第六十七話:白のルートアドバイザー
目が覚めたとき、俺と手をつないでいたら単純に驚くだろうから手は離しておいた。
血の付いた手を洗っていると、チャイムが鳴った。普段はろくに人なんて来ないくせに、こういう来てほしくないタイミングで来るからな。空気を読んでいるんだか、いないんだか。
「はいはい、どちらさま?」
これで母ちゃんだったら完全にアウトだ。滅多に来ないから安心だとは思うが、もしもってことがある。そうなったら全力で追い出すしかない。
「夜分遅くにすみません、白井海です。宗教の勧誘に来ました」
「まだ夜遅くじゃないんで帰ってください」
一月四日から営業か。ご苦労なことだ。母ちゃんじゃない事にはほっとしたぜ。場違いだが、実家でエロ本を隠す時に母ちゃんの足音を聞いた時に似た緊張感があった。
「本当は新年のごあいさつに来ました。開けないと神の世界に送り込みますよ」
斬新な脅し方だ。相変わらず何を考えているのかわからない人と言える。それでいて、俺の知っている雰囲気だから安堵感が強い。
「そんな物騒なことを言う奴を招き入れる家があるわけないだろ」
「嘘です、お年玉もプレゼントします」
「ほー、そんなものに俺がつられるとでも?」
「大人のお年玉ですよ」
「……大人の?」
「興味があり、今特定の女性とつきあっていないのなら開けてくださいな」
お、落ち着け、俺。冷静になるんだ。罠だ、絶対にからかわれる。
「……い、いらない」
「あれぇ? その変な間は何でしょうか? すぐに否定してくれればいいのに。声まで震えちゃって」
「帰れ」
「嘘です、冗談です。大人のお年玉もちゃんとあげますから開けてください。啓輔さんの顔が見たくて来たに決まっているじゃないですか」
さすがに無碍にはできないので、中に入れることにする。決して、大人のお年玉に惹かれたわけじゃない。
「改めまして、顔をあわせてはお久しぶりですね」
「そうだな。あがってくれ」
「そっけないですねぇ、失礼します」
相変わらずの白装束に驚きながらも中へとあげる。
「そっけなくはねぇよ」
「そうですか? 私の知っている啓輔さんは私を見ると抱き着いてくるレベルですよ」
「どこの啓輔さんだよ。ま、ゆっくり出来ないかもしれないけど、くつろいでくれよ。相談したいこともあるし」
布団に寝ている女を見て、一言。
「あの、行為中に訪ねてきてしまったことを深くお詫びします。というか、本当に心の底から反省してます。まだ、一月四日ですもんね」
そしてひとつ、ため息をつかれた。
「大人のお年玉とか言った私、馬鹿みたいですね……啓輔さんにはいつの間にか女の子がいたのかー……そうかー」
「いや、違うから。わりかし、真面目な話だから。」
「違うんですか?」
「そう、違う」
「リルマさんというものがありながら別の女に手を出す……殺傷沙汰ですよね。確かに、真面目な話です」
そのシリアスな顔をやめろ。なんだか腹立たしい。あと、ふざけている場合じゃないからな。不謹慎だろって横やりが隣から飛んでくるぞ。
「そういう方面でもないって」
「そうですか、それは失礼しました」
「白井が来てくれて嬉しかったよ」
「嬉しいことをいってくれます。じゃあ、真面目な事を聞きますね?」
白井が話の分かる相手でよかった。
「事後ですが、事前ですか?」
「未然です……って、だから、そういう相手じゃないっての」
こいつは相変わらずか。
「ふーん?」
おもむろに布団をめくる。
「でも、下半身何も穿いていませんが?」
あら、本当、じゃなくて。
「え?」
何もなかったはずの下腹部は、しっかりと人の肌をしていた。つい、見入ってしまう。
「嘘、だろ」
真っ青になったであろう俺の顔を見て白井のふざけた表情も消える。俺は透き通るような白い太ももに触る。柔らかい質感があった。あり得るわけがない。
「血が通ってる……傷跡すらないって、なんだよ、これ」
お腹にも触ってみる。きちんと臓器が収まった感じの触り具合。
そんな、こんなバカなことがあっていいのか? さっき、よくわからないけれど色々とはみ出て、無くなっていたはずだろ。
何の冗談だ。
