第六十三話:意外な優しさ
喫茶店を出た後、裕二と別れて俺は次の待ち合わせの場所へと向かった。もっとも、待ち合わせの時間にはまだ余裕がある。相手より遅くならないようにという配慮と、ちょっと考え事をしたかったためでもあるわけだが、意外な事に待ち人は既にいた。
「遅い。お前、私を待たせるなんていい度胸ね」
「まさか四十分も前に来ているとは思わなかった」
ぼろぼろの衣服の上にこれまたずたずたなコートを羽織った美紀を見つけた。ジョナサン・ブラックを見事に退けたものの、服は大変な事になったようだ。
俺が裕二を公園で解放した後、本当は二人で祝勝会をするつもりだったが逃げられた。追撃をしに行くと言ってたっけ。時折近況を報告するメッセージがスマホに届いていたりした。何でも、隣町まで移動しつつ、その場の影食いと連携をしていたそうな。
「ジョナサンは結局どうなったんだ?」
「……さぁね。逃げられたけれどかなりの深手を負わせてやった。ここが日本だということを叩き込んでやったわ」
日本だという事を叩き込むってどうやるんだろ。サムライ魂?
「三か月はホームシックでしょうね」
どういうことかさっぱりわからないが、少しの間は平和になるようだ。
「それで、私を呼び出した理由は?」
身なりは気にしていないのか、割とさっきから注目を集めまくっている。まぁ、ぼろぼろだしなぁ。
「今日、カウントダウンのイベントにみんなで行こうって誘ったろ?」
「うん、それは聞いた」
「でも、美紀の服は今凄い状況だ。それで行くつもりかよ」
俺は人差し指を立ててみせる。
「うん、知ってる。参加するなって?」
「そんなわけあるかっての」
人差し指で鼻をつつこうとすると噛みつかれた。
「いてぇ」
「自業自得」
くじけるな、右記啓輔。ピンチの時にこそ、チャンスがある。
「美紀ちゃんの唾液と歯形をもらえたと解釈。ご、ご褒美だと思おうじゃないか」
「……気持ち悪っ」
心底反吐が出そうだというような顔をされた。
ああ、俺も失敗だと思ったよ。
「ちゃん付けで呼ぶなっての」
「そっちか」
こいつもずれてる時がある。どんな人間も実際に話したり、近づいてみないとわからない。それでいて、本当に理解したとは言いづらく、おそらく他人を本当に理解できる日が来る事はない。
哲学チックな事を考えていると、美紀が一つ静かにため息をついた。どこか優しげなのが勘違いされていそうで怖い。
「ま、いいわ。あんたの新しい趣味がわかったから良しとする。歯形を残されたり、他人の体液を付着されると喜ぶのね」
違うと言いたいが、話が進まなさそうなのでもうそれでいいとしよう。多少嫌われたところで問題はない。
「私に叩かれるのが好きで、噛みつかれるのもオーケー。あんた、悪くない趣味してるわ」
おかしい、褒められたぞ。
「それで、用事は?」
「呼び出した理由は感謝のしるしとして、服を買いに行こうと思ったんだ」
「……別に、そんなのいいわよ。服もちゃんと別の物を着てくるから」
「ま、そういうな。知り合いの店に連れて行ってやるから……」
「あんたが選ぶの?」
「なぁに、センスある人が選ぶから安心しろよ」
そういって俺は美紀の手をつかんだ。
「あっ、ちょっとこら」
「こっちだ。ついてきてくれ。絶対に逃がさないからな?」
本気で抵抗すれば手を放そうかと思ったが、引っ張って歩いていると素直についてきてくれた。顔を見ようとしたら足を蹴られる。
「いてっ」
「こっち、見るな」
そうだな、服もボロボロだしあまり見られたくないか。さっきはそうでもなかったんだがどうしたんだろうか。
おとなしく俺が引っ張る構図が目的地まで続く。
「いらっしゃい、待ってたわよん」
「……誰よ、これ」
少し離れた場所にあるお店。そこがブティック本郷だ。ちなみに、店主の名前も本郷さんというおじさんが経営している。
「んもう、啓輔ちゃんが女の子を連れてくるなんていうんだから着飾ったわ。変な格好はできないもんね」
花柄のワンピースに、胸元の空いたシャツ……立派な谷間を、筋肉ですりおろされそうな谷間が形成されている。腕なんて俺の胴体ぐらいの太さがあるからな。ああ、間違えた。胴体じゃなくて太ももだったな。もし、胴体だったら素手で灰色熊が倒せるかもしれない。
「啓輔、お前……」
大学の美術の時間に知ったが、地獄にはコキュートスって冷たい場所があるらしい。美紀の今の表情はたぶんそれに近いほど、冷えていた。
「いや、ふざけて連れてきたわけじゃないぞ。センスは、センスはいいんだっ」
花柄のワンピースはたぶんおふざけだ。この人に似あう服装と言ったら迷彩柄を上下でせめて頭にはヘルメット、暗視スコープに背後には装備の詰まったリュックサックが最高だろう。
