第二十三話:埋められない距離感
白い女との邂逅から早くて二週間が経った。幸運なことに問題は起きていない。夜の外出を控えれば一切面倒事にも巻き込まれないことも証明された。
四方を壁に囲まれた家の中、最強。宗也も何かから逃げたくて、部屋に逃げ込んでいるのかもしれないな。
基本的に夜中にうろつく影食い行為もリルマ一人がやっている。
ついでにあの白い女を探してみると言っていた。影を使用するときの波長のようなものを感じないと言ったので、どこかに隠れているのだろうか。
そうこうするうちに夏休みも終わり、今日から大学は平常運転。後期の講義が始まった。さすがに、引きこもっているわけにもいかない。あの白い女が俺に対して興味を失っていることを祈ろうじゃないか。
「夏場はよかったよな。薄着の姉ちゃん達が拝めたのに」
「ああ、そうだな。そこはちょっと同意するわ」
裕二の言葉に俺は素直に頷いた。良く考えてみたらそのとき、俺には彼女がいたわけで、目移りする必要はなかったんだけどな。
「聞いた話によると全て元カノと被らないように時間割を調整したとか?」
下世話な顔をした友人の顔程、見たくないものはない。
「……まぁ、な」
「理由は?」
「理由は……ご想像にお任せする」
「安心しろよ、俺はこれ以上突っ込まないから」
満面の笑みを浮かべてくる。軽くいらっとした。
「そうか、ありがとう。どうせなら聞いてすら欲しくなかった」
元彼女と時間割をずらした理由はリルマから言われたからだ。昔の女と会ったりするのは絶対に許さないなんて、当然そう言ったドロドロしそうなことでもない。そもそも俺とリルマはそういう仲じゃない。
補足すると、お前の元彼女がカゲノイの可能性も充分ありえると言われた。付き合っていたからカゲノイの匂いがうつったのではないか、と言うもの。
よって、元彼女にも近づくなと言うわけだ。知識方面に対しては若干の懸念が残るものの、こちらも素人、それならリルマの言うとおりにすべきだろう。
元からすみれに連絡するつもりもなかったし、何を話せばいいのかわからないので、出来ればこちらも顔を見たくない。時間割変更がぎりぎり効くときに変更出来てよかったと思う。なお、すみれの時間割は闇ルートから仕入れた。
すみれがカゲノイならそれはそれで問題があるんじゃねと思っていたが、この前であった白い女性こそがカゲノイだとリルマに告げられたときは杞憂に終わってほっとしたもんだ。
俺にも多少なりと影は寄ってくるが、リルマが言っていた影の多さは結局のところカゲノイであるあの女がこの町に居ついたからとの予想だ。つまるところ、すみれはシロで、俺が他の人より少し影を引き寄せやすいってだけってことになる。
ま、すみれに会いたくはないのでこれはこれでいいんだ。すれみのことは置いとこう。あまり連呼していると顔をあわせるかもしれない。
あの白い女がカゲノイという理由はリルマの直感と影を使役していたこと、そして後々一人でおこなった調査が判断材料とのこと。カゲノイだろうとなんだろうと、普通じゃないのは確かだった。
「あんたってば重箱の隅をつついてくるようなことしそうだから、これだけ材料が揃えば文句ないでしょ?」
「んー、そこまでってわけじゃないけどな」
ついでにリルマがいない場合に遭遇したら人通りの多い場所に行けと言われた。逃げ切れるか自信は無いが、失礼しまぁす的なノリで行けば相手も見逃すかも。
「そういえばよ」
「何だ」
「今日はスペシャルゲストに来てもらっているぜ」
「スペシャルゲスト?」
生徒の行きかう雑踏を見渡してもスペシャルな感じの人はいなかった。たまに奇怪な人種は大学内にいたりするんだけどな。段ボール被ってうろついていたりする人な。
そういえば宗也の奴、来てないな。青木はさっきちらっと見かけたんだが。もしかしてまだ夏休みと勘違いしてるんじゃ……。
「なぁんと、リルマちゃんです」
「こんにちは、裕二先輩に啓輔」
「あれ、俺だけ呼び捨てられている……」
人前なのに猫すら被らず、いつもの口調だった。
「啓輔には必要ないでしょ」
