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強行、第二。  作者: 水城
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Scene 12

Scene 12




伊織は、朝からずっとスリヤの剖検時の真山のメモと根岸の検案書を読み続けていた。

その隣では、川本が猛スピードでキーボードを打ち続けている。


本橋は、素直に、伊織に押しつけられた書類の起案をしていた。

時折、机越しに声を掛け、何事か、伊織に確認を取ったりなどしている。


真山は、引き続き、多巻物の時代小説を読み進めていた。


伊織の机の電話が鳴る。

誰も手を伸ばさない。


伊織は本橋に目線を向け、軽く睨む。だが、本橋は思いっきりのしかめ面で、それに応じた。


軽く舌打ちをしてから、伊織が受話器を取る。


「はあーいー? 強行、第二」


「あ、幸村警部補で? どうも、鑑識の鈴木でございます」

電話の相手は、鑑識係のバトラー山崎だった。


「突然に電話で失礼致します。あの、実はですね、昨日のご依頼の件……少々困ったことになりまして」


「へ?」


伊織の素っ頓狂な相槌にも、バトラーは粛々と応じる。

「はい、くだんの諸々の科捜研送りの物についてなのですが……その、『駄目』なんでございますよ」


「『だめ』……って?」


バトラーの迂遠な物言いに、伊織は、いまひとつピンとこない。


少し躊躇ってから、バトラー山崎は言いにくそうに続けた。


「下りないのでございます、決裁が……梶谷刑事課長の」


伊織の眉間に、ギュと皺が寄る。


「……判った」

短く応じると、ひとつ溜息をつき、伊織は受話器を戻した。

そして、立ち上がり、梶谷の席へと向って行く。


梶谷はパソコンに向い、四つ折りにしたバーバリーチェックのハンカチをあてがいながら、なにやらマウスを操作していた。


「梶谷『課長』」


机の前に立ち、伊織が口を開く。アニメ声ながらも、驚くほどドスが聞いた口調だった。


梶谷は、わざとらしいほどにゆっくりと目線を上げた。

「……なんでしょう?」


整理整頓の行き届いた梶谷の机の上、鑑識係からの文書が、決裁箱から取り出されて除けてあった。

伊織は、それに目を落とすと、顎をしゃくる。


「『お忙しい』ところ、恐縮ですが、それ。決裁の方、上げて頂けます?」


梶谷は、おや? といった風に文書に目をやった。

「ああ、こちらですか。先ほど、ざっとは目を通しましたが」


「じゃ、さっさとハンコの方、お願いできません? 急ぐんで」

伊織が、冷ややかに続ける。


だが梶谷は、軽く目を細め、机の前に立ちはだかる伊織を見上げると、いつもの慇懃無礼な口調で言った。


「ざっと見た限りでも、これは当課の所掌を逸脱していますね? 生活安全課マターでしょう」


「タイ人の転落死と根岸武夫の件は、関係してるんですって」


伊織が噛みつくが、梶谷は、フイと視線を逸らして言う。


「スリヤ・チャイルンルアンの件は、『本庁マター』ですよ、幸村班長、他にはなにか?」


そして、腕時計に目を走らせてから、

「ああ、申し訳ありませんが、十五時から課長会議でして……」と続けた。


伊織は目を見開いて、梶谷を見下ろす。

そして、一転して声を落とすと、「いいえ。お邪魔しました」と吐き捨てた。


きびすを返し、伊織は梶谷の前から歩み去る。だが、席には戻らず、そのまま刑事課の鉄扉を開け、部屋を出て行った。

その後ろ姿を、

梶谷は、一抹の不安を覚えながら見送っていた。



   *



「柳瀬さんってご在室?」


こう言いながら伊織が前室に飛び込むと、秘書が慌てて、席から立ち上がった。


伊織が見知らぬ顔だった。まだ若い婦警だ。

十月の異動で来たのだろうか。


「あの、どちらの部署の方で? お約束は」

部屋に入ろうとする伊織を、婦警が必死に止める。