「そうよ、あたしに全てをゆだねなさい」
「ひっ」
俺の手をしっかりと握りしめ、背後に隠れる。か、可愛い……。
「しっかし、お化粧したら本当に変わりそうな子ね。平凡で地味だけれど、きらりと光るものがあるわ。ほら、こっちが試着室よ」
あっさりと俺の背後に回り込んで繋いでいた手を離される。
「あ、ちょっと……気安く触んな」
本郷さんに連れて行かれた美紀を見送ったとき、視線を感じた。
「……気のせいかな」
しかし、あたりを見ても誰もいないようだ。
それから二十分ほど経過し、全然違う美紀が出てきた。もっとかかると思っていたが、本郷さん(ちなみに下の名前は忠志さん)が選んでくるものはどれも美紀の好みを得ていたようだ。
「ほら、しゃきっとして。せっかく可愛くなったんだから胸をはりなさい」
「いたっ、叩くなゴリラ」
本郷さんをゴリラと呼ぶことにしたらしい。うん、いいことだと思うよ。俺も動物のゴリラ好きだし。ゴリラってあだ名のあのキャラクターも好きだから。
ちなみに、化け物とかいうと大変なことになる。裕二はこの店に二度と来ることはないだろうし、宗也もぽろっとおっさんと言ってしまい折檻された。その後は二人とも尻尾を巻いて逃げ出すレベルだ。
「こ、この僕が本気になっても勝てないって、相手にすらならないって……こいつ、何者なんだ」
「力があろうと慢心があっては相手には勝てないわよん。うふふ、今日は可愛がって、あ・げ・る」
「ぎゃああああっ」
宗也は生まれて初めて、敗北を喫したそうだ。
リルマの時はそうでもなかったな。ここで瑠璃ちゃんに変貌を遂げたのだから、普通に感謝していた気がする。ごく普通に接し、ごく普通に俺が会計を済ませ、何の面白みもなかった。
「ちょっと、啓輔。なにぼうっとしてんの?」
「いてっ」
現実に引き戻されると美紀が可愛かった。白色のセーターに、茶色のスカート、コートも新調されて服に合わせたものとなっている。
「よく似合ってる。可愛いよ」
「……うっさい、いちいち感想言うな」
「照れちゃって、うふっ。素直に慣れないところがお子様っぽいけれどそう言うところもいいのよねぇん」
本郷さんはそういってがははと笑っている。豪快な笑い方だ。よく近所の赤ん坊があの笑いを見ただけで泣く、いいや、泣き叫ぶらしい。
「あ、ちなみに啓輔ちゃん、これが請求書ね」
「あー、どもども……えと……」
予算をいい感じにオーバー。
「それでも、お勉強させてもらったのよん。コートは特別な素材で作られているからそう易々と切れないし、貫通しないから安心して」
なんだろう、今物騒な説明をされた気がする。おかしい、俺は美紀に似合うのをお願いしますと頼んだのに別の意味でとってないかね。
「やっぱり、あまり怪我をしちゃうところ見たくないでしょ?」
「まぁ、はい。よくわかんないけどありがとうございます……」
来年の福袋は諦めたほうが良さそうだ。
「……うん、素材も丈夫だし、いいかも」
でもまぁ、レジ近くにある鏡で前や後ろを気にする美紀はかわいかった。この金額を払っても惜しくないと思ってしまう。
うん、あれだな。よく脳内に刻んでおこう。
美紀の方を見ると、目があった。一気に美紀の顔が真っ赤になる。
「な、何よ。あんたが勝手に買ったんだから、お礼何て、絶対に言わないんだから」
そういって、首が折れるんじゃないかという勢いで顔をそむけられた。素直に慣れないお年頃ってやつかねぇ。
「もぅ、そうツンツンしちゃだぁめ。啓輔ちゃん、訳してあげるわねん。めっちゃ感謝してるわってこの子は言っているの」
本郷さん、おっさん声で再生されるからやめて。
「ほぉら、ちゃんとあんたの言葉でありがとうって言いなさいな」
背中をはたかれ、美紀は凄味を聞かせて睨み付けたが、本郷さんはどこ吹く風だ。
「ぜーったいに……」
ここで美紀と目があった。
「くっ……」
歯を食いしばって何かを耐えている。
「葛藤しているわねぇ」
「……服の感謝はしないっ」
そして、ツンツンが勝ってしまったらしい。本郷さんもちょっと残念そうだった。
「でもっ」
しかし、続きがあるらしい。
「似合ってるって言ってくれて、ありがとう。……ちょっとだけ、嬉しかった」
そういってさっきとはまた別の方向へ首を思いっきり捻ってそっぽを向いた。
「素直じゃないわねぇ」
「充分ですよ。美紀の年齢を考えると、素直な方じゃないですか?」
「その上から目線なのがむかつくっ」
美紀は思いっきりこっちを睨んでいる。そんなに可愛く睨んでもちっとも怖くないぞ。
「似合ってるよ」
「……ふんっ」
俺は首をすくめて、存分に美紀の姿を脳内に刻み込むことにした。




