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リアルは充実

 結果的に時間にはある程度余裕をもって学校に到着することが出来た。肩で息をしつつ、自分のクラスに向かうとクラス委員長である神原アイが待ち構えていた。

 二人きりの教室という思春期ならば盛り上がってしかるべきシチュエーションにもかかわらず、コウはあまりの緊迫感につばを飲み込んだ。

「随分と遅いお着きで」

 外国人の血をもつ姉と同じ美しい銀髪がアイの肩で揺れる。鋭い眼光がコウを刺す。友好的な雰囲気は皆無だ。コウはアイが不機嫌になるいくつもの候補があり、生きた心地がしない。

「時間どおりだろうが」

 口から出た抗議の声はアイの眼光に弾きかえされた。

「呼び出された理由。分かるか?」

 つかつかと詰め寄り、アイはコウを下から睨みつける。顔は笑っているが、眼はまるで笑っていない。なぜ女はこんな顔が出来るのかとコウは素直に感心していた。やたらに凄味がある。

「ええと、心当たりがありすぎて……」

 コウはひきつった笑みでこたえる。

「あんた、エリコに告白されただろう!」

 怒声と同時にアイに襟元を両手で絞めあげられる。

「ちょ、きま……極まってる!」

 コウが何度もタップするがアイは手を緩める気配が一向にない。

「あんたにはハヅキ姉さんがいるでしょうが!なに告白されてんだ!」

 あまりに理不尽な物言いだったが、コウは既に限界が近い。酸素が欠乏し、視界が黒くなっていく。ここにきてようやくアイは手を離した。コウが限界に近付きつつある所で手を離す。いつもの手際は見事としか言いようがない。

 コウは腰を曲げて酸素を必死に取り込んだ。

 アイなんて名前が付いている割に彼女はひどく攻撃的な性格だった。

「…………それ、お前に怒られることか?」

「ああん?」

 アイの一睨みでコウはあっさりと沈黙した。幼少期から続くこの関係はもはや覆しようがない。

「おい、暁コウ。あんたが姉さんと付き合うときに私の前で宣誓した三つの誓いを言ってみ?」

「ハッ!一つ、ハヅキを幸せにすること!二つ、ハヅキを悲しませないこと!三つ、ハヅキを一番にすること!」

 パブロフの犬のように復唱する自身の姿にコウは同情を禁じ得なかった。

「よろしい。このふぬけたクラゲ野郎」

(俺、いますごく可哀そう!)

「なにを考えた!」

「ハッ。アイさんの指摘は素晴らしいと考えておりました!」

 アイの異常なカンのよさに驚愕しつつ、前もって考えていた言い訳を口にする。その言葉にアイは満足げに頷いた。

「そうだろう。そうだろう。お前のような犬は私のような奴が必要なのだ」

(うるせぇ、馬鹿)

 瞬間、コウは右頬に鋭い痛みを覚えた。アイがコウの頬をつねりあげたのだ。

「いひゃい、いひゃい!ひゃめろ!」

「お前の考えなど先刻承知だ!一体何年付き合っていると思っている!」

 アイはコウの頬を離すと、自分は椅子に腰かけた。コウは腰かけない。自身に染み込んだ主従関係にコウは毎度のことながら絶望した。

「で、実際のところどうすんのよ」

「あ、もういいっすか?」

 コウの腰ぬけた態度をアイは鷹揚に受け止め着席を促した。

「いつの間にこんな事に?」

 コウはアイに昨日放課後に起こったことを語りだす。

 手に持った通学鞄を危うく落としかけるくらいの衝撃は今でも記憶に新しい。学校の裏手と言えば往々にして不良のたまり場というイメージが強いだろう。事実、コウもそう思っていたし、こんな事が起こる前まで友人の『高坂メツ』が言っていた「学校の裏は本来、男女が告白に使う場所」という言葉も冗談ぐらいにしか思っていなかった。

 ざっと自分の欠点をあげればきりがない。

 かなりいい加減な性格だし、そのことでよく幼馴染にも怒鳴られている。学校の成績だって数学、体育を抜けば悲惨なものだ。だからこそ、誰かから告白されるなんてことはコウにとってはお伽話くらいに遠い幻想世界の話であり、我が身に起こっている状況は疑ってしかるべき状況であるとコウは判断した。

「え~と、本気?」

 口から出た言葉はまるで気の利いたものではなく、コウは目の前でカチコチになっている少女に真意を問うた。

「え、ええと!返事は!今度して下さい!」

 そう言い残して赤毛をぶんぶんと振りながらエリコは去っていった。

「……今度っていつだよ?」

 コウは溜息をついて渡されたラブレターをしげしげと眺める。

(別に俺じゃなくていいだろう?何で俺なんだよ?)

