーテールにしている。スーツ姿には良く似合っている。

 部屋の中央には右肩に両手剣をのせ、立っているはーちゃんがいる。両手剣の長さはおよそ三メートルほどだろう。そして、握り手より先は長方形の板が引っ付いているような形で、幅が広い。そんな異様な得物を軽々と支えるはーちゃん。それは異様な光景だった。

「試験内容は以前も言ったけれど、私に勝つこと。ただ、それだけよ。負けたら基礎を叩き込むから」

「はーちゃん、それは知識に関してもだよな?」

 大切な事だ。俺が教えてあげられない以上、誰かから習うしかない。負けた時だけではなく、勝った時も教えてもらわなければならない。

 俺の言葉にはーちゃんは目を逸らした。

「はーちゃん?」

「ち、知識って。そ、そういうのは学校の保健体育がちゃんと教えてもらうはずよ! 家族が教えるなんて、初めて聞いたわ!」

 駄目だ、あのはーちゃんは不要なスイッチが入ってしまっている。真面目なのは上っ面だけか。

「そうじゃなくて、影食いの知識」

「そうね、知識足らずなのは他の子たちからも聞いているから安心していいわ」

 顔を赤らめず、急にシリアス顔を見せるはーちゃん。相変わらずの切り替えの早さだった。

「けいちゃんがいうのならちゃんと教えてあげる」

「やはり、これまでリルマに詳しいことを教えていなかったと?」

「この子には影食いを辞めてもらうつもりだったからね」

 リルマを見る目には複雑な色が浮かんでいる。はーちゃんの態度に、俺は少しハラハラしている。このまま真面目に進んでくれるよな。

「私も志津子さまが亡くなった後は家に戻ったけれど、リルマにはたいして教えてない」

 その表情は寂しげだった。

「あのばばぁ……こほん、志津子さまがこれも啓輔の為とか言いながら記憶操作をやりやがったせいでせいぜい、けいちゃんが完全に私の事を忘れないよう、妄想の産物として瑠……」

