第九話:始まりの日
遊園地にやってきて、初っ端がジェットコースターだった。
俺、ジェットコースターって苦手なのよね。年下の女の子がいる手前、震えは出さなかったけどさ。子どもの頃に想像以上のGを体感して乗車中に胃液ぶちまけなんてやった日にはトラウマにもなるよ。あまり他人には知られたくない。
しかし、俺の心の動揺は乗り終えた後も腕をキープしているリルマに伝わっていたらしい。
「あれぇ、もしかして啓輔さんびびっていたりしますか?」
敬語ながら馬鹿にしているのはすぐにわかった。さらに見下した感じの目つきだが、どこかその口調は演技じみている。
俺をつついて、出かたをうかがっているようだ。敢えて煽ってどんな反応をするのか見たいのだろう。本心を隠している以上、まともに取り合ってやる必要はない。
「こ、こんぐれぇで、び、びびってねぇよ」
そして俺は相手が望む台詞を口にする。ついでに、身体も思いっきり震わせておいた。
「うわ……」
この挙動に関して相手は軽く引いている。
「へっ!」
満足いったのでにやっとするといらいらし始めた。
ここに狸と狐の化かしあいがスタートした。
「……い、意外とへたれなのね」
ぼそっと、そう言われた。人によっては嬉しいことかもしれないが俺は美人に罵られて喜ぶ達人ではない。
「うん、そだおー、おいたん、怖いの苦手―、ぐひひ」
「ひっ……」
今の態度を見るに、やはり、わざと挑発しているようにも思える。俺がどういった反応をする人間なのか知りたいのだろう。だが、俺はそうやすやすとお前の思い通りにいかせたくはない。
「そ、そうよね、駅前で会った時、これでもかってびびって逃げてたもんね」
それに対し、俺は同意するしかない。
しかし、不思議なもので、リルマへの恐怖感がなくなっていたのだ。以前は姿を見かけるだけで逃げていたのにこれは一体どういうことだろう。海の中でサメに出会うぐらいの自然さ。
俺が黙り込んだことでリルマは軽く警戒していた。さっき、ふざけて体を震わせたので何か俺が企んでいると考えているようだ。
「ちょっと、聞いてるの?」
俺が無視して考え込んでいても、話は進む。
リルマは俺の反応が無いとみると諦めたのかアトラクションを見始めていた。横顔を盗み見ると楽しそうにしている。年相応にこういうのは好きなようだ。
「じゃ、次はどこに行こうか」
「はいっ」
そこでリルマが元気よく手を挙げた。俺が教師なら絶対にリルマを指しただろう。
「お化け屋敷、行きませんか」
こっちを見てにやっとしやがった。こいつ、俺がお化け関係も駄目だと踏んだらしい。
残念だったな。俺は、お化け関係は人並み程度に大丈夫だ。日本のお化け屋敷は、トマトケチャップっておいしいよね、みたいなスプラッタはないし、なんだ、猫か、驚かせやがってからの怒涛のラッシュもないからな。
「え、お、お化け屋敷?」
ああ、蛍ちゃんは駄目らしいな。美紀さんのほうも(表面上は)駄目っぽいぞ。
「ここは二人ずつだからすっごく楽しめるよ」
リルマの言葉に美紀さんは素早く裕二に近づいていく。
「あの、裕二さん。一緒に行ってくれませんか?」
なるほど、真っ先に言いだせば意見が通りそうなものだ。それに、選べるうちに選ぶのが一番だ。
「オーケー、いいよ」
意外と頼られる男、裕二。すぐさま美紀さんとペアが出来上がった。青木の奴はなにやらニヤニヤしてこっちを見てくる。リルマも微かににやにやしている。
ま、裕二のことだ、どうせどこかのタイミングでお化け屋敷をチョイスしていたに違いない。遅かれ早かれ、こんな状況になっていた。
隣のリルマから恐怖を叩き込まれた俺としてはね、こんなものは子供だましだ。一人じゃなくて、二人で行くのなら尚更だよ。
「あの、啓輔さん」
