イカロスよりも高く飛べ
頭上に輝く太陽機械を目指して、空に舞い上がる。
近づくほどに激しさを増す熱が体を焼く。殺人的な灼熱だが、しかし痛みは感じない。
灼ける体に回復魔法を纏う。熱と光で体が壊れるなら、同じくらいに治せばいい。
この体が動くこと。今大事なことはそれだけだった。
命を焼き尽くす灼熱と、強引な治癒が私の中で拮抗する。命の針がおもちゃのように振れ動くが、恐怖はなかった。
この極限の状況下で、私の命は適切に管理するべきリソースの一つだ。そんなことを考えてしまう私も、たぶんどこかで壊れてしまっている。
胸は燃えるように熱いのに、頭は不思議なくらいに冷えていた。
この作戦に失敗したら全員死ぬ。私も、天使も、蒼灯さんも。だから私は、まだ死ねない。
命を捨てる決意の有無が勝敗をわけたと、あの少年は言っていた。
だったら、もう一度試してみようじゃないか。
命を捨てる決意と、生きることを諦めない意思の、どっちが強いかを。
「来い……っ!」
首から下げたリングペンダントを握りしめる。
太陽機械がもたらす灼熱と光の中、次元に亀裂が走る。その中に手を突っ込んで、漆黒の大鎌をずるりと引き出した。
対六層魔物用決戦兵器、撫斬首落。
太陽の光すらも拒絶する、漆黒の三日月。
殺して、壊して、断ち切るための力だ。
黒い斬撃を、真横に一閃。
ただ滑らかに。そして、静かに。
触れるものすべてを斬り捨てる切れ味は、偽りの太陽を二つに断ち切った。
さあ行こう。
作戦開始だ。
:っしゃあああああああああああ!!!!!
:うおおおおおおおおおおおおおおお
:いっくぞおおおおおおおおおおおおおおおおお
:黒い斬撃……?
:なんだあれ、そういう技か?
:眩しくてよく見えなかった
割れた太陽の間から、翼を持つ少女が落ちてくる。
撫斬首落を次元の狭間に戻して、両手で彼女を受け止める。
激しい出血。意識はない。だけど脈はある。
天使はまだ、生きている。
「白石さん! 爆発します、下がって!」
蒼灯さんの叫びに、私は急いで太陽機械から距離を取った。
目の前に巨大な氷の壁が生まれたのと、太陽機械が爆発したのは、ほぼ同時だった。
本当に恒星が爆発したかのような、凄まじい閃光。少し遅れて、轟音と破壊の波が解き放たれる。
それを受け止めた蒼灯さんの氷結城は一瞬のうちに蒸発した。巨大な氷壁が水になり、水蒸気になって、周囲を白く曇らせた。
「こっからが、本番だ……!」
続けて生み出されたのは、透き通る結晶の柱だ。
隔壁の内部から生えてきた巨大なクリスタルが、壁となって爆風を遮る。
しかしそれも、爆発を完全に止めるには至らない。一瞬のうちに結晶はひび割れ、砕け散り、破片に変わった。
「……山田っ! 全部だ! 全部よこせっ!」
七瀬さんが叫ぶと、一拍遅れて結晶の群れが空を覆い尽くした。
頑強な水晶の柱が次から次へと生えてくる。遠隔でこれだけの大魔法を使うなんて、一体どれほどの魔力量を持っているのだろう。
しかし、それでも爆風はまだ収まらない。結晶の群れを突き破って、それらの破片を巻き込みながら、爆風は地表に殺到する。
二人が稼いでくれた時間のおかげで、私は天使を抱いて地表に降り立った。
爆風とともに降り注ぐ、超高温の水蒸気と、砕けた水晶の破片。それらに向けて手を掲げる。
「いくよ」
シリンダーは使わなかった。風巡りのシリンダーより、もっといいものが私にはある。
体内の魔力核を使って、魔法を演算する。
今度は私が風を起こそう。二人が紡いだ力を借りて。
「巻き込め……っ」
大地から空へ、螺旋を描きながら風が吹く。
灼けた水蒸気を巻き取って、砕けた結晶を巻き込んで。炎が生み出す上昇気流すらも味方にしながら、螺旋の風が空に伸びる。
万象を巻き込む螺旋の槍。
「竜巻の、大槍……!」
地表に生じた大竜巻は、爆発する太陽機械に突き刺さった。
氷壁を、結晶を、爆炎を巻き込みながら、一つの生き物のように螺旋を描く。
意地と根性。それから信念。それらすべてを、力に変えて。
「すごい……っ」
「気、抜かないで! まだ終わってません!」
重なり合う大魔法と、太陽機械が放つ爆風がせめぎ合う。
私たちの全力で相殺してなお、爆発の勢いは止まらない。激しい炎に晒された隔壁は、余波だけでどろどろに溶けはじめていた。
:いけるか……!?
