2-5 神々の要望
あれから毎日のようにビジターは現れた。かなり頻度が上がっているのはダンクによる差し金だろう。しかもエリコを取りこんでいたビジターばかり。
時たまアルマジロの様なビジターも出現していたが、おそらく「はぐれ」だろうとルウラに仮定されていたし、あのゴリラの様なビジター――先日つけられた名前は『キューマー』という――と比べれば随分と対処し易かった。
ただ、今回はキューマーだ。ダンクの嫌がらせだ。腹が立つ。
「現れたキューマーは五体。コウが現場に向かうまで時間稼ぎをしていた対ビジター隊員たちに被害はない」
コウは先日ハヅキから送られたアグニート装備に手を置き、オペレーターの戦況報告を聞く。コウはその身を移送車の中に置いていた。通信機器は絶えず現場の状況を伝えてくる。中にはハヅキの声も混じっている。武装製作者という立場のためアドバイザーをしていると聞いていた。今は話すことが無い。それでも声が聞きたかった。ルウラに散々、ブッ飛ばされた訓練以来顔を合わせていない。なんでもやることがあると言ってそれから三日間、ずっと自分の研究室にこもりきりだ。
現場到着まで十数分。コウはハッキリと焦れていた。
「そう言えばコウ君にはコードネームがなかったよね?」
オペレーターの女性がコウの焦れている事を察し、できるだけ優しい声をコウにかけた。コウも焦れらままよりはいいかと会話に乗っかる。
「そんなものあるんですか?」
「あるわよ~。ブラボーとかアルファとか」
「いや、適当でいいっすよ。なんとか7でも、なんでも」
「007?」
「いや、さすがに007は……恐れ多いです」
「あれ?ファンだった?」
「一通り見たことがあるだけですよ」
「私、見たことないんだ。興味はあるんだけどね。お勧めとかある?」
「お勧めですか?ええと、そうですね。やっぱり初代は見てほしいですね。第一作目。原点っていうのはシリーズもので絶対的な基準ですから」
「そっか。……コウ君って原典主義者?」
「そこだけで評価されても困りますよ」
苦笑しつつ、コウは他の報告にも耳を傾け続けている。今のところ被害はない。まだつかないのか。
「緊張してる?」
「ええ、それなりに」
命を守るために命を奪う。
たったの数日で訳のわからない日常になったものだ。早々に適応しなければならない。
「コウ君。頑張ってね。早くこんなこと終わらせましょう」
終わらせる?
コウは得体のしれない感覚にとらわれた。終わらせるとは、どこで、どうすれば終わりになる。自分はすでに神に目を付けられた。あいつを倒せば終わりになるのか?
「コウ君?…………きゃっ!」
オペレーターが驚いたような悲鳴を上げる。
「オペレーターさん?」
「ああ、すまない。驚かせてしまったな。少し代わってくれていいか?」
無線越しにオペレーターの了承の声が聞こえ、ルウラがオペレーターにとってかわった。
「美人オペレーターとおしゃべりとは中々に恵まれているな。コウ」
なぜか言葉にとげを含ませたルウラにコウは動揺せずにはいられない。コウはルウラの言葉からいくばくかの負の感情が含まれているような気配を察したが、気のせいだろうと処理した。
「よ、用件は?」
たどたどしいコウにルウラは鼻を鳴らす。
「ああ、そうだな。コウ。私はコウに戦闘技術を教えているな?」
「ああ。感謝している」
「だが、私はコウから何も貰っていない」
「んん、そうだな……」
むしろ何を提供できる?神であるルウラにコウがあげることができるものなど何もないように思える。
「何か欲しいのか?」
「………………うん」
「俺が用意できるものなら何だってやるよ。ルウラがいなければ俺はとっくに死んでたんだ。それぐらいの恩義を感じている」
「……そうか。では言うぞ」
珍しくためらいがちにルウラが切りだす。
「………………………………………………………………………………苗字が欲しい」
「……なんだって?」
「苗字が欲しいんだ!コウ!好きな異性に付けてもらうんだろう?私の苗字をコウが付けてくれ!」
「ブーーーーーーーーーーッ!」
盛大に噴き出し、あっという間にコウは大パニックに陥った。
「な、なにいってんのぉ!」
「だって、私だって欲しいんだ!苗字が無いと……苗字が無いと…………」
「……無いと?」
「結婚した時に苗字が変わらない!」
「……………………」
「な、なぜ沈黙する?」
「結婚?」
コウは馬鹿みたいに聞き返す。
「結婚」
ルウラは馬鹿みたいに頷く。
コウは大きくため息をついた。神様って結婚考えるのか?いや神話のことを参考にするなら考えるんだろうけど、こいつら人類が考えた神様像とはずいぶん違うからなぁ。
「なんでそんなこと考えた?」
「だってハヅキが『結婚すれば私も暁ハヅキになるでしょうね』と言っていた時すごく幸せそうだったんだ。愛する人と結ばれて苗字が変わるというのは幸せなことらしいじゃないか。私には苗字が無いんだ。プリーズ」
「プリーズじゃねぇよ!大体、オクトバー・ルウラっていう立派な名前があるじゃないか」
「確かに十月席の称号であるオクトバーは誇ってもいいと思うが、あんなものただの記号だ!名前じゃない!苗字も記号だという意見は受け付けんぞ!」