そして、不安そうな蛍ちゃんが俺のところにやってきたとき勝利を確信した……何に対しての勝利かは知らないけどな。
「何かな、蛍ちゃん?」
「一緒に行って欲しいです」
断る理由も無い。年下女子に頼られる。うん、悪くない。むしろいいじゃないか。ネットゲームを選ばずにこっちに来てよかった。
宗也のお母さん、蛍ちゃんを生んでくれてありがとうございます。
「是非、一緒に行こうか」
いつもよりいい声で対応しておいた。
「え? 啓輔さんは私と行くよね」
目で俺を威嚇している金髪。横やりを入れてくるんじゃあない。
こいつは俺がどんな反応をするのか見られなくなって残念らしい。だが、俺は別に残念とも思ってない。探りを入れたいようだが探られるほど俺には何もない。
この子は俺が、必要以上に怯えたから興味を持っただけだろう。普通にしていれば、すぐにそうだと理解して離れていくはず。
お互い、運命の出会いでもなんでもなかった。一時の気の迷いだった。もしくは、すみれにフラれたせいでおかしくなっていたのかもしれない。
「リルマさんは青木と一緒に行くといいよ。青木、頼んだよ」
俺の言葉にニヤニヤしていた青木は、もっと嬉しそうに笑っている。
「え、何それ? あたしもぉ、啓輔とぉ、行きたいなぁ」
可能な限りの可愛い声を出していた。思わず青木じゃなかったら俺も猫なで声で対応していたに違いない。
「羨ましいにゃあ、啓輔」
裕二もにやにや、ではなくにゃあにゃあしていた。つまらねぇよ、くそ。
「なんだ、裕二。お前も俺と一緒に行きたいのか?」
「……いや、ねぇよ」
この状況、純粋に喜んでいいものじゃないな。青木の奴は間違いなく暗がりで俺を驚かせてくるタイプだ。
よく覚えておいてほしいことがある。人が一人で肝試しに行かないのは怖いからじゃない。何かあった時に、生贄になってくれる相手が必要だからさ。本能はそれをわかっているんだよ。
二人で本物のお化けに遭遇した場合、お化けも二つに分裂しない限り隣にいるやつを生贄にすれば生存率は当然アップする。お化けが分裂して追いかけて来たって話はまだ聞いたことがない。
後日、なんで置き去りにしたの半透明の友人に言われても、この世の中は弱肉強食である。弱者、消えるべし。と告げれば、ああ、それは納得といって成仏してくれるだろう。
しかし、今はそれと関係ないな。この状況は面倒くさいし、時間がもったいない。蛍ちゃんと一緒にいてそうなっても助けるとは思う、多分。
「じゃあ、じゃんけんで決めよう。勝った奴から相手を選べる」
ここで俺と一緒に行く権利をやろうと言われたら自惚れ野郎くたばれと外野に言われそうだ。平等感を出して、責任逃れに終始するしかない。
大事なのは誰が一番悪いのかという責任の所在をあやふやにすること。血判証も連盟にする際、円でしてしまえばいいのと一緒だ。
「違う違う。そんなんじゃ駄目だよ」
せっかく誰もが納得してくれそうな提案をしたのになんて奴だ。
青木が首を突っ込んできた。まぁ、相手の出鼻を異議申し立てでくじく、悪くない手法だ。こういうところは見習っていこうかと思う。
「こういう場合は、じゃんけんじゃなくて、びしっと啓輔が決めないとね」
「なんだ、俺が決めていいのか?」
「もちろんだよ」
そうか、それはよかった。
「うん、赤緑青と悩むよね。三者三様、可愛い子が……」
お前が何の話をしているのかよくわからないよ、青木。
「蛍ちゃんでお願いします」
「は、はい、こちらこそお願いします」
「最後まで聞けよぉぉぉぉっ」
るっせ。青木は驚かせてきそうだから駄目だ。リルマは何か仕掛けてきそうだ。
そもそも、リルマと二人きりは多分、危険だ。説明できないけど何かよくないことが起こる。パラレルワールドがあったら普通にこの娘と仲良くしている俺に確かめてもらえ。
