第二十一話:ありえなかった妄想的展開
午前中、リルマから呼び出しがあった。いまでは着信履歴はほとんどがリルマで、たまに母親からかかってくる程度。
指定された場所はよく学生を見かける喫茶店。後で調べてみたら価格も期間限定商品を除けば比較的リーズナブルで、サービス心満載のよいお店とのこと。常連さんには声をかけてきたり、事前に申請しておけばバースデイパァーリー(発音はパーティーじゃないらしい……)を催してくれるそうだ。
リルマが良く行く場所なのだろう。客層もバカ騒ぎをする連中はおらず、なかなか雰囲気の良い場所だった。
「どうかしたのか」
「うん、影が活発になってきてるかなって」
「活発になってきてる? これまでも充分活発的だったと思うが」
俺がリルマと見てきた影はどいつもこいつもエキセントリックな動きをしていた。小刻みに揺れていたり、常にまわっていたり、明後日の方向を見ながらジャンプしている奴も居た。ちなみにすべて、一瞬でリルマに食われて終わりだった。かすかに人を思わせるのだが、まるで人間の失敗作のような連中だった。
影食いの現場に立ち会ってもあっというまに終わるのだ。時間がかかった時もあるが、影と出会って最長でも五分程度。
「まぁ、そうなんだけどね。あんたに言ってなかったけれど、元からいる影じゃなく、人から逃げた影って糧となるものを探すのよ」
最終目的はまた別なんだけどとリルマはそう付け加える。
「糧? それってただ単に離れた本体を探しているんじゃないのか」
自立早々ホームシック。やはりお家が恋しいとごねて目や鼻、穴から入ろうとするその姿はシュールだった。
いいや、影というだけあって足元にへばりつくのかも。
「独立したがっているからそれは無いよ。えっとね」
紅茶を頼んでいたリルマはそれに一度口をつけて紙とペンを取り出した。
「この黒い丸が影ね」
綺麗な丸を描いた後、それを黒く塗りつぶす。案外、リルマの指って細いんだなぁ。色白だし、綺麗な手をしている。
「そしてこっちの白い丸がカゲノイね」
「カゲノイ……?」
初めて聞く単語だった。
「カゲノイの意味は……まぁ、影を操る存在かな」
説明する時間を端折ったのか、それとも詳しくないのかはわからなかった。
しっかりと目を泳がせているところを見るとわかってはいないようだ。
「別に知らないのなら知らないでいい」
「……本当はよくわかってない」
うん、素直でよろしい。
「そいつがいるとその区域の影が活発化しやすいんだって、聞いたことがある」
「ふーん? んじゃ、逆に言うならそいつをどうにかすれば影が沈静化するのか?」
活性化した影。これまでリルマとみてきた影はどれもよく動いていた。しかし、基本的にはただ人から放れている影をリルマが触るだけで影食いは終わっていたのだ。
当初は俺の時のように相手を追いかけ、打ち取るもんだと思っていた。リルマが少しだけ俺に手を焼き、不意打ちを食らったのも納得できた。単純に油断していたのだろう。
最近になって動きが活発化していただけで、しかも対して変わらない。まるで電気を消すような手軽さで、奇妙な動きをする影をリルマは触れるだけで消していった。
「ただ、人から離れた影もカゲノイを狙っているから。聞いた話じゃカゲノイを仕留めた影は新たな体を得ることが出来るって」
「……ほぉー」
もちろん、これまでの知識から言うとリルマの言葉を信じたわけではない。無いよりましレベル。
「影食いもそうなんだけどね。私が独自に調べた事なんだけど、この羽津市の影だけがそういった特性を持ってるみたい。修学旅行先であった影食いからはそんなことはないって言われたから」
「へぇ」
なるほどね。影食いから危険だと狙われて、影自体からも羽津市ではお命頂戴と、カゲノイさん大人気ってやつだな。しかし、リルマの奴は旅先でも影食いとしてのお仕事をやっているのか、真面目な奴だね。
これらはあくまで、リルマからの説明だ。リルマの知識は怪しいところがある。影食いに対しての知識も本人が言うにはあまりない方らしい。本格的に調べる気力が残っていれば、他の影食いにあって正しい知識を手に入れたい。
実際のカゲノイとやらはどんなものだろうか。思いをはせる俺の頭を、リルマがつついた。
「他人事の顔をしているけれど、あんたも注意が必要よ」
「俺も?」