もうちょい二人きりの時みたいに仲睦まじい感じでもいいんじゃないかね。お前はお母さんと一緒に買い物をしていて友達に会った時につんつんしちゃう思春期の息子かよ。
「あのなぁ、リルマ。俺は一応先輩なんだぞ? 他の人の前では気遣ってくれよ」
「一応ね」
でも、変に猫被っちゃうとばれた時が嫌じゃないとこっそり言われた。
「それに、あんたは気安いし。何っていうか、啓輔は先輩っていうより友達感覚だし?」
なんだよ、お前と比べて俺はいろいろと先輩なんだぞ、ぐすん。もっと、敬いたまえよ。
「待て、何だか仲良しだな?」
裕二が驚いたように俺らを見てきたが、俺達二人はとりあえず適当に対応することにした。
「別に、仲は良くないですよ」
「そうだな、仲は良くないな」
「そうなのか? 遊びに行ったときは中良さそうに見えたが」
「気のせいです。ね?」
「うん、そう」
俺達の息のあった頷きに違和感を覚えつつ、それでも裕二は納得したようだ。
「それで、なぜ、リルマがここに居るんだ?」
スペシャルゲストってまさか、教授の代わりに講義をするのだろうか。そうだったらこの大学ってば斬新な事をさせるね。
「この大学がどんな場所なのか知りたかったの。ここも進学するときの選択肢の一つだから」
「あ、そうなの」
「うん」
とてもまともな答えだった。
それはまた殊勝な心がけである。俺が学園に居た頃はどうだっただろうか。そこまで深く考えず、周りに流されるような感じで大学に入ったのは否めない。進学することなく、就職するという手段もあったはずなのにな。
本来ならさっさと高卒で仕事に就こうと考えていたのだけれど、気づけば大学進学のコースへと進んでいた。
母ちゃん言ってたっけ、自分の人生を他人と比べて決めてないかって。
「リルマは今、二年生だったか?」
「そうよ」
学園の二年時でしっかり大学進学を考えているのか。将来のビジョンを明確に決めているのかもしれないし、これから決めるのかもしれない。
俺の場合は周りに流され進学コースを選んだものの、結構ぎりぎりまで自分が行く大学を決めかねた。それなりの人数が進学する羽津大学を受験して、合格した。
そして、今の俺がいる。やりたいことがあってこの大学に来たわけではない。それだけは確かだ。何のためにここに来たのか。俺はその理由を探しに来たのかもしれない。
何がしたいのかわからなくなってしまうと、人間は大変だ。手段と目的が入れ替わってしまうことがある。
「というわけで、この大学に入った右記啓輔君。未来ある後輩に何か一言」
リルマの未来の事を考えて、請け負おうじゃないか。
「……そうだなぁ。自分の根っこを忘れないことだな」
感慨深げにそういって見せた。
後輩に自分の背中を見せるのも先輩の役割か。俺も少しだけ憧れている先輩の真似をしていた時期があったっけ。
リルマも、素直なところがあるから俺の言葉で何か感じ取ってくれればいいが。
「自分の根っこ? 何それ、変なの」
俺の言葉が未来ある後輩に、変なの扱いされてしまった。くそぅ、せっかく自分語りから説得力のある言葉をはじき出したってのにまさかの低評価。
素直すぎるリルマの直球に柔なハートはひきつけ寸前、涙がちょちょぎれそうである。
言葉のナイフで致命傷を負わせたリルマは既に俺の方を見ていなかった。裕二、腹を抱えて笑いをこらえるな。いっそ、笑ってくれた方が俺も諦めがつく。
彼女が見ているのは俺じゃない、未来だ。これからくすんでいきそうな俺の未来よりはきれいな物になる。
「そんなことより裕二先輩、ここって食堂の数が多いってききました。案内してくださいよ」
そしてあっさりと見捨てられる、俺。
「オーケー、先輩に任せなさい」
去り行く二人の背中にため息一つ。そんなとき、肩に手を置かれる。ふと見上げると、知り合いがいた。
「自分の根っこを忘れないことだなっ」
完全に馬鹿にした口調だった。
「……青木か。あっちいけ、俺は今、とても悲しいんだ」
「やぁい、馬鹿にされてやんのー。根っこを、忘れないこと、うはっ、きんもー」
俺の口調を真似して気取ってやがる。声真似なら裕二のほうが上手い。あいつ、男の癖して女の声も出せるからな。
