リルマ編第二話:終わりは唐突に
十年前、俺は九歳だった。山にカブトムシを探しに一人で行ったのだ。セーラー服姿の女の子が太くて立派な木の枝に縄をかけている所だった。
「何してるの? 昆虫採集?」
「ここで吊るの」
「え? 本当?」
今ならその少女がいったい何を吊るのか想像がつく。しかし、そんなことを察することが出来なかった。当時の俺はあほだったのだ。
魚の一本釣りと同じで、虫の一本釣りでもすると思っていた。どうやって虫を釣るのか想像もつかない。荒縄にはちみつでも塗っておくというのかと疑問に思ったものだ。
なんだかその行為がとても羨ましく、そして目の前の少女に興味を抱いた俺は彼女と関わることにした。
「僕も釣るっ」
俺の元気いっぱいの表情を見て、少女は口を開けて驚いていた。
「君も?」
「うん」
「どうして? 悩みのない子供が遊び感覚で、そんなことをしては駄目でしょ」
優しく拒絶するその態度に、俺はなんというか軽くときめいていたのかもしれない。ガキの頃、年上の女の子がストライクゾーンだったりするんだ。今も、多少はそうだけどさ。
呆れた様子の少女に俺は言った。
「カブトムシが取れないんだ。だから釣る」
「そんな理由で? くだらないわよ」
「でも、お姉ちゃんもそんな感じでくだらないって理由なんでしょ」
カブトムシが取れないからこのお姉ちゃんは虫の一本釣りをしている。俺はその認識だった。
少女は勘違いしたのだろう、くだらない理由で吊るのだと子供に言われたと。
「……私には、ちゃんとした理由があるもの」
そのどこか儚げな横顔が俺と彼女が違う世界に生きていると今なら気づいたかもしれない。今の俺なら、もしかしたらそれ以上踏み込んだりしないかもしれない。
「どんな?」
もちろん、小さい頃の俺は行っちゃうところまで行っちゃう性格だった。こうして話をしているのだから同じ世界に生きていると断言して突き進んでいる。
「なんでもできる。それが悩み」
あほである俺は少女の言葉を鵜呑みにし、目をキラキラさせた。
「じゃあ、僕のお願い事を聞いてよ!」
俺が何を望んだのかは思い出せない。しかし、少女がまた山へ行くことはなくなったのだ。
結論から言うと、彼女は何でも出来るわけじゃなかった。そんな人間、居るはずがない。
彼女がその地にいる間、二人でずっと遊んだ。途中、俺を襲ってきた犬を彼女は口汚い言葉で罵り、ぼこぼこにしたことがあった。切れるとなにをするのかわからないタイプかはそこで知った。子供ながら、とんでもない姉ちゃんと知り合いになったと思ったもんだ。
目が覚めて夢を見ていたことに気づいた。
「ふぅ」
これまですっかり忘れていたことだった。はーちゃんのあの様子を見ると彼女は影食いだろう。影食いの言葉なんて当時、出したこともなかったから知られなかったのだろうが、ニアミスしていた事になる。
そして、俺はリルマに時折覚えた既視感ははーちゃんだった。リルマの姉が、ハンナ。なるほど、どことなく似ているわけだ。すぐに出てこなかったのは何らかの理由があるのかもしれない。
単純に忘れていたとはーちゃんに言ったら、何をされるかわかったもんじゃない。
「さて、起きるか」
大学は春休みで行かなくていい。影食いの試験とやらはいつあるのか教えてもらっていないが、リルマから連絡をもらうようにしている。学園が終わってだから、夕方になるだろう。
「久しぶりにネトゲでもするかな」
宗也に誘われていたゲームを取り出して準備をした。
そこで、着信があった。相手は宗也だ。
「もしもし?」
なんだろう、嫌な予感しかしない。
「あ、おはよう啓輔君」
眠たそうだ。おそらく、ネトゲのため徹夜でもしたのだろう。
「眠たそうだな?」
「さっき起きたところなんだ」
「珍しい。てっきり、夜通しゲームをしているのかと思ったよ」
「徐々にずれていって一周したんだ。五時間寝ているからかなりいい方だよ」
残りはおそらくゲームやアニメ、ネットの海をさまよっているはずだ。睡眠時間を削ってひたすら没頭する。ある意味、苦行である。いったい何が彼をそこまで駆り立てるのだろう。