「ええと、それでなんで俺なわけ?」
「ハヅキに苗字が欲しいって言ったら、『ルウラは一番気に入っている異性に決めてもらえば?そうね。コウが適任だわ』って……」
「あいつ……」
何を考えているんだ?間違いが起こったらどうする?いや、それだけ信用しているし、自身のことをコウが一番好きであるという自負があるのだろう。まさしくラスボスの風格だ。かなわねぇ。
「…………考えとく」
「そうか!考えておいてくれるか!とびきりいいのを頼むぞ!」
「あんまりプレッシャーかけないでくれ」
「あ、あの。もうすぐ戦闘エリアに……」
オペレーターのおずおずとした声に二人の意識が切り替わる。コウは耳に通信器を取り付けると、出陣の緊張感を高めていく。移送車が止まり、コウは外に躍り出た。
遠くに銃撃音が聞こえる。大した威力はなくともビジターへのけん制や意識を引くことはできる。狭い市街地に出ただけあってあの杭打ち機は使えない。だからこそ人外の力を持つコウの力が生きてくる。
「二百メートル先でキューマー。数は四体!被害は民間0、隊員重体三名!」
コウは舌打ちした。数も減ったし、死人が出ていないだけでも僥倖だが、被害が出ていることに変わりはない。全速力で移動を開始。戦場まであっという間だ。
コウは戦場にたどりつくと破片の上に立ち、戦場を睥睨する。コウの出現をキューマーが捕らえ、キューマー全ての視線を受けてもコウはまるで動揺しない。
両手で左右一番外側に取り付けられたアグニートを鞘ごと取り外し、鞘に備え付けられたスイッチを親指で押し込むと鞘が火薬により分解した。
「なんでこんな仕組みに?」
「元々、コウに取っては使い捨てだから要らなくなった鞘というのは邪魔になる。それにカッコいいでしょう?カッコ良くないとね」
「なんでカッコいいにそこまでこだわるのさ?」
そんなことを言うコウをハヅキは信じられないものを見る目でみた。あんな目を恋人に向けられたのは初めてだった。心が折れるかと思った。
「確かに便利だ」
コウはハヅキの腕に感心しつつ、キューマーを視界に収める。耳に取り付けた無線機からルウラの指示が飛ぶ。
「コウ。三分で終わらせろ。とどめをさす際に『喰う』ことを忘れるなよ」
「………………了解」
コウの身体能力は喰った命に比例する。ならば人間の命を動力にするキューマーはコウにとって極上の餌だ。相変わらずためらいが残るが、コウは手段を選んでいる暇なんてない。あの神が来るまでに力を蓄えなければならない。
「この原因はダンクだ。取り込まれた人たちの命を吸って、仇打ちをすると考えればいい」
ルウラの言葉を思い出し、コウは首を横に振った。
「俺は、死にたくない。俺は生き残る。俺は俺のエゴであなたたちの命を使います。許してくれとは言いません。ただ一言だけ言いたいと思います。ごめんなさい!」
自分を救う謝罪の言葉でしかない。コウはそれでもそう言いださずにはいられなかった。そう言わなければ本格的に自分が人として終わってしまう。
そして戦場に体を踊らせる。
「我が名は『喰らう者』!」
手首から血が噴き出し、コウの周りに滞留する。
戦闘が始まった。
隣り合っていたキューマーに飛びかかる。二体のキューマーは拳を繰り出し、コウの左右に構えたアグニートと激突する。コウの体はキューマーの馬鹿力に完全に打ち勝っていた。一瞬、アグニートの熱量によりキューマーの拳の肉を焼く臭いを立ち上らせ、コウはそのまま腕を振りぬく。キューマー達の拳が割けた。コウはキューマーの間に着地し、左右のアグニートを地面に突き刺すと垂直に軽くジャンプした。コウは手首の血を剣の形に固定すると、キューマー二体の首のあたりに突き刺し、独楽の様に一回転した。キューマーの首が飛ぶ。命を喰い終わったことを確認し、着地と同時にイグニートを逆手に持ち、地面から引き抜く。コウが新たに獲物に向かって駆け出し、二呼吸ほど置いてから首を両断されたキューマーは音を立てて地面に落ちた。
コウの体に力がみなぎる。
命を喰うということは破格のエネルギーを得ることと同義だ。そして何より美味い。
湧き出す人外の感覚にコウは舌打ちすると飛びかかろうとしたキューマーの真正面にあっという間に到達し、キューマーの両足を右に保持したアグニートで思い切り薙いだ。あっさりと足が――切断という表現はできない、吹き飛ぶ。同時に右のアグニートが砕けた。コウはアグニートをためらいなく捨てると、前方に倒れこんできたキューマーの首に血の剣を突き立て、首を飛ばす。五メートル先にいたビジターに左手に残ったアグニートを全力で放り投げた。頭に命中。のけぞったキューマーに一瞬で肉薄し、赤剣でまた首を飛ばす。
最後のキューマーが倒れる音がし、戦闘は終了した。
時間にして一分。一方的すぎる戦闘。
辺りに湧く人間達の喝采。
しかし、コウにそんな喝采は聞こえていなかった。
戦闘の興奮と身の宿った禁断の味が頭を働かせない。
(もっと……もっと…………イノチガホシイ)
あの味は強烈すぎる。口で食べているものが馬鹿らしくなるくらいに甘美な誘惑を放つ。
マダ、クイタリナイ!
