ラストダンス
突然に現れた蒼灯さんに、しばし戸惑う。
この遺跡に彼女が訪れていることは聞いていた。だけどそれは、あくまで遺跡で遭難した私を救助するためだ。
今はもう、状況が違う。
「大丈夫です、状況はすべて把握しています。私たちに策があります」
「私、たち……?」
ここにいるのは蒼灯さんだけだ。私の目がおかしくなったのでなければ。
疑問に思っていると、耳につけたインカムにピロンと入室音が鳴る。
私がいる通話に、誰かが入ってきた。
「白石さん、聞こえる? 七瀬です」
「あ、えっと……。ども」
七瀬という名前は知っている。私の後に日療に所属した、迷宮救命士の人だ。
まだ直接会ったことはないけれど、三鷹さんづてに話は聞いている。救助者無線でも、おはようを言い合うくらいのことはした。
「時間がないから手短に行くよ。白石さん。こうなった以上、要救助者を助け出すのは簡単じゃない」
「わかってる。もう……」
「だから、天使を助けるには大きなリスクを背負う必要がある」
七瀬さんの言葉を理解するのに、少しだけ、時間がかかった。
「助ける、方法が、あるの?」
「ある。ただしこれは命がけの作戦だ。もしも失敗した場合――」
「わかった。やる」
言葉を理解した瞬間、消えかかっていた火が再び灯った。
リスクなんてどうでもいい。失敗した場合のことなんか、考えるだけ無駄だ。
もしもまだ、一パーセントでも助けられる可能性があるのなら、命をかけない理由なんて一つもない。
「言ったじゃないですか、この人は迷わないって」
「この勢いで即決するとは思わないじゃん」
蒼灯さんもこの通話に入ってくる。この二人の間では、もう話が済んでいるらしい。
「どうすればいい?」
説明を促すと、七瀬さんは答えた。
「ぶっ壊すんだ、太陽機械を」
「……へ?」
「結局のところ、諸悪の根源はあの太陽機械だ。だからあれを壊せば、何もかも解決する。簡単でしょ?」
作戦ってやつは、つまるところそれらしい。
シンプルな作戦は嫌いじゃないけど、実行するには大きな問題があった。
「でも、えと。太陽機械を、壊したら。爆発するって」
「うん。だから、その爆発を抑え込むのがこの作戦の肝になる」
……え。
爆発を、抑え込む……?
「蒼灯さんの氷結城。白石さんの風巡り。それから私の地脈活性・晶壁。三重の防御魔法に加えて、遺跡内にある隔壁も利用すれば、爆発を抑えられるかもしれない」
「かもしれない、って?」
「不確定要素が多すぎるんだよ。試算ではギリいけるらしいけど、不十分なデータを根拠にした急ごしらえの計算だから、信用するなって言われてる。実際どうなるかなんて、やってみなくちゃわからない」
青い注射を体に刺す。
薬剤が体に入ると、空っぽになっていた魔力が急速に充填される。
この注射はマナアンプル。手軽で、便利な、劇薬だ。
「やろう」
命をかけるのは怖くない。
だけどそれは、私一人の話だ。
「でも、蒼灯さんは、逃げて。私一人で、やるから」
背負うのは私だけでいい。こんな危険な作戦に、誰かをつきあわせるのは嫌だった。
「ダメですよー」
いつもの調子で、蒼灯さんはにこにこと否定する。
「命かけるなら、一緒です。そのために私はここに来たんですから」
「死んでほしく、ない」
「それはこっちも同じです」
「む……」
それを言われてしまうと、そうなのだけど。
正直、蒼灯さんに口で勝てる気はしない。だけど、簡単に譲るわけにはいかなかった。
「一人で、大丈夫」
「何を言いますか、そんなボロボロで」
「私は、強いから」
「だとしてもです」
蒼灯さんは言う。
「人はどこまでも強くはなれない。あるいは、果てなき強さを手にしてしまえば、それはもう人ではない。あなたの強さはきっと今、その境界に立ちつつあるんでしょう」
わかるようで、わからない。
そんなこと、私は考えたこともなかった。
「私は白石さんと、もっと楽しいことがしたいんですよね。遊んだり、探索したり、お仕事したり。そのために、あなたにはこっち側にいてほしい。それが私のエゴだとしても」
私は……。どうだろう。
命を救いたい。強い敵と戦いたい。最近はずっと、そんなことばかり考えていたような気がする。
地上にいても居心地が悪くて、迷宮にいる時だけが落ち着いて。それが私にとっての普通だったから。
「だから一緒に命かけます。理由なんてそれだけです」
蒼灯さんの言葉は、私にはまだよくわからない。
きっと正しく理解するには、多くの時間がかかるだろう。
「蒼灯さんは、時々、難しいことを言う」
「あなたを見ていると、周りは色々考えるんです。私だけじゃないと思いますよ」
「……?」
:そうだぞ
:大変なんだからもう
:お嬢、お前には曇らせの才がある
:曇らせってなんですか?
:なんやろなぁ
:良い子は調べちゃだめだよ
リスナーたちが何言ってるのかも、私にはよくわからない。
こっちは別に、わからなくていいかもしれない。なんか、知らなくてもいい気がした。
「正直言うと、羨ましいかも」
七瀬さんが言う。
「私もそこにいたかった。そこで一緒に、命かけたかった」
「七瀬さん、あなたには遠隔魔法があるでしょうに」
「わかってる。わかってるけど……。こういうの、理屈じゃないでしょ」
「……頼りにしてますよ」
「うん……。任せて」
そう言う七瀬さんの声は、本当に悔しそうだったから。
私はこの人のことを知らない。彼女が何を思って救命活動に従事しているのか、何も知らない。
いつかそれも、聞いてみたいと思った。
「時間がない。始めよう」
太陽に近づきすぎたイカロスは、蝋の翼を焼かれて地に堕ちた。
力への過信と傲慢は身を滅ぼす。そんな逸話だ。
私の翼も一度は焼かれた。何もかも燃え尽きた、はずだった。
「蒼灯さん。七瀬さん」
だけど今、私を奮い立たせるこれはなんなのだろう。
何がこんなにも、私の心を熱く燃やしているのだろう。
私の背中を押すこの風は、一体どこから吹いているのだろう。
わからない。わからないけれど。
「生きて、帰るよ」
今はただ、高く飛ぼう。がむしゃらになって、太陽に向かって。
高く、高く。どこまでも高く。
イカロスよりも高く飛べ。