「で、どうしたんだ」
「んー、まだ確定じゃないんだけどね。また裕二君が家に帰ってこないんだって」
「……またか」
どうせまた何かに巻き込まれたのだろう。
「今回は助っ人が県外にいるからちょっと力を貸そうにも難しいかな」
そういえば美紀は今、この町にいないんだった。ただ、以前みたいに美紀と一緒に探していたらリルマが怒るだろう。
しかし、リルマの方もはーちゃんの試験があるだろうから、手伝ってほしいと言うわけにもなぁ。
何事もなければいいんだけど、無理な相談だろう。
「俺も探してみるよ」
「うん、僕も今回は外に出て探してみる。何もなければいいんだけどね」
宗也が美紀と知り合いってことはもしかしたら、影食いの関係者なのかもしれない。しかし、こちらに探りを入れて美紀にばれた時はどうなるか、想像したくない。
何であれ、宗也は友達という認識でよさそうだ。余計な詮索は、余計な事しか生みそうにない。
「……そうだな。見つけたら連絡くれ」
「早く見つかるといいよね」
あっさりと今日の予定が変わってしまった。予定通りに物事がうまく進むなんて、めったにない。ネトゲはお預けだ。
俺はリルマに裕二を探すことになったとメールを送り、外に出た。
「しかし、手掛かりなしで探すとなると、協力してくれる暇人を見つけないといけないからなぁ」
電話帳で影食い関連者を探す。影食いなら人探しがうまいと言う認識が俺の中で出来つつある。
「白井とイザベルに声をかけてみるかな」
今から来れるかとメールを入れると待ち合わせ場所を聞かれたので、よく行く喫茶店を指定しておいた。午前中から空いているとのことで、さっそくそこへと向かう。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
いつものウェイトレスさんにそういわれて席に座る。
「いつもの女性と待ち合わせですか?」
話しかけられたので俺は首を振った。
「いえ、違います。友達と待ち合わせです。コーヒーを一杯お願いします」
「かしこまりました」
そういって席から離れていく。それと同時に店内へ女性が入ってきた。
ぼーっとその女性を見ていて、もし、裕二と一緒に街で見かけたのなら俺は間違いなく、声をかけていただろう。
そんな女性が、こちらへとやってきた。そして、俺の近くで立ち止まる。
「まさかデートのお誘いだなんて、お姉さん照れますね」
「あ、白井か」
気づいた後、俺の頭の中で脳みそがちゃんと動き出す。やれやれ、ちょっと見てみればわかるのに俺は少しぼけていたらしい。
「はい、あなたの白井海ですよ」
いつもの白い服装ではない。上は幾何学模様の入ったシャツに、コート。下は超短いミニスカートに、黒のストッキングだ。化粧もしている為、別人に見えた。
「あれぇ、もしかして見惚れてましたか」
からかうような口調に、俺は少し考えて頷いた。変に違う、そんなことはない。俺がお前なんかに見惚れるなんて絶対にあるはずないと言い張る必要性もない。
「……正直言うとな。けど、白のイメージあるけれど、別の色でも似合ってるな」
「もっと褒めてください」
ご希望通り、続けて何か言おうとするともう一人待ち人がやってきた。
「啓輔」
「あ、イザベルか」
イザベルの方もタイのついたシャツに厚手のカーディガン、フレアスカートだったりする。雰囲気も普段みたいに何を考えているのかわからない感じではなく、育ちのよさそうな感じが伝わってくる。
まるでどっかの良家のお嬢様みたいだ。
「来てくれたんだな。ありがとう」
イザベルはなぜか白井を睨んでいたりする。
「啓輔、また変な女を引っ掛けたの?」
なんだか気になる言い方だ。それじゃまるで、俺が毎回女の子をとっかえひっかえしているみたいだろ。
俺はそんな裕二みたいな人間じゃないよ。
「何を考えているのか知らないけれど、このきれいなお姉さんは白井だ」
「え」
「どうも、イザベ……啓輔さん」
いつもの調子で挨拶をしようとしていた白井だが、途中で俺の名前を呼んできた。
「なんだ」
