Scene 5
Scene 5
伊織と川本が事務室に戻った時には、刑事課長席の前にはすでに、強行犯係長兼強行犯係第一班班長、井筒義之警部補が控えていた。
高卒乙種採用、所轄叩き上げの井筒は、幸村班の真山巡査長より若いとはいえ、伊織より川本より、勿論、梶谷刑事課長よりも、ずっと年上だ。
短く刈り揃えたゴマ塩頭。
井筒のパッと見は、刑事と言うよりも『その筋』の方に見えなくもないほどの強面だった。
唯一、古臭いほど大きめのセルフレームの眼鏡が、そのご面相にわずかばかりの愛嬌を添えている。
伊織は井筒の横へと歩み寄り、川本は幸村班の自席へと向った。
本橋は落ち着きなく、チラチラと刑事課長席に視線を走らせており、隣の真山は相変わらず、悠々と文庫本の時代小説を読んでいる。
本橋が立ち上り、班へと戻ってきた川本に耳打ちをした。
「一体、なんなんっすかね、梶谷課長。わざわざ班長二人とも呼びつけて?」
「さあな」
無関心にひと言を返して、川本は席に座る。
伊織と井筒を席の前に立たせ、梶谷刑事課長は、おもむろに顎の下で手指を組んで言った。
「今朝方の留学生転落死の件ですが、本庁一任ということにあい成りました」
「は?」
井筒が、思わず声を上げる。
しかし梶谷は、わざとらしいほどに取り澄ました様子を崩すことなく話を続けた。
「井筒さんも幸村さんも、今の時点までの捜査結果を取り纏め、私の方に上げて下さい。この件はそれで終了です」
「……ウチに『本部が立つ』とかじゃなく?」
井筒が念押しのように問いかけた。
「立ちません」
梶谷は即答する。
「了解しました、課長。至急、取り纏めます」
一瞬、戸惑いの表情を浮かべたものの、井筒は、すぐにスッパリと態度を切り替え、こう発した。
梶谷は井筒に頷いて見せると、次に伊織に視線を向けた。
「宜しいですね? 幸村さん」
伊織は、軽く顎を上げて、座る梶谷へと視線を落とす。
「『宜しい』も『宜しくない』も……それって命令なんでしょ?」
そして伊織は、踵を返して、梶谷の前から立ち去った。
幸村班に戻ってきた伊織へと、本橋が物問いた気な視線を向ける。
そんな本橋を露骨に無視して席に着き、伊織はノートパソコンを開いた。
すると突然、背後から奇妙に陽気な声が弾んできた。
「よお、伊織。どうした、パソコン開いて。自分で書類仕事? めっずらしいじゃん」
苦虫を噛みつぶしたような顔で、伊織が振り返る。
そこには、北条照英警部補が、巨大なコンビニのプリンとプラスティックの匙を手にして立っていた。
「……ニコちゃん、なんか用?」
つんけんと伊織が言う。
「用ってことでもないんだがな、伊織。あれだろ? 強行犯係が今朝、初動やった転落死。本庁が引っ張ってったんだって?」
「えっ?! そうなんすか? 北条さん!」
北条の台詞に、本橋が反応した。
北条はわざとらしく声を潜めて、今度は本橋に向って話し始める。
「そうらしいぜ、モトピー。外国人絡みだからって梶谷っちが、本庁に報告回したら、その途端……らしいぜ?」
「ちょっと!」
伊織が椅子から立ち上がり、北条のにやけ顔を睨み付けた。
「担当班長のわたしが、たった今しがた知った事、何で警備課のニコちゃんが、もういちいち知ってるわけ?」
「そりゃまあ、ほら。公安特殊ルートってやつ? 俺たち警備課は、情報速いんだって」
北条はプリンを口に運びながら、しらばっくれる。
川本が、パソコンのモニターから顔も上げずに、低い声で口を挟んだ。
「それで、伊織? 本庁はうちに、『手を引け』っていってるのか?」
「そうなんじゃない? 今『俊平くん』から、この件はこれで終わりにして報告書上げろって、言われちゃったし」
伊織も、川本に視線一つ向けずにこう返した。
隣の井筒班員たちは、すでに猛烈な勢いで報告書に取りかかっているようだ。
と、班長の井筒が、席から立ち上がった。
そして、急ぎ足で幸村班へと歩み寄りながら、井筒が言う。
「ちょっと幸村さん。タイ人転落死の件だけど、ウチは現場と自宅周辺の聞き込み結果を報告するから。そっちはそっちで、勝手に出してな?」
それから井筒は、わざとらしく北条に視線を向けた。
「おやぁ? 誰かと思ったら、警備の北条じゃないか。お前さん、何でこんなとこで、菓子喰ってんだ?」
「別に? ただ久々に、同期の『幸村さん』と世間話しに来ただけっすよ、いづっさん?」
北条は、ニヤニヤ顔をわずかも崩さず、ごく快活に井筒に応じる。
井筒は、ジトリと北条を一睨みした
だがすぐに、伊織に向きなおる。
「ともかく。さっさと報告書上げて、終わらせちまおうぜ、幸村さんよ?」
こうせせら笑らうように言い捨てて、井筒は急ぎ足で、自班へと戻って行った。
「えっと、幸村さん。結局、今段階の捜査状況を纏めて、課長に上げるってことなんすか?」
おずおずと、本橋が口を開く。
「そういうこと。じゃ、わたしらの分はよろしく。川本」
「おいおい、伊織。刑事は『書類書けてなんぼ』でしょうが。そうやって事務仕事、人に押し付けてばっかで、自分でやんねんから、何遍受けても、お前、警部試験に受かんないんだぜ?」
北条が、食べ終えたプリンと匙をコンビニのビニールに入れながら、茶々を入れた。
「本橋、タイ人の剖検どうだった?」
川本が、平然と話の流れをぶった切る。
「えっと、やっぱ全身打撲によるショック死みたいっす。簡易な血液検査もしましたけど、微量のアルコールが検出された位で、特に何も」
急に話を振られ、一瞬戸惑ったものの、本橋はパソコンのモニタを覗き込みつつ、こう応じた。
「酔って落ちた訳ではなしと、じゃあ自殺ってこと?」
北条が、また横から口を挟む。
「いやあ、北条さん、それが実は、ガイシャとは別の足跡も残ってたんすよ。現場らしき屋上に」
思わず、こう口を滑らせた本橋を、伊織が無言で睨み付けた。
本橋は身体を縮こめ、顔を顰める。
「じゃあ、他殺の可能性大な訳ね」
北条は相変わらず、のほほんと続けた。
「なに、まだいたの? ニコちゃん」
伊織の厭味に、北条はひとつ肩をすくめて帰りかける。
だが、ふと立ち止まって振り返った。
「あ、伊織、それ、いま、立ち上げてる書式。古いよ?」
「……え?」
伊織のキーボードを打つ指が凍りつく。
「復命書式、一日付けから変わるって、庶務からメール来てたでしょ?」
北条は、こう言いながら歩み去って行った。
「うそ、そんなん来てた?」
伊織は、横目で川本を見やる。
「来てたな」
ボソリとひと言、川本が呟いた。




