抜き打ち監査(欽差)
「……この『数字』、本物か?」
北京から派遣された欽差(皇帝特使)が、俺の差し出した唐紙の束を、穴が開くほど見つめている。 広東の湿度に晒された紙には、AIのヒートマップを俺が必死にトレースした「官吏リスクの散布図」が描かれていた。
「これまでは『勘』と『情』で測っていた汚職が、この表では『統計の歪み』として浮き彫りになります」 俺は努めて冷静に、現代の不正検知アルゴリズムを「新式の帳簿突合」という言葉に翻訳して説明した。
特定の役人が赴任している期間だけ、関税収が平均から大きく外れ、臨検の「空振り」がスパイク(急増)している。その場所こそが、公行と役人が握り合っている「黒い接点」だ。
「欽差様。数字は嘘をつきませんが、人は帳簿を汚します。この『目安(KPI)』から外れた者だけを洗えば、広州の膿は一月で出し尽くせましょう」
現場では、漆が乾くのを待つような、静かで刺すような緊張が走る。 石畳を荷車の輪が噛み、ゴトと脛に響く。その音すら、今の俺には「腐敗を削り取る音」に聞こえた。
欽差の横で、公行の梁が顔を青ざめさせている。 彼は「法の網」が、個人の悪徳ではなく、組織の「構造」そのものを暴き始めていることに気づいたのだ。
「面白い。宣教師の助手が、暦の計算を港の銀に応用したか」
欽差の筆が、則例への署名に向かって動く。 それは単なる汚職の摘発ではない。AIが導き出した「没収益の配分(中央7:地方3)」という甘い蜜を添えることで、中央権力が自発的に「この透明な制度」を欲するように仕向けた、政治的な罠でもあった。
生薬の土と潮の匂い、そして古びた紙の粉っぽさ。 俺の背中には、翌日の握力がなくなるほど手回し発電機を回し続け、スマホの「一分」を絞り出した疲労が重くのしかかっている。
「速さは自分を救わなかったが……この『正しい数字』は、数万の民の生活を、アヘンの地獄から救い出す」
スマホの画面はすでに消えている。 だが、欽差が下した「全港一斉監査」の命令は、旗信号となって望楼を駆け抜け、マカオから広州、そして沿岸の隅々まで、秩序の音を響かせようとしていた。




