Scene 14
Scene 14
靖国通りに面した、とあるセルフサービスのカフェレストラン。
スカンジナビアンなインテリアの中、客層は、比較的若めの女性やカップルたちといった風。
そんな中、若干浮いている川本、浮きまくっている園山、そして、伊織がテーブルを囲んでいた。
川本は急須、お茶とご飯、味噌汁、総菜が並んだトレイを前にしており、園山はビールを飲んでいる。
伊織の前には、グラスワインに総菜、パン等が並ぶ。
「いやあ、あれだね、やっぱ女の子はお洒落なとこ来るねぇ、伊織ちゃん」
園山が、店内を見まわしながら、おっさんくさい台詞をはいた。
伊織が、すかさず応じる。
「園山さん、わたし、あの風水悪そうで不味そうなラーメン屋にだけは、絶対行く気ないですから」
「え? なに、それ明和大飯店のこと?」
園山が、目を瞠った。と、川本がぼそり呟く。
「伊織、それは違う。『不味そう』じゃなく、『不味い』だ」
「そんな、かわもっちゃーん」
園山が悲しげに川本を見やって嘆く。
「……ねえ、川本」
ワインをひとくち含み、伊織が訊く。
「バトラー山崎から、ビューの指輪とチェーン、返してもらってたよね」
「ああ」
ピシリと背筋を伸ばして、味噌汁の碗を口元に運んでいた川本が、視線をちらと、伊織に向ける。
「ちょっと見せて」
手にした碗と箸をトレイに置くと、川本は、胸ポケットから保全袋を取り出した。
「……つかさ、伊織ちゃん。何で鑑識の『鈴木さん』のこと、バトラー『山崎』って呼ぶのよ?」
園山の問いかけを無視し、伊織は食事の手を止めたきり黙り込んで、指輪とチェーンを見つめている。
「なんだ、どうかしたか?」
川本が、茶碗にほうじ茶を注ぎながら訊ねた。
「うーん、なんで、こんなもの持ってたのかね?」
伊織が、ひとりごとのように口にすると、園山がビールのコップを片手に目を細めた。
「なんでって、なによ? 伊織ちゃん」
「だって、これ『クラスリング』だよね……」
伊織が返した答えに、園山が?マークを張りつかせたような顔をする。
「……クラスリングって?」
「そう、日本ではカレッジリングとも言うかな。アメリカなんかで、よく作る。校章とか卒業年次とか、学位とか? そういうのをゴテゴテ彫りこんでさ」
園山に目を向け、伊織が応えた。
「お、あれか? あちらさんの卒業証書みたいなもんね?」
園山は、ひとり納得したように大きく何度も頷く。
「アイビーリーグなんかの名門大学の連中がするんだろ?」
川本が低く口を挟んだ。
「それに限らないけどね……高校でも作るし。ま、身に付けてステイタスを楽しむのは、そういう学校の人たちだけどさ」
伊織が補足する。
「伊織ちゃんは持ってないの? ハーバードのやつ」
園山が脳天気な口調で訊くと、伊織は、眉をしかめて鼻で笑った。
「あんな、これ見よがしに自分のことをいろいろ彫り込んだ指輪なんか……それに、わたしオカルト嫌いだし」
園山がきょとんとする。
「なんでオカルトよ?」
「アイビーリーガーリングなんていうのは、一種、秘密結社的なルーツだよ。『男オンリーのクラブ』の絆? みたいな」
伊織が口を尖らせ、言い捨てた。
「スリヤが持ってたのも、男物みたいだな……ごつい指輪だ」
川本が伊織の手にしている保全袋を指さす。
「そう、だからさ。なんで、ビューはこんもの持ってたのかな? って……だって、お洒落で身につけるなら、自分のサイズに合ったリングを探して買えばいいじゃない。クラスリングって、意外とセコハンで手に入るしね」
「確かに、どうみてもスリヤには大きすぎだな……」
川本が手を伸ばして、袋の上から指輪に触れた。
「じゃあ、あれだ、家族とかのじゃねえのか? 親父の形見とかさ」
園山が明るく言って、ビールを飲み干した。
伊織は、ふたたび指輪をしげしげと眺める。
「うーん、どうだろ。これ、一九九九年卒の人のだよ。二十一歳の子供は、さすがにいないと思うけど……」
「大学がどこだか、解るか?」
ほうじ茶をひとくちすすり、川本が口を開く。
「うん、UCLAだね……青い石だから、九月生まれかな? イニシャルは、J、M、学部はと……」
「え、青い石だから?」
園山がおずおずと口を挟む。
「そ、ここの真ん中に誕生石を入れるの。普通、これだけの大きさのサファイアは、なかなか入れらんないから、もちろん人造石だろうけど」
伊織の説明に、園山はなんとなくといった感じで頷いて見せた。
と、カジュアルな細身ジャケット姿の本橋が、店の入口に現れた。
「裏とれたっす」
と言いながら、本橋が伊織の隣に座る。
そして、声を潜め、「スリヤの部屋の侵入者の件。隣の女性が部屋から出てくる怪しい人影を見たって。でも写真見せたけど、根岸じゃないって」と続けた。
「そんな不審者見て、何で今まで黙ってんだよ、その女」
川本が苦虫をかみつぶしたような顔になる。
伊織は、なにごとかを考え込むようにして、黙りこんだ。
やがて、しみじみとこう口にする。
「……案外、今朝の園山さんの『読み』とさ、川本の『読み』を足して二で割ったってのが、結論だったりして」
「何だ、その『何を指し示しているか、全く持って正確性に欠ける喩え』は?」
