第十八話:ふとした疑問は記憶のかなたに
深夜十二時、俺はリルマに呼び出されていた。
「遅いっ」
「……あぁ、わり」
「何、元気がないね?」
「いいや、元気だよ」
嘘だ。ぐっすりと寝ていた。
音量マックスのジャジャジャーンが鳴り始めた時は俺の部屋にオーケストラがやってきたかと思ったよ。
そしてさ、また眠っていたら変な引け目を感じるだろうから気を使ったんだよ。
「さ、行くよ」
「わかった」
歩き出したリルマの後を追って、呼び出された理由を尋ねる。
「影か? こんなに連続して現れるものなのかね」
「いや、あまり無……」
何かを言おうとしたところで曲がり角から影が躍り出た。
「早速登場ね」
「もし、神様がいるのならさっさと流したいと言う意思を感じる」
目を細め、かばうように俺の前に出る。左右に揺れながら、こちらへと寄ってきていた。その歩みはゆっくりであるが、それがまた怖さを煽る。
子供のころ、特撮だったかな。ゆっくりと一般市民に近づいてくる怪人に対して恐怖を煽られたものだ。途中でしりもちなんかつくとテレビの前で、逃げてって応援してたよ。
リルマは右手を影に染め、素早く相手を貫いた。影は霧散し、辺りはただの住宅街へと戻る。ほんの数秒の出来事だった。
月明かりに照らされたリルマの姿は綺麗だった。緊張感から解放されたのもその理由の一つだろうが、その横顔は何かを考えているように見える。残念ながら、その内容を傍目からでは当てることはできない。
お互いに黙り込んで数分経った。あまり長居をすると風邪をひくだろう。彼女の思考を邪魔したくはなかったが、声をかけることにする。
「今回も楽勝だったな」
触るだけの簡単な作業にしか見えない。回れ右をしようとすると、リルマに手を引っ張られた。
「待って、まだいるから」
さっき悩んでいたのは周囲の気配を探っていたのだろうか。それにしては数分という長いのか、短いのかわからない間が開いている。
「まだいるのか?」
辺りを見渡す。すると、檻のようなゴミ捨て場から小汚いおっさんが顔を出した。
「ただのおっさんだろ」
人がいたことに俺は驚き、小声でリルマに話しかける。特別変な会話はしてないのでよかったが、あのおっさんに不審者認定はされたくない。
「違う、よく見て」
「よく見てって……おっさんをか?」
「うん」
中年のおっさんをじっと見て何がわかるというのか。いくら月明かりや街灯に照らされていたとしても、相手の全部が見えるわけでもない。だからといって、ライトを当てるのも失礼な気がする。
「あ……」
ゴミ捨て場から現れたおっさんの首から下は人のそれではなかった。闇より濃い影で体ができているのだ。時折、首を反転させたりして人間の動きをしていない。
ふらりと動いてはよろけ、俺に気づいた後はこちらへ寄ってくる。
相手は瞬きすらしなかった。その瞳は絶えず俺を映しつづける。男の不安定な動きは生理的に受け付けない類の存在だ。
「あれも……影か?」
顔はおっさんだ。これまでの影はすべて頭からつま先まで真っ黒だった。それが人のように見える。
おっさんをよく見てみると、一発で人ではないとわかる違和感。だと言うのに、一瞬見間違えてしまう不思議な感覚があった。
「そうね。中途半端に力をつけている段階で、カエルでいうところのオタマジャクシに手足がついた状態ね」
オタマジャクシに手足が付いた状態は名前があるのだろうか。カエルの状態だと成体、オタマジャクシは幼生かな。間を取って幼生体という名前だろうか。知っている人がいたら是非、教えてほしい。
おっさんの影へとリルマが近づくと、彼は俺への接近を辞めた。瞳を時計回りさせて、リルマを見始める。ここで表情が変わればまた怖かったのかもしれない。相手は無表情のままだが。
彼は緩やかながらも手を挙げて、殴りかかる仕草を見せる。これは初めて見る行動だった。影は俺の方へと近寄ってくるばかりでリルマを警戒していなかった。それが早く終わる理由でもあったのだ。
「え、なんでリルマに手をあげたんだ。これまでは俺にまっしぐらだったのに」
「考える部分ができたから」
そういってリルマは自身の頭を軽くたたいて見せた。
「このまま私に食われると消えてしまう、消えたくない。だったら逃げるか、存在を排除しようとする私を倒さないといけないって気持ちが出てきたんじゃないの?」
軽快な動きでリルマはステップを踏み、相手の懐に入りこむ。
「しゃっ」
顎を殴打し、回し蹴りを決めた。相手はゴミ箱に突っ込み、辺りに臭いを漂わせた。
「次で終わりっ」
「結局あっけなかった」
それに襲いかかるようにしてリルマは相手の目へと影と化した右手をねじ込む。おっさんの影は小刻みに震えた後、消えた。
聞こえないはずの断末魔の叫びが、脳内に響いた気がした。
俺もリルマと対峙した時に何かが間違っていたらこんな風になっていたのかもしれない。あの時のリルマは、今のようにどこか余裕というものを感じなかった。
どこか真面目な彼女も脆い部分があるのだろう。というか、こういった作業を一人でずっと続けたらどこかおかしくなるのかもしれない。
ゲームなんかでもたまにある。ただの作業を永遠と繰り返しつづけ、ある日、何をやっているのだろうと思う。それでもなお、そうするしかない、それしかないと思っていれば爆発するかもな。
「さ、帰ろう。もう辺りには影、いないからさ」
俺の手を取り引っ張る。
「……おう、そうだな」
「何、どうかしたの?」
「いや、なんでもない」
まぁ、いいや。今日は終わりだ。
俺は散々散らかしたゴミ捨て場を片付けなくていいのかなぁと思いながら、リルマとともにその場を後にするのだった。