「本当に、わけありのようですね」
「ああ、そうだよ。って、さっきからそう言っているっての」
「よければ相談にのりますが?」
黒く汚れた血まみれの掛布団を戻し、蒼白になった俺の顔を心配そうに見ていた。
「その前に、啓輔さんの顔、ひどいですよ? それだけショックだったんですよね」
少し冷たい手で俺の頬を挟み込む。慈しむような視線から目を逸らせない。
「落ち着きました?」
「う、うん。も、もう大丈夫だ」
「そうですね、顔が真っ赤になったので大丈夫でしょう。それで、相談にも乗りますよ?」
俺の手から離れた白井の手を若干未練がましく思ってしまった。そんなことを考えている場合じゃないのに。
「啓輔さん?」
「そ、そうだな、乗ってほしいところだが、俺もよくはわかっていないんだ。話をする前に、こっちの血の付いた布団を片付けて、客用の布団を敷きたい。手伝ってくれ」
「わかりました」
布団を清潔なものへと変えて、俺はため息をつく。動かす際に白井に相手の身体を拭いてもらったが何の問題もないとのことだった。
それからお茶をだして、ここに至るまでの経緯を話しておく。
「……下腹部から下がなくなっていた?」
「ああ……人間が生きていくうえで必要な部分がごっそりない状態だ。それって、死んでもおかしくない怪我だろ? でも、戻っている。傷跡すらなかった。何が何だかさっぱりだよ」
素人目にも打つ手なしだと思っていただけに驚いた。夥しい黒い血だって残っていた。それは目の前の人物も確認している。
白井の方はいたって冷静な表情をして言った。
「おそらく、影で補ったんでしょうね」
「は?」
突拍子のない事を口にされた。
「優秀なカゲノイだったり影食いはできるんですよ。もっとも、それを補ったと言うかは疑問ですが」
俺はもう考えないようにした。自然治癒の範疇を超えてしまっている。
「もちろん、できないカゲノイ、影食いはいますから過信は禁物です」
「白井は?」
「やってみないとわかりませんね……そこまで激しい戦いなんて日本じゃありませんから」
例え出来たとしても、言うとおり必要のない能力になりそうだ。
「しかし、よくもまぁ、そんな女性を家にあげますね」
少し非難がましかった。なんでこのタイミングだと言う未練も含んでいる気がする。
「器が大きいと言うか、節操無しっていうか」
軽く冷ややかな目で見られた。
「何言ってんだ白井、あんたは別に知らない人じゃないだろ? 美紀の時に助けてくれたし」
「いえ、私ではなくて。会話の流れだとそちらの女性はあなたを襲った連れの方でしょう?」
「まぁ、そうだな」
なぁ、白井。俺はお前が急にまじめになるから困るよ。ぼけている場合じゃないのはわかっているんだけどさ。
「リルマさんにこのこと、話しているんですか?」
俺は首を振る。気が動転していたというか、これからどうしようか考えている途中で白井がやってきたからだ。
本当に来てくれてよかったと思ってる。
「いのいちばんに話そうと考えてたよ」
「でも、先に私に話しましたよね?」
「結果的にな。偶然来てくれたわけだし」
だって、相談に乗ってくれるっていったじゃんかよ。
「積もる話もありますが」
「たまに電話で話してるし、メールでやり取りもしているだろ」
「そうですが、実際に会って話すのとはやはり違いますよ。遠距離恋愛なんて、お互い浮気し放題ですからね」
お前は俺の彼女じゃねぇよ。
「安心してください、啓輔さん。私はそんなことしませんし、そして、啓輔さんがしても浮気には寛容なので」
「ほー、意外」
てっきり、白井は付き合った相手が浮気したら包丁でも持って追いかけるかと思ったよ。
「浮気しても包丁で刺して手打ちにしますから」
「それ寛容じゃないだろ。もし、俺が白井の彼氏で浮気後に刺されて死んだらどうするんだ」
「その時は追うに決まってますよ。あぁ、刺す時は必ず急所を外すので安心してください」
狂気が軽くにじんだ気がした。
「冗談ですけど、ね?」
「冗談ならその怖い眼を辞めて」
「ちょっと難しいですね」
俺の願いは聞き入られそうになかった。
「さて、まず、リルマさんをここに呼んでもいいですか?」