川本のもってまわった皮肉にもまるで動じず、伊織は続けた。
「つまりさあ。川本が悩んでる『スリヤが殺された理由』のこと。やっぱり、ビューと根岸の繋がりって『タイ』しか考えられないよね……つまり『セックスツアー』。根岸が十年前やってた、あのスジ悪の斡旋業務……」
「その件と、指輪が関係あるっていうのか?」
川本が訊く。
「それは解んないけどさ……」
伊織は応じる。
「ともかく、ビューは死んじゃう前、誰かに家探しされてる。これは、確かだよね。モトピーがいま、裏を取ってきたとおり。でも、そいつらは、ビューの部屋で、この指輪を見つけられなかった。ビューが首から下げて身に付けてるのは知らなかったわけよ、指にしてれば目立ったろうけどさ」
伊織たちの話がまるで見えない本橋は、園山から、今朝の出来事の説明を聞いている。
「おい、まて」
川本が口を挟む。
「根岸との関係に話戻すぞ。スリヤに『虐待の痕』がなかったって言ったのは、お前だぜ? 伊織」
園山がすかさず続ける。
「だからさ、かわもっちゃん。本人じゃなくて、兄弟が、とかは?」
「うーん、それもなんか『弱い』かなあ。だいたい、この指輪をビューから奪ったのは、『根岸』なわけなんだしね」
伊織が腕組みをして唸った。
「ああ、待てよ。話が錯綜してるな……」
頭を抱えながらも、川本が話し始めた。
「外務省の室長と根岸の関係はどうだ? もしだ。外務省の例の室長が、過去の児童買春絡みで根岸に強請られてたとすると? 指輪はそれに関係ある証拠か何かだとか」
すかさず本橋が、こそっと園山に耳打ちする。
「『外務省の室長』って?」
「根岸がな、外務省の課付き室長の直通に電話掛けてたんだよ」
園山が、こそっと本橋に説明した。
「脅されてビビった外務省の役人が、ビューと根岸とその『物証』、この三つ全部を消そうとしたのかもってこと? なんでビューが『物証』を持ってんのかは、解らないけど。ま、タイってことしか、繋がりなさそうなのよね、でも。ともかく……」
伊織が川本の方に身を乗り出し、こう続ける。
「……同じブーツで、ビルの屋上に足跡付けたりなんかして、根岸をビュー殺しの犯人に偽装して捜査をミスリードしたところで、『自殺に見せかけ根岸を殺す』って予定を立てたとか?」
「園山のガサ入れが、計算外だったんだな」
川本が、ぼそりと言う。
「そして俺が、根岸の部屋からそいつを横取りしちまったってわけだ」
と、伊織の手にしている指輪を見やった。
「で? 外務省室長は、根岸を殺したはいいが、脅しに使われてた『証拠』の方は、結局、回収できずじまいで今に至る、ってことでいいの? 川本」
伊織の問いかけに、川本が溜息をつく。
「……ま、途中からは全部、推測だがな」
しばし、テーブルを支配した重苦しい沈黙を破ったのは、園山の声だった。
「あ、ほら。モトピーも、なんか夕飯、食べていけば?」
と、本橋がいそいそと立ち上がる。
「オレちょっと行くとこあるんで、すんません、これで」
「えー? そう?」
園山がなぜかさみしげな声を上げる中、本橋は、足早に店を去っていった。
一同は、その細身ジャケットの背中を見送る。
「……デートか」
ぼそりと、川本が口にする。
と、伊織が顔をしかめて見せた。
「あのさ、川本。発想がおっさん。あれは多分、習い事か資格予備校。あの世代は自己研鑽が好きだからね。それに、モトピー、まだまだ『上』狙ってんじゃないの? おっさんの川本とは違ってさ」
川本が露骨にむっとした顔になる。
「伊織、お前さっきから聞いてりゃ。『おっさんおっさん』ってなぁ」
と、園山が妙に明るい声で割って入った。
「いやいや、おっさんだろ? オレら」
*
霞が関の北の端、外務本省。
生原義男国際組織犯罪対策室長が、コートを片手に、大部屋内にしつらえられた個室から出てきた。
仕事中の女性係員に向かい、「それじゃあ、わたしは一行の接待の後、そのまま帰宅しますから」と言い置く。
「ディナーは、虎ノ門の『ラ・トゥール』でしたね?」
係員が確認すると、生原は、ふと片眉を軽く引き上げた。
「ああ。そうだ……ゴッドマン氏のメニュー。ちゃんとベジタリアン対応でお願いしてありましたか?」
「大丈夫です」
係員が即答すると、奥で生原の席の電話が鳴り始めた。
「お部屋のお電話、鳴ってますね。こちらで取りましょうか」
係員が受話器を上げ、接受ボタンを押そうとする。
と、生原が、突如声をこわばらせた。
「いや、いい。あちらで取ろう」
そう言うと、生原は、急ぎ自室へと引き返して行った。
*
生原は電気の消えた薄暗い部屋の中を、机に歩み寄り、受話器を取った。
「もしもし、生原だが」
闇に沈む窓に映りこんでいる自分の姿に目をやり、さりげなく身だしなみを整える。
「ああ……君か。どうも、え? 根岸からここに電話があった件? ああ、そういえば、そんなことが一度あったが。しかし、そんなこと……仕方ないだろう? ああ、どう言われようがシラを切り通すまでだ、もう、他に証拠があるわけでもないんだ。うん、僕は今出かけるところでね、急ぐから、じゃあ」
やや横柄な口調で通話を終えると、生原は、そのまま部屋を後にした。