第四十話:それでも彼は
美空の魔の手から逃げだせたのは良かったが、あれだ。
「……これじゃ、逃げられねぇ」
窓の外を見て何階にいるのか理解した。四階だ。ここが一階なら窓から飛び出して華麗に逃げているのだが、あいにくこの高さだと体液ぶちまけて終わりそうだ。
元が病院だっただけにおかしな仕掛けなどはなく、足元に多少の違和感は覚えたものの影なんかも湧いたりはしない。しかし、残念ながら何か大きな機械が廊下の踊り場に設置してあって階段から移動ができない。途中、エレベーターもあったが当然作動していなかった。非常口も巨大な装置が設置してある。
目の前に壁が出来た以上、男なら壊して進むほかない。
「ふっ、ふにゅにゅにゅっ……」
さっそく廊下踊り場の機械を押してみたが、びくともしなかった。
「あぁ、こんな時のために筋トレをしておけば良かった」
階段は目の前なのに、迂回しなくてはいけないようだ。
「くそぅ」
[啓輔さん]
スマホから声がして、耳に押し当てる。画面にヒビがはいっているものの、声は聞こえてきた。
「白井か、さっき、影食いされたけど大丈夫だったか」
「かなり危ない状況でしたが大丈夫です。もう少し安定したらカゲノイとしての力も使えるかもしれませんし」
もし、美空に吸われていたらどうなっていたのだろう。今度は美空の中に入り込んだりするのだろうか。
「なぁ、カゲノイの力が使えたらこの機械を動かせそうか?」
拳骨で数度機械の表面を叩いてみる。
無機質な音が廊下に響くが、どこからか聞こえてくる打撃音にかき消されてしまう。
「それをどかしたとしても、次の踊り場のところにもどうやら障害物があるようですね」
「うぁ、マジか」
これでは逃げられない。
「さっきの部屋に戻りましょう。あの二人を止めさせるか、決着をつけて早く出ないと。この西棟は床が崩れ落ちるかもしれません」
「いっ、マジかよ。どうしてわかる?」
「この場所の事、知ってますから。それに、この前まで私は東棟を使用していました。この廊下、足場が脆い場所もあるので気をつけて……リルマさんが居れば、とりあえず脱出は出来ます」
彼女がここに詳しいことに対して疑問がわいた。まぁ、よく考えてみれば俺をここに拉致ったぐらいだから下調べをしているのだろう。その点、美空は開いている場所を適当に選んだんだろうな。現地調査はちゃんとしないといけない。
「……そうか」
結局、この高さから逃げるのなら階段や窓からにもリルマの力が必要らしい。
「でも、部屋に戻ってどうするんだ。美空美紀がいるぞ。説得しようにもあの様子だと何か目的を遂行するまで戦いそうだ」
あの部屋に戻る。影食いの戦いに巻き込まれるのがオチだ。それに、リルマが下手をすると全力出せない気がするし、俺がまた人質になる可能性もある。
「カゲノイの力で、リルマさんをサポートしましょう」
弱気になっていた俺の耳に、白井の落ち着いた声が響いてきた。
「え、俺が?」
俺の中に眠る、カゲノイの力が目を覚ます時がやってきたようだ。
今こそ覚醒の時、俺の中で何かが弾けた気がした。
「よし、なんだかやれる気がしてきた。俺、頑張るよ」
「わたしの力を使いますから啓輔さんは安心してください」
「あ、そう……」
俺の覚醒シーンは今後、来るんだろうか。
「でもさ、俺の中にいるんだろ?」
「確かに私は今、貴方の影ですが……良くはわかりませんが、多少の力は使えます。むしろ、繊細な操作も出来るんじゃないかと自信が湧いてきています」
常識から外れた影食いの争いに、俺が戻る。下手をすると、大怪我をするかもしれない。
へたれと言ってくれて構わない。いざ、巻き込まれるとなると足が前に出なかった。
「危険な相手ですので、戻るかどうかの判断は啓輔さんに任せます」
リルマが戦っている中、俺は言われるとおりに逃げ出してきたわけだ。リルマの相棒だなんだと言って逃げられるときには逃げる。
人間の本質とは、何かの影響で危機的状況に陥った際に垣間見える。あの時は確かに逃げた。リルマの邪魔になるかもしれないからな。
だが、今は違う。今は、カゲノイの白井が力を貸してくれると言う。俺にはまだ、立ち向かうチャンスが残されている。
「あ、そうだ、カゲノイの力を使ってこの病院から脱出すれば……」
「ちなみに、廊下の隅っこで縮こまって震えて時間を過ごした場合や、私の力を使って逃げようなんて言った場合は啓輔さんを軽蔑します」
「やめて、俺の中から俺を軽蔑するのは」
結局逃げることは叶わない。せめて、リルマの相棒だと名乗るのなら一緒に居るべきだ。
