私がコマドリ殺したの
#29 いくしかないよね
やがて私たちは、隔壁の前にたどり着いた。
実際に目にすると、地図で見た以上に壮大な壁だった。見上げるほどに巨大な金属の壁が、迫りくるようにそびえ立つ。
壁には分厚い金属の扉が取り付けられていた。見るからに頑強な作りは、潜水艦のハッチのようだ。
「……すごい」
:なんやこれ……
:隔壁ガチすぎない……?
:文明レベル相当高いぞこれ
:地球文明と遜色ないかもしれん
扉の前の床には、たくさんの翼人の言葉が記されていた。
短い文章が十も二十も刻まれている。それぞれの筆跡は別々で、これを刻まれた文章の数だけ、ここに翼人が訪れたのだろう。
読めないメッセージに籠められた、読み取れないたくさんの想い。
「…………」
天使はその場に跪き、翼でその身を包んで祈り始める。
「…………******」
彼女の瞳から雫が落ちて、文字に染み込む。
それで、なんとなくわかってしまった。
「……これ。全部、遺言だ」
:……うん
:たぶん、そうだと思う
:ここは翼人たちの墓場ってこと……?
:やっぱりこの子、ここに死にに来たのかな
天使は涙をぬぐって立ち上がる。
それから彼女は、銀の剣で自分の腕を浅く傷つける。傷から染み出る赤い雫が、床に滴って煙に変わった。
「……え、と」
天使は私に手を差し出す。小瓶を渡せ、という意味だ。
天使の血が詰まった小瓶は、まだ熱を吸収する余力がある。交換するにはまだ早いと思うのだけど。
戸惑いつつも小瓶を渡すと、天使は中の血を捨てて、新しく血を詰める。
そうしてできた血の小瓶を、彼女は私の手に押し付けた。
「へ、え、え?」
「*****」
それから天使は、私の手を取って歩き出した。
これまで道を先導していたのは私だ。天使が手を引くなんて、初めてのことだった。
彼女は私を壁の前に立たせる。この壁にも、翼人の文字がいくつか刻まれていた。
なんとなく、その壁に違和感のようなものを覚えて。
「あの、えっと……?」
天使の行動が読めず、私は首を傾げる。
それに対して、天使は両手を組んで、お腹の前に置いた。
「****」
このフレーズには、何度か聞き覚えがあった。
ありがとう、だ。
「……っ」
そして天使は、私を突き飛ばした。
私の背中が遺跡の壁に触れる。壁に仕掛けられた罠に触れる。
体から魔力が抜かれる感覚。一瞬の閃光が視界を埋める。
自分と世界の境界が溶けるように消えて、少しして私が世界に戻ってきた。
この一連の現象には覚えがある。ほんの数時間前に、味わったばかりのものだから。
「……やられた」
:転移罠……!?
:え、マジか
:どこに飛ばされた!?
:周囲に敵はいなさそうだけど
:気温は?
転移先は、当然ながら見覚えのない場所だった。
周囲に敵の気配はなし。気温は五十度を越えたくらい。さっきまでいた地点に比べると、十度は低い。
そして天使はここにいない。
あの子は私を転移させて、一人で遺跡の中心部に残っている。
なんのために?