 エリコはかわいい。

 くりくりとした眼は愛嬌があって小動物のようで守ってあげたいという気分にさせるし、努力家と言うよりはがんばり屋さんと表現した方がしっくりするその性格はいつだって抱き締めたくなると女性との間で評判だ。

コウは溜息をついた。

 どうして自分なのだ、と。

 人には限界というものがある。一人の男が本当に幸せにできる女なんて一人しかいないのだ。これこそがコウの困っている原因だ。コウは頭を抱える。

 自分にはもう最愛の女性がいるというのに……。

 語り終えたコウは言い終わって顔を少し赤らめるとバツの悪そうな顔をした。こういうことはだれかに相談するようなことでもないし、かといって自分にはどうやって断りを入れればいいのかも分からない不甲斐なさからくる表情だ。

「……つーか、何でお前が告白されたこと知ってんの?」

「ユミに教えてもらった」

 女子の情報網はこういったことにはかなり強い。コウの出来事など恰好の獲物でしかない。

「で、姉さんには言ったか?」

「言えるか!俺自身こういうのどうやって断っていいのかわかんねえんだよ!」

 コウの言葉にアイは心底見下げ果てた、という表情をした。

「はぁ。このヘタレめ。けど姉さんに言わなかったことと、断る気があるっていうところだけは評価してあげる」

「ぐぬぬ」

 コウはアイのあまりの言いっぷりに腹を立てたが、なんとか堪えた。どうせ抵抗したところで返り討ちにあうのが目に見えている。

「いい?こういうのはね。一言、ごめんなさいでいいの」

「ああ?それだけでいいのかよ?」

 コウが怪訝な顔をして抗議する。

「それでいいの。下手に言い訳すればそれで想い人に関して幻滅するかもしれないし。……大体あんた格好のつく言い訳考えられるの?」

「…………無理だ」

「でしょう?だから、ごめんなさいを言った後はなにも言わずにクールに去る。わかった?」

「分かった。クールに去る」

 コウが心底感心したように首を縦に動かすのを見てアイは溜息をついた。

「なんでエリコはこんな奴……」

 アイはコウの顔をしげしげと眺めた。世間一般的に美形といわれている人間たちとは違うタイプではあるものの、コウも整った顔をしている。野性的な健康さをもっていた。それに女にもてるのにも理由がある。運動がやたらと出来るのだ。特定の部活には入っていないが、その運動能力は特筆に値し、学校にいる全国レベルの運動選手にも勝ったことがある。本人が家事をしなければならないので特定の部に入ることを断り続けていることが家庭的な面を強調し、なおかつコウをイレギュラーな存在と周りに認識させ、かなりイメージは良くなっている。

「ねえ」

「ん?」

「あんたさ。なんで姉さんだったわけ?」

 早朝で誰もいないことをいいことに今まで聞けなかった事をアイはコウに問うた。

「ん、一番好きだからだよ」

ごく自然に答えたコウにアイは大笑いしてコウの肩を叩いた。

「そうそう、そうに決まっているよな。あんたは姉さんが一番だもんな」

 コウは意味不明だ、と言う顔をしてなぜ笑うのか問おうとしたところで他のクラスメイトが来たのでアイは自分の席に戻って行った。

(なんなんだよ。俺のことより自分の恋愛の心配しとけっての)

