6.魔法省と第二王子マチュー
リュシアンはアルマンと共に城の中にある魔法省の一室に飛んだ。
城の中の決まった位置(ごく一部の人間しか知らされていない)では魔法が増幅されていて、そこから飛べばそれほど魔力の強くないアルマンでもリュシアンを伴って移動することができる。
雑念が混ざると上手く飛べなくなってしまうので、リュシアンはアルマンからいつも「心を無にしていてください!王妃様の居室に飛んでしまうなんて失態は金輪際御免ですからね!」ときつくきつく釘を刺される。
しかしアルマンも変わったやつだ。
魔法省の重厚な樫の扉を見上げながらリュシアンは思う。
俺は魔法が全然使えない。
一番簡単と言われる物質移動すらできない。
この魔法世界では、肢体不自由者よりも不便な存在だ。
しかも俺は…この国で一番魔力の強い家系と言われる王家の一員なのに…
アルマンは俺の乳母の息子で俺と同い年の18歳(俺は明日だが…)。
所謂、乳兄弟というやつだ。
乳母は俺が魔法を使えない王子ということで、周りの人たち(俺の両親含め)から養育・教育についていろいろと言われたり、はっきりと妨害に遭ったりしたそうだ。
でも生来あっけらかんとして楽天的でタフな性格の彼女はまったくめげることなく、俺に息子と同じくらい、いやそれ以上に愛情を注いで育ててくれた。
乳母があの人でなかったら、俺はすでにこの世にいなかったかもしれない。
アルマンは王侯貴族の友人がいない俺(子供本人というよりその親たちが俺と子供の交流を嫌がった)の唯一傍にいる同年代の子供で、俺にとっては使用人というより親友という存在だ。
彼は口にしたことはないが、恐らく幼いころから乳母と同じく周りからさまざまに言われてきたに違いない。
アルマン本人が俺をどう思っているか、怖くて聞けないので知らない。
使用人という立場を崩さず、常に俺のそばに寄り添って淡々と日常をこなしている。
俺に危害が及ぶこと以外はあまり興味がないようで、感情に凹凸がなく穏やかというより平坦だ。
嫌われてないといいなあ…
リュシアンは願いというより祈りに近い感情で強く思う。
「?どうなさいました?」
思わずぎゅっと目を閉じたリュシアンの顔を見て、アルマンは心配そうに問う。
「いや…何でもない」
慌てて目を開けて少し笑ってみせたリュシアンに、アルマンもほっとしたように微笑んだ。
「大丈夫でございますよ、心からお兄上、弟君を激励なさってあげてください。
リュシアン様のお気持ちはお二人に届きますよ」
アルマンは励ますようにリュシアンの背中をぽんぽんと軽く触れ、急に「おっ!」と言って目を閉じる。
あ…誰かから通信が来たな。
感じ取ることのできないリュシアンは集中した様子のアルマンをぼんやりと見つめる。
重厚な樫の木の前に立つ衛兵が、鎧の中から憐みの目で見ているような気がして、リュシアンは居心地悪くうつむいた。
「お待たせいたしました、すみませんリュシアン様。
お見送りした後に、王様の居室へお越しくださいとのことでございます」
「えっ?
はっ?!」
顔を上げたアルマンの冷静な口調に、リュシアンは思わず素っ頓狂な声をあげる。
「父上の…居室に??
10年以上行ったことないぞ?
なんで?!」
「さあ…私に訊かれても。
とにかく入りましょう」
リュシアンは口をぱくぱくと開け閉めしたが、言葉が出てこずに黙って閉じた。
見開いたままの目は、まだ元に戻りそうにない。
アルマンは何事もないように顔を上げ、衛兵に合図する。
衛兵は扉にかけられたシールド魔法を解除し、同時に構えていた大きな槍をまっすぐにして身体の横に立てた。
樫の一枚板でできた巨大な扉が誰も手を触れないのに、音もなく開く。
天井が高く薄暗い空間の向こうに、床に描かれた魔法陣から眩しく赤い光の柱が時折スパークを伴って立ち上り、その前には幾人かのローブを纏った魔導士たちがいた。
横には、魔法省の長官と第二王子マチューがいる。
マチュー王子は背が高く、亜麻色の髪に明るい茶色の瞳の持ち主で、人好きのする笑顔が印象的だ。
しかし、その笑顔をリュシアンに向けたことは一度もない。
王太子である第一王子よりはやや劣るものの、強大な炎属性の魔法使いである。
部屋にいた人たち全員が一斉に振り向いた。
リュシアンは思わず引きそうになる足を懸命に叱咤して一歩前に踏み出し、一礼する。
「兄上、お見送りに上がりました。
道中お気をつ」
「よい、お前からの見送りなど必要ない。
国難に際して為す術もない者は、厨房の奥にでも隠れているがよい」
リュシアンの震える声に被せて、マチューは冷酷に言い放つ。
声を呑み、ひくっと喉が震えてしまったリュシアンを見て「この役立たずが…」と吐き捨て、マチュー王子は長官のほうを向いて「では、参ります」とにこやかに言った。
「は、ご武運を、マチュー様」
長官は丁寧にお辞儀をし、マチュー王子に向かって呪文を唱える。
守護魔法を纏ったマチューは、そこにいた魔法省の役人たちに微笑んで手を振ると、従者と共に光の柱に向かって足を踏み出した。
二人は赤く輝く影となって光の柱に吸い込まれ、すぐに影は消えた。
柱の光も徐々にその光量を落とし、やがて床に描いてある魔法陣のみになった。
リュシアンは唇を嚙んでその場に立ち尽くす。
こんな屈辱は、幼いころから慣れている。
マチュー兄上は弱いものがお嫌いだ。
しかし…
今回は何故か悔しくて仕方ない。
どうして俺は、魔法が使えないのだ。




