踊れ踊れ踊れ踊れ
#29 いくしかないよね
太陽が照らすドームの下で、二つの剣が音を奏でる。
天使が操る銀の剣と、私が握る浅黒い超硬度チタンブレード。剣舞のように刃を振るう私たちは、何度目かの剣戟の末に同時に距離を取る。
:お嬢に近接戦闘で張り合うとかマジ……!?
:めちゃくちゃ強いぞ、この子
:最強クラスの探索者と互角かよ
:五層出身なら、そりゃ五層レベルの力はあるか
:それにしたってこれほどとは……
スピード一辺倒の私に対し、天使の軌道は立体的だ。
翼を使って空を舞い、三次元空間をフルに活かした軌道で刃を振るう。空中に描かれる複雑な剣筋に、対処が遅れることもしばしばあった。
飛べるってのは思った以上に厄介だ。距離感を自在に作られてしまい、戦いは思うように進まない。
:スピードならお嬢の方が速いけど
:正直、技は向こうのほうがあるかも
:空の使い方が圧倒的に上手いわあの子
:間合いの取り方がマジでいい
:お前らどっちの味方だよ
:どっちもだよ
速さは私に分があるが、技巧は向こうが一枚上手だ。純粋な力比べは互角と言ったところか。
差があるとすれば、天使には覚悟がある。
天使は本気だ。振るわれる刃の鋭さよりも、放たれる闘気の方がよっぽど怖い。
彼女は持てる力の全てをぶつけている。しかし、殺意は感じない。
矛盾にまみれたその刃は、きっと、血のにじむような優しさでできていた。
「*******……!」
空に舞い上がった天使が、太陽機械に剣を掲げる。
銀の刀身が輝き出す。太陽光をも跳ね返すほどに光り輝く剣には、空間がひずむほどの莫大な魔力が籠められていた。
受ければ無事では済まないであろう、全身全霊の一撃。
「********!!」
巨大な光の刃が振り下ろされる。
圧倒的な輝きを放つ美しい暴力と、そこに籠められた壮絶な決意。
悲しいくらいに美しい光に、思わず見惚れそうになる。
「風巡り――!」
ポーチからシリンダーを引き抜いて、あらん限りの魔力を注ぐ。
防護用風魔法、風巡り。嵐の防壁を展開する、私に使える最大級の防御魔法だ。
逆巻く風が光の奔流を受け止める。
嵐が猛り、光が散って、遺跡の中心が輝きと暴風に包まれる。
永遠に思える数秒の攻防。その末に、光と嵐は同時に消えた。
:防いだ……!?
:風巡りでやっとかよ
:魔法戦も互角か?
:おい天使ちゃんマジで強くね……?
光が消えた時、天使の姿はそこになかった。
上空を見てもあの子の姿は見当たらない。そこにあるのは陽炎だけだ。
天使を探して、私は周囲に意識を向ける。
その時、ぞくりと、体が震えた。
「……っ!」
ほとばしる戦意が身を貫く。強烈な悪寒が背筋に走る。
わずかに空気がゆらぎ、それで天使の位置がわかった。
彼女は私の前にいた。正面から最短最速で距離を詰めて、まっすぐに剣を振り抜こうとしていた。
蜃気楼を、その身に纏って。
:はあ!?
:え、ちょっと、は!?
:今どっから現れた!?
とっさに避けようとはしたが、手痛い一撃を受けてしまう。
痛みをこらえて剣を振り返すと、天使はひらりと躱して空へと下がった。
「……やる、ね」
肩口から腰にかけて、袈裟斬りに入った大きな傷口。
手で抑えても、指の間から生暖かい血が滴り落ちていた。
:お嬢……!
:大丈夫か!?
:まっずいのもらった
風祝で止血をしつつ、一連の現象を頭の中で整理する。
最初に打った大技はただの目くらましだ。最初から私が防ぎ切ることを想定した、派手なだけの捨て技に過ぎない。
そして光で目を奪っている間に、蜃気楼を身に纏って姿を隠した。おそらく、陽炎の中でじっと息を潜めていたのだろう。
そして私が周囲に目を移し、正面の警戒がおろそかになった一瞬に仕掛けてきた。
私の誤算は二つある。
一つは、天使を甘く見ていたこと。恐ろしいほどに彼女は本気だ。そこまでして、私を倒そうとしている。
そして二つ目は、自分のこと。
「……どうしよう」
困惑半分。笑みが半分。
これはなかなか、困ったことになってしまった。
「楽しく、なって、きちゃった」
血と痛み、溢れ出すアドレナリンに脳がくらくらする。
鼓動が高鳴る。渇欲が満たされる。
強者との戦い以上に、心躍るものなんてないんだから。
:あっ
:大丈夫そうですね
:あのお嬢、これ一応救助活動だからね?
:この状況でなにわろとんねん
:お嬢ってこんなに好戦的だったっけ……?
