その言葉が言いたくて
#30 そとって、あかるい
照りつける日差しに目を細める。
頭上には輝く太陽。果てなく広がる青い空。白くたゆたう大きな雲。
ここは迷宮三層・大海迷宮パールブルー。眼前に広がるのは、広がる豊かな大海原だ。
それと、砂浜に横たわる、小型の海龍の死骸。
「いい天気」
:そうだね
:天気はいいよね、天気は
:海竜種をさくっとシメておいて、お天気が気になりますか
:平常運転にもほどがある
:まあ、この前に比べればよっぽど平和か……
海龍の頭に突き刺さった剣を抜く。
オジョウカリバー四十二世。英雄化した天使との死闘でも、折れずに耐えきってくれた愛剣だ。
昨日きっちり手入れしてあげたので、今はぴかぴかに輝いていた。
「……どーしよっかな」
空に向かって大きく伸びをする。
今日は蒼灯さんに誘われて、七瀬さんのお見舞いに行くつもりだった。だけど難しそうな救助依頼が来てたので、迷宮に来てしまったのだ。
「よし」
まあ、今日はこのまま探索していくか。
迷宮救命士がどちらも不在っていう状況は、あんまり作らないほうがいいだろう。
:あ、探索してく気だ
:よし、ではないんよ
:二日前にあんだけ大暴れしたばっかなのに
:日常に戻るのが早すぎる
:無理すんなよお嬢
大丈夫大丈夫。これくらいへーきだから。
この間はとんでもない戦いだったけれど、今は何ともない。丸一日ぐっすり寝たら、体も魔力も快調だ。
そんなわけで元気いっぱい迷宮を歩いていたら、真堂さんから電話がかかってきた。
「君、今日は病院に来るんじゃなかったか」
「あ、えと」
「魔力核の経過観察日。今日だろう」
「……あ」
そういえばそうだった……。
:だそうですけども
:出頭命令が出てしまった
:あれ、真堂さんの声まだ入ってない?
:設定戻し忘れてるよ、お嬢
普段は真堂さんの声は配信に載せないようにしていたのだけど、この前の遺跡探索の時だけは声を入れていた。設定がその時のままになっていたらしい。
まあいっか。後で直しておこう。
「探索を切り上げたら、帰りに病院によるように」
「はーい……」
「乗り気じゃなさそうだな」
「だって……。注射、されるじゃ、ないですか」
「まあ、血中の魔力濃度を測るために採血はするが」
「あれ、なんか、やです」
「……そうか」
:お前は何を言っている……?
:もしかして、注射が怖いのか……?
:マナアンプルぶすぶす刺しといて、何言ってんだこいつ
:天使にざっくりやられた時も楽しそうにしてたのに
:思い出せお嬢、お前は流血上等のバトルジャンキーだ
いやその、そうじゃなくて。違うじゃん、なんか。
迷宮にいる時は怪我くらい怖くともなんともないんだけど、地上にいる時はそういうモードじゃないし。
しかもそれで変な数値が出たら、またベッドに縛り付けられるかもしれないし……。
「用件はそれだけだ。切るぞ」
「あ、えと。待って、ください」
真堂さんを引き止める。彼には言っておきたいことがあった。
「真堂さん。ありがとう、ございました」
「何がだ?」
「あの時。あの作戦、立てたのって。真堂さん、ですよね」
「…………」
:えっ
:え、そうなの?
:七瀬さんじゃなかったっけ?
