第七十三話:病院ではお静かに
俺たちがたどり着いたのは羽津市にあるそれなりに大きな病院だった。一階部分が受付と診察室などのようで、二階はベッドなどがあるようだ。さらに大きな病院があるので、この病院でも大きく見えるが霞んでしまう。
さすがに大人数で入るわけにもいかないので、白井とイザベルが中へ入る。白井の方はなぜか手慣れた様子だった。受付の人は白井を見ると頭を下げ、それを手で制して入っていったので病院の関係者なのだろうか。
「で、啓輔。何を話したの」
美紀が左隣から聞いてきた。好奇心旺盛である。いつもより距離が近くに感じられ、俺は少しだけ離れた。
「何のことだよ」
他二人がいないので、とぼけて話を逸らそうかと考える。美紀相手になかなか骨の折れそうなことだが、出来ないってわけじゃない。
「この場合は元彼女のことしかないじゃん」
呆れたリルマの表情は俺に阿吽の呼吸を求めているらしい。そういうのは無理だぞ、アイコンタクトなんてこれまで成功した事あったかよ。リルマからも離れるため、身体を少しずらすと美紀の身体に触れてしまった。
「わり」
「気にしてないわよ」
そう言っているとリルマが迫ってきていたようで両脇を完全にはさまれる。
「これで逃げられないからね」
こりゃ困ったね。美女二人に捕まったら逃げる場所がないな。
「わかった、話すよ」
俺はため息をついた。
「特にあいつと話すことなんてないよ。俺が小粋なジョークを飛ばして話題を膨らませると思うか?」
はぁい、ジョン。今日はいい天気だね。おや、なんだか小汚い手袋を。おっと、しつれい、君のワイフが作ってくれたミトンだったね。
こんな感じか。
「ジョークはどうでもいいの。リルマには話したんでしょ。話しなさいよ」
勘のいいやつだからな、おそらく美紀の奴は俺の元彼女が影食いに関係していることを気づいているのだろう。
「けーすけ」
「なんだ」
「美紀はそこまで考えてないと思うんだけど……」
そうなのか。まぁ、いいや。
ナチュラルにアイコンタクトが成立した気がするけど、気のせいだろう。
「簡潔に話すと、影食いに関わる黒い手帳が今回の件には関わっている。おそらく、白井や裕二の失踪から関わってるようだな」
そのほかにも、手帳の話を軽くしておいた。ブラック家との関係も当然話す。もっとも、祖母の事はよくわからないので説明のしようがない。
「それ、マジで? それって結構前の話よね。あたしと出会ってすぐじゃん」
リルマにも話していなかったっけな。
「名前は?」
「俺? 俺の名前は右記啓輔……冗談だよ。廿楽すみれだ」
「廿楽?」
俺の言葉にリルマが眉根を寄せる。どこかシリアスな表情だった。
「……何か知っているのか、リルマ。もしかして、影食い方面では有名な名前だったりするのか?」
「ううん、初めて聞いた名前」
それなら紛らわしい表情をするんじゃないよ。なんでそんな顔をしたんだ。
「私も初めて聞いた」
美紀の方もダメなようだ。あまりメジャーではないらしい。
「話の内容的にイザベル側でしょ。ねぇ、リルマ」
「え、なんで?」
「関係があったのはブラック家だからだよ」
「あ、そっか」
美紀は若干呆れていたがリルマは納得したようだった。リルマの奴、みんながいるからって話を聞いてなかったりしないよな。
「戻りました」
ちょうどその時、白井が病院内から戻ってくる。慣れてしまったが白一色の白井は周りから視線を集めまくっている。
「啓輔さん、熱視線を送ってくれてますね」
「それで、どうだったんだ?」
一度、スルーするなんて寂しいですと言われた。熱視線なんて送ってる場合じゃないだろ。
「私たちが探している人物はいたのですが……あの、啓輔さんはなんでお二人を侍らせてるんですかねぇ」
「は? 何言ってるんだ」
「右手にリルマさん、左手に美紀さんを装備してますよ」
最強の装備だね。
俺は二人に離れるように言って身軽になった。
「見つけたんだろ?」
「あいにく……というか、記憶と能力の大半を何者かに吸われていますね。今、お医者様とイザベルさんが話をされています」
「記憶と能力を吸われるって……」
俺がリルマへと視線を向けるが、リルマは隣にいる美紀を見ている。
「さすがに私にもわからない」
お手上げだと首をすくめる美紀だった。それに続けとリルマと困った顔になった。
「けーすけ、私もわからない」
「あぁ、そうなの」
わからないんじゃ、しょうがないね、うん。
珍しく白井は眉を寄せ、爪を噛んでいた。
「……私の母に聞いたことがあるんです。さして力のない影食いが厄介な物を作ったって。それは黒い手帳の姿をしているそうですが、それらを影食いが使用すると絶大な力を手に入れる、と。もしそれが本当ならまた厄介な奴が出てきたことになりますね。今回は正体を明かさない相手の可能性もあります」
わけあり顔の白井はいつもと違ってシリアスだ。
「うわぁ、それは大変だなあ……いてっ」
「啓輔、ふざけてないで白井に話しなさい」
美紀に尻を蹴り上げられた。
「わかったよ……おい、リルマ、何へらへら笑ってるんだ」
「え? 気のせいじゃないの。元からこんな顔だけど」
一度鏡を見ることをお勧めする。
正直言って、ジョナサンが生きていたことにほっとしているし、そのおかげで俺は完全に緩んでしまった。ジョナサンを戻したのはすみれか。どういうつもりか知らないが、その点だけは感謝したい。
改めてすみれの存在は伝えておいた方がいいのかな。
「……と、言う事なんだ」
白井へ三度目の説明をすると腕を組んで顎に手をやっていた。
「気になることがあります」
「なんだ?」
「啓輔さんのおねしょ事件は何歳ごろですか」
「いや、おねしょて……」
そんな話をしたこともない。
「なぜ、このタイミングなのか」
「どうしても気になってしまったので」
気になったと言われても、困る。嬉々として教える奴なんているわけがない。
「してないんですか。違いますよね。やらない子供もいますけど、やる子供だっていますよっ。やったでしょ、啓輔さんだってっ」
え、なぜにそんなにぶち切れているのさ。
「待て、関係あるのか、その話は」
「あります。で、何歳ですか」
落ち着き払った調子でそう聞かれた。
見惚れる程の、綺麗な顔だ。その前に、情緒不安定すぎだろ。
「……三歳、四歳ぐらいまでやったって聞いたぞ」
「やぁい、おもらしけーすけ」
「うっさいリルマ。だったらお前らは……」
おもらしの話はやっぱり関係が無いと思うんだ。
「いや、やっぱり教えなくていい、これ以上の脱線は時間の無駄だ。気になる点は他にないのか」
「はい、先生」
「なんですか白井君」
「AVって何の略ですか」
「オーディオビジュアルです。ふざけた質問なのであとで折檻します」
「もう、個人的おしおきだなんて……やらしいです」
イザベルが出てきたのを見て、俺は一つため息をついた。救われた、っていうのは少しおかしいか。
待つことって大変なんだな。こんなに疲れるとは思いもしなかった。




