第五話:友に紛れて近づく気配
「ぽっちゃり系だろうなぁ」
待ち合わせ場所は駅前の喫茶店。約束の時刻は午後二時、俺はそれよりも前に喫茶店の中で待機していた。
意中の女の子との待ち合わせは三十分前にはついているように心がけていた。もっとも、特定の相手はもういないがな。
「……はぁ」
そこで思い出すのはあの金髪。一度しか見ていないのに、顔や背丈、果てはスタイルなんかも脳裏にばっちり思い描ける。
こんなことは生まれて初めてで、妙なことだった。まるで思い出が侵食されている。彼女のことを思い出そうとすると、金髪の女の子が付随してくる。
恐怖は楽しい思い出よりも強く人の心に根付くってことかね。
「……まぁ、悪くないスタイルだった」
もちろん、スタイルばっかり眼がいっていたのなら俺がスケベだと言うことになる。いや、スケベだけれども変態的なスケベさになるだろう。しかし、あの子に対しての怖さのほうが先に来る。あの怖さを例えるならそうだな、耳の穴からナメクジが入り込んでくるような感じだ。
「……なんでだろうなぁ」
それだけあの金髪の女の子は衝撃的だった。心の根っこに蝕む恐怖、その具現者と言ってもいい気がする。
あの子を探そうとは思わないし、また会いたいと言うわけでもない。このまま死ぬまであの金髪は俺の頭の中から消えてくれないのだろう、耳の穴から入り込んだナメクジのように。
まるで、目があった瞬間に俺の心の中へあの金髪が入り込んだみたいだ。そんなバカげた話、あるわけないのに。
あれを克服しなければ俺はいつか自分の妄想のせいで狂うんじゃないかと思ったりもする。それもまた自分の思い込みに過ぎないが。
これも充分、行き過ぎた考えなのは理解しているがね。恐怖は消えた、あの子に付きまとわれているわけでもない、あれ以降あの子を見ていないので完全に俺の独り相撲だ。考えるだけ、無駄な話。
「あの、すみません。九頭竜蛍です」
ぼさっとしていた俺の近くで、そんな声が聞こえてきた。気づけば待ち合わせの時間になっていたようだ。
「え、あ、はい?」
顔をあげた俺の先に居たのは、どこかで見た黒髪の少女だった。
「えっと、君が九頭竜、蛍ちゃん? 宗也の妹さんだよね?」
「はい」
うわ、全然、似てねぇ。かなりの上玉じゃないか。
育ちのよさそうな雰囲気に、俺より低い身長、守ってあげたい系だ。
思わず口に出しそうになった言葉を飲み込んで、代わりに比較対象が居ないことを話に出すことにした。
「ところで宗也は?」
「私一人です。兄さんはネットゲームが忙しいとのことで……イベントがどうとか言っていました」
俺たちの間に妙な沈黙が訪れる。いや、ゲームが忙しいって。
嘘、何それ。てっきり、宗也も来るもんだと思っていた。妹燃えだと聞いていただけに肩透かしもいいところだ。せっかく比べて似ているところを見つけてやろうと思ったのに。
さて、こりゃどうしたものか。宗也を架け橋にしようと考えていただけに、何を話していいのか、さっぱり分からない。この場にいない以上、宗也の話をするのも場違いだし、俺と会いたいと言ってきたのは目の前の少女なのだ。
そもそも、なぜ俺に会いたかったのかすらわかっていない。俺がもっと臆病なら、あの金髪が宗也の妹なんじゃないかとビビって会わなかった。
「えーっと、何か頼む?」
俺は場をつなぐためにメニューを手渡した。
「あ、は、はい」
相手は多少、緊張しているらしい。俺は軽くふざけてコーヒーのカップを必要以上に震わせながら持ち上げる。
「だ、大丈夫ですか?」
「かかかかか、かわいい子が来たからついびびっちまって。いやぁ、本当緊張するね」
「そうですか?」