「……わかった。ある程度作戦をたてて戻ろう」
「作戦ですか」
「ああ、カゲノイの力を使うって言っても影を操るのが精いっぱいだろ。相手は影食いだからな。影だけだとあっという間にやられちまう」
「確かに、足止めぐらいがやっとでしょうねぇ」
数十秒、俺は白井にある作戦を提案し、悪くない意見をもらった。即席ながら、悪くはなさそうだ。
「んじゃ、あとは流れでよろしく」
「わかりました」
白井の力を信じ、俺は勇ましく元の部屋へと戻ることにした。
「足が震えてますよ」
「武者震いだ」
部屋に戻ると、美空がリルマを吹き飛ばしているのが見えた。
「くうっ……」
数秒後には間合いを取って膝を着くリルマと、多少、息を上げているものの元気な美空美紀の姿があった。このまま放っておけば決着はリルマの敗北でつきそうだった。
二人の争いで部屋の壁は切られていたり、穴が増えていたりする。この部屋も終わりが近い。
「へぇ、威勢がいいのは最初だけ? もう終わり? それならそれでもいいんだけど?」
多少息は上がっているが、美空の方がやはり一枚上手のようだ。リルマの方は明らかに披露している。
「て……手加減よ、手加減っ。私が本気出したらこの病院、壊れるから」
ただ、まだ心はくじけていないらしい。リルマはこんなにも頑張っていると言うのに、俺はというと逃げようとしていた。
「……リルマ、加勢しに来たぜ」
俺がリルマの脇に立つと相対する敵、美空美紀は喉を鳴らして笑っていた。
「何、二対一? 別にかまわないけど……あんたで戦力になるの? 下手に怪我して終わりでしょ」
「人数を間違えている。三対一だ」
この部屋には四人いる。俺とリルマ、美空美紀、そして白井海だ。
数で相手を押すっていうのは何だか悪い気もするが、俺らは正義の味方じゃない。
「啓輔……逃げなさいよ。あんたを間違って突き飛ばしたりして窓から落ちたら……どうするの?」
息を整えたリルマは立ち上がり、俺を心配してくれている。
「逃げられなかった」
「え?」
「だから、戻ってきた」
少しふらつくリルマに寄り添い、俺はため息をつく。
「逃げるのにも俺はリルマがいないと駄目らしいんだ。だから、出る時は一緒に出ようぜ、相棒?」
「脱出も影食い任せ? ああ、やだやだ。前に出ず、後ろに下がっていればいいのにね」
俺を攫ったのはあんただろうに。
「だからお前を倒して、脱出することにした」
俺は美空を睨みつける。
「ふんっ、強い目していても力が伴ってないと意味がないのよ」
相手は俺の睨みにもひるみはしない。
「やって見なけりゃわからないだろ」
「愚図ね。そっちの影食いならまだしも、たかだか一般人が……」
「言ったろ。こっちは二人じゃない、三人だってな」
「さっきの影食いで頭が壊れちゃったかしら? やめときなさい、怪我するから」
美空は遠慮なく馬鹿にした目で俺を見る。像がありを見るような目だった。いや、像さんはそんな事をしないはずだ。
「……悪いワニさんめ! 懲らしめてやる」
「は?」
む、これだとワニさんに対して悪意ある表現になってしまい動物内での人気が下がってしまうのではないか。
「白井、頼む」
スマホに耳を当て、協力を要請した。口上はちゃんと考えておくべきだったか。
「わかりました、行きますよっ」
夕暮れ時を過ぎて、辺りは闇で満たされている。かすかな闇から人の形をした影が床からうまれ始めた。それらは全て、白井の意思で動く。
「へぇ、カゲノイの力が使えるんだ?」
「どうだ、驚いたか。ちなみに俺は想像以上で驚いた」
「私もですよ。理屈は分かりませんが、いくらでも行けそうです」
傍から見ると、俺が使っているようにも見える。凄さで言うと自由研究をパパがやってくれるレベルだ。
「馬鹿ね。私らがなんで影食いって呼ばれているのかも知らないの?」
俺を嘲笑するかのように右手を振る。たったそれだけでさっき出来た影はあっさりと消された。影食いと影と呼ばれる存在の関係性。一瞬しか時間は稼げず、その一瞬で隙を突こうにも疲労したリルマでは難しいだろう。
「そんなこと知ってるさ」
影は無数に生み出され、その何体かはこっちにやってきて、俺の目から中へと入っていった。俺の中に入り込むたび、気味の悪い感覚を覚える。まるで粘性の高い目薬を差している気分だ。
それを何度も続けると、俺の耳から、鼻から目から影が溢れ始める。あの時と同じように、目は見えなくなった。
「リルマ、俺に影食いをしてくれ」
「え?」
「影食いしたら強くなれるんだろ? さっきあいつが言ってたんだ。白井が時間を稼いでくれるから早くしてくれ」
