病院の白石さん。
「事情はわかりましたけどね……。いや、正直よくわからないんですけど」
すっかり慣れ親しんでしまった、自分の病室にて。
三鷹さんは、目頭を抑えて苦悶の表情を浮かべていた。
「病院を抜け出して、散歩がてら難しそうな救助要請を片付けてきた、と。そこまでなら理解できますが、どうしてきぐるみを着ようって発想になっちゃうんですか、あなたは」
「にゃー……」
「にゃーじゃないです」
いやあ、なんでだろうね……。
私も、思いついた時はいいアイディアだったと思ったんだけどなぁ……。
要救助者を転移魔法陣まで搬送した後、私は早々に探索を切り上げた。
なぜかと言うと、暑かったのだ。
きぐるみで砂漠に行くと、とても暑い。そんなほろ苦い教訓が、今日の収穫ってやつだった。
それから探索者協会――迷宮の管理運営を営む、探索者たちの互助機関――の施設でシャワーを浴びて、出てきたところを三鷹さんに捕まり、病院に連れ戻されて今に至る。
「それで、白石さん。あなたまだ、私に黙ってることありますよね」
「……え、と」
「共犯者がいるでしょう。あのきぐるみ、一人でどうやって着たんです?」
「それは、えと……。が、がんばって……?」
「じゃあ、ポーチはどうやってつけたんですか?」
「そ、それも、がんばって……」
「剣の柄も握れない、あの手で?」
確認というより、ほぼ尋問だった。
どうしよう、見事に図星だ。だけど、私だってそう簡単に自白するわけにはいかない。
「わ、私一人で、やりました……!」
「なるほど。蒼灯さんに手伝ってもらった、と」
「え、なんで……!?」
「それくらいしかいないでしょう。こんなことに手を貸す人なんて」
「にゃ、にゃぁ……」
「そんな声出してもダメです」
…………。
まけた。刑事さん、あんたの勝ちだよ。
「その友情に免じて、ほどほどにしておきますけどね。あなただってまだ本調子じゃないでしょうに。お忘れかもしれませんが、迷宮って危険地帯なんですよ? 何かあったらどうするつもりなんですか」
「うー……」
それについては、あんまり納得していなかった。
体調ならとっくに回復している。怪我は治ったし、魔力中毒だってもう抜けた。
すぐに退院したっていいくらいに、コンディションは万全だ。
「あの、三鷹さん。私、いつまで、入院してないと、いけないんですか?」
それを聞くと、三鷹さんの表情が、ほんの少し固まった。
「あなたの魔力波長は、あの日以来明確に変質しました。その影響がわかるまで、もう少しだけ辛抱してください」
「でも、今は、なんともないです」
「今はそうですが、一時は本当に危なかったんですよ。体内の魔力核が暴走して、あわや消滅する寸前だったんですから」
私が今も病院に縛り付けられている理由。それは、私が取り込んだ魔力核にある。
病院に搬送された時、私の体はとんでもないことになっていたらしい。
暴走した魔力核から放たれる膨大な魔力が生命力を食い尽くして、私の肉体が消滅してしまいそうになっていたとか。
前代未聞の症例に、医師たちも手をこまねいていたところ、魔力核は突如安定。その後は暴走することもなく、今も私の中でおとなしくしている。
「魔力核が暴走した理由はまだ説明がつきます。ですが、本当に不思議なのは、完全に暴走状態にあった魔力核が突如として安定したこと。せめてそのメカニズムを解析しないと、次に暴走した時に打つ手が……」
「大丈夫、です」
実を言うと、そんなに不安には思っていなかった。
よく覚えていないけれど、夢の中でなにかがあったような、そんな気がする。だからたぶん、大丈夫だ。
「これはもう、暴れたりしないと、思います」
「とは言いますけどね……。いっそのこと、そんな危ないもの、摘出したほうがいいんじゃないかとも思うのですが」
「やです」
首をふる。
たしかにこれは危険なものかもしれないけれど、摘出するなんてもってのほかだ。
「この力は、必要です。これからも、誰かを、救うために」
「……あなたは、あくまでそれを望むんですね」