「ストップ!」

 俺は全力で止めた。妄想の女の子にももちろん、起源はある。どうして瑠璃ちゃんがリルマに居ていたのか簡単な事だ。もちろん、口にはしないけどさ。

「こほん、リルマには教えてないんだね?」

「辞めるものが知識を持つ必要はないでしょ。あまり能力の高くないこの子にはその方がよかったから。余計な知識は身を滅ぼすからね」

 はーちゃんの言うことも一理ある。

「だけどそれは、はーちゃんのエゴだろう?」

「ごめんね、けいちゃん。私は、わがままだからこの件に関してはけいちゃんの言う事がたとえ正しくても、言うとおりにしないから」

 上っ面の謝罪だ。この人は自分が正しいと思っているのならそのまま通すんだろう。それはある意味正しくても、間違っていることなんだ。

「あ、でも、わがままって言ってもだよ? さすがにお姉ちゃん権利で妹の彼氏をつまみ食いしたりは……たぶん、しないし?」

「シリアス感! あと、絶対破りますって匂いがぷんぷんしてるっ」

「けーすけ、もういいから。あたしがこの試験に合格すればいいんだから」

 リルマは俺を下がらせ、右手に影の刀をだす。普段の刀と違って、刀身を黒い稲妻が纏っていた。どうやらパワーアップは果たせていたらしい。

「言うじゃない、リルマ」

 蔑んだような瞳を妹に向けているはーちゃん。彼女はリルマに対して本当に複雑な想いがあるのだろう。

「私が勝ったら一日デートの権利とつまみ食いの権利を……」

「それを聞く俺の心境の方が複雑かもしれない」

 結局リルマに却下された姉は、それでもシリアスな表情を何とか維持していた。複雑に思っておらず、前向きなようで少しほっとしている。

「さぁ、リルマ、かかってきなさい」

「言われなくてもっ」

 一歩で相手の近くへと跳躍したリルマに、はーちゃんの手から両手剣が放り投げられる。リルマは刀ではじくが、まったく同じ軌道でおかわりが迫る。卑怯だ。

 てっきり黒の騎士と同じようにつばぜり合いがあるかと思えば、そんなことはなかった。

「さぁさぁ、いくらでも作り出せるから」

 両手に一振りずつ剣を握るはーちゃんが鬼に見えた。まるでおもちゃを振り回すように得物を扱っているのだ。

 これまで戦ってきた連中とは比べ物にならない大盤振る舞い。

「あたしは、こんなところで負けないっ」

 真っ向から両手剣を防いだため、リルマとはーちゃんの距離が広がる。黒の手帳を手に入れたリルマが圧倒的だと思っていたのに、そうではないようだ。

「褒めてあげるわ、リルマ。私と相対して、十秒以上経つなんて」

 姉は妹を完全に下に見ていたようだ。そりゃそうだろうな。これまでのリルマなら束になってもこの人には勝てない。

「あたしも驚いてる。お姉ちゃんってやっぱり化け物だったんだ」

 そして妹は自分の姉が化け物だと再認識していた。

 互いに失礼だ。

 両者がこれまでちゃんと向き合ってきたことはないのだろう。姉は取るに足らない影食いとしてリルマを見ており、妹はそんな姉から離れて関わっていなかった。

「まだ手加減してあげているからね。勝つのなら、今の内よ?」

「わかってる。絶対にお姉ちゃんには負けたくない」

 先ほどのように跳躍はせず、リルマは徐々にはーちゃんへと迫る。

「さぁ、いきなさいっ」

 はーちゃんの掛け声で遠距離攻撃の弾丸となった両手剣が再度リルマへ射出される。それらを全てリルマははじく。太刀筋は一切見えなかった。

 よくもまぁ、反応できるものだ。俺がリルマの立場なら、胴体が飛んでいる気がして寒気がする。

「まさか、ただ飛ばすだけってわけじゃないよね。ワンパターンだよ?」

 まだリルマに余裕はあるらしい。姉を煽っていた。

「じゃあ次を見せてあげる」

 リルマにはじかれていた両手剣は壁や天井、床に突き刺さっていた。しかし、それらは自力なのか、はーちゃんがやったのか、再度空間へと浮遊し、リルマに迫る。

「またっ……」

 軌道をそらされてもUターンし、四方八方からリルマを襲う。

「リルマ、囲まれてるっぞ」

「知ってるっ」

 四方八方から迫る両手剣を飛び上がって避けるが、真下、そしてはーちゃんの両手からも新手は放たれる。

「もう、面倒くさいっ」

 迫る両手剣にリルマは左手をかざす。ゆがみ続ける薄い影が円形に広がり、それらは衝突した両手剣をそのまま消す。

 リルマが着地するまでその盾は彼女を守り続けた。病室で白井、美紀、イザベルの一撃を防いだもののようだ。

「あれだけの量を防ぐなんてね。本当に成長したのねぇ」

 成長というよりは恐るべき、黒の手帳の力というべきか。もちろん、それを操っているリルマもすごいんだろうけど。

「今度はこっちの番だから。お姉ちゃんが出来るのなら、やって見せる」

 そう宣言したリルマの周囲に黒い刀が数本出現する。それらはすべて姉へと向けられる。

「いけっ」

 刀ははーちゃんへと迫るが、両手剣がぶつかって動きを止める。広い空間では刀と剣がぶつかりあっていた。

 一対一の戦いではなく、刀と両手剣がぶつかり合い、まるで合戦場だ。

「このっ」

 そして、リルマとはーちゃんも直接刃を交える。ぶつかるごとに影が飛び散り、時折、刃だけではなく二人の足技も相手の急所を狙っていた。

 ある程度攻撃しては離れる。その際にリルマの刀であったり、はーちゃんの両手剣が二人の間を通過していくのだ。どちらも、互いの喉を狙っている。まぁ、白井が黒の騎士にやられた時と同じく死にはしないのだろう。