「うるせぇ、いい加減にしないとおっぱい揉みしだくぞ?」
「え? い、いきなり言われても、困る。そ、そもそも外だし、だ、だけどさ、本当に揉みたいのなら……場所を変えて?」
畜生、更にばかにするつもりだな。からかいやがってこの女。
誘ってからの馬鹿にするパターンだと頭の中で決めつける。すると感情が急に冷めてしまった。
まったく、聞かれたくないときに限って、知り合いっていうものは湧いてくる。
「あほな事言ってんな。用事がないんなら、俺はもう行くぞ?」
「あるある、あるってば。こっちに謝らないといけないこと、忘れてるでしょ」
「忘れていること?」
「うん」
青木にそういわれて俺は首をかしげた。まったく身に覚えのないことだ。なんだろう、お金だろうか。しかし、お金なんて借りていない。
友人間でのお金のやり取りは危険だ。貸さない、借りない、相手にしないが重要である。ばあちゃんも言っていたので、はした金じゃないなら縁を切るのが一番だ。
「何のことだ、お金か?」
「え、くれるんならもらうけど?」
「違うのか」
「うん」
お金関係以外となると、もっと身近なことになる。
ふむ、身だしなみかもしれない。見た目がだらしないから、友達である自分に謝って欲しい……うーむ、ないと思うが。でも、この前のリルマみたいに場にそぐわない恰好で遊んだことがあるかもしれない。
「今は寝癖ないし、ひげも剃ってあるし……パンツも新しいぜ?」
「それは当たり前でしょっ。特にパンツっ」
「……はたしてそれは本当にそうだろうか? パンツを一枚しかもっていなかったらどうするつもりだ。なお、新しいパンツは購入しないと条件づける」
ここまで追い詰められたら毎日同じパンツを穿くしかない。一張羅のパンツである。眼鏡の人が眼鏡を体の一部と言うように一張羅のパンツはもはや体の一部となる。
「それは一日おきにノーパンで過ごせばいいでしょ」
ノーパン、だと。なるほど、それは斬新な切り口だ。
他者との、友達とのふれあいは本当に参考になる。自分の持たない世界を持っているから、同じものを見ていても違う感想が出るからな。
ノーパンか。いや、更に一歩を進み、逆に一日だけパンツ解放デーにするのもいい。
一週間パンツ洗ってないぜ、よりも一週間、ずっとノーパンだぜ。
後者の方が清潔といわざるをえない。なぜなら、未使用のパンツを所持していることになるからな。戦いでも相手を切り崩す一手となり得る。
ふふふ、なかなかやりますねぇ。ですが私はまだ、未使用のパンツを残しているんですよ、こういった具合だ。
よからぬ妄想にふける俺に、青木はつかれた表情を見せていた。
「あのね、パンツの事はどうでもいいの」
「嘘つけ。俺が三ヶ月同じパンツだって言ったらお前絶対に引くだろ」
「当たり前でしょ」
言っておいてなんだけど、俺も引くと思う。
「ったく、たまにすっごいぽんこつになるんだから」
「それは聞き捨てならないな。俺は居たって普通の男だ」
あれだよ、ゲームだと癖のない、扱いやすいキャラクターって説明されると思うよ。
「……ノーパン」
「ん?」
「ノーパンって言葉にどう言った想像をする?」
「コートの下にノーパンってのも悪くないかな。冬が来たら試してみようと思う」
「これだ」
首をすくめられた。よくわからないが、馬鹿にされたのはよくわかった。
「なんだよ、違うのか」
「普通の男子は、もっと違う事を想像する」
「違う事? それってなんだよ」
「それは……もういい、啓輔はぽんこつな時もあるって事。反省してよね」
ジト目で見られたので首をすくめておいた。
「そりゃ失礼しましたね」
「そんなんだから普通っぽい彼女にフラれるんだよ」
「うるせーよ。お前だって、そんなんじゃ相手してくれるまともな男いないだろ」
そこまで言ってさすがに言い過ぎたかと思ったので、付け足すことにした。
「俺とか、宗也とか、裕二とか、あとは俺ぐらいだろ?」
「……あれ、今啓輔が二人いなかった?」
「何言ってんだ。いないよ。俺は一人だよ」
「ま、あたしと遊んでくれる男なんてたくさんいるし」
「……そりゃ、身体が目的なだけだろ」