「別にいいぜ。どうせ呼ぶつもりだったから」
四日だから遠慮しようかとちらっとでも思ったんだけどな。白井と二人で事に当たっても良かったが、さすがに大きすぎる気がするんだ。
俺がやかんに水を入れている間に、白井はスマホでリルマに連絡をとり、何やら小さな声で呟いていた。
「リルマはなんだって?」
「すぐにくるって言っていました」
「そうか、よかった」
年末、俺はもう少しリルマを頼ると決めたんだ。ジョナサンたちの事で頼むと言ったが、まさかこんなことになるなんてな。
「そうやって顔に出して素直に喜んじゃうんですね。せっかくの二人きりなのに」
「既に一人いるし、呼んだのは白井だろ」
「ああ、将来的にリルマさんの前で私の靴をぺろぺろさせたいです。きっとリルマさん、すごく悔しがるんだろうなぁ。以前相棒だった男がよその女の靴を無様にぺろぺろしているなんてどんな気持ちなんですかって聞きたい」
お前、性格悪すぎだろ。あと、その言い方だと俺がリルマの靴を普段ぺろぺろしているように聞こえない? 大丈夫かな。この会話を誰かが聞いてて間違った事を聞かれたら困るよ。
「いや、絶対にないから」
「そうですか? 啓輔さんやリルマさんなんて甘ちゃんですから、知り合いを人質にとって靴をなめたら許してあげますって言ったらしてくれそうですけど?」
上目づかいに俺を見てくるその表情はとても楽しそうだった。
「人質はずるいぞ」
「けどなんだかんだ言ってなめちゃうんでしょ?」
「う、ま、まぁ……それで助かるのなら。やりたくないけどな」
「その悔しそうな顔、ぞくぞくしますね」
なんで俺、年上の姉ちゃんから精神的に嬲られてるの?
「さて、それはともかく、これから見ものですね」
「え、何のことだ?」
「かなり怒っていましたよ。また騙されたとも言ってました。まさか、前科もちだったとは」
リルマが怒ったのは、白井が何か余計なことを言っていたからだろうに。
それから五分後、信じられない速さで俺の家のドアを開けて入ってきた。瞬く間に俺は壁まで追い詰められてリルマに顔を近づけられる。
「けーすけっ、今日から教祖になるってどういうこと?」
想像していたものとはちょっと違う方向へ話は進んでいたようだ。
「適当に言いすぎだろっ、白井っ。リルマ、割と真面目な話だから落ち着いて聞いてくれよ」
俺はリルマを落ち着かせ、事細かに説明しておいた。その間白井はスマホを取り出していじっている。
「ふーん、なるほど」
「わかってくれたか」
説明を終えてようやくリルマは落ち着いてくれた。
「それで、この女の名前は?」
「さぁ? まだ聞いてない」
「とりあえず、おかゆを食べましょう。どうぞ、リルマさん」
「ありがと」
多めに炊いたおかゆをよそってなぜか三人で食べることになった。
テレビもつけておらず、誰かが話を始めたりもしない。確かに、今は目が覚めるまで待つしかない状況だ。
呼吸音も安定しており、近いうちに目が覚めるだろう。改めてリルマたちが触ってみたが、どこにも異常はなさそうだった。
「……シエル」
「え?」
沈黙の最中、白井が唐突に名前みたいなものを呟いた。リルマはお茶をおいしそうにすすっていた。
「私、この人の名前シエルだと思うんですよね」
「は? なんだそれ。根拠は?」
「シエルっぽい顔しています」
なんだよ、シエルっぽい顔って。どんな顔だよ。
シエルって聞いて頭に思い浮かべられる奴なんているのか。いくつかアニメのキャラやゲームの顔がふわりと浮かんだけどさ。
「じゃあ、私はエイミーだと思う」
凛々しい表情でそういうリルマの顔に、曇りはなかった。ふざけている白井に対してリルマは本気のようだ。
エイミーってマイナーっぽくないか。シエルの方は割と浮かんだけどエイミーは全く頭に浮かんでこないぞ。
「……なんでそう思うんだ?」
「エイミーっぽい雰囲気してるから」
「なるほど、一理ありますね」
わからねぇよ。どういう基準だよ。雰囲気ってなんだよ、どこらへんがエイミーなんだよっ。
「で、けーすけはどう思うの?」
「どうもこうも……知るかよ」
「わからないからこそ予想を立てるんです」