「この女性は誰ですか」
お前、今言おうとしただろ。ま、いいや。お望みなら答えるしかないな。
「こちらのきれいなお嬢さんはイザベル・ブラックだ」
「へぇー、イザベルさんですかぁ。普段は、もっと正確に言うのなら他のみんなと一緒にいる時は、てきとーなシャツにパンツスタイルのラフな格好なのに今日は気合入っているなんて珍しいですねぇ」
何か牽制するような感じでジト目だ。
「そっちもね。あの頭のいかれた白い衣装はどうしたの」
こっちもジト目で白井を見ている。口が悪すぎ。美紀みたいになってるよ。
「あれはいわば作業着ですから」
いったい何の作業着だよ。
「コーヒーをお持ちしました……あら」
「ほ、ほら、ウェイトレスさんが来たから二人とも座ってくれ」
俺のコーヒーが来たのでとりあえず二人にも頼んでもらって、席に着く。ウェイトレスさんからすげぇ非難がましい視線を向けられた。
「それで、私たち二人を呼び出した理由は何ですか」
「デートのお誘いじゃないようだけど?」
なんだよ、デートって。
「言ってなかったか? 二人には人探しを手伝ってもらいたくて……いててて」
「言ってない」
イザベルからスマホの画面を割と乱暴に押し付けられた。そこにはこれから時間あるかというそっけない文面しか載っていない。
「それで、人探しって誰を?」
「夢川裕二だ」
ああ、あの人ねとイザベルは納得したらしい。白井の方は眉をひそめていた。
「そういえば以前も行方不明になったことがありませんでしたか?」
「あれは私がウィルの材料にしたから」
「いえ、イザベルさんたちではなくそれ以前にです」
「ああ。白井と出会ってすぐにあったな」
黒幕は俺の元彼女の廿楽すみれだ。そういえば、裕二が助かった後すぐに、姿を現しに来たっけな。
すみれのやつ、元気にしてるかな。あれから姿を現さなくなったし、大学も休学したって聞いてる。
「なんというか、ぽんぽん行方不明になるなんて難儀な人ですねぇ」
「本当にそうだな」
短いスパンで行方不明になっている。一年以内に三回も行方不明になるとはなかなかのものだ。
「裕二を探すのを二人に手伝ってほしいんだ。時間、あるか?」
「いいですよ」
「私も別にすることないし」
二つ返事で了承してくれた二人に感謝し、お会計を済ませる。
「というかさ、呼び出したのは俺だから払うけど、三人で四千円超えるのは喫茶店レベルだとあり得ないだろ」
ケーキを頼みすぎなんだよ。
「期待させたバツです。それに、無料で手伝うのでこのくらいはしてもらわないと」
「うん、ありがたく支払ってね」
「た、確かにそうだな」
支払いを済ませ、俺たちは外へ出た。
人数は増えたが、喫茶店内では特にどうやって探すかを話し合っていない。
「さて、どうやって探す?」
「今、探しますね」
「私もやる」
白井の影から人型の影があふれ、地面を滑っていく。イザベルの影からは小型犬みたいなものが立体で現れ、八匹に分裂。これまた消えた。
それから五分後、二人は同時に声を上げた。
「見つけました」
「見つけた」
「お、早いな」
これだけ早いのなら、以前裕二がいた時に二人がいたらすぐに見つけてやれたかもしれないな。
「それで、どこに?」
「こっちです」
「ついてきて」
案内を始めた二人の後を追うことにする。
「白井はすごいんだね」
「いえいえ、私はさほどすごくはないですよ。それより、イザベルさんはあの犬を小型にして出せるんですね」
「直接相手とぶつかったりするのは兄さんの仕事だったから」
そういえばブラック兄妹とやりあったとき、イザベルとは直接対決がなかった。
「私も直接戦闘は避けたい方です。けれど、血気盛んな人はいつでもいますからねぇ」
俺もそれには賛同できる。話し合いで解決できるのならそれに越したことはない。
「おっと、ここですよ」
歩いた先には一軒の家屋があった。
「なるほど、家の中にいたら普通に探すだけじゃ見つけきれないな」
何よりただの家屋だ。これまでもそうだったが、何か特殊能力を持っていなければ行方不明者を探すのは難しい。