:違うんだ
――試算ではギリいけるらしいけど、不十分なデータを根拠にした急ごしらえの計算だから、信用するなって言われてる。
あの時七瀬さんはそう言っていた。つまり、あの作戦のために必要な計算をした人は別にいるってこと。
となると、そんなことをする人なんて真堂さんしかいないだろう。
「俺はただ、七瀬くんに可能性を示しただけだ」
真堂さんは面白くなさそうに答える。
「あんな危険な作戦、到底勧められるものではない。成功したのはあくまで結果論だ。天使が太陽機械に取り込まれた時点で、俺は撤退するべきだと判断していた」
「じゃあ……。作戦、なんで、用意してたんです?」
「必要になると思ったからな。救助者が救助を断行するケースはこれまでにもあった。ならば備えておくのも、俺の仕事だ」
「……言う事、聞かなくて、すみません」
「なら聞くが、次もまたああいった状況に陥った時、君はどうする」
「助けます」
悪いとは思っているけれど、命を諦める気なんて毛頭ない。
それは私の譲れないところだった。
「それでいい」
真堂さんは、そんな私を肯定した。
「そうなった時のために、また何か考えておく。次はもっと上手い手を」
「今回の、ダメ、だったんですか?」
「上策だったとはとても言えない。結局、危ない橋を渡ることになってしまった」
真堂さん、ちょっと悔しそうだった。
いい作戦だったと思うけど、立案者としては不満らしい。
:起死回生の一手だったと思ったけど
:あんなに上手くいっても反省点あるんだ
:ストイックやね
:果たしてこの人が満足する日は来るのだろうか
:人間なんていつまでも未完成を追い求めるものですからね
きっと、真堂さんは真堂さんで、誰かを救うためにあがいているんだろう。
私が力を求めたのと、同じように。
「……今回の救助で、少し、わからなくなりました」
力。
これまで私は、ひたすらに力を求めていた。
それが、誰かを救うことに繋がると信じて。
「私は、こう、思ってたんです。強ければ、いいって。力があれば、全部、救えるって」
信仰にも近い、力への渇望。
私の中でそれが揺らぎつつあるのは、きっと気のせいなんかじゃない。
「……だけど。天使を、救ったものは、力じゃなかった」
今回、私は知ってしまった。
力というものの無力さを。力では救えないものの存在を。
「力じゃ、あの子は、救えなかった。作戦、とか。みんなの協力、とか。そういうものがあって、はじめてあの子を、助けられた」
私一人では、天使を助けることはできなかった。
蒼灯さんの機転。真堂さんの作戦。七瀬さんの支援。
それから井口さんとルリリスと、この作戦に携わった全員の協力があったから、初めてあの子を助けられた。
たとえ誰一人が欠けたとしても、最高の明日を手にすることはできなかった。
「だったら、私は……。何を、信じたら、いいんでしょう」
もしかしたら、力じゃないのかもしれない。
力だけが答えじゃないのかもしれない。
他の答えもあるのかもしれない。
そんなことを、信じてみたく、なってしまった。
「白石くん、それは」
そこまで言って、真堂さんは言葉を止める。
長い沈黙。あまり迷うことのない彼にしては、珍しいくらいに。
「……それは?」
沈黙に耐えられなくなって、私から聞いてみる。
それからまた少し開けて、彼は答えた。
「……いや。それは、自分で考えろ」
「え」
……えっ。
「え、え、えと。教えて、くれないん、ですか?」
「大事なことだろう。まずは、自分で答えを探すといい」
「え、ええー……」
「いつか答えを見つけたら、聞かせてくれ」
:耐えたなーw
:一番言いたいことあるのこの人だろ
:真堂さん、あんた偉いよ
:答えが出るまで見守る、です、か
:大事なことはネタバレしないリスナーの鑑
:名誉リスナーの称号いる?
:うちのお嬢を今後ともよろしくお願いします
:出たなおじリス
なんか、リスナーには好評だった。なんで。
ほっぽりだされた気分だった。私は真剣に悩んでるんだから、教えてくれたっていいんじゃないかって。
……まあ、いいか。自分で考えろと言うなら、そうしよう。
時間はあるんだ。これからの救助活動の中で、ゆっくり答えを出せばいい。
「それと、君に一つ伝達事項があった。ビデオ通話に切り替えるぞ」
「え、あ、はい」
スマホの画面が切り替わる。映ったのは真堂さんの仏頂面と、日療のオフィスだ。
そこにぴょこんと、見覚えのある顔が飛び込んできた。
美しい銀の髪に、琥珀の瞳。背中に大きな翼を持つ少女。
「わ、わ、わ」
「*****?」
天使は不思議そうに画面を見て、私にふりふりと手を振っていた。
英雄化していた彼女の姿は、今は元に戻っていた。あの途方もない力も、少なくとも画面越しには感じない。
「三鷹からの伝言だ。要望には答える、だそうだ」
「えと、要望って……?」
「君が言ったんだろう。天使と話してみたい、と」
……え。
たしかにあの時そう言ったけど。でも、まさか、それって。
「後は二人で話すといい。俺は仕事に戻る」
真堂さんはそう言い切って、自分のスマホを天使に渡した。
二人で話せと言われても。どうすればいいかわからず、私たちは画面越しに見つめ合った。
:え、大丈夫?
:話ってどうすんだ?
:お嬢にできるか……?
:できるよ
:見てよう、お嬢なら大丈夫だから
ややあって、天使は口を開く。
「あり、が、と?」
彼女の口から発せられたのは、紛れもなく人間の言葉だった。
それに驚いて、少し考えて、私は。
「****」
記憶にある天使の発音を真似して、同じ意味の言葉を返す。異文化交流の基本は模倣だから。
天使は笑う。私も微笑む。
それが、私たちが伝えあった、最初の言葉だった。