「はい」
呪禍との一件で、私は大事なことをあらためて学んだ。
力だ。
力がないと守れない。力がないと救えない。
それはとても単純で、明快な原理だった。
「もし、最初の遭遇で、呪禍を倒す力が、私にあれば。もし、二度目の交戦で、呪禍を仕留められてたら。きっと、あんな大事には、ならなかったと、思うんです」
「……それは遠い理想です。私たちにすべては救えません。あなたはあなたの最善を尽くしました」
「それでも、私はもっと、当たり前に、人を助けたい。そのためには、力がいります」
魔力収斂事件の時、真堂さんからもらった言葉は、今でも大事に覚えている。
私たちは英雄じゃない。決死の作戦も、劇的な救助も、そんなものやらないほうがいい。
誰にも称賛されないくらい、当たり前に人を助ける。それこそが、救助者としての至上の勝利だ。
だからこそ。
そのためにはもっと、もっともっと、力がいる。
「……あなたのせいですよ、真堂さん」
三鷹さんは小声でつぶやいた。
「まあ、とにかくわかりました。再び危険な兆候が見られるまでは、魔力核はそのままでもいいでしょう。退院時期についてもお医者様に相談してみますね」
「え、いいんですか?」
「これでもあなたのマネージャーですから。可能な限り、あなたの活動をサポートするのが私の仕事です。本当に危ないことは止めますが」
「……ありがとう、ございます」
「今度病院を抜け出したくなったら、先に私に相談してください。外出許可くらい取ってきますよ」
ではまた、と三鷹さんは早々に病室を後にした。
この頃の三鷹さんはずっと忙しそうにしている。というのも、最近迷宮事業部で大きな体制変更があったらしい。
回復魔法が使えなくても、日療の救助活動に協力できるようになったとかなんとか。そのあたりのことは、まだあんまり詳しく聞けていないんだけど。
病室のベッドに背中を預ける。
ここで寝ているのも、もうすっかり飽き飽きしてしまった。
体調はとっくに回復したし、おかしなところは一つもない。呪禍との死闘でつけられた傷跡も、今では綺麗さっぱり消えていた。
いや。呪禍につけられた傷なら、最初から消えていたと言うべきか。
呪禍の噛み傷は呪われる。食痕に魔力がうまく伝わらず、回復魔法で治癒することが非常に難しくなってしまう。
しかし、そうしてつけられた傷口も、一つ残らず消えていた。
「…………」
理由ならわかっている。呪禍との決着に使った、あの魔法だ。
おそらくはあの輝く風が、呪禍の呪いを祓ったのだろう。私が編み、ルリリスが手を貸してくれたあの魔法には、それだけの力があった。
と、なると。思うところがある。
呪禍を巡る騒動の中で、右腕を失ってしまったあの少女。
彼女の傷口は、通常の回復魔法では治癒できなかったけれど、輝く風の魔法ならどうにかできるのではないか。
そんな期待を抱いてしまう一方で、困ったことがある。
というのも、実は私、あの人がどこの誰なのか知らないのだ。
名前も知らないし、所属もわからない。わかっているのは、あのキャンプ場にいた探索者ってことだけ。
あの時ちゃんと名前を聞いておけばよかった、と思っても後の祭り。呪禍対策で立てこんでいたとは言え、やっちゃいけないミスだった。
そんな反省をしていると、廊下から二人の女の子の話し声が聞こえてきた。
「七瀬さん、さっきから何してるんです?」
「い、いや、その。お見舞いに行こうかなって……」
「ならさっさと行ってくださいよ。いつまでこんなところでうろうろしてるんですか」
「だ、だから、心の準備ってやつがなぁ……!」
「まーた面倒くさいこと言い出した……。付き合う方の身にもなってくださいよー」
「あー、うるさい! 今日は一旦出直すから!」
「あ、また逃げた」
誰かのお見舞いに来たのだろうか。賑やかに言い合いながら、二人の気配は遠ざかっていく。
気を取り直して、自分の考え事に戻る。
あの右腕の子、今どこで何をしてるんだろう。
案外、近くにいたりしないかなぁ……。




