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遠い記憶  作者: 文音
1/23

1-①   不老 

 加筆しています。加筆にともない以前の第一話に当たる部分を分割しております。

※ 設定や話の内容に変更はありません。



 彼がその指輪に触れると、繊細に施された細工の下からそれまで見えなかった刻印が淡い光を放って浮かび上がった。

 彼は自らはめた指輪を名残惜しそうにゆっくりと抜き取り、寝台横の小机の上にそっと置いた。





 街道沿いに建つ一軒の酒場の前で、レニーはひとつ深々と大きなため息を漏らした。

 店の名前は、琥珀亭。この辺りでは古くからある比較的大きな繁盛店だ。

 石造りの壁と重厚な飴色の扉越しに、店内の喧騒が潮騒のようにかすかに聞こえる。


 ちなみにレニーはこの店の常連だが、食堂として営業している昼間の時間帯しか入ったことがない。

 然るに、今は夜……

 この世界の大きな月が今夜はひときわ明るく輝き、レニーのしなやかな身体を仄暗い闇のなかに照らし出している。

 目元にかかる前髪のつくる影のしたで深みを増した榛色の瞳が、月光をあつめて揺らめく。

 ――もう一度小さくため息を吐き、レニーは扉の把手に手をかけた。



 レニーのカンは、当たる。

 それも良い予感より、圧倒的に良くない予感のほうが。

 店に入ると、この時間にレニーを呼びつけたこの店の女店主がレニーを待ち構えていた。

 その隣に、妙齢の女。

 レニーはこの女に見覚えがある。最近まで琥珀亭で給仕をしていた。


 細面の割にしっかりした顎をしているが、それが茶色の大きい瞳を受けとめて絶妙にバランスをとっている。彫像のような整いすぎた美しさより、よほど人間味があり親しみやすい。身長は女にしては高く、レニーより少し低い。後頭部でひとつに結んだ栗色の艶のある髪が、彼女のお辞儀とともにさらりと首筋を伝って揺れた。


(この間見かけたときより、少し陽に灼けたか?)

 それは彼女が、仕事の場を琥珀亭から屋外へ移したことを物語っていた。

 だが、顔色はさえない。以前は意志の強さをのぞかせていた瞳も、心なしか翳りを帯びているように見受けられる。



 酒場の男達のなかで、少年の姿をしたレニーは浮いていた。

 店主の後に続いて店内を横切るレニーの姿を奇異の目で追う酔客達に、酒場に足を踏み入れた少年を咎める気配はどこにもない。

 それでも、――そうした視線にさらされるのは気に入らない。

(どうせ、珍しいんだろう)

 酒のはいった勢いで大袈裟に同情されるのも、わけしり顔で身の上話を訊いてこられるのも面倒だ。


 なぜなら、彼は見た目通りの少年ではない。

 そしてそのことを、この場に居合わせた誰もが承知している。

 この世界は、――――



 店主はレニーを奥まった席へ案内した。

 テーブルの配置を変えたのか、そこだけ周りの席と不自然に間隔があいている。

(絶対、イヤな予感しかしねぇ……)

 レニーはわかりやすく顔をしかめて見せたが、店主は気にすることなく彼に座るよううながしてきた。

 レニーの正面に店主が、その横に栗色の髪の女が座った。


「あんた今、採掘警護の仕事をしてるんだってね。そっちはいつ終わるんだい?それと、その次の仕事はもう決まってるのかい?」

 やにわに店主が用件を切り出してくるのはいつものことだったので、レニーもいつもの通り素っ気なく返す。

「昨日でいったん終わった。次の仕事は、まだ……だな」

 レニーの言葉の終わらぬうちに店主の顔に喜色が浮かんだ。レニーの警戒心はさらに強まる。


「そうかい。そいつはちょうど良かった! あんたに次の仕事がはいる前に話しておきたくって。こんな時間に悪いとは思ったんだけど、この娘の都合がつかなくてね」


「…………」

 レニーがちらと栗色の髪の女に視線を向けると、彼女は恐縮したように身を固くした。


「この娘は、サラっていうんだ。わたしが後見を務めてる。今、十九歳だったね。最近こちらに来たばかりで、一応戦士ってことにはなってるんだが……」


 ここでレニーが頼んでもいないのに、彼の好物の肉料理が運ばれてきた。ご丁寧にサラダとパン、珈琲までついている。

 ミエミエのおもてなしに、レニーの顔がひきつる。

(……こんなの、いらねえっての。あとできっちり代金を受け取らせて、それでチャラにしてやる)