チャイムを押してみたが反応はなかった。
「ここ、空き家でしょ」
「人の気配もしないしなぁ。そうかもしれない」
「一度開けてみましょうか」
引き戸を引いて中に声をかける。すこし引っ掛かったものの、何とか開いた。
「すみま……」
なんと言ったらいいだろうか。俺が想像していたのは、引き戸の先には玄関があって、廊下が続いている光景だ。
しかし、現実にはそんなものなかった。いわば外側は完全に張りぼてで、中には地下へと続く階段があった。
「これ、怪し過ぎますね」
先ほどまでのお気楽な雰囲気は無くなり、注意深く三人で辺りを窺う。
「だね、なにこれ」
二人と共に建物内部へと入る。ところどころ埃が積もっているが、階段へと続く通路には積もっていない。時折使用されているのだろうか。
「下手な話、何かの誘拐事件かもしれません」
まず間違いなく厄介ごとに裕二が巻き込まれたようだ。
本来なら警察でも呼んできたほうがいいのだろうが、軽く中を探索することにした。俺ら三人は階段を下りて地下へと向かう。
いったい、この地下はどれほど深く作られているのだろう。
地下には広い空間が広がっていた。縦は十メートルほど、奥行きは二百メートルほどある。
「あそこに何か置いてありますね」
最初は人かと思ったが、広間の中央には黒い甲冑が鎮座していた。西洋騎士のようなそれは、漆黒の剣を地面にさして動かない。
異様な雰囲気を醸し出していて、今にも動き出しそうだ。
「この下へ行くには鍵が必要ね」
階段へと続く扉には鍵がかけられており、三人で辺りを探すが当然鍵は落ちていなかった。
「裕二はこの下か?」
「信じたくはありませんが、反応自体はあの西洋の鎧からしています」
「こっちも同じ。あの中にいるのかも」
どうやら、あの騎士の鎧が裕二らしい。いつの間にか成長しちまったようだ。
格好いいけれど、部屋に置いていたら夜中に動いて寝首をかかれそう。
「近づいて大丈夫だと思うか?」
そう言った俺の腕を白井がつかむ。
「危険ですよ」
「わかってる」
「じゃあ、おとなしくしてた方がいい」
イザベルにもたしなめられ、俺は後ろに下がる。
「でも、確かめないわけにはいかないだろ」
「……啓輔さんはもっと後ろに下がっていてください。ちょっとやってみます」
白井は影を一体作り出し、騎士へと近づける。
瞬間、騎士は黒い剣を抜き、影を切り裂いた。
早業で、一体何が起こったのか、俺が理解したのはすべてが終わった後だった。俺が不用意に近づいていたら、ああなってしまったのだろうか。
三人で眉間にしわを寄せていると、声が聞こえてきた。
「誰かと思えばけいちゃんか」
「はーちゃん」
階下へと続く扉が開いてはーちゃんが姿を現す。
「ん? リルマはいないようね」
「うん、まぁ」
俺はスマホを操作して裕二の顔を表示させる。
「あのさ、あの黒い騎士ってこの男だったりする?」
「そうだけど、どうかしたの?」
「この男、名前を裕二っていうんだけれど俺の友達なんだ。行方不明になったから探しに来たんだよ」
まさか誘拐犯が知り合いとはね。ほっとした反面、どうしてこうなったのか疑問しか湧いてこない。
「あ、そうなの? でも、彼は私に手伝ってくれるって言ってくれたから影食いの力で能力を解放させてあげたんだけれど」
また見知らぬ女にほいほいついて行ったのか、あのバカは。
「女ならだれでもいいんだ……」
呆れた調子のイザベルに白井は首を振る。
「多分、きれいな方ならって条件がつきますよ」
そうだろうなぁ。
「裕二を連れて帰っていい?」
「それはちょっと。困るかな」
本当に困った感じで胸の前で腕を組む。これがリルマなら盛り上がったり、押さえつけられたりするんだがどっちかというとはーちゃんは抑え目だからなぁ。
「あのー、啓輔さん?」
「何かね?」
「今すっごく失礼な事を考えていませんでしたか」
「いや、全然。実に紳士的な事を考えていただけだよ」
白井の軽く蔑んだ視線を避けて、俺ははーちゃんへと視線を向ける。
