たぶんヒロインだった令嬢の周囲
「もう、諦めましたわ」
静かな部屋の中で侯爵令嬢アルルーシャはふるふると首を振った。
それを見て、口元を手で隠してため息を飲み込んだのはアルルーシャの父、カロリング侯爵で、頭を抱えたのはこの国の王妃で、祈りのポーズをしたのはリュクサンブル枢機卿であった。
「どうやっても、あの女を殺せません」
アルルーシャの物騒な言葉の対象は学園内で自分の婚約者である王子と人目を憚らずにイチャイチャしている男爵令嬢であった。
「……なんなのかしら?あの男爵令嬢」
「私にはわかりませんわ王妃様」
アルルーシャは憎きを通り越して最早見るだけで怖気の立つ女の資料を纏めた紙束をテーブルに置いた。
「毒を飲ませて倒したと思いきや、数日後にはピンピンしている上に同じ毒は効かなくなるし、階段や高所から何度落としても『痛い……足首捻っちゃった』だけで済んでましたし、上から物を落としても絶妙に全て避けていくし、強盗に扮した暗殺者も何故か回避されて、いつの間にか強盗として捕まるし、魔物だらけの森に放置しても元気に生還するし、燃える火に落としても『きゃ!危ない!……間一髪、無事で良かったわ』でノーダメージでしたわ……どうしてそうなるのか、全くわかりませんわ」
「……化け物か?もしや悪魔憑きか神の愛し子……」
父親の言葉にアルルーシャと枢機卿が首を振る。
「アルルーシャ嬢からの依頼により、彼女を教会での奉仕活動と称して徹底的に調べたのですが……何も、悪魔憑きでもなければ聖なる力も何もない、普通の令嬢なのです……調べた司祭たちが、この事実に数日間寝込みました……」
「それは、つまり……」
アルルーシャが殺そうとした男爵令嬢は何の力も得ていないし持っていない、何故か無駄に頑丈でやたらと運が良いだけの少女なのである。
全員が堪えきれないため息を吐いた。
「そんな訳で私は諦めましたわ!こんなクマムシみたいな女は私の手に余ります!」
「……家の方から責めるのは?」
「毒を盛る、森に放置などを協力させましたが、あの女の頑丈さに怯えて震えていましたわ……あまりにも可哀想な程に……」
自分の家から化け物が生まれていると、協力したからこそ突きつけられてしまった男爵と男爵夫人は、後継ぎの息子は普通であることが分かると安堵から滂沱の涙を流して家族で抱きしめあっていた。
本当に可哀想だった。
「……王妃様、こんな化け物みたいに頑丈な娘の血が王家に入ることは、後々を考えれば良いことかもしれませんわ……」
なにせ毒が効かない。
他の人間なら致死の毒を『ぁ……』とか儚げに倒れて数日後には後遺症も無く元気いっぱいな人間である。
致死の毒にピンピンしている人間が儚げ仕草をするな。親は泣いているんだぞ。
王妃は複雑な顔で首を横に振る。
「それでも、男爵令嬢などを王家に迎えることは難しいわ……」
そこで枢機卿がポツリと言う。
「もう、いっそ、神の愛し子であれば良かったのですがね」
その言葉に全員が枢機卿に目を向けた。そして無言で顔を見合わせる。
「……そう、してしまえば?」
「そうなると話は早いか……」
「そうね……」
「……神の信徒たる身としてそのような詐称は……」
「理由の分からない奇跡の体現者に他の呼び方なんてありますの?」
「……神よ、お許しください……」
そうして、4人は顔を見合わせた後に速やかにその計画を組み立てた。
件の男爵令嬢は神の愛し子であるが、その特性は彼女自身にのみ掛かっており彼女の丈夫さと悪運の強さこそがそれなのだとこじつけて発表された。
何人もの令嬢があの子の異常な丈夫さは神のおかげだったのね……と己はひ弱な訳ではなかったとホッとして、悪人は自分があの女に仕掛けたことが失敗したのは自分のせいではなかったんだとホッとしたのだった。
当の本人は『えぇ!?私が神の愛し子なんて!絶対に違いますよぉ!!聖なる力なんて何もない普通の小娘です!!』とか抜かしていたが、王子に王城の庭園でプロポーズされた時には満更でもなさそうな顔をしていたらしい。
アルルーシャはその報告を兄にプレゼントする予定の刺繍を刺していた刺繍枠を砕きながら聞いた。
男爵令嬢は何故かそこそこ優秀で、妙なトラブルもやたらと起こったが神の愛し子としてのお披露目もこなし、王子との婚約発表も同時に済ませた。
神の愛し子と呼ばれたこの男爵令嬢は、その後も色々とやらかして歴史に残り、後の逸話を読んだ人間を困惑させ神の愛し子って凄いんだな……と言われるのだったがそれは後の話である。
この計画の中心となった王妃と枢機卿と侯爵父娘はこれで一安心と4人で集まって良いワインを呑んで乾杯した。
「次は貴女の相手かしら」
「出来れば色恋をしても冷静な方が良いですわ」
「アルルーシャ、それは分かりにくくて難しい条件ではないか?」
「隣国の王弟殿下はいかがかな?年もそれ程離れておらず、婚約者も居られず冷静な方と聞くが」
「あの方は確かに状況判断の上手なお方ね。……少しお伺いしてみましょう」
「ありがとうございます王妃様」
4人は久しぶりにリラックスしてお酒を呑みながらこれからやることなどを話し、良い気分で布団に入った。
その夜に見た夢は、キラキラと輝く女神が震える声で『何?この、この娘、なに……全然知らんし加護も与えた記憶無い……素でこれ?こわ!え、こわい……と、とりあえず小さい加護やっとくね……えぇ……こわ……』と震えながら手からキラキラした物を撒いていた。
主人公って軒並み丈夫だよね。攻撃受けても下半身はボロンしないし。