「影に襲われやすい体質だからね。多分、どこかでカゲノイとあっているから匂いがついてるんじゃないの」
不意に頭をよぎったのは婆ちゃんだった。影食いに気をつけろ。なるほど、ばあちゃんがカゲノイだったら、影食いを恐れるのにも納得はできなくもない。
俺は頭の中の婆ちゃんを消してリルマを見た。
「カゲノイ以外だとあり得ないか?」
「たまにいるのよ、一般人の中にも襲われやすいやつって」
影が活発になる時間は大体九時以降とのこと。リルマを信じるのなら、俺の不幸は影が原因かもしれない。
しかし、そうなると俺が青木と一緒にデパートへ行った時に見た影の腕はどうなるんだろうな。リルマが消しちまったが、俺が姿を見ることが出来たのも寄せやすいからだろうか。もしくは、ただの偶然だったことになる。
「はて、匂い? 影にも匂いってあるのか」
「影に分かる匂いがあるの」
「へぇ、そうなのか。具体的に言うとどんな匂いだ?」
「そう言われると説明できないけどさ」
そういって首をすくめられた。興味を持ってリルマを突いて情報を出そうとすれば尻切れトンボで終わるようだ。
「……ま、気をつけて頂戴。夜は下手に外へ出ないようにね。どんなに弱い影でも、基本は不意打ちで襲ってくるから。たぶん、おそらく、可能性としての話だけれど……ね」
「自信なさげだなー」
「むー、しょうがないじゃない」
知識不足は理解しているらしい。
「影食いのすべてを知っているわけでもないし、影の事を全て知っている影食いなんてたぶんいないよ?」
「それ、本当か?」
「多分」
相変わらず、自論か。不確定要素が多すぎる言い方だった。
これまで少し勘ぐってみたものの、情報自体が少ないし、リルマと俺が出会ったから何かが起こり始めたって少し考えたこともあったがその線もなさそうだな。
「あんたが影をはみださせてうろついていながら自我があったのも、カゲノイが関係してるんじゃないかなって……ほんのちょっと思っただけよ」
自信なさげにそういわれた。リルマの事は信用するが、彼女の知識を鵜呑みにするのはやめておこう。
「……なぁ、リルマ、忠告通り気を付けるつもりだけど、カゲノイってどんな見た目とか分かるのか」
俺の質問に回答者はペンを回す。羨ましい、俺は上手く回せないんだよなぁ。
そんな事より、ほっそりしてきれいな指してるな。ハンドモデルとしてもやっていけるのかも。
「さぁ、見た目は人らしいわよ。おじい……祖父から伝え聞いている分だとものすごく、人相が悪いんだって」
わざわざ祖父といいなおした辺り、何かあるんだろうな。どこにだってあるもんかね。
「えっとね、目は釣りあがって口は耳まで裂けていて、腕は四本。腕だけでも二メートルあるとかなんとか」
それ、人じゃなくね。絶対に祖父から担がれていると思う。まぁ、関係性が悪い方じゃなく、からかわれる孫といった具合なら問題ないか。
俺もばあちゃんから影食いは怖いものだと担がれていたのだろうか。あの意地悪なばあさんのことだ。十分にあり得る。もっとも、リルマと出会って痛い目にあった以上、嘘と言うわけでもないんだがな。
「ともかく、気をつけなさいよ」
「なんだ、心配してくれてるのか」
常套句だな。そんな言葉を口にして、俺は心の中で苦笑した。
相手がガキならそんなわけないと矛盾したことを言ったり、見当違いなことを心配していたりする。さて、リルマはどんなふうに返してくるのだろう。
まぁ、どう返してくるかなんとなくわかるんだけどさ。男ってのは(そして更にその一部だ)ばかな生き物で、そうじゃないとしても一縷の望みをかけたりする。
俺が浪漫を求めてリルマを見ると、彼女は口を開くのだった。
「……当たり前でしょ、一般人の影を守るのがあたしの仕事なんだから」
それはもう、まっすぐな視線だった。曇りなく、俺が忘れてしまった素直さをその目に湛えている。
俺の望みは案の定、打ち砕かれた。
「……そうか、ありがとうよ」
「なんだか元気ないわね?」
「元気さ。そう見えるだけだ」
やはり、べ、別にあんたのことが心配で……という言葉を言ってくれることはなかったか。
いや、良いんですけどね。いいじゃないか、素直でいい子。
それでもまぁ、見てみたかった気もする。ちょっと照れながらそれを必死に隠して俺を心配してくれているリルマの姿を。
俺はブラックッコーヒーを飲み干す。
うむ、苦い。改めて現実は甘くないことを思い知った。




