表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/11

羅針盤の磁石

俺は、自分の身体が嫌いだった。


前世では、キーボードを叩く指以外に価値を見出せず、重い本を運ぶだけで息を切らしていた。 そんなもやしっ子が、1700年のマカオで「発電機」を作ろうとしている。 笑い話にもならない。


(……だが、この世界にはAmazonも秋葉原もない。磁石が欲しければ、文字通り『削り出す』しかないんだ)


物置小屋の隅。 俺は師であるトマ宣教師から借りた、古い羅針盤を分解していた。


方位を示す磁針。 これが、未来を呼び出すための「心臓部」になる。


「何をしているんだい、助手アシスタント?」


トマ師の穏やかな声が頭上から降ってきた。 彼は天文学の権威だが、この平和なマカオが「資本」という歯車に噛みつぶされようとしている現実には、あまりにも無頓着だ。


「師。この磁針を使って、少し『実験』をしたいんです。星を見るための、新しい道具の準備ですよ」


嘘ではない。 AIを起動させることは、未来という暗天を観測することと同じだ。


トマ師が去った後、俺は「知の道具箱スマホ」を慎重に取り出した。 画面は消えている。 だが、その黒い表面には、俺が前世で書き溜めた『もし清が海を選んだら』という自作ノートの記憶が刻まれている。


(スマホの資料にはこうある。磁気誘導の基本と、うるしによる絶縁。災害時の備えとして工作動画を保存していた自分を、初めて褒めてやりたい)


漆はまだ眠っていて、指先にぬるりと抵抗する。 俺はこの「ぬめり」を鉄心に塗り、銅線を巻いていく。


一巻き、二巻き。


腕がすぐに重くなる。 前世の不摂生が、三世紀を越えて俺を呪っていた。


キン――。 帆縄が突風に弾かれ、教会のマスト金具が鳴る。


その音は、まるで俺の作業を急かしているようだった。 マカオの港には、着々と欧州からの「資本」という名の波が押し寄せている。 史実では、この1700年前後、東インド会社の貸借対照表は急激に外征へと傾斜し始めるのだ。


「……ぐ、っ。歴史を変えるなんて……こんなに肩が凝る仕事だったのかよ」


漆の匂いが鼻につき、麻縄の粉っぽさが喉を焼く。 だが、俺の目の前には、チェンから手渡された「本当の喫水データ」がある。


これを解析し、則例ルールという形に結晶化させる。 そのためには、何としても安定した電力が要る。


ゴトゴト――。 石畳を荷車の輪が噛み、日常の音が響く。


その音の裏側で、俺はただ一人、磁石と銅線を相手に格闘を続けていた。 前世の俺が最も苦手とした、「地道な継続」という名の戦い。


(速さは俺を見捨てた。だけど、この一巻き一巻きの積み重ねが、いつかあのアヘンの地獄を止めるくさびになる)


磁針を組み込んだ回転体が、微かに震える。


漆の乾きを待つ。表面は半日、芯まで一日。 俺の、そしてこの世界の「電力ちから」が生まれるまで、あと少し。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