 たった数十秒の間に、広場の壁や天井、床に互いの得物が突き刺さっている。戦って朽ちた戦士の墓標のように見えた。

「強いのねぇ、リルマ。記憶の中のあなたは泣いてばかりのようだったけど」

「お姉ちゃんにはずっと負けてばっかりだったけど、今日は違う」

 リルマの一撃が両手剣の側面からたたきつけられ、はーちゃんの得物にひびが走る。

「もらったっ」

 亀裂へ再度一撃を叩き込む。はーちゃんの剣は折れたが、彼女へ一撃を入れることはできない。追撃をかけるリルマへ、はーちゃんの両手剣が飛来して阻止する。

「私の剣を折るとはね」

 一本折ったところで両手剣はいくらでも生成されるはずだ。はーちゃんはいまだ空中を浮遊している剣を手に取ると、床へと刺した。

「充分よ、リルマ。私と同じぐらいの化け物が、まさかこの世界にいるなんてね。志津子さまが亡くなった後、世界を周る必要なんてなかったのね」

 うちの婆ちゃんも生きていたらこんな感じだったのだろうか。

「嬉しいから、本気を見せてあげる」

 はーちゃんの周囲を影が包む。宙に浮いたかと思うとそれまで空中で停止していた剣が全て影の球となったはーちゃんへ入り込んでいく。

 攻め込むチャンスに見えたが、はーちゃんを守る剣のせいでリルマは近づけなかった。安易に飛び込めばミンチにされるのがオチだ。

 影の球は形を変え、天井いっぱいに広がると姿を成す。気づけば俺の口があんぐりと開いてしまうに至った。

「どう? これが私の本当の力よ」

 上半身ははーちゃん、下半身は昆虫を思わせる影の化け物となった。ドラゴンのような翼まで生えているが、自重のせいと天井の制限で飛べなさそうだ。

「お姉ちゃん……アニメのラスボスじゃないんだから」

 妹は呆れており、俺もその言葉に同意見だった。どっちかというとゲームのラスボスっぽい。

「……こういうのは、気分の問題だから。あと、けいちゃんもこういう展開が好きかなって。あ、でもあっちの方がよかったのかも」

 なんだよ、演出だったのかよ。そんで、あっちってどっちよ。

「ほら、けいちゃん覚えてる?」

「なんの事?」

「特撮でさ、敵の女幹部が少しセクシーな格好で出てくるでしょ。あれ、なんだったかなー。けいちゃんが思わずお便りに、お姉さん大好……」

「うおああああああああっ! スターップ!」

 俺は部屋中に響き渡る声で続きを消し去った。

「え、なに、けーすけ?」

「なんでもねぇ! はーちゃん、今すぐにそんなださい恰好はやめるんだ」

「ださ……がーん」

 俺の言葉が今日一番のダメージを与えた気がした。実際にがーんっていうひとを初めてみた気がする

「……ううっ、このままテスト再開よ。影食いリルマに問います。あなたは、成長をしましたね。それはあなた一人の力でしょうか」

 この言葉にリルマは笑っていた。

「違います」

「それではあなたのその力は?」

「自分の根っこを思い出せたからです。私の大切な人が、一緒に居て支えてくれて、たまには離れて……力を失って、この能力が大切なものだって改めて気づけた」

「よろしい、ならばこのまま続けましょう」

 二の腕から先はみみずを複数からめたような腕になっており、それらがリルマを叩き潰そうとする。

「あぶなっ」

 一撃は重く、地響きは俺をたやすく尻餅させる。そしてさらに、虫の体からさらに腕が増える。それらは連続して床を叩きつけるのだ。これでは立っていられない。あと、見た目が気持ち悪くてあまり直視したくない。

「くっ」

 リルマも苦戦しているようで、右へ左へと移動する。振動で踏ん張ろうとすると、別の腕がリルマを叩き潰すべく迫ってくる。

「さぁさ、どこへ逃げても無駄よ。あなたはここで、私に倒される運命なのっ」

 もう、どう見ても悪の女幹部だ。きれいだし、ある意味よく似合ってる。

「もうっ、しつこいっ」

 退避するため自分が浮かせていた刀に飛び乗る。それなら地響きは関係ないが、なんというかもう滅茶苦茶すぎる。

「まだまだ、さぁ、お前たちいきなさい」

 そしてリルマへはーちゃんの身体からとげ状のものが発射される。それらは足場の不安定なリルマを襲撃し、見事叩き落とす。

「ぐへっっ」

 リルマは幸か不幸か俺の上に落ちてきた。

「いたた……」

「どう? 試験は諦める?」

 妹を叩き落として満足したのか、地響きがストップした。

「ううん、諦めない」

 強い口調と視線をはーちゃんへと向けてリルマは立ち上がる。

「そ、残念ね」

 口ではそういっているが、嬉しそうにリルマを見ている。その喜びはこれまで比類出来る相手がいなかったからだろう。

「だけど、ちょっとだけ時間をもらっていい?」

「いいわよ」

 はーちゃんは余裕を見せていた。腕を組んで俺らを見下ろしている。

「ありがとう、お姉ちゃん」

 影食いの事だから、この隙をつくんじゃないのかと思った。もちろん、はーちゃんもリルマもお互いに、だ。

「けーすけ」

「隙をつかないのか?」

「お姉ちゃんには通用しないよ」

 そういって体を近づけてきた。

「どうした?」

「キスしてほしいの」

「は?」

「けーすけがキスしてくれた絶対に勝てる。優しく触れるだけでいいから。ね、お願い」

 するのはいいけどさ。

 しかしね、恋人の姉が見ている前でって勇気がいるな。まぁ、辺りはライトがいくつか潰されて暗くなっているからいいけど。それに、はーちゃんから俺たちは結構離れているからよくわからないとは思うけどさ。