 コウは心でそう毒づくと、余った時間は夕御飯をどうするかの思考の時間に回すことにした。なにしろ今晩は親父がいない。久々に恋人ハヅキと二人きりの夕食である。




 すでに大学が決まっているコウにとって三年の自習時間が主な授業と言うのは退屈の極みと言えた。

 その退屈な時間を教室の風景画を描くということで何とか紛らわせば待望の昼休みだ。

「おい。コウ」

 昼休みになったとたん、アイがコウの机に近寄り、コウのノートを目にする。

「何これ?壊れたテレビ?」

 アイがコウの書いた絵を見て率直な感想を漏らす。昔一度アイの似顔絵を描いた事があるが、その時は二度とするな、というお言葉とともに回し蹴りを頂戴した。

「ああ、そんなことどうでもいいわ。……エリコがお呼びよ」

 アイの言葉にコウの緊張感が増す。

「いい?今からアンタはエリコの希望を木っ端みじんに打ち砕く。きっとあの子はこれから始まる希望に満ち溢れた日常を想像しているに違いない。けど、あんたの今からの答えはそんな女の子の夢を破壊すること。このこと、肝に銘じなさい」

 今から修羅場に突入する者にあまりにも辛らつな言葉を投げつける。アイは内心「少しは動揺しろ」と言った風に送り出そうとしたが、対するコウの顔は凛々しいものだった。アイはしばし、コウの顔に目を奪われる。

「分かっているよ。俺はあの子とは幸せになれない」

 コウの言葉にアイは後悔を感じずにはいられなかった。これではまるで嫉妬に狂った女のようではないか。

 コウは赤毛でくせ毛のかわいらしい女の子と一緒に教室を出るのを見送るとアイはなおさら自身の矮小さが恥ずかしくなり、自分の机に突っ伏した。




 学校の裏手に人が誰もいないことを確認するとコウはエリコに相対した。

 エリコの顔は期待と不安が内包した複雑な表情をしていた。コウも周りと二人の間の空気があたかも別のもののように感じるほどの緊張感に体が強張る。

 コウは深呼吸し、そして頭を下げた。

「ごめん!」

 コウの返事にエリコは眼を伏せる。

「……うん。そうだね。コウ君と私じゃ、釣り合わないよね」

「いや、そんなことないって」

 涙ながらに語る少女の言葉についコウは反論してしまう。ここで何も言わずにクールに去るという選択肢はなくなってしまった。贔屓目に見なくてもエリコはかわいらしいと思う。別のクラスだが彼女の良い評判はコウ達のクラスにも届いている。図書委員である彼女はよく図書室で料理本を借りていくコウとはある程度親しい仲でもあった。

「理由。聞かせてもらってもいい?」

 コウは内心、自身に対して毒づかずにはいられなかった。

 アイの教えはこのことも見越していての教えだったのだ。人は理由を知りたがる。基本的にお人好しのコウはエリコにまた傷つける言葉を伝えないといけないのかと思うと、中々口に出せなかった。本当の事を告げたほうが双方にとっていい影響を与えるということをコウは人生経験の不足から理解していない。

 長い沈黙が過ぎ、ようやくコウは口を開いた。

「…………他に好きな人がいる」

「そっか」

 コウの言葉にエリコはすっきりとした顔をしていた。

「ありがとう」

「なんで礼なんか……」

「私に、真剣に向き合ってくれたから」

 エリコはそういうとくるりと踵を返し、校舎へと去って行った。小さな背中が震えているのを確認し、コウは偽善的とはいえ罪悪感を覚えることを抑えずにはいられなかった。

 コウはベンチに腰を下ろすと天を仰ぎ、脱力した。次の授業はサボり確定だ。どうせ自習でやることなどない。退屈な時間を過ごすならどこに居たって一緒だろう。とにかく精神的に疲れた。しばらく何も考えたくないし、誰にも会いたくない。そんな気持ちでベンチにずるずると横たわろうとした時、見知った顔が視界に入る。

 線の細い端正な顔立ちで服装規定の緩い本校で着崩した着こなしが主流にもかかわらず、ピシッと模範的な服装をした男子は人懐っこい笑みを浮かべてコウに歩み寄ってきた。

「大変だったね。コウ」

「のぞき見か?優等生にしては褒められたことじゃねぇな。高坂メツ君」

 皮肉たっぷりに返事を返すと、メツは言われても仕方が無いという風に苦笑した。

「聞くつもりはなかったんだけどね。ウサギの世話をした帰りに出くわしちゃって」

 コウはメツが日ごろ世話をしているウサギ小屋がすぐ近くにあることと、メツが毎日この時間にウサギの世話をしている事を思い出した。

「ああ、その、それは悪かった」

「いいよ。謝らなくて。結果的に覗き見してしまったのは事実だし」

 日常的なことを行っているだけだったメツからしてみれば先ほどのことなど降ってわいた厄介事でしかない。メツは口が堅いし、それに覗き見なんてするような人間でもない。コウが優等生と言ったのは事実で学校一の成績に人望も厚い。そして、コウの無二の親友でもある。それを斟酌した上でコウは先ほどの皮肉を詫びたのだが、メツはそれを寛容に受け取る形になった。