完全にコウの眼から正気の光が消えうせた。
そういえば――まだ、自分の周りに命があふれている。
「コウ君!」
オペレーターの声が耳に入り、ぼやけた意識がはっきりする。
「どうしたの?さっきから何度も呼んでたんだよ?」
「…………なんでもないです」
コウは必死に自分の中に湧きだした欲望を忘れようとした。あれではまるで化け物だ。今、自分が何をしようとしたかなんて確認することも馬鹿らしくなるぐらいにあの衝動は体を焼いている。
オペレーターはコウの様子を特に気にすることもなく続けた。
「ご苦労様です。日に日に倒すスピードが上がっているね。お陰でこちらの被害も減って大助かり。こんなこと言うのもデリカシーないかもしれないけど、コウ君がファクター使いになってくれてよかった」
オペレーターの言葉を胸の内で破き捨てた。
良かっただって?今の衝動を持ってしまった自分が?俺は今、周りの人間を喰いたいと思ったんだぞ?
こいつらを始末するのにはもう慣れた。自ら進んでやってもいいくらいだ。命を刈る作業をする人間はできるだけ少ない方がいいに決まっている。未だに右腕にはエリコを貫いた感触が残っているし、あの日の夢は良く見る様になった。その夢は厄介ではない。むしろその夢を見ている内はまだ自分は人間としてこの戦場に立つことができているという安心感さえ与えてくれる。あんな感触を味わうのは本当に自分だけで十分だ。
けど――今の衝動は人間性なんか全て吹き飛ばすような、そんな衝動だった。
これから先、俺は今のままでいられるのだろうか?
「コウ君?」
沈黙したコウにオペレーターが申し訳ない様な声をかける。
「すいません。少しボーっとしてしまって。今から撤収しま……」
言葉を最後まで発することなく、コウは足の筋肉を総動員して跳躍した。戦闘が終わり、弛緩した空気が漂い、物陰に隠れていた人が多く出てくることを待っていたかのように異変は起きた。人がバタバタと倒れていく。
(服従因子!)
人が神と天使に勝てないと言われる最大の由縁を引っ提げ突然に現れた影。デパートの壁に身を隠すコウが見た影は――悠然と歩いてくるダンクとそれに従うロウアーだった。
がれきを歩いてくる神はあのときとまったく同じ死の臭いを引き連れてコウの目の前にいた。
なぜ現れた?
コウの疑問などお構いなしにダンクはプレッシャーをかけてくる。
「お~い、いるんだろ?虫けら。出てこいよ。出てこないと倒れてる奴らを適当に間引いちゃうゾ。それではカウント開始ぃ~。五四三……」
早すぎるカウントにコウは急いで身をさらす以外になかった。コウの姿を確認した瞬間、
ダンクは邪悪に笑う。それだけで体の自由を奪われるような思いだったが、コウは耐えた。
脳裏にエリコの最後を思い浮かべる。
それだけで、神に対する恐怖は消えてなくなる。
「アッハ。やっぱりいるじゃん」
「来るのは二週間後じゃなかったっけ?まだあと一週間あるぜ?」
コウは神に退くことなく問いただす。
「殺しに来るのはね」
ダンクは笑ってそんなふざけたことを言う。コウは何一つ信用できなかった。こうしている間にもダンクは殺気を隠すこともない。何かの気まぐれで大暴れする可能性が非常に高く思えた。
「いやいや、うちのロウアーがお前と話をしたいなんていうものだから部下思いの僕としてはしっかり面倒見たいと思ったわけ。あと場所と日時の指定を忘れていた。僕はオクトバーを待たせるようなことは本意じゃないんだよ。場所は考えるの面倒だから、ここ!時間はこの時間!」
コウはこちらの都合などお構いなしに話す神の要望に応じるほかないことを悟った。ダンクには気まぐれ一つで殺される可能性が大きいし、それに従っているロウアーにしてもルウラの介入が無ければ恐らく負けていた。コウがあの時に主導権を握れたのはコウのファクターを向こうがよく把握していなかったからだ。今、戦闘に入ればなすすべなく蹂躙される。それに倒れている人たちを見殺しになどできない。戦闘に入れば気をかける余裕などない。
ロウアーが一歩前に出る。
「…………用件は?」
「少し場所を変えよう。耳に付いている通信機はとってくれよ?」
コウはロウアーの言葉に従うほかなかった。
長くなってしまったかな……。
一週間に一本のペースが定着しそうです。