わかってる、今は救助対応中だ。遊んでいる場合ではない。
だけど、まあ、いいじゃないか。ちょっとくらい楽しませてもらったって。
私だって、お腹が空くんだ。
「*****……」
天使の追撃はない。蜃気楼の外套を捨てた彼女は、悲痛な顔で私を見ていた。
負傷した私よりも、天使のほうが辛そうだ。それでも彼女は、ぐっと歯を食いしばって、翼と指で出口を示す。
「******!」
早く出ていけと、彼女は言う。
天使の剣に籠められているのは、どこまでも優しさだ。
傷つけたくない。殺したくない。できることなら、無事のままこの場を去ってほしい。
瞳に滲む決意の雫は、美しく透き通っていた。
「続けよう」
剣を向けてそれに応える。
私たちの間に言葉は意味を持たない。
言いたいことは、剣で語るしかないんだ。
そして再び剣戟が重なり始める。
とめどない戦意と、底に流れる優しさと。そこに殺意は伴わずとも、戦いは激しさを増していく。
振るう刃に剣に迷いはない。迷いながら戦えるような相手でもない。少しでも迷えば、次の瞬間には負けている。
助けるために殺し合う。そんな矛盾を成し遂げたのは、研ぎ澄まされた意思によるものだった。
「**********……!!」
天使は空に飛び上がり、剣に光を集め始める。
天使最大の攻撃であり、攻撃の起点でもある極大の光魔法。
彼女には覚悟がある。
彼女には決意がある。
彼女には、決して譲れないものがある。
その事情が何かなんて、私にはわからないけれど。
「これで」
譲れないのは、こっちだって同じだ。
「終わらせる」
殺さないように敵を倒すというのは、とても難しいことだ。
それを成し遂げるには相当の実力差が必要だ。だけど、天使相手にそれだけの差をつけるのは現実的じゃない。
だから私は伏せ札を張った。
「――っ!」
レッグホルスターに差した、風走りのシリンダーに魔力を通す。
ホルスターに刻まれた魔法術式が作動して、靴の底に圧縮された空気の板が生まれる。その板を蹴り出すと、反発力が私の体を空へと飛ばした。
これが私の伏せ札。
空だったら、私だって飛べるのだ。
「***っ!?」
安全地帯のはずだった空に侵入され、天使の目が驚きに見開かれる。
そこに生まれた隙は一瞬だけ。すぐに天使は思考を切り替えて、迫りくる私を迎撃した。
私の攻撃はギリギリのところで天使に防がれる。奇襲によるアドバンテージは、この瞬間に霧散した。
その一瞬、天使の顔に浮かんだ安堵。危ないところを防いだという達成感。
そこが、本当の隙だ。
「風降ろし――!」
用意していたシリンダーに魔力を通すと、下向きに風が吹き荒れた。
:風降ろし……!?
:そういやあったなそんなの
:え、なんだっけそれ
:ダウンバーストで対象を地面に縫い付ける、妨害用の風魔法だよ
:即効性はあるけど、妨害魔法なのに拘束力が欠けるっていうなかなかの欠陥魔法
:ただ、風降ろしには対空特攻がある
:この風の中じゃ空は飛べねえよなあ!
「***……!」
強烈なダウンバーストに巻き込まれ、天使は地に堕ちた。
同様に着地した私は、素早く天使に斬りかかる。不安定な体勢ながらも天使はそれに対応したが、形成の不利を覆すには至らない。
そして始まる、泥臭い地上戦。
こうなってしまっては、大きな翼は障害にしかならない。空に逃げることができなくなった天使を、最速の剣技で切り崩していって、最後に首筋に剣を突きつけた。
:チェックメイト!
:これは勝った
:GGだ
:土俵に引きずり込んだらこっちのもんよ
:いやー、強かったな天使ちゃん
:近年稀に見るいい勝負だった
「*******……」
天使の体から力が抜ける。
揺れる瞳で、私の剣を見て、それから自分の手を見つめて。
何かを、呟いた。
「……****」
その瞬間。
彼女の体から、凄まじい力が放たれた。
「*****。**********。****、******、**********」
膨大なエネルギーの奔流に、私の体が弾き飛ばされる。
それは異質な力だった。魔力に似た匂いがするが、そうと考えるにはあまりにも純度が高すぎる。
「********、*****――!!」
戦う意思よりもはるかに壮絶なものが、天使の身から溢れ出す。
決意だ。
決意が、彼女を満たしていた。
「勝敗を分けたのは、やはり決意の差だね」
気づけばそこに、少年がいた。
不確かな少年だった。姿は目に映るのに、気配をまるで感じない。
そこにいるようで、どこにもいない。存在と非存在の狭間に立っている。
「譲れないものがあるのはどちらも同じ。ただし、君は生きて帰るつもりでも、彼女は命を捧げるつもりでここに来た」
彼は太陽機械をちらりと見上げる。
白い髪に、赤い瞳。特徴としてはそれくらいしか掴めない。
だけど、その姿には見覚えがある。
「たった一つの願いのために、命を懸けてしまった大馬鹿者。それを何ていうかは君もよく知っているだろう」
どこで彼を見たのだろう。
どこで彼を知ったのだろう。
わからない。思い出せない。だけど私は、どこかで……。
「鍵になるのは覚悟と代償。その二つを捧げれば、迷宮は途方もない恩寵を与える」
天使が変質する。美しい銀髪は純白の輝きを纏い、琥珀の瞳も紅に変わる。
そして何より、その身から溢れ出すとめどない力。
次元が変わる。位階が変わる。彼女という存在が、根本から書き換わる。
今の彼女は、人間のようにも、魔物のようにも、生物のようにも見えなかった。
「よく見るといい、白石楓。これが、英雄の力だよ」
英雄だ。
天使は私の目の前で、英雄へと成り果てた。