「これ以上ないって逸材だからね。これまで能力を解放した人たちはせいぜい、大型犬か、猛禽類だったから。影食いやカゲノイってわけじゃないけれど、彼も何か特別な存在なのかもしれないね」
「いや、あいつはただの一般人だよ」
不思議なもんだ。巻き込まれた本人は影食いに関してなのに、本人はそれを知らない。イザベルの時だって適性があったからウィルの対象に選ばれたのだろう。
「ともかく、あれはリルマの試験の相手だから。連れて帰られると困っちゃう」
確かに、はーちゃん側にも事情があるんだろうが、俺の方もあまり譲りたくはない。
「お願い、はーちゃん」
「けいちゃんがそこまで言うのなら……」
心が揺れ動いているようで、悩んでいる。
「もう一押しですよ、啓輔さん」
「そうだよ、頑張って」
「え、でもこれ以上はお願いのしようがないだろ」
はーちゃん側もどうやらあのあほの了承を受けている以上、それを出されたらこっちが弱い。
これまでの相手と違って、はっきりとした知り合いで危険もなさそうだ。彼女の言う通り、リルマの試験が終わればすぐに解放されるだろう。
「なんでもするって言えば良いじゃないですか」
「なんでも?」
はーちゃんは俺を見ている。その爛々と輝く目を向けないでくれ。ああ、はーちゃんの脳内で俺が大変なことになっているに違いない。
「いやいや、やっぱ、無理。なんでもするとか言ったら骨までしゃぶられそう」
「ちぇ、その通りだったんだけど嫌ならしょうがないな」
冗談、ですよね。
「うーん、じゃあこうしよう。そっちの二人があの黒騎士を倒せたら今、連れて帰っていいよ」
「その場合リルマさんの相手は誰が務めるんですか?」
そう、無理に頼み込んでリルマの相手がいなくなるとある意味まずい気がする。何せ、相手を準備できなければはーちゃんが相手になる可能性がありそうだ。
「そこらへんの案山子に影をまとわせて最強の影食いだってごまかすから大丈夫」
マジかよ。
冗談なのか本気で言っているのかよくわからないな。
「相手をするのは私たちですか?」
その口調はどこか侮っている節があった。
「うん、ま、君らにとって相手は単なる一般人だからね。もちろん、そっちを殺したりはしないようリミッターはかけているから、存分にやるといいよ」
物騒なことを言って、はーちゃんは腕を組んだ。
「影食いやカゲノイが単なる一般人に負けるのを見て見たかったからちょうどいい機会だよ」
「え、はーちゃんってそんなに他人を見下すような人だったの?」
俺の言葉に少し考え、首を振った。
「ちょっとした冗談。けいちゃんの姉的存在の私がそんなことを思ったりしないから安心してね。ただ、ほんのちょっとだけ、けいちゃんの前でいいところを見せようとする雌犬どもにお灸を据えるだけだから」
そういう物言いの方が幻滅だよ、はーちゃん。
「それはさすがに聞き捨てなりませんね」
「ま、ここまで来て手ぶらで帰るのも嫌だからのってあげる」
白井は多数の影を従わせ、イザベルは黒の短刀を握りしめる。
「私が隙を作ります。イザベルさんはタイミングを見計らって一撃を入れてください」
「オーケー」
影たちは白井の指示通りに突撃を始める。イザベルも煙のように揺らめいた。しかし、一度の横なぎで何かしらの衝撃波が発生したようだ。
「なにあれ」
「剣圧に影をのせているから、そのままダメージ入るの。単なる影なら消えちゃうから」
「へぇ……って、言ったけど剣圧に影が乗るってこと自体が理解できない」
理解は出来なかったが、はーちゃんの説明通り白井の生み出した影は消滅。剣圧とやらでよろけたイザベルの腹部へ騎士は剣の柄で一撃を入れる。
しかし、イザベルの奴、いつの間に接近したのだろう。まったく気づかなかった。
「ぐふっ」
「よくもイザベルさんをっ」
じゃあ、返してやるよと言わんばかりに黒騎士は意識を失ったイザベルを白井へ投げつける。
「むぎゅっ」
そしてイザベルを受け止めた白井はよろけ、その隙を黒騎士は見逃さなかった。白井の首を影の剣が的確にとらえたのだ。
「白井っ」
一瞬、首がはねられたかのように錯覚したが、その場で白井が倒れるだけ。首には傷一つついていない。
