第三章 第一話 黒い霧と“汚染”の兆候
夜明けと同時に、村はいつもより静かだった。
鍛冶場の火が灯り、主道の整備が進み、畑の区画にも水が回る――
ふつうなら希望に満ちる朝だ。
だが、空気が違う。
冷たい。
湿っているわけでもないのに、肺の奥に“薄い煤”が積もるような重さ。
村人たちも同じ感覚を抱いたのだろう。
誰も大声を出さず、どこか遠慮がちに動いていた。
ユウタは鍛冶場の煙突を見上げ、眉をひそめた。
(……煙の色が、変だ)
木炭の煙にしては黒すぎる。
そして何より――
煙が、まっすぐ空へ昇っていない。
地面に沿って漂っている。
まるで霧のように、村の中へ薄く広がっている。
ユウタは嫌な予感に背筋を撫でられた。
(遺構の“黒い霧”…?
昨日、ガロンが見たあれが…もう村まで)
足早に広場へ向かうと、すでにリュミエラとクレア、クロウが集まっていた。
皆、同じ場所を見つめている。
北側の畑だ。
そこに――
黒い靄が、薄く低く漂っていた。
「……やっぱり来たか」
クロウが低く呟く。
リュミエラの瞳は硬い。
「夜のうちに見張りが気づいたわ。
畑の端から、静かに霧が広がっているって」
クレアがしゃがみこんで、土を指でつまみ上げた。
「匂いが変……鉄臭いというか、
薬草の葉が焦げたみたいな……」
彼女の声が震える。
「それに、虫がいない。
いつもなら土の中に小さい虫がいるのに、
ひとつも動かない」
ユウタは畑へ歩み寄り、霧の境界線を観察した。
(風がないのに広がる。
熱もない。
つまりこれは“通常の気象”じゃない)
地面に落ちた朝露が、霧の中だけ蒸発している。
だが温度はそこまで高くない。
(……“化学反応”か“魔力汚染”の類だ)
ユウタの脳内で、Civのアラートが鳴る。
汚染(Pollution)が発生しました。
放置すると都市の成長が阻害されます。
ゲームの警告が、現実の恐怖として目の前に具現化していた。
◆
「ユウタさん、どうすれば……」
リュミエラの声には、抑えた焦りがある。
彼女は昨日、“国家化”を宣言したばかりだ。
国を作る矢先に、国土が汚染され始めた。
普通なら絶望する。
しかしユウタは、妙に落ち着いていた。
「まず確認します。
霧は畑の端の“この一点”から広がってますね?」
「ええ」
「水路の端に近い。
……つまり、霧は“水と地面の動線”に沿っている」
クロウの眉がぴくりと動く。
「まさか……水路が汚染されているのか?」
「可能性はあります」
ユウタは水路の小支流に手を浸し、匂いを嗅ぐ。
水は透明だ。
だが、鼻の奥に微かな鉄臭さが残る。
(遺構が吐き出す“黒い何か”が、
地下水や地表の流れに混ざっている…?)
ユウタは即断した。
「水路の“畑側支流”を一旦止めます。
本流は生きてるから、飲用はそっちで対応できる。
畑側だけ、遮断する」
「遮断……」
リュミエラがすぐ指示を出しかけるが、ユウタは続けた。
「それと、霧の範囲を縄で囲って“立入禁止”。
土に触れた人間は、必ず洗浄と消毒。
衣服も取り替える」
クレアが頷く。
「わかった。すぐやる。
痒みや咳が出た人がいたら、私が診るわ」
クロウが腕を組む。
「……たかが霧でそこまで?」
ユウタはゆっくり首を振った。
「“たかが”じゃないです。
この霧は、敵の進化に直結してる可能性が高い」
クロウが目を細める。
「……どういうことだ?」
「昨日、遺構の脈動が強くなっていました。
同じタイミングで黒い霧が村に到達した。
つまり――」
ユウタは畑の霧を見つめたまま告げる。
「遺構は、こちらの文明レベルに反応して“汚染を拡大”させてる。
文明を進めるほど、敵が強くなる世界は本当にあるんです」
リュミエラが息を呑む。
「……文明を上げたことが、
敵を呼ぶ……?」
「“呼ぶ”というより、“起動条件を満たす”。
遺構は“文明の活動”を感知して、
何かの工程を進めている」
クレアが唇を噛む。
「じゃあ……私たちは発展しない方がいいの?」
「逆」
ユウタは即答した。
「発展を止めたら負けます。
遺構は勝手に動き続ける。
なら、こっちは先に文明を伸ばして、
汚染対策と軍事力を整えるしかない」
クロウが短く笑った。
「……つまり、“レース”か」
「そうです。
遺構が完全に覚醒する前に、俺たちが中世レベルまで上がる。
それが勝ち筋です」
言い切った瞬間。
ユウタ自身の中の迷いが、ひとつ消えた。
(もう逃げ道はない。
文明を走らせるしかない)
◆
村人たちが集まり始め、黒い霧の周囲に縄が張られていく。
畑側支流も、木栓で止められた。
「ユウタさん、霧の中の作物は……」
バルドが不安そうに聞く。
確かに霧の中には、昨日植えたばかりの緑鞘の苗がある。
“食料タイル”が汚染されたようなものだ。
「……切り捨てます」
ユウタは静かに言った。
「霧の範囲の苗は抜いて、焼却。
種も土も“汚染源”になり得る。
今は食料より、感染拡大の阻止が優先です」
村人がざわめいた。
つい先日まで飢えていた村で、作物を捨てるのは恐怖に近い。
だがリュミエラが前に立ち、きっぱり言った。
「従って。
今は“国を生かす”判断をする時です」
王女の声が空気を締めた。
村人たちは歯を食いしばりながらも、苗を抜き始めた。
(……この村は、本当に変わった)
ユウタはその姿を見て、胸の奥に確かな手応えを感じた。
◆
作業が終わる頃、
霧は縄の内側に閉じ込められたように薄く揺れていた。
だが、完全には消えない。
地面の奥から、じわじわと“染み出す”ように湧いている。
それを見て、ユウタは確信した。
(この霧は“結果”だ。
原因は遺構にある)
背後で、村の鐘が鳴った。
会議の合図だ。
ユウタは振り向き、すでに集まり始めた村の主要メンバーに向けて言った。
「緊急内政ターンを開始します。
今日から“汚染対策”の研究と、“城壁の原型”の建設に入ります」
クロウが剣の柄を叩いた。
「城壁……
いよいよ“国の形”が見えてきたな」
「ええ。
そして次のターンで……
遺構に初潜入する準備を整える。」
リュミエラが静かに頷いた。
「わかったわ。
国を守るために、国を進化させる」
ユウタは黒い霧を見つめ、心の中で呟いた。
(文明が呼ぶのが絶望なら、
文明で殴り返すだけだ)
遺構の脈動は、森の奥で確かに響いていた。
ドクン。
ドクン。
世界は目を覚まし始めている。
だからこそ――
こちらも目を覚まさなければならない。




