第十二話:ずれ気味の距離
その日の晩、約束どおりリルマが待ち合わせ場所にやってきた、ジャージ姿で。
「お待たせ」
「……お、おう」
てっきり、瑠璃ちゃんで来ると思っていただけにショックが大きかった。俺の瑠璃ちゃんはどうやら妄想の海に帰ってしまったようだ。
それは冗談としても、ジャージではないもうちょっとマシな服装で来ると思っていた。
「ん、何、その反応。もしかして約束時間、間違えてた?」
俺の顔を見て勝手に勘違いしてくれた。特定されるよりはましだが、もうちょっと付き合い長くなると相手の言いたいことがわかってくるだろうからなぁ。
もっとポーカーフェイスを頑張らないと。何のために心は肉体という仮面をかぶって生きているのか忘れてはいけない。
「いや、何でもねぇ。今日は何を食いに行くか考えていただけだよ」
どうせ服装のことを指摘したら怒られるんだ。それなら下手に怒らせないほうが賢い選択だ。いくらジャージとはいえ、リルマは可愛いからな。
かわいさでカバー、多分できると思う。それに身なり何て関係ないさ、心が紳士淑女であれば。
待ち合わせ場所としては有名な駅前だけに、それなりの人がいる。紳士淑女もいるはずだ。しかし、服装だけ見ればジャージ姿はいなかった。
「え、何それ。女の子誘ったくせにまだ考えてないなんてちょっと計画性無さすぎじゃない?」
結局、怒られるのか。しかしな、リルマよ。異性の友達と晩飯食いに行くときにジャージ姿ってどういう考えなんだ。
「悪かったよ……それで、リルマは何が食いたい?」
「そうねぇ……」
ちょっとばかり奮発して高そうな店に入ろうかと思っていたが、相方の服装がこれではどうしようもない。恥をかかせるにはちょうどいいが、それはそれで顰蹙をかう。
ファミレスって言うのも味気ないな。一緒に入るのなら、普段行かないであろうラーメン屋が妥当か。でもなぁ、女の子と二人でラーメン屋って損している気分になる。
悩んだ末にファミレスにしようと提案一歩手前、リルマが声をあげた。
「あ……」
「どうした?」
リルマの顔を覗き込むと、アドレナリン全開だった。ライオン君がシマウマさんを見つけたときの表情で、生き生きとしている。ジャージの癖にやれば出来るみたいな顔をしている。
「珍しいことに人通りの多い場所で影が居たわ。あんたはここで待っていて」
言いたいことはいろいろとあった。俺は影について詳しくないのでわからないが、結構見る頻度が多いのだろうか。
「……おう、いってら」
それから二十分、俺はその場で待機する。こういう時って大体の人間がスマホをいじっているからな、俺はあえて本を読もうと思う。
鞄から文庫本を取り出して開く。
「……暗くてよく読めねぇな」
本を読むときは部屋を明るくして、離れて読んでくださいね、という瑠璃ちゃんボイスで脳内に再生がかかる。
馬鹿をひけらかしつつ、結局うろうろして時間を潰した。
「啓輔、お待たせ」
「ああ、おかえり……って、ジャージじゃないのな」
意外とかわいらしい服を着て戻ってきた。髪の毛のぼさぼさではなく、綺麗に整っていた。さすがに瑠璃ちゃんモードではないが、充分可愛い。駅前を歩く世の男性陣も一度確認して去っていく。
「……影とやりあうことがあるから、夜はジャージなだけ。ほら、汚れるから」
お昼もジャージ、着ていましたよねとは言えなかった。ジャージは機能性に、うんぬんのくだりはもういい。ジャージマンは宗也一人だけでいいんだ。
「あまりさ、見られるとやっぱり気になる。だから、着替えてきた」
「そうか、悪い」
あれだけじろじろ見ていたらさすがにばれるか。目は口ほどに物を言うらしい。壁に耳あり、障子にメアリーってやつだよ。
「んじゃ、行くか」
今の服装なら何の問題もない。当初予定していたお店に行く事になった。店はいたって近くにあるため、俺たちの間に到着するまで会話はなかった。
もうちょっと距離があれば、ねぇねぇ、君って彼氏いるの、や、今度の休み、暇かな、とか、君と一緒に居ると楽しいんだよねという話題を展開できたかもしれない。これだとナンパみたいな感じになってるな。
もっと大衆的な質問に変えたほうがいいかもな。アステロイドベルトって将来的になくなると思いませんか、とか、人間の記憶ってどこにあると思いますか、や、最近読んだ本(ビジネス書限定)は何ですかといった具合だ。
お店についてもリルマは静かで、ぱっとみればお上品に見えなくもない。物静かで、いいところのお嬢様っぽい。