人差し指を回し、したり顔で言われた。
「そうよ、けーすけ、次はあんたの番。さっさと答えてよ」
「わかったよ……じゃあ」
まず、外国人の女性の名前って全然しらねぇよ。
「はやく」
「はやくっ」
何故、急かすのか。
「じゃ、じゃあ、イザベル。理由はイザベルっぽい髪の毛だから」
「……いま、誰か私の名前を呼んだ?」
上半身を起こした女は眠たそうに眼をこする。なんだろうか、ジョナサンとセットで現れた時の雰囲気と違う気がする。まるで、狂った白井とその後の白井を見た時のような感じ。
上手く説明できないが、自分が得た情報が違っている気がしてならない。
「今の、セーフかアウトでいうと……」
「有罪ですね。この教団に所属しますという誓約書にサインを押してもらいます。なんだかんだで私たちに嘘をついていたんですか、汚らわしい。すみません、誰か包丁を準備していただけないでしょうか。浮気は許しますけど見苦しい言い訳をして話を逸らした挙句にお姉さんの気持ちを踏みにじったお馬鹿さんには制裁が必要です。安心してください、急所は外しません、一発で済みます」
本心から侮蔑の視線を送るのはやめてほしい。あと、唐突に狂気を滲ませるのはやめて。
名前の件はともかくとして、だ。こんなもんは偶然だ。そもそも、今はそんなことより必要なことはあるだろ。
「いろいろと聞きたいことがある。まず、名前だ」
「名前ってどうせ、イザベルなんでしょ?」
リルマよ、もしかしたらちょっとしたジョークの可能性もあるだろ。もしくは、嘘だ。偽名の恐れだってある。たまにあるだろ、触れ合わないグループの中のノリに軽くつきあっちゃおうかなって時がさ。
「イザベル・ブラック」
当たったのは偶然だ。俺は断じて、最初から知っていたわけじゃない。おい、白井、けがらわしい視線を向けるんじゃないよ。それと、包丁を置け。
「ブラック? ジョナサンの家族かなにかか」
「そう、妹」
そっけなくそういうとおかゆの入った土鍋に興味を持ったらしい。
「何それ」
「おかゆですよ。食べてください」
俺が作ったのになぜか白井がよそって手渡していた。衣服は上下共に俺のジャージ。
おかゆが食らべれるってことは体調のほうはもういいらしい。下半身がないのに、ここまで戻るなんて本当にすごいな、影食いの関係者は。
それと白井が落ち着いたらしい。よかった、本当に良かった。
「さて、だ。イザベルさんが」
「イザベルでいい」
「改めての確認だが、イザベルを襲ったのはあの獣か?」
まず間違いなく異質の獣だ。というか、獣っぽいだけであって実際の獣とは全然違うように見えた。
「……兄さんは影食いリルマに負けて焦ってた。想像以上だって」
「え」
突然自身の名前を言われたリルマは驚いていた。当然だろう、リルマにとっては寝耳に水、美紀に名前を使われただけでなにも知らないのだから。
そういえば、美紀がリルマを騙っていたから外国人二人にとって美紀がリルマなんだよな。リルマにそのことを話すの、忘れてたよ。
そして、事情の一端を知る美紀はこの場に不在。ややこしい事態になりそうなので、今はイザベルの話を聞くとしよう。
「ウィルも封じられて」
「ちょい待ち。ウィルってなんだ?」
「……あなたの友達を、犬に変えた儀式のこと」
なるほど、あれはウィルというのか。
「追加で質問いいですか?」
「なに?」
もう質問項目を見つけたのか。確かに、存在自体が謎な相手だからな。
「ウィルとは何の名前ですか?」
「だから、儀式の名前」
「いや、起源的なものです。蟹に似ていたから蟹蒲鉾とかそういう由来的な物。私、割と影食いやカゲノイの事について調べていますけれど初めて聞く名前なので気になりました」
「昔飼っていた子犬の名前」
あの危険な獣を生み出す儀式にしてはやたらかわいい名前なのな。白井、すごく気になったのか。
「俺たちに負けて焦ったジョナサンは自ら獣になることを思いついたと?」
「思いついたと言うよりは以前から考えていた計画。だから兄さんはわたしに頼んで自身にウィルをかけたの……これまで、負けたことがなかったからね」
