ラウンジ
「ケータイばっかいじってないで本でも読んだら? 少年」
先輩が読んでいた文庫本から急に顔を上げると、そう言って面白そうに笑った。
学部内のラウンジ。定位置に彼女を見つけた僕は、コーヒーを買ってからその正面に座り、携帯電話を開いた。僕に気付いているのかそうでないのか先輩は本から目を離さない。僕は邪魔するのも悪い気がして声をかけられず、結局無意味にウェブを開いたりメールを読み返したりしていた、んだけれど。
いきなりそんなことを言われるなんて思っているわけもなくて、僕は先輩の顔をまじまじと見つめ返してしまった。
「……何よ。あたしの顔そんなに変?」
「い、いえ、すみません」
「ま、いいけど。それで、君は本とか読まないの?」
「いや、人並みには読みますけど……先輩こそ、貴女が読書なんかしてるところ、初めて見ましたよ」
「梅雨だからよ」
先輩は、断言した。
「もう6月でしょ。雨も続いてる。つまり梅雨よ。だからあたしは本を読むの」
「梅雨、だから、本を読む?」
「そ」
面白そうに、楽しそうに。彼女は言って、笑う。
化粧っ気は薄いのに長いまつげが揺れるようなまばたきをして。
シャツの七分丈の袖を肘上までまくり上げて。
カバーのかかった文庫本を右手に持って。
彼女は笑った。
「だから君も本を読みなさい。そうじゃなきゃそのステキなケータイねじ切るわよ」
「ねじ切る、って……」
「こう、画面のほうとボタンのほう持って、ぐいって」
雑巾でも絞るような仕種を先輩がするものだから、僕は反射的に携帯電話を鞄の中に突っ込んでしまった。
先輩はいよいよ可笑しくてたまらなくなったらしく、けらけらと声を上げて笑う。文庫本はついに机上に伏せられた。
僕は気恥ずかしさを紛らそうと、その妙に薄っぺらい本を指さして、先輩にきいた。
「先輩は、何を読んでいらっしゃるんですか」
「んー? なかはらちゅーや」
「…………」
「知ってるでしょ、汚れっちまった悲しみに……って。ぴったりじゃない」
何がぴったりなんだか、さっぱり分からない。
あれは梅雨の詩じゃないし、先輩はちっとも孤独じゃない。
――僕がいるから、なんて言ったら、先輩は、僕の大好きな彼女は、また笑うだろうか?