第十九話:彼は帰りにメジャーを買った
「出るんだってさ」
青木からそんな話を聞いた。聞いた時期はまだ前期の講義があっていた時だ。
「出るって何が?」
「右腕だけの幽霊が」
脳内に剛腕の右手が現れる。右手は手首を折り曲げながら器用に動いてみせた。俺の脳内では男の右手が想像されたが、他の人だと右手と言う情報だけで男と女のどっちで想像、いや、創造されるんだろうな。
「その右腕ってどこに現れるんだ?」
「駅前のデパートの非常階段。三階から二階にかけてだって。なんでも、火災事故で逃げ遅れた人の幽霊だとかなんとか」
うらめしやぁと青木が胸の前に手をだらんと垂らし、おどろおどろしい演出をしてくれる。つい、腕に挟まれ盛り上がったでかい胸に視線が行ってしまった。
「……あれ? 駅前のデパートって新しくできたところだよな。火事なんて一度も起こってないだろ」
半年前にできた建物で、そんな事件が起こったとは聞いたことがない。ここが建てられる前の建物も、何か曰くがあるとは聞いていない。
「なんでも、火災のあったビルから歩いて出現場所を変えたんだって」
「なんじゃそら」
移動する怪談話なんて生まれて初めて聞いたよ。あと、シリアスな表情でごまかそうとするな。
「ねぇねぇ、面白そうだし、見に行こうよ」
「見に行くのはいいんだが、必ず見えるものでもないだろ?」
幽霊やお化けがこれまでいると確定しないのも、誰もが同じ条件で見られる立場にないからな。それさえクリアできれば、他人と共有できる情報としてオカルトから脱却できると思う。
他者に認知されることこそ、自己の証明につながるんじゃないかと俺は思う。
「行ってみたらわかるよ」
二人で見に行った結果、確かに腕は現れた。本当に出たことに驚いたのだが、現れたのも一瞬。
そして非常に残念なことに青木はそれを見逃したのだ。
結局、俺は青木に見えたことを教えなかった。なにそれずるいあたしも絶対に見ると粘る可能性もあったからだ。
「……いないなー」
棒読みになってしまったが、青木の方は別に俺が真面目に探していないと思っているらしい。
「うん、そだねー。噂はやっぱり噂なのかなー」
「かもな。こういうのって探すと大体見つからないだろ?」
「む、確かに」
「だから、放っておけばあっちから来るかもしれないぞ」
「そっか」
青木をどうにかして説得した俺はそのまま帰ることになった。
そして、他人に話すこともなく俺の記憶の海の底へと埋没していった。青木も相手をじらして誘い出すと言っていたが忘れてしまっている。
この話が再浮上を遂げたのはリルマと出会ってからだった。
「今日は駅前のデパートに行くから。そこに出る」
出る、そういわれて俺は青木との出来事を思い出した。
「幽霊の事か」
そういって青木がやって見せたように胸の前で両手をひらひらさせて見せた。
「ううん、影。普通の奴に比べれば、存在感が増しているけどね」
しかし、俺のおどけた調子も影食いの表情を見せるリルマには伝わらない。やれやれ、これだから真面目ちゃんは困る。
「今のうちに手を打った方がいいから。さ、行くわよ」
「……はーい」
それ以上何も言わずにリルマは歩き出す。俺もそれにならって静かに目的地へと歩き出した。
まだまだ暑い、夏が完全にいなくなるのはまだ先のようだ。
「なぁ、普段は夜だろ。今日に限ってなんで昼間なんだよ」
俺は夏休み中、世間一般的に言っても今日は休日だ。いくら人気の少ない階段側とはいえ、時折人が通る。
わざわざ階段を使わなくても、エレベーターやエスカレーターがある。しかし、世の中には階段を使うしかないじゃないかと考える人種もいるからな。
「いいのかよ、影ってあまり見られない方がいいんじゃないのか?」
「見える人には見える、見えない人にはたぶん、見えない」
どっちだよ。
この曖昧な態度は気になるので覚えていたら今度詳しく聞いてみようと思う。おそらく、忘れてそれっきりだろう。
「相手は待ってくれないから、日ごろの行いに賭けるに決まってるでしょ」
何その出たとこ勝負。
戦いに勝つには個々の能力も非常に大切だが、戦略というのも重要である。力をひっくり返すのは戦略で、疎かにしているごり押しプレイはいずれ搦め手が現れた際に詰むだろう。
「出た」
「え」
お互い、日ごろの行いはよかったようだ。誰もいないタイミングで、噂の腕、いいや、右肩まで出ている影が姿を現したのだ。
前回、俺が目撃した際は二の腕以下だったが、人型の影を成している。逞しいそれは男の腕であることを物語っている。
腕枕を一日していてもきっと疲れないだろう。理想的なマッチョの腕だった。
「啓輔は下がってて」
「おう」
指示通り、少し離れると相手は勢いよくジャンプしながら近づいてきた。何か不気味なものを感じさせるその動きは、もはや物珍しいものではなかった。
洗面所にGが出た時ぐらいの感じだな。
「せいっ」
階段踊り場まで誘導した影に、拳を突き出したが相手にかわされる。
「かわした?」
どうせワンパンで終わるだろうと思っていただけにショックを受けた。八回裏で五点差あったのでドームから帰ったら逆転負けを喫した気分になった。
