2.灰の森
朝の建物回りと共用部分の掃除に始まって、客の朝食の支度・配膳・片付けをして、セレストはようやく朝食にありつく。
朝食といっても固パンと具なしスープのみで満腹には程遠い。
そのあとは宿泊客が旅立った客室を掃除してまわり、昼過ぎにようやくひと段落してまた新たな投宿客が来るまでのわずかな時間に、おばさんあるいは女中から使いを頼まれることが多い。
大抵は町の中の商店街に、商店が配達してくれないようなこまごましたものを買いに行かされるのだが、たまに「森に行って薬草をとってきておくれ」と言われることがある。
このお使いには駄賃がつく。
なぜなら、この宿屋『雌牛と麦亭』の女将以外の、町の人たちからの依頼も多いから。
「森」というのはこの町の大門を出てしばらく北へ進んだところにある通称『灰の森』(本当の名前は『コンアールデンの森』というのだけど誰もこの呼称は使っていない)のことである。
この森には伝説がある。
昔々、人間は魔法が使えなかった。
ある時、一人の人間がこのコンアールデンの森で天界の使徒を騙して魔法の力を手に入れ、それを大勢の人間に分け与えた。
天界の人々(あるいは神)に比べると極端に寿命の短い人間は瞬く間に殖えて、いつしか生まれた時からすでに魔力を持つようになった。
天界が気づいた時には時すでに遅し、人間の魔力は天界をも凌駕するほどのパワーを持っていた。
驚き慌て、そして怒りに燃えた天界は人間界に総攻撃を仕掛け、これを迎え撃った人間と大戦争が勃発した。
天界の神々は情け容赦なく人間たちを弑し、人間たちもまた天界の神々に大きなダメージを与えた。
人間界には二人の大魔法使いと呼ばれる男たちがいて、この二人は幼馴染の親友であった。
二人は最後まで抗戦したが、善戦虚しくこの森で滅びた。
神々はこの森を完膚なきまでに焼き払い、以降この森は『灰の森』と呼ばれるようになった。
そして何故か、この森は魔力を持つ人間は入れない。
森が意思を持って侵入を阻むかのように、木々は枝で進路を閉じ、下草は岩のように身を固くし、果実は悪臭を放つ。
そういう経緯があってセレストのような、ほとんど魔力を持たない人間が重宝される。
森には薬草が豊富にあり、ここにしか実らない珍しい果物なども生っている。
セレストの存在価値は、女将にとっても町の人にとっても、ひとえにこの森に入って帰ってこられるという一点に尽きる。
「セレスト!掃除が終わったら、灰の森に行ってこの薬草を採ってくるんだよ!
マルンドさんの店に届けな!」
おばさんの声が響くのと同時に、セレストの額に唐突にべしっと紙が貼りつく。
セレストはいきなり視界を遮った紙を剥がして眺めた。
マルンドさん…いつもながら人遣い荒い~…
こんなにいっぱい、容赦ないわ。
まあでもマルンドさんは結構金払いがいいから。
頑張って探すかな。
セレストは少し微笑んで、紙を畳んでエプロンのポケットに入れた。
「急いで行ってきな!
遅くなったら夕飯抜きだよ!」
はいはい。
夕飯ったって、大したもんは出ないじゃなーい。
早く帰ってきたくなるような夕飯用意してみなさいよー。
ぶつくさ言いながらセレストは『雌牛と麦』亭を出て、大通りを大門に向かって歩いて行った。