「…………で?」


 店主はレニーのご機嫌をうかがうように笑みを浮かべた。


「レニー、あんたにサラの剣の指導を頼みたいんだよ。実はギルドでのこの娘の訓練の成果がはかばかしくなくって。このままじゃサラもこの娘のいるパーティーの連中もタイヘンだし、あんた強いんだから、いろいろと教えてあげて」



 レニーは冷たい目で店主を見やった。


 ギルドで指導を受けた新米戦士の出来が、想定していた結果にほど遠い。


 それは別段、サラだけが問題というわけでもない。むしろ当たり前だ。

 毎月やってくる新米への対応に追われるギルドは、そんなことは百も承知で訓練期間が過ぎれば個人の能力や状態に関係なく、スケジュール通りに次の段階、――パーティー加入へと彼らを押し出していく。

 あとは所属するパーティーで、実戦を経ながら育ててもらう。


 もうずっと昔から、皆それでやってきている。

 なにを今さら――――。


 それに。

 琥珀亭に出入りする客のなかにも強い戦士はいくらもいる。武器の扱い方もろくに知らなかった、素人の指導だ。

 レニーでなければならない理由が、どこにある?




 サラが琥珀亭で働くのは昼間の時間だけだと、客達が話しているのをレニーは聞いたことがある。

 それは、そうだろう、とレニーは思った。


(……美人だよな。彼女は普通にしているだけなんだが)



 ここでの主な仕事は魔物を狩ること。人々は交代で魔物退治にかりだされる。

 そんな人々にとっての楽しみといえば、休息と美味しい食事と旨い酒。

 それらを提供する場として、この街には数多くの食堂兼酒場がある。


 そのなかのひとつ、琥珀亭に来店する客を気持ちよく迎えてくれるサラに憧れる男達は多い。遠巻きにながめ、注文や配膳でたまに訪れる彼女と近くで接する幸運に、大の男がだらしなくにやけている。優しくまろやかな女性らしい存在に、飢えているといってもいいだろう。琥珀亭にそれまであまり見なかった客が増え、彼らが食事と酒以外の癒しを求めてやってきているのは歴然としていた。


 男の庇護欲をそそるとでもいうのか……、こちらでの生活になじみ、生来の男勝りに輪をかけた女店主と並ぶとなおさら強く感じる。



(……俺は、男のうちには入らない、ってか?)

 店主がわざわざレニーに白羽の矢をたてた理由の見当がつくだけに、彼はこの話を引き受けたくなかった。


「それ、ギルドからの正式な依頼じゃないんだろ? だったら他をあたれ。事情がどうあれ、俺は個人的に剣の指導なんてしない」


 店主の落胆は気にならないが、サラが一瞬すがるような眼差しでレニーを見た。血の気がひき表情は痛々しくこわばり、小刻みに肩が震えている。

「――――!」

 目を背けたくなる衝動をこらえて、レニーはサラに言い訳のように言葉を継いだ。

「俺、そんなガラじゃねえし……」



 琥珀亭をあとにし、レニーはふと道の真ん中で立ち止まり天を仰いだ。ほうっと夜空に輝く月を見上げる。冴え冴えとした清浄な月の光を浴びて、――――洗い流してもらいたかった。



 サラの訓練の成果が上がらなかったのは、彼女が女だからだ。

 ――――だとしたら、たとえ彼女に恨まれようと、指導の依頼を断ったのは正解だった。

 脳裏に焼きついたサラの哀しそうな姿を振り切ろうと、レニーは何度も己に言い聞かせる。

 まったく――――




 レニーは自分と近い年頃の少年に出会ったことがある。

 ただレニーが出合った彼らは同じ成長期でも、身長の伸びが止まったあとだった。

 時を経て顔つきも変わり身体の成長に心が追いついた彼らの姿は、もう少年ではなく一人前の若者に変貌していた。

 中途半端に時を止めたレニーの容姿に、その変化はいびつなだけだ。


(それでなくても年齢の割に可愛げのない子供だって思われてたのに、さらに拍車がかかってんだからな……)

 向こうの世界で十五歳といえば立派に成人だが、男としては小柄で華奢なレニーは大人ばかりのこの世界ではすっかり子供扱いだった。


 早熟だった彼は、そのギャップに呆れ、戸惑った。

 彼らのレニーへの対応は、あちらの十五歳に対するそれよりずっと幼い者に対するものだった。

 ただでさえこちらでは見かけない少年の姿で目立ってしまっているのに、そのうえ彼らの思う十五歳らしからぬ立ち居振る舞いをするというのでさらに注目を集めてしまう。



 昔、パーティー仲間の男から、「そんなに注目されるのが嫌だっていうのなら、いっそ髪を伸ばして腕のたつ女戦士ってことにしたらどうだ? そのほうが同じ注目されるのでも、よっぽどいいんじゃないのかな?」 と酒でとろんとなった目で見つめられ絡まれたことがある。

 ――――――どこがいいものか!