「……次の授業は?」

 コウの横に腰掛けて、メツはコウの顔を窺う。

「サボり」

 短くコウが伝えるとメツは「やっぱりね」と苦笑した。

「だったら僕もサボろうかな」

「はぁ?なんでお前までサボる?」

 ほっとけ、という言外の付け足しが届いたにもかかわらず、メツは依然として立つ気配を見せなかった。

「中々にしんどい恋愛だよね」

 メツはコウに同情の視線を向けるが、コウは手を振ってその視線を拒絶した。

「よせよ。俺個人がどうしたってどうしようもないことって世の中にはたくさんあるだろ?世界経済しかり、政治しかり、アイの暴力癖しかり……あげたらきりが無い。ハヅキとの恋愛は事前にこうなることが分かっていたし、俺たち二人はそれを納得づくで付き合い始めたんだ。同情されることなんか一つだってない」

 コウのその年にしては達観した恋愛観をきいてメツは目を伏せた。確かに余計なお世話だったかもしれない。

 コウとハヅキの恋愛は公にはされていないし、秘密であるべきというのが原則だ。何せコウの恋人であるハヅキはかなり国の機密に触れているため、間違いなく国の要人と言って間違いないし、取り扱っているものも平和的とはいえない。そうなれば必然的にコウの立振る舞いにも色々と制約が付いてくる。コウがハヅキとの関係をおおっぴらにできないのはそういった問題からだ。ハヅキは対ビジター兵器の第一開発者という顔を持つ。ビジターは世界中に現れていて、世界各国があの異常にタフで神出鬼没の化物に対しての兵器開発に四苦八苦している。なにしろ相手は銃火器をものともしないタフさを誇り、戦車を引っ張り出すか、なかなか死なないとわかっていても銃火器による飽和射撃で相手を沈黙させるしかない。その間にかかる人的被害、コストはまるで見過ごせるものではなく、各国の軍隊が手を焼いていた。そんな時に現れた天才がハヅキだった。彼女は次々に現れるビジターに関して有用な兵器を次々と生み出し、その地位を確立させていった。その才能をどの国も欲しがり、産業スパイじみた行為も平気で行ってくる。事実、コウもそういった類の人種にあったことがある。一度拉致されかかったのだが、事前にハヅキがコウに持たせていた対ビジター兵器を応用した『防犯道具』で事なきを得た。

「秘密にするのは別に苦じゃねぇよ。正直、騒がれるのも面倒だし。確かに中々会えないのは苦しいけど、会えたときは人一倍うれしいもんだ」

 コウの言葉にメツはほほ笑んだ。どうやら自身が思っているよりも二人の関係は強固であるようだ。ちなみにメツガ二人の関係を知っているのはアイが口を滑らせたからで、その時は珍しくコウがアイを叱り飛ばした。あの時のコウは少なくともメツの記憶の中ではコウが最も怒っており、アイは見たこともないほどしょぼくれていた。幸い聞いた人間がメツだったため、それ以上広まっているということはない。

「……話していたらすっきりしたぜ。ありがとな」

 コウはそう言ってメツの肩に手を置き、感謝の意を伝える。メツはその意を受け取ると素早くコウの手を取った。

「すっきりしたようでなにより。それでは授業に行こうか」

「ちょっと待て。俺はもうサボりモードなんだ。放っておいてくれ」

「優等生だからね」

 にっこりと笑ってそう告げるとメツは引きずる様にコウを連れ出した。コウは最後まで往生際悪く抗うが、まるで聞いてもらえなかった。


楽しい学園生活って憧れますね。上手く書けていればよいのですが……。

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