「そうです。俺の周りは変なのばっかりでね」
俺の中での人付き合いのイメージは、まっとうな仲良しというイメージがあまりない。特に、俺と仲の良い連中だとそう思ってしまう。青木なんてこの前、揚げ足取るの大好きって公言してたからな。そんなことしていたらいつか友達をなくすぞ。
「友達に悪いですよ」
「事実だから、ま、でもそういうのがいるからこそ、蛍ちゃんみたいな女の子を見ると輝くんだよ」
おどけた表情を見せると相手は軽く笑っていた。笑えるのなら相手も大して緊張していないようだ。
それから数分後に彼女は紅茶を、俺はコーヒーのお代わりを注文した。
「あのさ、一応確認したいんだけれど……本当に蛍ちゃんが俺に会いたいって言ったの?」
「はい。そうです」
綺麗な顔立ちの子だな。別にときめくわけじゃないが、一緒にいて気持ちが得するタイプだ。見た感じ、落ち着いていて清楚。薄い化粧をしているからか、実年齢より大人びている。
服装も白色を基調としたものに上からデニム生地のジャケットを羽織っていて、良家のお嬢様が軽く変装しましたというイメージが湧いてきた。
これ、本当に宗也の妹さんかよ。とてもじゃないが、ジャージは運動するのに至高である。よってジャージが最高の選択肢っていう奴の妹とは思えないよ。
家にいる時はアニメキャラのプリントされたものか、曜日ごとで月曜日と書かれたシャツを着ていたかな。あいつの下は、確か大体トランクスだったよ。
注文後、俺はどんなふうに話を進めるか考えていた。しかし、向こうの方が早かった。
「その、この前はごめんなさい」
いきなり頭を下げられた。何事かと周りの客が俺たちを見ていた。
「え、何の事?」
「駅前で、その、失恋されたところを友達と見かけたんです。私の友達二人が啓輔さんのことを笑ってしまって……」
そのとき俺はようやく思い出した。目の前の人物はあの時俺のことを馬鹿にした金髪の連れだったのだ。薄く化粧をしていたためか、はたまたあの時金髪のことが強過ぎた為か思い出せなかった。
無関係だったはずの金髪と、俺をつなげる橋がかけられた気がした。奴とはまた近々会う。何故だか、そう思った。
「ああ、あれね……気にしなくていいよ」
店内の落ち着いたBGMに何故か薄ら寒さを覚える。近々ではなく、もうすぐそこまで恐怖は迫っているのかもしれない。その恐怖を例えるのなら芋虫が回転しながら迫ってくる感じ……想像したけど今一つ怖さが伝わらない気がする。
ふと、誰かに見られた気がした。俺はあたりを見渡したものの、誰かがいるわけでもない。今いる客の中に、変装か何かで紛れ込んでいれば俺はわからない。そんな面倒なこと、するはずないのに。
視線を戻すと目の前の少女が上目づかいで俺を見ていた。
「あのぅ……」
この後の展開がなんとなく分かった気がした。さっきまであった俺の心の余裕は消えている。
蛍ちゃんが、次に言う言葉は、あの金髪と会って欲しい。多分、これだ。
「リルマちゃんが、啓輔さんに会いたいとのことです」
「……リルマ?」
「この前笑ってしまった事に対して謝罪をしたいそうです」
ここで彼女はフォローするためか、はたまた天然で言ったのかは分からないが、言葉を続ける。
「……普段は真面目な人なので、魔が差したんだと思います。今回のことは本当に心の底から悪いと思ったみたいです。だから、あの子が謝った場合、許してあげて欲しいんです」
そのリルマという人物はよほど俺を笑ったことが心残りらしい。額面通りに受け取れば実に心根の優しい子のようだ。
もしくは、何か気になることがあったのだろう。