「そうね……でも、いいの? 影食い、痛いでしょ?」
この期に及んでそんな事で躊躇するリルマがどこかおかしかった。
「おいおい、その程度俺たちが勝つためなら我慢するだろ」
「啓輔……」
「ただ、ちょっとだけでいいから優しくしてくれよ。あと、白井を吸い取らないようにな」
俺の声は震えていたかもしれない。多少の痛みじゃなく、身を切るような痛さだ。でも、これを乗り越えないとこちらに勝ちはない。乗り越えたとしても、絶対に勝てる保証はないんだが、試す価値がある以上、試さず負けるなんて嫌じゃないか。
「わかった」
左手を影にすると、俺の目へと近づける。食われることへの恐怖が、俺の心臓を早く打たせた。おかしなテンションにしておかなきゃ、逃げ出しちまいそうだから。
リルマに出会ったとき、やはり俺は怖かった。影を食われることへのカゲノイの記憶が血として俺の中に眠っていたからかもしれない。もちろん、これはただのくだらない俺の妄想だと思う。
「いくわよ、啓輔」
「ああ」
「面倒なことを……そうそうさせるかっ」
「邪魔をするのは野暮ってものですよ、影食いの美空さん」
「邪魔するなっ」
何十体と生まれる影の相手をしながら美空美紀は少しだけ焦っているようだ。白井がうまくそこらの物をタイミングよく放り投げたりして押さえているらしい。
だが、もう遅い。歯を食いしばって影食いを耐えた俺を褒めてあげたい。
「……美空美紀、私に喧嘩を売ったこと、後悔しなさいっ」
リルマの右手には濃く、そして見た者を惑わす妖しい影の刀が生まれた。
「これで終わりにしてあげるっ」
「勝ってもないのに、ふざけ……っ」
突きをぎりぎりで交わそうとした美空美紀は、突如として伸びた刀を交わすことが出来ず食らっていた。
美空美紀に突き刺さったように見えた刀だったが、彼女の篭手を消し飛ばし、そのまま弾き飛ばしたのだ。
「ぐうっ」
壁にたたきつけられ、そして美空美紀は床に落ちて動かなくなる。壁にはひびが入り、砕けてしまった。
美紀は立ち上がらず、辺りは静かになった。
「……やったか?」
「ええ、やったわよ」
美空美紀は結局立ち上がらなかった。眉も動かない。
「ふぅ、終わりね」
美紀が壁にぶつかったときの衝撃は大きく、地響きを感じた。さすがに、やりすぎたのではないかと思ってくる。
「み、美空美紀?」
呼びかけても彼女は動かなかった。
「え、し、死んじゃったのか? やっちまったのか」
影食いの痛みが止まったので、俺はリルマを見る。
「さ、さぁ? 手加減はしたわよ」
「拳銃を相手のこめかみでぶっ放して、手加減しましたって言われてもそれは……」
白井の声もどこか引いている感じがする。
「いや、生きてるって」
恐る恐る近づき、リルマは影の刀で肩辺りをつつき始める。そのとき、相手がかすかに動いた。
「ぐ、ぐぅ……私が、負けるなんてぇ……」
「よかった、生きてる」
ほっとする俺の頭をリルマが刀で軽くたたいてくる。
「だから、手加減したってば」
「おい、やめろ。力加減間違えたら俺の首がぽろっと行くだろ」
「ちょっとしたスキンシップじゃない」
「ま、何事もなくてよかった」
全員が大きな怪我をすることなく、そのことに改めてほっとしつつ、脱出しようとした時だった。地面が揺れていた。
「あれ、地震? 良かった、影食いとかしている最中に来なくて」
「本当だな、はは」
「違いますっ」
スマホから焦った白井の声が聞こえてくる。
「……この病院、今の一撃で崩壊しますよっ」
白井の声を聞いて、俺達は暗がりにいながらお互いの顔が青ざめたのを理解した。
「どうしよう、リルマが本気を出したから本当に病院が壊れるなんて……」
「啓輔、あれはね、はったりだから。私が本気出しても壊れないから」
「え? そうなのか? でも、六割ぐらいは本気だったろ? リルマならやろうと思えば出来ちゃうんだろ?」
六割の本気ってちょっとおかしいな。
「ま、まぁね。私が本当に本気出したら楽に壊せるわよ」
「だな。お前はやれば出来る子だ。現に、今回も無事に啓輔を助けて見せたんだし」
今日ぐらいはいいかな。少しおだてて調子に乗らせてあげよう。
「十割出しちゃったら町が木っ端みじん? さすがリルマだな」
「ええ、そうね、私にかかれば楽勝よ。どんな相手もかかってきなさい」
そういって胸をそらす。立派なそれが揺れていた。
「のんびりしてないで早く逃げましょう! 勝利の余韻に浸っている場合じゃありませんよ」
「……そうね」
「……そうだったな」
白井の言葉に賛同し、俺たちは崩壊を始める病院から脱出するのだった。




