【悲報】1700年の発電、前腕が死ぬ件 ――銅線と漆(うるし)の地獄
三十歳を前にして、俺は「ゴミ」として死んだ。
親の葬式にも出ず、カビ臭い古本と一次史料の山に埋もれた人生。 液晶越しに過去の戦争を眺め、誰がいくら儲けたかという数字だけを弄ぶ日々。
救いようのない、引きこもりの歴史オタク。 それが俺という人間のすべてだった。
そんな俺が、今。 1700年、清朝・康熙年間のマカオにいる。
「……っ、はぁ、はぁ……っ!」
石造りの物置小屋に、重い呼吸が響く。 右腕が焼けるように熱い。 筋肉が限界を超え、指先が勝手にピクピクと痙攣している。
手回しの柄を離すと、不格好な回転体は三息で止まった。
鼻を突くのは、漆の強烈な匂いだ。 指先にぬるりと抵抗する、まだ乾ききらない不快な感触。
前世の俺なら、五分で投げ出していただろう。 だが、今の俺は、宣教師トマ師の助手という「底辺の立場」で、この泥臭い工作にしがみついている。
すべては、このためだ。
「一分……一分だけでいい、動け……っ!」
俺は、漆で絶縁した銅線を巻いた鉄心を、再び力任せに回し始めた。 羅針盤の磁石を組み込んだ、自作の「手回し発電機」だ。
キィィィィ――。
高い金属音が鳴り、火花が散る。 握力はもう死んでいる。翌日の猛烈な筋肉痛も確定だ。
だが、暗闇の中で「それ」が灯った。
ノイズまみれの、液晶の光。
俺が死ぬ間際、災害・停電対策としてスマホに詰め込んだ「知の避難所」が、煤けた俺の顔を照らした。
(……見ろ。これが俺の、たった一つの武器だ)
スマホに表示されたのは、ノイズ混じりのヒートマップ。 1700年、マカオ。 港を流れる「銀」と「モノ」の不自然な動き。 そこには、史実の悲劇と完全に一致する「予兆」が、赤いスパイクとなって浮かび上がっていた。
「……つながった」
口の中で、言葉がボロボロとこぼれ落ちる。
液晶のグラフが示しているのは、この国の、そして世界の終わりだ。 あと100年もすれば、この港はアヘンに沈み、戦火で灰になる。
前世の俺なら、これを「データ」として面白がって終わりだった。 だが、今の俺には、窓の外から聞こえる音が、ただのノイズには聞こえない。
帆縄が突風に弾かれ、マスト金具がキンと鳴る音。 誰かがその日の米を買う、秤の錘が皿を叩く音。
この日常を、100年後の地獄に渡してなるものか。
「速さは、自分を救わなかった」
前世の俺は、効率とスピードばかりを求めて自滅した。 だが。
「この『遅さ』――制度という名の網を編む地味な作業なら、誰かを守れるかもしれない」
俺は震える手で、液晶の光が消える前に、そのグラフを唐紙にトレースし始めた。 1700年の筆運びで、未来の地獄を書き換える(デバッグする)。
「歴史オタク」だった俺の、これが初めての「本気」だ。
俺の編んだ「則例」が、この紙から路地に降りる時。 世界は静かに、そして永く、平和な未来へと動き始める。