「意識を奪っただけだから安心していいよ」
「う、うん、そっか」
黒い騎士は仕事が終わったと言わんばかりにまた部屋の中央へと移動して動かなくなった。
中身が裕二なのに、寡黙でかっこいいな。意識があったらふふんと笑っていただろう。
「次はリルマを連れてきてね。そうすれば勝敗に関係なく、彼を解放するから」
「これが、はーちゃんの言っていた試験?」
「そう。けいちゃんを守れるほどの力がないと、危険にさらすかもしれないから。影食いの敵は、影だけじゃなく影食いやカゲノイだったりするもの。現に、これが悪意ある相手だったらどうする? けいちゃん、私に襲われてるよ?」
はーちゃんにそう言われたらもう黙るしかない。
白井を背負い、イザベルに肩を貸しながら一軒家から脱出する。彼女の言う通り、これが悪意ある相手だったら俺らはどうなっていただろうか。
俺の家まで戻ってきて、二人を布団へと寝かせる。
「リルマを待つしかないか」
それから二人が意識を回復したころには昼になっており、俺は二人に手料理をふるまった。リルマには放課後俺の家に来るように言っているので大丈夫だろう。
とりあえず昼飯後に解散となるかと思ったが、白井はどこか疲れた表情をしている。
「啓輔さんにお願いがあります」
「なんだ」
「まだここで寝ていていいですか? 体調がすぐれない上になんだか体に力が入らないんですよ」
おそらく、影の剣で首を切られたのが関連しているんだろう。原理は不明だが、白井の首が飛ばなくて本当に良かった。
「ああ、気のすむまで休んでいくといい。何か必要なものがあったら言ってくれ。準備するよ。それに、気分が悪くなるようなら病院へ連れて行くから言ってくれよ」
「ありがとうございます」
また布団に入って横になった。すぐさま寝息を立て始める。
「あの騎士が一般人だなんて想像もつかないわ」
イザベルが信じたくないとつぶやいて茶をすする。
「俺もだよ。もし手加減なしだったらと思うと怖いな」
騎士の剣が的確に首を狙った時なんて気分は最悪だった。躊躇がなかった。
「あれが試験の相手だなんて、ハンナはリルマを潰す気としか思えない」
イザベルは感想を告げたのち、そのまま俺の部屋で時間を潰すようにしたようだ。そのままゲーム機に興味を示す。
「それがやりたいのか」
「うん。でもやった事ないからわからない」
「じゃあ、時間もあるし教えてやるよ」
操作方法を教えるとそのまま害虫駆除のゲームを始める。
二人協力プレイを楽しんでいるとチャイムが鳴った。気づけば夕方だ。
「入るわよ」
「どうぞ」
ゲームをしている俺ら二人、爆睡している白井を見てリルマは首をかしげた。
「ゲーム合宿?」
「違う」
「あ、ちょっと、集中しないとこれHARDより上なんだから。逃走経路はそっちじゃなくて、こっちだって言ったでしょ」
「……悪い」
襲い掛かってくる虫どもを弾幕はってやっつける。
どうにかクリアして待っていたリルマの前に座る。あの難易度をクリアできたのは初めてだな。
「割と真面目な話なんだよ、リルマ」
「さっきまでゲームに熱中していたのに何言ってんだか」
冷ややかな視線を向けられ、俺は首をすくめるしかない。
「わりぃ。まず、裕二がいなくなったのは連絡してただろ」
「うん、また何か厄介ごとに巻き込まれたんでしょ」
「ああ。今回はリルマの姉、ハンナ・アーベルが関わってた」
そう言うと露骨に嫌そうな顔をされる。
「リルマへの試練の為だって言ってた」
「なるほどね」
「あと、リルマの勝敗に関わらず、終われば裕二の解放は行うってさ」
「ふーん。わかった。じゃあこれからそこに行くわよ」
「そうだな。イザベルは悪いが留守番をしていてくれ」
ゲームに夢中の子に声をかける。
「白井が起きたら冷蔵庫に入っているプリンを食べさせてやってくれ。痛み止めとかの薬はこの棚にあるからな」
「うん」
素直だ。だが、こっちを見ていない。
「ちゃんと休憩時間をとるのよ」
「うん」
「ベルちゃんの晩御飯も準備して冷蔵庫に入れてるから。レンジでチンして食べなさい」
「わかった、ママ」