 レニーはその時ばかりは遠慮なく、その男をぶちのめした。



 なぜこうなったのかなんて、わかっている。


 ――――――面倒くさい。


 とりあえず周囲と折り合いをつけようとして、レニーは手さぐりで彼らが抱く見た目の年齢に相応しい振る舞いを心がけた。

 それから少しずつ変えていったし、彼自身もこちらでの暮らしが長くなるにつれ変わっていった。

 レニーを取り巻く人々も、彼がこちらの社会に順応して変わっていくことを喜び評価した。だがその評価は、彼の変化に正しく追いついてはいない。

 そもそも、もともとのスタートラインが違っている。

 始めのうちは、それでもよかった。それが五年、十年、……三十年……と過ぎていくうちに――――――。



 まったく――――

(身体だけでなく心まで、成長が止まったとでも思ってんのか……?)




 レニーがこの世界に来たのは、十五の年齢だった。

 あれから数十年の歳月が流れたが、なぜか肉体の成長は止まったままだ。

 そしてそれは、彼だけではなかった。

 この世界で暮らす者全て、同じだった。

 




 レニーはこの後、傷病者の搬送の警護の仕事で街を離れた。隣の街アルマからここヴェロニカへと通ずる街道は途中魔物の巣くう林を通らなけらばならない。レニーのいるパーティーのリーダー、ゲルトは見かけによらず慎重な男で、久しぶりにメンバー全員が揃っての仕事だった。


 アルマとの境で引き渡しを受けた傷病者はふたり。うちひとりは、女だった。

 馬に似た大型の獣にひかせた幌付きの車の荷台に、土気色の肌をした女は力なく横たわっていた。包帯の巻かれた頭部だけでなく毛布のしたに隠れた部分にいったいどれだけの傷を負っているのか?


 転移魔法ではなく陸路で運ばれていることから、或いはさほど深刻な状態ではないかもしれないが、朝食のスープを運び、「これから林を抜ける」とレニーが伝えたときの、女のあの、怯えた表情……。

 林の魔物など彼女達が戦った魔物に比べればとるに足りないレベルなのに、魔物というだけでその折の惨劇の恐怖が蘇ってくるのか、――痛ましい女の姿を前にレニーの顔が曇る。


「…………」

 幌の中は血や薬、体臭が混じりあったなんともいえない臭いがしていた。仲間の魔道士が臭い消しの香を焚いているが、鼻が利くレニーにはやはり気になる。

 林に入る前に、魔物をひきつけるこの臭いが外に漏れないよう、魔道士が車全体を結界で覆った。





 サラが、琥珀亭でまた働くようになった。

 久々に見る彼女の表情が明るくなっているのに、レニーは驚いた。

 更に驚いたことに、客との短い会話のなかで、林での魔物退治の話をしている。

 客達の騒がしい声がぴたっと途切れたつかの間に、偶然飛び込んできたその内容に、レニーの耳は釘づけになった。


 ――――サラに悲愴感は感じられない。むしろ張りのある声は、充実感さえ漂っている。


(こんなふうに笑うんだ)


 あの、レニーの記憶にシミのようにはりついていた、血の気のひいたこわばった表情をしたサラの面影はもはや無い。



 レニーがサラの指導を断ったあと、どうなったか聞いていないが。

(ま、なんにんせよ、上手くいってるみたいだな)

 ほっとしたような、ちょっと拍子抜けしたような……。


 たちのぼる香ばしい匂いに、レニーは、忙しく立ち働くサラの姿から目の前におかれた肉料理へと視線を移した。




 お読みいただいてありがとうございます。




 ……R15にするにしてもこの内容だし、できるだけさらっと書いて……と思って書いた第一話。

 元いた世界が現実社会ではなく架空世界のため、話が進むにつれてその説明等も入れていくうちに、だんだん「さらっと」……ではなくなっていきました。

 少し前からこのギャップが気になってきてましたので、加筆しておりますが……。

 不安が…………。蛇足でなければいいのですが。       


 それから、第一話だけ他の回にくらべ突出して文字数が多くなりましたので、分割しております。

 いろいろとお恥ずかしいかぎりですが、どうぞよろしくお願いいたします。

                          (2016/5/6)


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