リルマは黙って回し蹴りを当てた後、アッパーで相手を沈めた。
そしてそのまま右手を影にし、相手を食らう。
「……ふぅ」
今回もあっさりとしたもので、リルマの、いいや、影食いの優位性を存分に見せつけられる結果となった。
帰り道、恒例となったジュースを二人で仲良く半分こを終わらせた後、ふとした疑問が湧いた。
「リルマ、ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「な、何?」
「……なんでそんなにびくついているんだ?」
俺に後ろめたい事でもあるんだろうか。
以前、青木とデパートにやってきたとき現れたのは俺がいたからではないのか。
しかし、そうなると前回影に襲われなかったのは何故だろうかという新しい疑問が浮かぶわけで。
「別に、びくついてない。そ、それで、聞きたいことって何?」
リルマに聞こうと思ったけれど、早計か。
「……お前のスリーサイズを教えてくれ……いたっ」
「バカ言ってないで、帰るわよ」
そういって歩調の速くなったリルマを追いかける形になった。
前回は襲われなかった。あれから何かあって俺は影に襲われるようになったと考えると、その間にあった事と言えば、フラれた事……ではなく、リルマと会った事。
さすがに安直すぎるかね。俺が気づいていないだけで、もっと他に理由があるのかもしれない。
物語の中心に、俺がいる気がするのはたぶん間違いか。早々都合よく話が展開するわけないし、それなら俺は勇者様のはずだ。
俺が悩みながら歩いていたためか、リルマはこっちを見て立ち止まった。
「なんだ、どうした?」
「あのさ」
「うん?」
どこか思いつめた表情をしていた。はて、そんなに悩むような出来事は怒ってないはずだが。
「そんなに悩んでいるのなら……教えてあげようか」
「え?」
顔を真っ赤にしてうつむいているリルマに、俺はその真意を悟った。
年下の女の子に気を使わせるようじゃ、俺もまだまだだ。
後頭部を乱暴に掻いて、どうしたもんかと考える。
「……あぁ、気にするなよ。さっきのは冗談だから」
また怒らせるのも嫌なので、かなり深刻そうな顔でごまかすことにした。
もし、ここで笑ったらからかわれたと思い、蹴られるだろう。
「その、無理しなくていいから」
そして、更に気遣われた。
「おいおい、スリーサイズなんてほいほい教える物でもないぞ」
「数字ぐらいなら別に教えても実害ないし、あんた、いろいろと手伝ってくれて……文句も言わないし、かといって、何かを私に要求することもないし……ジュースも二人で分けてるし」
「そうだなぁ、確かにリルマの言うとおりだな」
報酬に興味がないんだよなぁ。俺はなんとなくでリルマと一緒に居たりする。最初は影食いの事を解析しちゃうぞとちょっとだけやる気を出したが、まだ日が浅いのにもういいかなと思っていたりもする。
わかったらラッキー、その程度だ。
「俺がリルマの納得しないような報酬を受け取っているから教えてくれるってか?」
「う、うん」
女の子がスリーサイズを教えてくれるって、どれほどの勇気が必要なんだろうなぁ。そういうものが欲しいわけでもないんだがね。似たような話で、以前、テレビに下着泥棒のコレクションがどこかの体育館を借りて並べられていた。色とりどりのそれを集めていったい何が楽しいのだろうかと思ったことがある。俺も試しに下着を手に入れて並べてみたが大して楽しくもなかった。頭にかぶってみても欲情すらしなかった。
今回もそう言う事だ。俺の想像力が足りない為か、数字を聞いたところで嬉しくもないしわくわくもしない。何より平均値が今一つわからないので判断のしようがない。
「べ、別に私が本当の数字を言うのかはわからないでしょ?」
「なるほどね」
安易な引っ掛けだな。顔を真っ赤にした状態じゃなければ通用していたかもしれないが、そういう駆け引きは苦手そうだ。
「で、き、聞きたい?」
放置をすれば、一方的に口にするだろう。
「いや、いい。代わりに教えてほしいことがあるんだ」
「……内容によるかも」
そう言いつつ、なんだかんだで教えてくれるんだろう。
「お風呂でどこから洗うとか?」
「違う」
「じゃ、じゃあ、肩こりするのかって質問?」
「意味が分からないし、違う」
「……今穿いている下着の色?」
「お前は俺をなんだと思っているんだ」
それではただの変態だ。しかし、変態さんは色なんて聞いてどうするんだろうか。
「だって、話の流れからそっち方面かなって」
俺はリルマの言葉を無視して口を開く。
「自分の名前の事についてどう思ってる?」
「私の名前? 嫌いじゃないけど」
「俺もリルマっていうのはいい名前だと思ってるよ」
「う、うん? ありがとう」
「いやー、答えづらい質問を答えてくれてありがとな」
「このぐらい別に……」
「さぁ、帰ろう」
リルマの背中を軽くたたき、俺は歩き出した。
「……なんだかお茶を濁されたような気がするんだけど」
「気のせいだよ。名前の感想なんて、そうそう聞ける内容でもないぜ? スリーサイズより聞きづらい質問だ」
「別にその、あっちの事を聞いてくれても適当に答えたけどさ」
本当に興味が湧いたら自分で測るさとは言わなかった。




