第一章 第二話 異世界で目覚める
――冷たい。
まず感じたのは、それだった。
硬い石の床が背中に触れて、じわじわと体温を奪っていく感覚。
ユウタは、ゆっくりと目を開いた。
天井が見えた。だが、見慣れた白い天井ではない。
亀裂の走った石材。
黒い煤がところどころに残り、まるで何かが燃え落ちた跡。
天井を支えている太い柱にも、斜めに深い傷が刻まれていた。
(……どこだ、ここ)
頭の中がまだ靄のようで、状況をうまく掴めない。
目を凝らすと、周囲は薄暗く、光源は割れかけた壁の隙間から差し込む陽の光だけ。
古代の神殿のようだった。
廃墟、と言ったほうが近い。
体を起こすと、服の表面に粉塵が落ちた。
胸の奥がざわつく。
ユウタはゆっくりと立ち上がり、周囲を見渡した。
床には、乾ききった黒い跡が点々と続いている。
まるで血が流れたあとそのまま固まったように。
壁に掛かっていたらしい大きな石版は割れ、文字のようなものが刻まれているが、意味は読めない。
(夢……じゃないよな)
頬をつねってみる。痛い。
喉が乾き、心臓の鼓動がやけに耳に響く。
身体は現実を示していた。
ふらつく足取りで出口を探し、光の差す方向へ向かう。
神殿の巨大な扉は半壊し、外の景色が覗いていた。
ユウタはゆっくりと外へ出る――
そして、息を呑んだ。
そこは、森だった。
しかし静かな自然ではない。
倒れた木、焼け焦げた草地、破壊された荷馬車の残骸。
何かが通った跡があまりに生々しい。
そして――
「……なんだ、あれ」
視線の先に、いた。
ゆっくりと、ぎこちない足取りで歩いてくる“人影”。
鎖帷子のような中世の鎧を着ている。
しかし、その肌は灰色に変色し、頬は削げ落ち、かろうじて人の形を保っているだけ。
濁った目がこちらを向いた。
ユウタの呼吸が止まる。
(ゾンビ……?)
ありえない。
ゲームや映画の中の怪物が、目の前で歩いている。
人影――いやゾンビは、口を開け、濁った叫びを上げた。
「グォォ……」
「嘘だろ……!」
咄嗟に後ずさる。
足がもつれ、神殿の段差に躓きそうになる。
ゾンビがのろのろと歩み寄る。
距離は十数メートル。
(どうする……!? 走る? 隠れる?)
思考が空回りしていると、
背後から突然――
「伏せてッ!」
鋭い声が飛んできた。
反射的に身をかがめる。
次の瞬間、風を裂く音。
ヒュンッ――!
ゾンビの頭部に、鋭い何かが突き刺さった。
金属音とともにゾンビが仰け反り、地面へ崩れ落ちる。
矢だ。
振り返ると、森の影から三人の人物が飛び出してきた。
前を走るのは、白銀の胸当てと深紅のマントを纏った少女。
少女――いや、少女と言っていいのか。
凛とした眼差し、整った顔立ち、腰まで届く金の髪。
だがその瞳には、深い覚悟が宿っていた。
「大丈夫ですかっ!」
少女が駆け寄る。
その後ろには剣を携えた屈強な男と、茶髪の薬師らしき若い女性。
「こ、ここは……」
ユウタは言葉にならない声を漏らす。
少女は鋭く周囲を警戒しながら、ユウタに言った。
「詳しい話は後です!
ここは危険。すぐに移動します!」
剣士が続ける。
「グールの群れが近くにいる。急げ!」
グール――
ゾンビとは違う名前だが、動きも姿もゾンビそのもの。
現実離れした光景の中、ユウタはどうにか立ち上がる。
少女が手を差し伸べた。
白く細い手。
だがその腕は震えひとつない。
「さあ、行きましょう。あなたを死なせません」
ユウタは、その言葉に言いようのない力を感じた。
(……一体何がどうなってるんだ)
混乱しながらも、その手を取る。
温かかった。
少女は頷き、仲間に指示を飛ばす。
「この方を守りながら森を抜けるわ!
村まで急ぐ!」
剣士と薬師が後ろに配置し、三人が周囲を全方位で警戒する。
まるで王族を護衛するかのような態勢だった。
(俺……そんな価値のある人間じゃないんだけど)
そんな自身への嫌味すら、状況についていけない脳が押し流した。
彼らとともに、ユウタは廃墟の神殿を後にした。
森の奥から、またあの濁った咆哮が響く。
「グォォォ――」
少女が短く呟く。
「……この地は、もう終わりに近い」
その声は静かだったが、絶望を孕んでいた。
ユウタは、知らない世界へ足を踏み入れた。
それがすべての始まりだと、この時はまだわからなかった。