無敗とは恐れ入ったがそこまでプライドをずたずたにしたのか。リルマが美紀に勝ったのは偶然か、まぐれだったのかもしれない。
「兄さんは、影食いリルマに日本を叩き込まれたって言ってた」
その場に妙な空気が一瞬だけ流れた。
俺は、無視することにした。
「それで獣になったのか」
「うん」
なるほどね。複雑そうでいてシンプルだ。負けず嫌いの兄ちゃんだ。てっきり、あの黒い獣に襲われてもういないものと思っていたが、姿はどうであれ、生きているのならよかったよ。
「しかし、本当に負けただけが理由か? もっと別に理由があるんじゃないのか?」
ただ一度の敗北でここまで追い込むことが出来るものなのか。
「で、どうなんだ?」
「……私たちの両親が持っていた黒い手帳。それを坂井志津子に奪われていたから。探すためにもウィルを使った」
黒い手帳と言われてぴんときたが、今現在それがどうなってしまったのかはわからなかった。結果がわからずじまいでは話しても変に責められて終わりだろう。
俺がへたれた思案をしていると、白井が右手を挙げて発言した。別にガッコじゃないんだから自由に発言していいだろうに。
「あなたはお兄さんに襲われたってこと?」
「うん」
「では、お兄さんとやらは今、危険な存在ですか?」
「……ウィルで作り出した獣は暴走するととても危険。制御できないと害でしかないから」
害獣駆除はどこにいえばいいだろう。警察か。いや、保健所かな。
しかしなぁ、元が人間だったものに対処してくれるかどうか。
「どうしたら戻せるんだ」
人間に戻ったら色々と話を聞かないといけない。
「無理、もうあそこまでなってしまうと戻す方法はない。早く駆除しないと他の人間に影響を及ぼす」
もし、普通の人間が襲われたらどうなるのか。想像するのは簡単だった。当然だ、目の前の人物がそうなったからな。
倒さないと、駄目だろうな。
「そんな危険な存在なの?」
リルマは眉根をひそめ、イザベルを見ている。
「うん、あまり時間をかけない方がいい」
「じゃあ、駆除ね」
「ですね」
「待て待て、ちょっと待てって」
リルマと白井が立ち上がったので俺は慌てて止めた。いきなり駆除だなんて、極端すぎる。
他に何か、手があるんじゃないのか。
「簡単に諦めるな。元に戻す方法だってあるかもしれないだろう?」
「でも、イザベルの話によると人間に、正気に戻ったところで関係者として襲われるんじゃないの?」
それはそうだ。どのみち危険人物だったので人であろうと獣であろうと俺に迷惑こうむることは間違いない。
そこで、玄関が開いた。
「話は聞かせてもらったわ」
「美紀……」
「え、影食いリルマ?」
「何?」
イザベルが驚いている。そして、リルマの方が名前を呼ばれたのかと勘違いしていた。なんだか今の状況、ぐちゃぐちゃだよ。
「その手帳とやらを探しているのなら、啓輔の関係者……親族にも影響が出るんじゃない?」
ちらりと美紀はイザベルをみやった。彼女は力なく頷く。
「それは認める。すでに一度、志津子の屋敷に忍び込んだもの。ある程度の情報も手に入れてる。誰かに出会っていたら大変だったかも」
なるほど、年末に何者かが屋敷に入ったのはこいつらだったのか。
情状酌量の余地はないと、言えるだろうか。だからといって、駆除はどうだろう。駆除したら、ジョナサンはどうなる。ウィルの核を吹き飛ばすって事になるのか。
「美紀、裕二を助けた時のように何か方法はないのか」
「見てみないことには始まらないわね。それに、遠慮できる相手じゃないのはあんたが良くわかるんじゃないの? 今度は待ってくれないわよ」
誰もが俺の意見を待ってくれているのを見て、なんだかんだで今回の騒動の中心に俺もいるのだなぁと思ってしまった。
「で、どうするつもり? 一刻を争うみたいだけど」
リルマの言葉に俺は少しだけ考える時間がほしかった。
「みんなの意見を改めて聞かせてくれ。それから決める」
「……あたしは今回の件、よくわからないけどさ、けーすけが危険なら、町のみんなに被害が出るのならどうにかする。放置して怪我させたら嫌だから。それが答えよ」
リルマの意見は正しいだろう。