イザベルの生返事に軽く驚いているとリルマにあほを見る目で見られた。
「……いつからけーすけはあいつのママになったの」
「いいや、なってねぇよ」
外へ一歩出ると、適度な緊張感に包まれた。不思議なもので、俺が試験を受けるわけではないのに自分の事のように緊張してしまう。
「ここだ」
ほとんど俺らの間に会話はなく、目的地に到着してからリルマの表情は引き締まっていた。
「はーちゃん、来たよ」
「いらっしゃい」
どこか軽い感じで扉が開けられた。
初めて来たときと変わらず、埃っぽいこともない。無駄に広いが、誰が掃除をしているのだろう。
「よく来たわ」
それは俺ではなくリルマに向けられた言葉だった。
「うん」
「内容は下で伝えるから、ついてきて」
二人で地下一階へと向かい、あの黒騎士を見る。
「裕二先輩って本当、何者なんだろ」
「ただの一般人だろ」
「そうだけどさ。もしかして影食いの関係者なのかな」
それは俺もほんの少しだけ思ったことがあった。
「違うと思う。そもそも、あいつから聞いたことない。それに、そうだとしても裕二側の影食いが助けに来るだろ」
「そう、だよね」
とりあえずはリルマも頷いたが、まぁ、俺の方でも納得はいかない。
「さ、二人とも黙って。ルールを説明するから」
両手を軽くたたいてはーちゃんは注意を向けさせる。
「ルールは簡単。どんな手を使ってもいいから相手を倒す事。以上」
「それだけ?」
とてもシンプルな答えにリルマが首をかしげる。ただ、本当にそれだけらしくはーちゃんは頷いた。
「黒騎士は確かに協力してくれている夢川裕二君だけれど、遠慮はいらないからね。本当に彼が危ないと言った時は私が止めに入る。攻略のヒントとしては彼の力は剣の方に集まってる。ある意味、剣の方が本体といえなくもないから、それをどうするかがポイントね」
つまり、鎧を倒しても意味はないのか。
「じゃあ、好きなタイミングで始めて。近づけば彼も反応してくるから」
黒騎士へと向かうリルマに俺は声をかけた。
「リルマ」
「何?」
「影食いするか?」
ドーピングとしてはーちゃんから駄目だと言われるかと思ったが、何も言ってこない。黙って見ているだけだ。
「……ううん、しなくていい。大丈夫。これはあたしの力でクリアしないとね。後からけちつけられたら嫌だから」
「……そうか。んじゃ、行ってこい」
リルマの背中を叩いてやると、軽く右手を挙げて応えてくれる。
「いってきます」
右手から影の刀を作り出し、一気に黒騎士へと迫る。たった一歩で相手の間合いへと入り込む。
「せいっ」
リルマが刀を振り落した瞬間、黒騎士は剣で防いでいた。刹那のやり取り、まず立ち上がりは五分五分言ったところだろうか。
あまりに早すぎて、よくわからないが、金属音のぶつかり合う音は断続的に聞こえている。俺が確認できるのは刃がぶつけられた時だけ。白井やイザベルを軽く退けた黒の騎士とやりあえるという事は、リルマもそれなりに成長できているのだろう。
数分後、互いに刃をぶつけ合い、動かない。リルマは引くことなく、押し続けていた。
「拮抗してる?」
イザベルと白井を瞬く間に倒した黒い騎士と同等、いいや、それ以上に思えた。
「ううん、けいちゃん、それは違うかな」
リルマが徐々に押され始める。吹き飛ばされたように見えたが、リルマの方から離れたようだ。
「このままだと一分持たないでしょうね」
再度、黒の騎士へと襲い掛かる。
はーちゃんのいう通り、リルマの刀には亀裂が入っていた。
「リルマ。その程度では相棒を守れない」
一度睨むようにはーちゃんを見た後、リルマは歯を食いしばって相手を見据える。
全力なのか、口やら目から影があふれ出始めた。これまで戦闘中に見たことのない姿だ。
「はああああああああっ」
そして更に影が溢れはじめる。。
しかし、リルマの雄叫びは力が伴ったからか、黒い騎士の剣に亀裂が入る。
「やった」
「……やっぱり、ダメね。成長してこの程度じゃ、これがあの子の限界か」
「え?」