「じー」

「って、双眼鏡でこっちを確認してるっ」

「いいから、早くしてよぉ」

 スイッチが入ったようで、甘えた声を出している。その気になれば容易く俺の唇を奪えるのに、俺からしてもらわないと気が済まないらしい。

「あ、ああ」

 肩に手を置き、目を閉じたリルマに顔を近づける。

「好きだよ、リルマ」

「っ……」

 その唇に軽く触れる。

「どうだ、これで勝てそうか?」

 都合よすぎるだろ、そんな展開。これで超絶パワーアップでもするんだろうか。

「ふ、ふへへ……」

 ダメだ、妙なスイッチが入っちまった。

「語らいは終わったかしら? 休憩はもう認めないからね」

 ラスボスみたいに声にエコーをかけて俺らに話しかけてきた。

 威厳たっぷりである、声だけは。彼女は自分が鼻血を流していることに気づいていないのだろう。

「はーちゃん、鼻血、鼻血が出てるよ。あと、顔が覗き見してすげぇ満足している中学生みたいになってるっ」

「ふ、ふへへへっ、お姉ちゃん、望むところだから」

「リルマも鼻血を拭けよっ」

 何、この姉妹。

「タイムだ、ターイム」

「もー、何、けーすけ」

「戦いに水を差すなんて駄目よ、けいちゃん」

「これは試験でしょうに。顔を拭いてっ」

 お互い、鼻血を拭い、腑抜けた顔は消え去った。リルマの頬に血が付いているせいか、激戦を繰り広げた戦乙女みたいになっている。

 見惚れるほどの凛々しい表情で、俺に親指を立てる。

「行ってきます」

「おう、行ってこい」

 リルマは右手を横に振る。その手にはまた黒い刀が握られる。さすがに、パワーアップできるわけがないか。

「期待させた割には、何も変わってないじゃない」

「ううん、変わってる」

 彼女の言葉に呼応するかのように、刀にひびが入った。

 そして、ガラスが割れるようにして漆黒の刀は純白の刀へ変貌した。リルマの身体の周りを、白い靄のようなものが漂っている。

 稲妻のようなエフェクトも、何もない白い刀だ。ただ、異質な何かが見て取れた。それは白い影のようだ。

「その名も、エターナル・ラヴ」

「……えたーなるらぶ?」

 はーちゃんは首をかしげて反芻する。

「ヴ。発音はぶじゃなくて、舌を軽く上と下の歯で挟むように発音するヴのほうっ」

 だせぇ。

「やだ、格好いい……」

 はーちゃんとリルマって、やっぱり二人は姉妹なんだな。

「はーちゃん、しっかりしてくれよ」

「こほん、そうだった。おふざけはこれまでよ」

 いけないいけないと頭をかいて、シリアスな表情を見せてくれる。俺は別にいいんだけどね、悪の組織の女幹部が相手の武器に見惚れてやられたら目も当てられないだろ。

「そのエターナル・ラヴがこけおどしじゃないか、試してあげるわ」

 触手を束ねた腕がリルマに振り落される。そこに躊躇なんてなかった。そして、いい発音だったよ、はーちゃん。

 耐えられない地響きで俺はまた四つん這いになった。

「り、リルマ? はーちゃん、すごい一撃だったけどリルマ、潰されてないか」

「……てっきり避けると思ったから、割と力入れちゃった。えへっ」

 ちょっとやらかしちゃったって顔をしている場合じゃないよ。完全に床が沈没しているじゃんか。

「リルマーっ」

 駆け寄ろうとした矢先、触手が切り飛ばされた。そしてリルマが顔を見せる。

「呼んだ?」

「そうこなくっちゃね、リルマ」

 はーちゃんは飛び上がったリルマに対して腕を振るい、とげを飛ばす。

 それらを全て切り落とし、俺の彼女は言った。

「お姉ちゃん、今日はあたしの勝ちだね」

 白い影の刀を横に薙ぐ。

 剣圧の一閃ははーちゃんをまとう影を吹き飛ばす。

「へぇ、やるじゃないの」

 こうして、決着となった。リルマの勝利だ。

「今回はエターナル・ラヴの力に屈したけど次にやる時はこううまくいかないからね」

 いつものスーツ姿に戻ったはーちゃんは少しだけ悔しそうにそう言うのだった。

「ふふん。でしょう? すっごいでしょう? あたしとけーすけのいわば愛の結晶だもん」

 エターナル・ラヴの力、か。

 だせぇ。どうせなら白影びゃくえいにすればいいのに。って、これもなんだかセンスを疑われそうだ。