「私はどちらでもいいですね。世間一般的に考えるのであれば、ほかの人に危害を加える以上、倒すべきでしょう。その獣の中にいる人間がどうなろうと、大多数が助かるのなら仕方のないことです」
「切り捨てるってことかよ」
軽く驚いた俺の言葉に白井は力強く頷いた。
「はい。啓輔さんが私を助けてくれた時もたぶん、似たような心境だと思います。気持ちも痛いほどわかりますが……私のような小悪党と違って、相手は獣ですからね。意思疎通ができない以上、情けは味方に被害を出しますよ」
白井の言葉ももっともだ。
「それに、カゲノイを滅茶苦茶にしたそうですから普通の人なら大変なことになりますね。私はごめんですよ、啓輔さんがそんな姿になったりするのは」
白井の言葉は静かだが意志を感じさせる。
「美紀は?」
「駆除に決まってる。下手したら、け……こほん、一般人がけがをしてた。妹をこんなにして、まさか、自分が無傷で終われるとあいつも思ってはいないでしょ。勝てないのならさっさと逃げ帰ればいいのに」
美紀の言葉は威圧感を伴っていた。
「あたしが手を抜いたせいでこうなっているんだからね。戻してあげたいけれど、暴走しているのならどうしようもないもの」
全員を説得できるほど、俺は強い意見を持てなかった。それに、ジョナサンを気遣っていて怪我人が出たら悔やみきれない。
イザベルの事を考えると、それ以上のことだって起こるかもしれない。
俺には力がない。あの獣と対峙し、中の人間を助けるほどのものがない。
これ以上、被害を出さないようにするのが精いっぱいだ。この三人と、俺ではいい答えは出そうにない。
「……みんな、あの獣を止めてくれ」
「久々に、腕が鳴りますね」
白井が嫌な類の笑みを浮かべ、リルマは影の剣を出している。美紀も喉を鳴らして笑っている。
俺の周りって意外と過激な考えの奴がいたのか。
まるで誰かの意識が介入しているようで得体のしれない恐怖がにじり寄ってくる気がしてならなかった。
「なぁ」
「何?」
三人が話し合いを始めたところで俺はイザベルに話しかけた。もちろん、穏便に済むのならそっちの方がいい。
「何か方法はないのか? 兄貴を人間に戻し、なおかつ穏やかな人物に変更させる方法は」
理想としては近所の人からあの人はとてもいい人であいさつもよくしてくれる好青年。罪を犯した時もまさかあんなにいい人があんなことをするなんて信じられないといった具合に持っていきたい。
俺は悲劇的な結末が嫌いだ。皆が皆、笑っていられるのならそれがいいじゃないか。
「……考えてはみる。でも、手帳を探すとはいえ、ただそれだけのことで罪を重ねすぎた」
手帳の事は気になるけど置いておこう。今はジョナサンの事だ。
「頼むぜ。お前の兄貴を救ってやりたいんだ」
「二枚舌。上から目線」
イザベルに睨まれたが俺は謝らない。
「それでもいいさ」
頼れる三人を俺は見た。
俺には力がない。だから、周りに頼るしかない。さっき、みんなの事を少しだけ怖いと思ってしまったが、それは俺に危機感がないからだろうか。
ただ、そうだとしてもだ。
「無事平穏に終わってほしいと願って悪いか。そっちのほうがいいだろうよ」
嬉々として話し合う三人に目を向ける。なんだか皆、おかしい気がするんだ。
「四肢を切断してやるのが一番ね」
「ですね。足を奪っていたぶりましょう」
「相手の動きをふさいだら三段階に分けて攻撃。あたしが一番、カゲノイが二番目、リルマが止めを刺す。いい?」
すでにやる気満々であの美紀ですら積極的に二人と作戦を練っていた。
「あいつらさ、本気でやるつもりじゃないの?」
「違うさ、あれは辛気臭い俺を元気づけるためにやってくれてるんだよ」
「それ、本当?」
「……たぶんな」
演技だよな。緻密な作戦を組み立てている三人組を見て俺は心の中で問いかけてみた。
「演技ですよ」
とてもいい笑顔で白井が答えてくれた。まさか、心の声に答えてくるとは。
「……頼むぞ、本当に。イザベルの考えに兄貴の無事がかかってる」
「わかった、もう少しだけ考えてみる」
三人のどこか昏い笑顔を見て、ようやくイザベルも首を縦に振ってくれたのだった。