俺はあの子に恐怖を感じ、あの子はたぶん俺に違和感を覚えた。それを確かめたいのだ。おそらく、青木と一緒に逃げた俺の背中も見当ついたはず。芋虫だってそのうち転がって俺に襲い掛かってくるかもしれない。
「そ、そうなんだね。へぇ……」
この喫茶店、冷房が効きすぎじゃないだろうか。
心に根ざした恐怖に揺さぶられ、冷や汗をかく。やはり、この場所にあいつが来るんじゃないのか。すでに、どこかの席に座っているんじゃないのか。
「あの、具合が悪そうですけど」
「……大丈夫」
恐怖に潰されそうだった。
それでも俺は出来るだけ優しく笑ってみせるしかない。それだけの余裕はまだあり、いちど青木でやらかしてしまっている。
日常を過ごしていたはずなのに、いつの間にか非日常が俺の近くに迫っていたんだ。普通とは違う体験ができるが、今回の場合、俺にマイナスしかなさそうだ。
人は追い詰められた時、本性を見せると聞いた。単純に追い詰められるのであれば、やはり恐怖体験が一番じゃないだろうか。
「やっぱり、許せませんか?」
俺の態度を拒絶と見たらしい。少しだけ悲しそうに目を伏せている。
「き、気にしなくてもいいよ。こうやって会って蛍ちゃんが謝ってくれたんだ。それに、あいつとの出来事は俺のなかで終わったことだからね」
そもそも、謝りたいのなら、何故、一緒に来なかったのだろう。
何か裏があるんじゃないか、そう思えてしまった。変な話だ。ただ、謝罪するだけなら、裏なんてあるわけないのに。
「よかった。啓輔さんがやっぱり優しい人で」
「え?」
「実は学園に啓輔さんが通っていたときに私達って会っていたんですよ」
件のリルマの話には行かず、蛍ちゃんと俺が学園にいたころ会ったことがある話に変わっていた。当然、それに乗っかることにした。
「へぇ、そうなんだ。それは知らなかった」
心に描いていた妄想の恐怖を振り払い、ゆっくりと呼吸をする。
「そのとき、図書館で私、受付をしていたんです。ちょっとその時にほかの生徒ともめていて、啓祐さんが仲裁してくれました」
そういわれても記憶になかった。もうとっくに忘れてしまっている。
「帰り際、彼女さんと一緒に歩いていて、あのとき、お二人を見てああ、理想のカップルなんだなって思っていました」
「んぐっ、そ、そうなの?」
コーヒーで咳き込みそうになるのをこらえて、俺は目の前の人物を見た。別れた相手のことを言われるのは妙な感じだった。
「はいっ」
てっきり俺に想いを馳せてくれていた後輩かと思ったらそうじゃないらしい。彼女が今回謝罪してきた気持ちも少しは分かる気がした。
「はは、言い切ったねぇ……ま、いいや」
「その、失礼ですけど未練とかは……?」
彼女にとって理想であったカップルの終わり。興味が出るのは致し方ないか。
「未練は全くないね」
「はっきりしているんですね」
ない、というよりも、何かに持っていかれたのだ。そして、恐怖で塗りつぶされた。長く過ごした時間をも越える不思議な恐怖感。
妙なことだ。恐怖で吹き飛んだというわけではなく、置換されたと言っていい。
それから俺と蛍ちゃんはとりとめのない話をして気づけば長居していた。
俺は念のため、もう一度伝えておくことにした。
「リルマさんって人に謝罪しなくてもいいと伝えておいて欲しい。俺は気にしてないって」
釘は刺しておくものだ。余計な気遣いをされて、変なところで登場して欲しくない。
「はい。分かりました」
蛍ちゃんと別れ、俺は家に帰ることにした。
危機を未然に回避できた。何故だかその気持ちだけが強く残る。
「あの金髪、リルマっていうのか……変わった名前だな」
あの時、あの場にいたのは三人だ。黒髪の蛍ちゃんと、茶髪と金髪。茶髪の子のほうかもしれないのに、金髪がリルマだと確信した。