リルマが駄目ならば、消去法で蛍ちゃんに決まっている。もちろん、優先的に選んでも蛍ちゃんだ。
「よろしくね、蛍ちゃん」
「はい、こちらこそ」
スタイル的にも悪くないしな。まぁ、青木(突出してる)、リルマ(とても大きい)、蛍ちゃん(こちらも悪くない)の順番でナイスオメガである。
下心で選べば青木なんだがなぁ、男が下心を出して上手くいくのはAVをレンタルするときだけだよ。それにしたって、表紙と内容が全然違うとうまくいかないことの方が多いってのにな。
今回の場合、下心全開だと不意に驚いたときが大変だ。
「……ふふっ」
リルマが何か騒ぐかと思ったのだが、最後まで静かだった。不適に笑っているのが怖い。しかし、入ってしまえばこっちのものだ。
そして、俺の隣にも同じことを考えていそうな奴がいた。
「ぐふっ、ぐふふ……入ってしまえばこっちのもんだな」
「お前、邪悪そのものになってんぞ、裕二」
美紀さんの方はちょっと失敗したかもしれないって顔になってるぞ。
「さて、そんじゃ順番をどうしますかねーっと」
「そこらへんは適当でいいだろ」
順番は俺と蛍ちゃん、次に裕二と美紀さん、最後にリルマと青木だ。
「んじゃ、行ってくるわ」
「いってらー」
「骨は拾ってやるよ」
右腕装備をリルマから蛍ちゃんに切替え、歩き始める。寄せられた胸がしっかりと腕にあたり、身体ごと引っ付けてくるので歩きづらい。歩きづらいが悪くはない。
やはり女の子は柔らかいな。
「け、啓輔さんは怖くないんですか」
いつだったか、元彼女ともこうしてお化け屋敷に入ったかな。あいつは怖がりでもなんでもなかったから、そういった面では楽しめていなかった気がする。
「啓祐……さん?」
おっと、いかん。女の子が隣にいるのに別のやつのことを考えるなんてどうかしている。
「普通、かな。お化け屋敷は問題ないんだけど、ジェットコースターが少し苦手だ」
それから本格的にお化けや幽霊が出てきて俺達を驚かせてくれた。中盤、障子の破れた一角を歩いていると、通路の隅に濃い影を見た気がした。人の姿をした影、ではなくきりたんぽを地面から生やしたような影だ。幽霊とは思えないが、非常に怪しい雰囲気を漂わせている。
無視をすればいいのに、無視できない雰囲気があった。俺が気づく前は、かすかながら動いていた。
「……ごめん、ちょっと腕を放してくれるかな」
「え、あ、はい」
「あと、走って逃げる準備をしておいてね、オーケー?」
「は、はい」
どこか黒い手帳を思い起こさせるものだった。あの手帳の暗闇に似ているのだ。闇の影、なんだか表現だとおかしい気もするけれど、闇の中に黒いものがあった。
なんとなく、それに手を伸ばしてみると触れることが出来た。何か柔らかいものを布に包んだような感触で、軽く揉んでみた。すると、風を吸うような音が聞こえてくる。
たぶん、この影の物体は息をしている。
「ど、どうかしたんですか? 何も無い空間に手を伸ばして」
「いや、ここに何か柔らかいものが……ぐうぅっ」
その瞬間、顔面に何かが当たった。バイクやチャリで走っていて、ありえないことだが、カナブンが顔面一杯に当たったような感覚だった。
殴られた感じが一番近いかもしれない。
「がっ、はっ」
「け、啓輔さんっ」
かなりの距離を滑って壁に激突。
一体何事かとお化け役の職員さんがやってきて俺を助けてくれた、らしい。
それら一連の流れを覚えていない。なぜなら俺は、滑って吹き飛ばされたところにあったセットに直撃。そのセットがへし折れて降り注いだ時点で記憶を失っていたのだ。
最近のお化け屋敷はこんにゃくじゃなくて見えない何かが顔面に飛来するらしい。
意識を失っている時、俺は死んだばあちゃんに追いかけられる夢を見た。そして、暗闇が俺からあふれ出始める。
そんな意味不明な内容だった。