いったい何がダメなのか。リルマが負けるのか。そう思った矢先、黒騎士の剣が折れた。それと同時に、何かがぷつんと切れたような音が聞こえた気がした。
「試験は合格」
リルマはその場で膝をついて荒く呼吸をしている。影の刀もなくなっていた。その近くに、裕二が横たわっている。すごく緩んだ表情を見るに、何も問題はなさそうだ。
「次の試験はまた追って連絡するから。私はこの子を自宅に送る。じゃあね、けいちゃん、リルマ」
それだけ言ってはーちゃんは居なくなった。どこか冷たい口調だった。せっかく、妹が試験に合格したのにおめでとうの一言もないなんて、冷たい人だ。
「お疲れ、リルマ。おめでとう」
リルマを立ち上がらせ、ハンカチで顔を拭ってやる。
「凄い汗だぞ。大丈夫なのか」
「うん、ちょっと頑張りすぎたから」
「白井とイザベルを倒した黒い騎士に一人で勝ったなんて凄いよ」
「ありがとう。でも、本当に良かった。お姉ちゃんの試験をクリアできて」
「そうだな」
嬉しそうなリルマの頭を撫でてやると手を払われた。瞬間的に目があったが、少しだけ悲しそうにしていた。
「子供じゃないんだから、そう言う扱いやめてよねっ!」
「わり、気を付けるよ」
「あ、ごめん……」
「気にしなくていい。誰にだってやられたらいらつくことなんてあるから」
リルマも姉から褒めてほしかったのかもしれない。撫でてもらうのなら、俺ではなく、姉なんだろう。その姉は、あいにくもういない。
「んじゃ、今日は晩飯でも食べて行けよ。白井やイザベルとお祝いしよう」
「……そうね」
一軒家の外へ出てアパートへと向かう途中、路地裏の方に影がいた。二人で影食いに赴くのは久しぶりだ。
「あ、影食いしなきゃ」
まるで主婦が雨降ってきたから洗濯物入れなきゃの感覚だった。
影の方へと近づくリルマは右手を影状に変化させようとして、出来なかった。
「あれ、なんで?」
再度、右腕を影にしようとする。かすかに影になりつつあるがまたリルマの手に戻るだけだった。
その間に、影は思いのほかリルマに近づきつつある。
「リルマ、いったん離れたほうがよくないか」
「すぐに影にする……きゃっ」
影に蹴られ、俺の方へと飛んできた。うまくキャッチすることができず、二人して倒れこむ。
「いたたた」
「大丈夫か、リルマ」
「なんとか」
俺の方は右腕に擦り傷、リルマの方は俺がいたおかげで怪我をしなかったらしい。
「けど、このままだとちょっとまずいかも」
「だな」
影はこちらへと近寄ってきている。影食いが出来ない以上、逃げたほうがいいだろう。
「一旦逃げるぞ、リルマ」
「うん、あ……」
俺たちの逃走経路へ影が降ってきた。つまり、退路を断たれたのだ。
「どうしよう」
迫ってくる影。リルマに背中をあずけ、それぞれ影を見続ける。
「ごめんね、けーすけ」
「何が?」
「巻き込んじゃって……」
リルマが言葉に詰まったところで影は近づいてくる。
このまま、リルマに何か言ってやらないのは嫌だ。
「気にすんな、最期にお前が後ろにいるのならそう悪くもないよ」
迫る影は気持ちの悪い動きだ。どうなるのかはわからないがリルマと一緒にいられるのならそれはそれで悪くないのかもしれない。
終わりの覚悟をし、それでも逃げるためにリルマの手をつかんで相手の脇を抜けようとした。そのとき、俺の目の前にいた影が痙攣した。そして、消える。
「何してるの、こんなところで」
「美紀」
俺を飛び越えるとリルマに迫る影も消す。
「こんな低級の影に追い詰められるなんて、影食いリルマはどうしたの?」
美紀の攻める口調に相棒は弱気な声で返事をする。
「わからない。手を影に出来なくて」
静かに近づいて、リルマの頬をつかみ、目を見た。それでいったい何が見えるのか、美紀は顔を逸らすと苦々しげに言うのだった。
「……リルマ、お前、枯渇したのね」
「枯渇?」
リルマはその言葉を知らないようで不思議そうに首をかしげて相手を見ていた。
美紀は多少、悩んだ表情を見せたがすぐに言った。
「影食いとしての終わりよ。影を食う能力が失われたの」
「……え?」
リルマは呆然とし、そのまま動かなかった。




