公行と“利害置換”
「……なるほど、これが『則例』という魔法の正体か」
公行の豪華な広間に、梁鎮中の低く粘り気のある声が響いた。 机の上には、俺が意図的に「流した」新しい港湾運営の草案が広げられている。夜間禁止という高い壁にぶつかった梁は、力で押し通すのをやめ、構造の内部から食い破る道を選んだらしい。
「若造。お前たちのせいで、夜の荷揚げで食っていた端役人や運び屋が干上がっている。このままでは暴動が起きるぞ」
梁は、贅沢な刺繍の施された袖から、ずっしりと重い銀の塊……ではなく、一通の連名状を取り出した。そこには、俺たちの改革によって「利を失った」者たちの不満が、整然とした筆致で書き連ねられている。
(……わかっている。構造を変えれば、古い構造にぶら下がっていた人間がこぼれ落ちる。それが梁のようなボスの権力の源泉だ)
俺は、漆がまだ眠っていて指先にぬるりと抵抗する感触を思い出しながら、懐から一枚の「月次之見」を取り出した。AIが弾き出した、公行の収益構造の再シミュレーションだ。
「梁組合長。不満が出るのは、彼らが『新しい稼ぎ方』を知らないからです」
「ほう?」
「夜の密輸はリスクが高い。役人への賄賂、拿捕の恐怖、そしてアヘンという不安定な商品。……ですが、この『則例』に従い、昼間に集中して荷を動かせば、一隻あたりの通関時間は二割減る。その空いた時間で、もう一往復、綿花や茶を運べばいい。その方が、長期的には公行の取り分は増えるはずです」
俺は、グラフの曲線を指でなぞった。
「これは『利を削る』ためのものではありません。不透明な損失を、透明な利益に『置換』するための手順です。……組合長。あなたは、アヘンの運び屋の親玉として歴史に名を残したいのですか? それとも、世界で最も効率的な港を統べる、新しい時代の商主になりたいのですか?」
広間に沈黙が流れる。 帆縄が突風に弾かれ、マスト金具がキンと鳴る音が、開いた窓から遠く聞こえた。
梁の目が、鋭く細められる。彼は「善人」ではない。だが、誰よりも「数字」に敏感な現実主義者だ。アヘンの密売という危ない橋を渡るより、則例というシステムを独占し、圧倒的な効率で他港を出し抜く方が、中長期的な「株主価値」に近いことを理解できる男だ。
「……置換、か。面白いことを言う」
梁は連名状を火鉢に放り込んだ。紙が爆ぜる音が、古い癒着の終焉を告げた。
「いいだろう。公行はこの則例を全面的に受け入れる。その代わり、封緘の印は、我が組合の者も立ち合わせろ。監視の権利を、我らに売れ」
「……承知しました。ただし、その監査記録は全て海関と『相互監査』にかけさせていただきます」
法の網で、梁を無力化するのではない。 梁を、法の網を維持する側に取り込む。 これもまた、AIが示した「構造的な平和」への一歩だった。
石畳を荷車の輪が噛み、ゴトと響いた。 外では、公行の運び屋たちが、戸惑いながらも昼の光の下で荷を積み始めている。