「ね、ねぇ、あんた、普段こんな店に行くの?」
訂正、非常に緊張していた。
「こんな店? ふぅむ、どんな店かな?」
「高そうなお店」
テーブルまで案内されて、ウェイターが居なくなると小声で訪ねてくる。俺のボケに突っ込む余裕もないようだ。
確かにおしゃれな場所だ。入り口は淡いライトに照らされたプレートの看板が輝いていたし、ドレスを着ている女性や燕尾服の男性もいる。メニューも何と書いているのかわからない時がたまにあるからな。達筆すぎると逆にわからないよ。
あと、森の妖精さんと女神さまのうんたらみたいなメニューも読んでいて辛い。
「……いんや、いがねぇよ。んな、りるまぁ、緊張すんなってぇ」
「口調、そんな喋り方だと田舎者だって指さされて笑われるっての! あ、私も注意しなきゃ」
別に大丈夫だとは思うがねぇ。
「こほん、いけませんことよ」
ジャージじゃなくてよかったとリルマは安堵しているようだ。ジャージだったらこんなお店にはいかないよと喉まで出かかったが言わないでおいた。
「今日は俺の見栄を張るのに瑠璃ちゃんに協力してもらったからな」
「あんた、金持ちね」
「そうでもないさ。それで、何を頼む?」
「お、おまかせするわ」
どうやらさらに緊張しているらしい。あくまでちょっと高いレベルなので緊張する必要性はない。
普段、何食っているんだと聞いてみたり、ビビりすぎだろと素直に指摘したら反発しそうなので、しばらく考えた。
こうやって相手を緊張させるような場所に連れてきたのは失敗だったな。やっぱり、ラーメン屋さんにしておけばよかった。
「苦手な食べ物ってあるか?」
「ありませんわ、おほほ」
「無理するな。食事は楽しくしたほうがいいだろ? だったら、運ばれてきたときに嫌な顔をするよりうれしそうな顔をしてもらったほうが俺もうれしい」
「えっと……にんじんとピーマン」
子供かよ。にんじんはグラッセが一番うまいと思うが。子供の時にあれを食べたのは感動的だった。ピーマンはあの苦味が苦手ってところかな。案外、よく噛んで味わってみればおいしいがね。簡単なところだと豚こまと炒めて味付けすればご飯のお供にちょうどいいと思うんだが。子供の頃って、どうやって苦手なものを克服してたっけなぁ。
それはさておき、子供だと突っ込んでご機嫌を損ねるのもあれなので黙っておいた。ジャージの件とあわせて一本を取られそうだ。
いつだって心は穏やかにしておかないといけない。青木の手を掴んだ時、リルマの手をはたいてしまった時を思い出してそう思った。
「じゃあ、好きなものは?」
「エビフライとかオムライスとか……あ、あと」
なんだろう、ビーフストロガノフか。言いづらく、実際に食べてみると今一つ記憶に残らない料理の一つだ。
「ハンバーグっ!」
やっぱり、子供じゃねぇか。
ただ、ハンバーグといった瞬間の表情はそこらの現実を見すぎた子どもよりも生き生きしていた。
俺も確かに昔はこんな目をしていたのにな。いつの間に汚れてしまったのだろう。あの時の純粋な気持ちで、ハンバーグを食べられる日はもうこの先一度も来ないのかも。
「……俺も、ハンバーグ好きだよ」
綺麗な物を見ると心が少しだけ浄化されるらしい。子供と話す時のように優しい気持ちになれた。
「でしょ? 焼肉だと味気ないし、ローストビーフとかいくと手が込みすぎてるよね。合いびきのバランスでも印象だいぶ変わるし、和風ソース、洋風ソースのどちらにでも合う。パンにもはさめるし、すごいよね」
俺の顔に接近し、熱く語ってくれた。こういう子どもだったら厨房にいるスタッフも喜ぶんじゃないかな。一口、味わうたびに舌の中でとろけるうんぬんとお店で言ってみろよ。シェフがやって来るかもしれない。
リルマが熱を入れて語ったおかげで、周りの大人が俺らをほほえましく笑ってる。やれやれ、結局目立っているじゃないか。これじゃ、背伸びしてお店にやってきた兄妹に思われる。周りの視線が恥ずかしいものの、リルマの姿を見て連れてきてよかったと思えた。
「……ま、変に気取っても仕方がないよな」
軽く手を挙げ、ウェイターを呼ぶ。俺はオムライスとエビフライのセットを頼んだ。あくまで高そうな店だがリーズナブルなメニューもあるのだ。お任せするといわれた手前、これは嫌いだったと外すわけにも行かない。というか、こういうお店に置いてある方が不思議だったりもする。
