3-1 化物か人か
3章スタート
コウは日が暮れた後、久しぶりに自分の家に戻ることになった。ダンクに目を付けられた以上、コウは父とともに対ビジター施設に厄介になっている。ただ生活の基盤を未だに家に置いている以上、どうしても戻らなければならないこともある。
昼間の戦闘は後味の悪いものになった。キューマーの動きはコウに取ってはひどく愚鈍なものだったし、攻撃も止まっているようにしか見えなかった。戦果は四。上々と言っていい。しかし、その後がよろしくない。戦闘が終わり、辺りを見回せばはじめからその様な形だったと言いだした方がいくらか気が楽と言える破壊の後。良くもあの場で生き残れたものだ。ダンクを殴った感触が拳によみがえり、体が震えた。あそこでコウは終わっていてもおかしくなかった。それ以上にコウには懸念するべきこともある。
(美味かった……)
ともすればあの味を味わうだけに戦い続けたいという欲望が生まれかねないぐらいに刺激を持った命の味はコウの神経をすり減らしていた。
まるで命を喰らう化け物。
いや、まるでではないのだろう。日に日に人間離れしているという現実はコウを打ちのめし続けている。
サイクリングロードを徒歩で帰ることにしたのは人通りがこの時間少ないからだ。秋に差し掛かり寒くなった為、人通りはさらに減っている。コウはマフラーに顔をうずめた。ただでさえあんな神に目を付けられたのだ。用心に越したことはない。自身の身体能力を生かして飛びまわればすぐだったが、ルウラに戦闘行為をする時以外は節約しろと厳命されている。
コウが丁度街灯の下に差し掛かったその時だった。一つ先の街灯に人影が二つあることを確認する。俯きながら歩いていたので気付かなかった。本当に気が抜けている。
「コウ!」
その声は非常に耳になじんだ声だ。神原アイ。高坂メツ。
既に過去形になってしまった日常の住人。その中でも最も交流が深かった二人。
『できるわきゃあねぇだろう人間』
ロウアーの言葉が脳裏を走る。駆け寄りたい衝動に駆られるが、ギリギリのところで耐える。二人とコウの間に横たわる闇が絶対的な壁の様だ。距離にすればたったの十メートル。物理的にはあっさり踏破できる距離でも、それでも絶対的に、遠い。
「久しぶり」
コウはマフラーに顔をうずめる様に返事をして二人の顔を直視することを避けた。直視してしまえば駆け寄ってしまう。
「心配していたんだよ。コウ。学校にも来ないでなにしているんだ?」
「姉さんは何も教えてくれなかった!だから私達、毎日ここで待っていたんだぞ!お前に何があったのかはわからないよ!けど、一言もないなんてあんまりじゃないか!コウ!」
「何しに来た?」
コウの冷徹さを宿した声に二人は凍りつく。コウは努めてその声を出した。既にその二人の場所に自分はいけないのだと、自身の行動を決定づけた。
神は自分を殺しに来る。
自分は人の思考ができなくなりつつある。
そんな自分がもう一度、二人がいる日常に戻ることができるとは信じることができない。
「親友と恋人の妹になんて声を出す……!」
「迷惑なんだよ。ただの人間共。俺はもう人間を超越してんだぜ?一々、お前らの基準に合わせることあるか」
コウはなんとか自分にできる限りの精一杯であざけりの笑みを浮かべる。
「嘘をつくなよ。親友。僕はお前がそんなこと考えないやつだってことぐらいわかっているんだよ!」
「コウ、本当のことをいって!」
自分のことを信頼する声にコウは舌打ち。
馬鹿野郎どもめ。なんで今更俺の眼の前に現れた?せっかく捨てようとしていたのに。
「まだ退学届は出していないだろう!コウが私たちの日常に未練があるって証拠じゃないのか!」
「単に時間が無かっただけだ」
アイの縋りつくような言葉は図星だった。退学届を作る時間なんて確保することは容易だ。それでもそうしなかったのは、未練以外の何物でもない。
「コウ!」
アイが一歩踏み出すと同時に、コウも一歩引いた。コウがひいたおかげでコウの表情が二人から見えなくなる。
「やめておけ。俺はもうお前たちのところには立てないよ」
「なぜ?」
メツが厳しい視線を投げつける。
「命の味を知ってしまった」
「何を言っている?」
「俺に芽生えた異能の力は『喰らう』だ。喰らったものは味を感じるだろ?それと同じ。命はすごくうまかった。そういうのを知った奴はさ。もう人間ではないよ」
言ってみれば意外にあっけないものだ。
コウ自身、既に自分が人間だという自負もない。
ファクターなんて言ってもアイとメツに通じるかわからなかったが、二人は解ってくれたようだ。
(見ちまったもんな。俺がキューマーを殺すところ)
コウはマフラーの下で自嘲する。
「だったら、君は一体何になったんだ?」
こちらが教えてほしいくらいだ。
神に拳を叩きこんだ。命を美味いと感じる。人間をはるかに上回る身体能力。そのくせ神と天使と人が持つという服従因子はない。
ひどい半端だ。ならば、きっとそれはこういうのだろう。
「化け物だろう。神を喰い殺すってのは、化け物には似合いの仕事だ」
「コウはコウだ!私にとってはどんなコウになってもコウだよ!だからそんなこと言うな!」
アイの言葉をコウは無視した。その言葉は確かにひどく優しい言葉だ。だからこそ、今縋ればもう引き返せなくなる。ただ自身に降って湧いた訳のわからない力を見据えるには以前の日常は邪魔だ。ここで日常からの言葉にしがみつけば、それは新しい日常への毒となる。
「コウ。化物に神は殺せない。化物に人は救えない。君は人間だ」
「あの時の俺を見てよくそんなことがいえるな」
「どれだけ肉体が変わっていても、君は人の心を持っている」
心が冷えた。
その言葉が救いになればどれだけ楽か。
言葉が救いになる状況は受け取り手の精神状態が受け取る準備ができていなければならない。
コウの精神は限界だった。二人を無視して振り切るように跳躍し、なおかつ二人に人外の力を見せつけるように、闇夜に身を躍らせる。別の道から家に帰るしかない。アイがコウの名を呼び続けたが、コウにとってそれは言葉の刃にしかならなかった。