「さ、けーすけ。これからデートに行こう?」

 当初の目的を果たし、彼女は満面の笑みでそういってくれた。それも悪くないな。

「待ちなさい、リルマ」

「え、まだ何かあるの? 影食いの試験は終わりでしょ」

 まさかまだ試験がありますとか言わないよな?

「今度学年末試験があるでしょ。今日は学園をお休みしているのだから、勉強を教えてあげる」

 姉の一言に妹は顔を青ざめた。

「えと、なんで?」

「さすがにお父さんとお母さんからリルマの成績が著しく悪いから、もし、私が負けるようなら家庭教師をしてやりなさいって言われてたの」

 なるほど、それならしょうがない。

「た、助けて、けーすけ」

「そういえばこれまで学園の成績は気にしていなかったけれどそっちのほうひどいんだな」

 これから別の意味でも相棒だ。そういうところも気になってくる。

「こ、この前の試験では赤点が二つしかなかった」

「あかてんぅ?」

 そして俺の彼女の姉は鬼になった。は、般若だ。

「赤点なんて教科書さえ押さえておけば取らないはずなのに何それ。恥ずかしって外も歩けないでしょっ。これから、みっちり勉強させます。けいちゃんも甘やかさずに勉強させてよ?」

「あ、はい」

 見ているとものすごく不安定になりそうな、恐怖の具現化された顔で睨まれた。つい、反射的に返事してしまう感じだ。

「……さぁ、リルマ、これからお姉ちゃんと勉強をするといい。俺はリルマの事をいつまでも見守っているよ」

「裏切り者っ」

「失礼だな。俺はいつだってお前の相棒だぞ」

「じゃあ、助けてよ」

「甘やかすのだけが相棒じゃない。な、そうだろ?」

「ううっ、なにそれ。デートは?」

「何、いつだって出来るさ」

 これからも俺はリルマの隣にいて、彼女のいろいろな表情を見続けることが出来そうだ。

 まぁ、何だ。テストが終わったらリルマの好きにさせてやるため、ここは彼氏として今後の活躍に期待させてもらおうじゃないか。


 さて、今回でリルマ編最終回です。たまには振り返るのも悪くないかもしれませんね。第一話に関しては導入部分で久しぶりに裕二や宗也が本編に引き続き登場。リルマの登場が結構後になるのもいつも通りという感じです。この回はメインヒロインなのでどっしりと構えてもらうつもりでしたがまぁ、本編と同じような流れ、かつ王道的展開を目指していました。姉、ハンナは本来メインヒロインでしたが出会い的に考えてちょっとどうかなという事と、割とえぐい性格をしているので妹にヒロイン枠を譲っている感じです。投稿自体はしていない、啓輔の話の際は必ず登場していたりします。二話、三話はまぁ、王道的な展開と言いますか。いつものように変にこじらせることなく力を失くし、第四話については外れ回です。本来はもっと別の話で啓輔がカゲノイとして生きている志津子のもとで活動している話でした。そこにリルマが現れると言う物語でしたが、つまらなかったのと、話の落ちが第五話に全くつながらなかったので取りやめました。第五話の展開は手帳を手に入れてあっさりハンナは倒せないと言うものでした。リルマが暴走しちゃったのはしょうがない。本編でかなり抑え目だったのも個人ルートで好き勝手させるためでした。最後まで読んでくれた人が納得できる内容かどうかはわかりませんが、他に終わらせ方は想像できなかったのでこんな感じになりました。

さて、次回からは白井海編。王道的展開や話のつじつまが必ず会わなければ気が済まない人、リルマ編でこの物語は終わったんだと言う人はそれでいい気がします。白井海という存在自体が特殊なもので、右記啓輔にとってある意味特別な存在として位置付けていたりします。全五話の中でどれかを見るか、全部を見るかで印象が変わるようなものに変えるつもりです。

最後に、これまで読んでくれた読者の方、ありがとうございます。楽しんでもらえたのなら幸いです。感想、評価、メッセージ等ありましたら是非、よろしくお願いいたします。今後の活動の励みになります。


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