ウェイターが去った後、またリルマが顔を近づけてきた。その顔色に緊張の色は浮かんでいない、代わりにあるのは疑問だ。
「あのさ」
「ん?」
「お昼のあれって、結局なんだったの?」
「あれ? ああ、俺がリルマを変装させてあいつらのところに連れて行った事か。詳しく説明してなかったっけ」
「してもらったけど、よくわからなかった」
お前、昼の説明でわかったって言ってたじゃんかよ。わからないのなら、わからないって素直に言ってくれればいいのに。
「あれは俺の見栄を張るためだよ」
男は見栄っ張りな生き物である。
鉄の棒が体に刺さっても、好きな女の子の前なら、なぁに、このぐらいどうってことないぜって言えなきゃ駄目だ。
無論、心の中では号泣である。電話でレスキューを読んでくれと叫びまくっている。
よく考えてみれば、リルマに滅茶苦茶にされたときは余裕がなくなっていたっけ。俺もまだまだだな。
「うん、それから?」
「以上で説明は終わりだ」
何それと一言いわれた。
「え、そんなもののために晩御飯代を無駄に払うの? それに、服もそっち持ちじゃん」
「別に、無駄じゃないさ」
お冷を一口飲んで、俺は首をすくめた。相手が奢ってもらって悪いかなって思ったらだめだよな。リルマはそんなことを考える奴ではないだろうが、念のため説明しておこう。
「知り合いと晩飯を食うのはおかしなことでもないだろ。何かのきっかけになるかもしれないし」
「何かのきっかけ?」
まるでナンパのようだ。たまに裕二が似たようなことを言っているのを思い出して背筋に鳥肌が立った。
下手なナンパとリルマに思われたくないので、ちょっとだけ真面目な話をしよう。
「そうだ。きっかけなんて些細なことだよ。例えば……そうだなぁ、俺が恋人にふられたとき、リルマが居ただろ。あの時、リルマが居なかったら俺は影について知らないまま過ごしていたはず」
事象は偶然の産物だ。世界は自分の選択だけではなく、他人の選択とも入り混じっている。
まず、俺がリルマに駅前で出会っていなければどうなっていただろうか。また、俺がフラれていなかったらどうなっていたのか。俺がネットゲームを選んでいたら、お化け屋敷の相手に青木を選んでいたらどうなったか。
「会うことなんて滅多にないだろうけど、日常を生きてきた俺にとって、とても信じられることじゃなかった。平々凡々な俺には刺激的だったよ。損する方向への非日常かもって思ったけど、リルマっていう友人を得た。長年、不明だった影食いの存在にも出会えたし、感謝してる」
もっとも、影の件についてはリルマ自体があまり勉強していないので、説明に対して理解はしていない。更に言うのなら、派手さもないらしい作業のような影食いは俺が想像していたものとはおおよそかけ離れたものだった。
それらはリルマが俺にまだ教えていないこともあるからか、それとも彼女自体が知らないのかもしれない。
電気のスイッチを押したら明るくなる。この程度なら子供でも分かるだろう。電気をつけてほしいと言えば、出来るはずだ。ただ、どうして電気がつくのかという仕組みは説明できない。どこから供給しているのか、どうやって電気を作っているのかと言った具合だな。
「あの、さ」
どこか戸惑う様子でリルマは俺を見てくる。
「今の話、よく、わからなかった」
がくっと体を動かしてしまった。俺なりにわかりやすく説明したつもりだが、つもりはつもりらしい。
「要するに感謝してるって事?」
「一回言ったかもしれないけど、簡単に言うとそうだよ」
いつかあいつが言っていたのはこういうのことだったのかって思ってくれればそれでいいさ。
「けどさ、一言、いい?」
「なんだ。なんでも言ってくれ」
わからないなりに、感想を持ったのだろう。結果がどうであれ、会話のキャッチボールが出来れば今後もこの関係は続いていく。
「……変な奴」
眉根を寄せて、上目づかいにそういったリルマの顔は面白かった。
「ああ、そうだな。リルマの言うとおりだよ」
本来なら頷くことは出来ない。自分の事を本当にわかっている人間なんて、この世の中にはいないのだから。
「何笑ってんの?」
「リルマが面白い顔をしてた。それを見ることが出来たんだから、今日はいい日だよ」
リルマが目に入ってからずっと逃げていたのだ。何故怖かったのかいまだにわからない。
それから数分後、運ばれてきた料理を二人で食べてそのまま別れた。
たとえ、影食いの世界に深く入り込めなくてもこれはこれでよさそうだ。新しい友達との出会いを誰かに感謝しておこう。