「約束はしてません。刑事課の幸村だけど、署長に、そう取り次いでもらえれば解るから」

セーターの腕にしがみついてくる婦警を一瞥し、伊織はバッサリと言った。


新宿中央署署長柳瀬十兵衛(やなせじゅうべえ)警視正の部屋は、九階にある。


その所長室の窓からは、新宿の小汚い雑居ビルの一群を一望できる。

まあ、大して良い眺めでもないが、それはそれとして、新宿の非常に新宿らしい部分の一つだった。


伊織が部屋に飛び入った時も、柳瀬署長はその窓を背にして、いつも通り、口をへの字に曲げていた。


「おやおや、誰かと思やぁ、伊織じゃねぇか、お珍らだ。おう、お前さん、まだ再婚はしねぇのか?」

べらんめえ調の張りのある声が、溌剌と部屋に響き渡る。


伊織は首を振りながら、柳瀬に近づいた。


「結婚とか、もう当分いいですよ。ところで、柳瀬さん……ちょっと折り入って、お話が」



   *



刑事課、梶谷刑事課長席の電話が鳴った。

バーバリーチェックのハンカチを置いたマウスから手を放し、一呼吸置いて、梶谷が受話器を取る。


「はい、梶谷です」


「刑事課長か、柳瀬だ」


「……署長?!」

梶谷は、思わず椅子の上で姿勢を正した。


「……押せ」

柳瀬が、ひと言発する。


「は?」

面食らった梶谷が、二の句も継げないでいると、ふたたび柳瀬が凄んだ。


「黙って、判押せやぃ」


「あ、あのですね」

慌てて、言い訳を始める梶谷を、柳瀬が、ピシリと遮る。


「なんでぇ、お前さん。おいらの頭越しに『お堀端』とやり取りかぃ? なンとかっていう本庁の管理官の件。おいらの耳には、入っちゃなかったぜ」


「いえ、署長。その件に関しましてはですね、ごく実務的なやり取りでして。単純な立件の事でもありましたし、ご多忙な署長のお耳に入れるほどの……」


「うるせぇ!」


柳瀬の怒声に、梶谷が一瞬、受話器を耳から離した。


「『本店』の機嫌ばかり伺いやがって、いいかい。むこうさんに、よっく言っとけ。文句があンなら、せめて参事官ぐらい連れてこいとな。お前さんも、仮にも新宿中央署の刑事課長だろうが? たかが管理官ごとき、生意気にかけてきた脅しになんぞ屈しおってからに、だラシネェな、まったく」


柳瀬がひとしきり巻くし立て、電話は一方的に切れた。


受話器を一睨みしてから、梶谷は、それを電話機に叩きつける。


梶谷らしからぬ剣幕に、文書を手に近づいてきた内勤の女性警官が、驚いて飛び退いた。

だが、梶谷は険しい表情のまま、噛みしめるように呟く。


「……そりゃな。あと一年かそこいらで『アガリ』のヤツは、好き勝手言えるだろうよ。だがオレは、まだまだこの先が長いんだよ、くそジジイが!」


その瞬間、刑事課の部屋の鉄扉が開き、伊織が戻ってきた。


梶谷が、敵意をむき出しの獰猛な視線を、ほんの一瞬、伊織に向ける。


伊織も、梶谷を一瞥する。

そして、そのまま自席へと向い、椅子に座った。


「『目には、目を』……ってやつか?」

小説に目を落としていた真山が、ぽつり口を開く。


伊織は黙ったまま、少々、バツが悪そうに笑ってみせた。


その横で、川本が軽く鼻を鳴らす。

だが、そこには、いつもの皮肉の色は見えなかった。



   *



新宿中央署の窓から洩れる明かりも、随分少なくなった深夜。

五階の生活安全課には、青白い蛍光灯が、まだまだ煌々と灯っていた。


刑事課と似たような佇まいの生安課の大部屋では、ポータブルDVDプレーヤーで、つぎつぎと『皿』の中身を確認し、仕分けをする刑事が数名。パソコンに向かう刑事が数名。


そして、生活安全課主任園山警部補は、プリントアウトしたデータを会議卓一杯に広げ、部下となにやら話し込んでいる。


「……おいおい。もしかして、こいつぁ」


言って園山が、部下と顔を見合わせた。


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