:大丈夫!? 押されてない!?
:やばくないかこれ!?
:知るか! とにかく応援すんだよ!
:まだ戦ってんだ、それしかねえだろ!
均衡が崩れる。少しずつ、私たちが押されはじめる。
たった三人で太陽を封じ込めるなんて、やはり無謀だったのかもしれない。
そんな弱気な迷いが、爪の一欠片ほどにだけ、頭をよぎったその時に。
「それで、どうするんだ?」
彼はあらわれた。
白い髪に、赤い瞳。その瞳の奥底に滲む、底しれない深淵。
「僕はただ選択肢を提示するだけだ。どうするかは君が選べばいい」
彼はたしかにそこにいる。だけどそこに彼はいない。
蒼灯さんにも、七瀬さんにも、リスナーにも。彼の姿は見えていないようだった。
「条件はさっき言った通りだ。鍵になるのは覚悟と代償。その二つを捧げれば、迷宮は途方もない恩寵を与える」
それがあれば。
その力が、私にあれば。
天使と同じ、英雄の力が、私にあれば。
何もかも、一人で、覆せるのかもしれない。
「求めろよ。君にはその資格がある」
死なせたくない人がいる。そのために捧げるのは惜しくない。
覚悟も代償も、いくらだって支払おう。
だけど……。
「……どうした? 選ぶなら、早くしたほうがいい」
その時、選択を鈍らせたものの正体を、私は知らない。
何かが気になった。私には理解できなかった何かが。
蒼灯さんが、命がけで伝えようとしていた、何かが。
「白石、さん……っ!」
その蒼灯さんの声を聞いて、はっとする。
もう一度周囲を見渡す。
あの少年の姿は、もうどこにもなかった。
「天使、を……!」
必死になって爆風を抑え込みながら、蒼灯さんは叫ぶ。
形勢は如実に不利になりつつあるのに、彼女の言葉には力があった。
「天使を、回復魔法で、起こしてください!」
その言葉に、弾かれたように体が動く。
活力が巡る。湧き上がる力がこの体を突き動かす。
まだだ。
まだ終わってない。
まだ誰も、諦めてなんかいない……っ!
「起きて」
僅かな魔力を風祝のシリンダーに割いて、天使に回復魔法を投与する。
多量の血を失い、気を失っていた彼女が、ゆっくりと目を開いた。
「帰ろう……!」
必死になって言葉をつむぐ。
伝われ、伝われ。伝われ、伝われ、伝われ。
たとえ言葉がわからなくたって、対話に意味がなくたって。
「生きて、帰ろうよ……!」
この心は、きっと伝わるはずだから――!
「……****」
天使は虚ろな瞳で、私を見て、それから荒れ狂う太陽機械を見上げて。
空に手を伸ばし、小さく呟いた。
「***」
極光が生まれる。太陽よりも輝く光の奔流が、螺旋の槍の内部を駆け上がる。
光に籠められた膨大なエネルギーが、水蒸気と結晶を通してプリズムのように乱反射し、爆風に衝突して相殺する。
輝きと爆発。螺旋と極光。決意と意思。
誰もが必死だった。生きるために。生きて帰るために。
:いっけえええええええええええ!!!!!!!!
:うおおおおおおおおおおおおおおおおお
:お願いしますお願いしますお願いしますお願いします……!!
:負けんなーーーーーーーーーーーっ!!!
:なんとかなれええええええええええええええ
これまでの人生で、何よりも長い数秒間が、過ぎ去って。
「止ま、った……?」
やがて、蒼灯さんがそう呟く。
氷の壁は蒸発した。水晶の柱は砕け散った。螺旋の槍も、極光の奔流も消え去った。
太陽機械の姿も、そこにはない。
そこにはもう、なにもない。
「太陽機械、消滅しました……! 繰り返します! 太陽機械の消滅、確認しました!」
隔壁の上部には、地表まで貫く大穴ができている。
穴の先には澄み渡る青空と、本物の太陽が顔をのぞかせていた。