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作者: 道本幸也

 殺意の満ちるありふれた夜でした。夜空には雲ひとつ浮かんでおりませんでした。澄み渡った空が、僕の気持ちをいくらか楽にさせます。僕は睡眠薬を10錠ばかり、水も使わず飲み下しました。


 彼を殺そうと思ったのは何年も前のことです。彼は不意に僕の前に現れ、そして僕のことを見下し、嘲笑い続けてきたのです。たった今の、今まで。

 ですが、そんなことももうありません。私の心は今、ガラスの水晶玉のように透明です。僕のことを嘲笑い続けた彼はもうすぐいなくなるのです。憎しみと安らぎが、僕の頭をぐちゃぐちゃにかき乱しました。


 僕は少し前まで、そう、彼が現れるまでは、たった一人の、ただの学生でした。友達の数は多くありませんでしたが、温和で、生ぬるいような日ばかりが続いていたのを覚えています。それらは決してつまらない日々などではありませんでした。一日一日が無為に過ぎていくのが、むしろ心地よかったのです。何も考えなくていいということが、その時の僕にあったものでした。それ以外は何も覚えておりません。


 そんなある日のことです。彼は僕の目の前にいきなり現れました。「君はつまらない人間だね」そう言われました。

 僕は顔を真っ赤にして何か言い返そうとしました。しかしできなかったのです。自分はつまらない人間だといわれて、否定できる言葉がどうしても見つからなかったのです。

 そんな僕を見て彼はさらに続けました。「君の代わりなんていくらでもいる」彼は笑っていました。好意的ではない笑みでした。


 どうしてそんな月並みな表現でしか人を馬鹿にできないんだ。僕は心の中でそう言い返しました。ですが、言葉にすることはしませんでした。口を開くと、つい涙までこぼれそうになったからです。僕は何も言いませんでした。その代わり、足だけは速く動かして逃げるようにその場から立ち去りました。


 ですが、彼はつけてきました。ずっとです。授業中だって、下校中だって、彼はずっと僕のそばにひっつき、僕に対して罵詈雑言を言ってきたのです。


 そのうち、僕は学校に行かなくなりました。彼に出会うのが怖かったからです。いや、むしろそれよりも「つまらない」と本当に周りから思われているかもしれないことのほうが僕にとっては恐ろしかったのかもしれません。とにかく、僕は学校に行かなくなりました。


 ですが、それでも彼は付きまとってきたのです。時には友達のふりをして部屋の中に入ってきたり、またある時は家の窓から僕の部屋に侵入したりと、その方法は様々でしたが、とにかく僕に嫌がらせをしてきました。それもほぼ毎日です。苦痛でした。それと同時に、心の奥で何かが育っていく感覚を、僕は確かに感じ取っていました。


 そして、今日。澄み切った夜空に、僕の殺意の花はようやく開きました。満開です。僕は勝ち誇ったような笑みを浮かべました。今日僕は彼を殺せるのです。殺意の花が、実を結ぶのです。その笑みは心の奥から自然にこぼれ出て、そしてそのままの状態で顔は引きつってしまいました。


 彼はもう少しでここにやってきます。もう少し、もう少しで—―—―

 ほうら、やってきた。


「君は相変わらずくだらないことをやっているねえ」彼はなれなれしい口ぶりで僕を挑発してきます。

「今日君は死ぬ」

「ああ」

「怖くないのか」

「ああ。それよりも、そんな考えに至った君のほうが、僕にはよっぽど怖いし、哀れに見えるね」彼はどこまでも僕を怒らせます。


 僕はここぞとばかりに、瓶の中の睡眠薬を丸ごと飲み干しました。味のしない塊が喉を通り抜け、そして胃の中に入ってゆきました。


「ああ、ついにやってしまったね」

「そうだね」

「君はついに僕を追い出すことはできなかったね」

「そうだね」


 じきに、視界が暗くなってきました。


 彼の言う通り、僕は彼を追い出すことはできませんでした。

 僕は彼とうまくやってゆくことはできなかったのです。

 しばらく前から気づいていました。彼は僕の幻想なんだと。

 でも知らないふりをしました。知らないふりをして、見たくない現実から目をそらすほうが、よっぽど心地がいいから。

 それも今日で終わりです。終わるのです。もう少しで、終わるのです。


 殺意の花は無事にその役目を終え、やがて朽ちました。

 殺意の花は無事にその役目を終え、やがて朽ちました。

 殺意の花は無事にその役目を終え、やがて朽ちました。

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