頭が緩い奴なんて腐るほどいるからな。学園にいたころもバスケ部のあほが後輩に手を出しまくって問題になってたし。
「大丈夫だよ。そう言う男にはあたし、病気持ってるよって言ってるもん。そうしたらさーっといなくなるんだよね、これが」
立派な胸を逸らして自慢げに語る青木。
こいつあほだわ。ミートゥーとか言われたらどうするんだろ。
「で、脱線してないでさっさと用件を言えよ。俺は相手のお腹を探ったり、無駄な時間をかけるのは趣味じゃないんだ」
誰のせいよと一回呟かれた。誰のせいってそりゃあ、パンツのせいだろ。
この世からパンツがいなくなれば、こんな争いは起こらなかった。
そうなると下着泥棒が血の涙を流し、圧倒的な解放感が訪れる世界が出来上がる。
「この前、夜に出会ったでしょ?」
「……会ったか?」
はて、いつ会ったかな。そもそも、青木自体に最近会っていなかったから覚えてない。青木光って名前自体も呼んでいないから久しいもんだ。
携帯を使用してコミュニケーションも取っていないし、文通とかもしているわけじゃない。頭にアルミホイルも巻いてはいないので電波のやりとりもしていない。
俺がぴんと来なかったせいで、青木のご機嫌が斜めになった。
「とぼけんなよぉ。夜中、あたしを驚かせたじゃんか」
頬を膨らませた青木は実にガキっぽかった。きっと子供のころはくそガキだったんだろうなぁ。
幼少のころ出会っていたら、確実に泣かせて、教育してやっているね。
「ん、驚かせた?」
そしてようやくあの日のことを思い出した。
リルマとの出来事や白い女の印象が強くて青木のことをすっかり忘れていた。そういえば青木に会っていたのだ。
「……ああ、あれね。悪かったよ、びっくりさせてよ」
驚かせようとして驚かせたわけじゃない。
「あっれぇ? やけに素直じゃん?」
影についてもリルマから少しは聞いているから、変に巻き込まないほうがいいだろう。普段ならまだしも、今は白い女に目をつけられている。何者か判明し、落としどころが見つかるまで話すのはやめたほうがいい。
変に興味をもたれて夜中にうろつかれても困るからな。逆にこっちの都合で巻き込ませるのも悪い気がする。
「ちょっと青木の驚く表情が見たかったから、つい、やっちまったんだ。この通りだ。な、許してくれよ」
俺は頭を下げて誠意を見せた。
リルマは俺に関わるか、関わらないかの選択肢をくれたが、俺は青木に選択肢をやろうとは思わない。
「……嘘ばっかり」
「嘘じゃねぇよ。この目を見てくれ」
真剣な表情で青木を見ると、顔を少しだけ赤らめて目をそむけた。
どうやら俺が青木の事を想う気持ちが少しは伝わったらしい。
「なんだ、どうした、照れたのか」
「ちげぇし。みょ、妙な顔をするなっての」
右肩をグーで軽く殴られる。
「妙な顔って、人の顔を見て失礼なことを言うじゃないか。違うと言うのなら、言ってみろ」
顔を向けようとしたら青木の拳に力が入り、顔を向けられなくなった。
「ごまかさないでよ……何か困っていることがあるならさ……力になるって」
「真面目な言葉、ありがたいんだが……傍から見たら俺が殴られているようにしか見えないんだ。手をどかしてくれ」
「あ、ごめん」
改めて青木の顔を見る。
珍しく真面目な表情をしている。普段から真面目な表情の一つでもしていれば、もてそうなのにな。
「啓輔、この言葉は嘘じゃない。できることは全部するから」
そうやって右手を出してきた。
「真面目だねぇ」
差し出された右手に俺は自分の右手を重ねる。。
「ありがとよ、そのときが来たら頼ることにする。今はまだ、話せそうにないからおとなしくしておいてくれ」
「うん、本当に待ってるからね?」
「ああ、待っててくれ」
まったくもって、ありがたい申し出だ。
でもな、青木、頼ってくれ、待っているって言葉だけでは、相手に頼らないよ。大切な友達なら尚の事だ。
頼れるだけの懐を見せて、尚且つ、ずけずけと相手の領分に立ち入っていかなきゃ知ることは出来ない。
こっちもお前の事を怪我させたくないからな。そうやって待っていてくれる分だとやりやすいよ。
常套句だが、あれだ。
青木の気持ちだけ、受け取っておこう。