死ぬためにだ。
「真堂さん!」
「白石くん!」
私たちは同時に通信を飛ばした。
「そちらの状況は把握している。まずは聞いてくれ、君の現在位置についてだ。そこは遺跡の中層部。さっきまでいた中心部からは、ちょうど直上に位置する座標だ」
真堂さんは口早に情報を共有する。
「すぐ側まで救助隊が来ている。少し上がれば合流できるし、そのまま地上に帰還することもできる」
「いやです」
帰還なんて、とんでもない。
そんなものは最初から選択肢にすら入っていない。
「この遺跡に、助けが必要な、人がいます。私は、あの子を、死なせたくない」
「ああ、わかってる。君ならそう言うだろうと思っていた」
真堂さんから遺跡の地図座標を受信する。
ARコンタクトレンズの片隅に記された地図を頼りに、両足に風を纏って、私は風のように走り出した。
「中心部までの最短ルートを表示した。任務更新だ。遺跡の中心に到達し、天使を連れて帰ってこい」
道を塞ぐ魔物を切り飛ばしながら、真堂さんの言葉に応答する。
「止めないん、ですか?」
「俺の仕事は君を生きて帰すことだ。それは引き止めるだけが手段じゃない」
「たぶん、また、無茶します」
「わかっている。だから約束しろ。絶対に生きて帰れ」
「約束します」
「行ってこい」
「はい」
何度となく繰り返してきたやり取りを、何度だって積み重ねる。
私は死にに行くわけじゃない。助けに行くんだ。そのことを、もう一度胸に刻み直した。
「それから、君に情報共有がある。進みながら聞いてくれ。繋ぐぞ」
魔物を斬って、罠を避けてとやっていると、インカムに一瞬ノイズが走る。
私と真堂さんの通話に、誰かが入ってきた。
「あ、あー。おいすず、これでいいのか? ちゃんと向こうに聞こえてんの?」
「ルリリス……!?」
懐かしい声に、思わず声が出た。
「よー、楓。久々だなぁ。元気してっか?」
「あ、えと、その。そっちこそ、無事、なんだよね……?」
ルリリスとは、呪禍との一戦以来になっていた。
無事だとは聞いていたけれど、会ったことはまだない。実際に声を聞くのは初めてだ。
「思い出話と行きてえとこだが、時間がねえんだろ。手短に行くぜ。お前がいるこの遺跡は、ばかでけえ太陽炉だ」
「え、と。太陽炉?」
「んーと、太陽機械のことは知ってっか?」
当然ながら聞いたことがない。知らない、と短く答えるとルリリスは説明を続けた。
「太陽機械ってのは、重力穴を利用して世界間で熱を伝達する機械だ。二つの世界を繋いで、一方の世界にある熱を吸い取って、もう一方の世界に放出する装置。太陽みたいに熱くなるから太陽機械って言うの」
「う、うん……?」
:なるほどね……?
:すまん、世界がなんだって?
:めちゃくちゃでかいエアコンみたいな……?
「んで、太陽炉ってのが、その太陽機械を利用したエネルギー収集装置。他の世界から吸い取った熱量を利用して……た、タービン? だっけか。みたいなの回して、なんか電撃を発生させる、らしい」
「で、電撃……?」
:急にあやふやになった
:そこ肝心なとこなんですけど
:いや待て、めちゃくちゃすごいぞこれ
:太陽機械で収奪した熱量で蒸気を沸かして、それで電気を作ってたって……コト!?
:ごりっごりの電気文明じゃねーか!!
:今の説明でよくわかるなー、お前ら
「あんま細かいこと聞くなよ。四層文明のことは私もよくわかんねえんだ。五層や六層みてえな魔法よりの文明なら、もうちょっと面白え話もできんだけど。こういう装置やら機械やらになってくると、お前らのほうが詳しいんじゃねえの?」
「ちょ、ちょっと待って、えと。他の文明のことも、知ってるの?」
「ああ、ちょっとはな」
:まってまってまって
:でけえ情報がぽろぽろ出てくるじゃん
:四層五層六層にそれぞれ文明が存在するってことですか!?
:迷宮とかいうのマジでなんなんだ……?
「そんなことより本題だ。問題はこの遺跡にある太陽機械が、制御不能だってこと」
「え、と。壊れてる、の?」
「壊れてるっつうか、暴走してる。冷却装置がぶっ壊れちまってんだろうな。今のこいつは、吸い上げた熱を無尽蔵に吐き出すだけの、はた迷惑な太陽様だ」
:四層文明が滅んだから、管理できずに暴走したのか……?
:たぶん、水不足じゃない?
:蒸気タービンだったら水はいるよな
:文明が滅んで、水の供給が止まって、冷却できずに熱をガンガン吐き出していって……
:それで四層の砂漠化が進んだ、ってことか
:その説で行くと、砂漠化は文明が滅んだ後に起きたってことになるけど
:文明が滅んだ理由はまた別にある……?
:なるほどね、なんもわからん
:よのなかにはふしぎがいっぱい
:おい諦めるな、がんばってついてこい
ルリリスの話を聞いて、リスナーたちがざわめきはじめる。
盛んに動くコメント欄と一緒に考察したい気持ちはあるけれど、その気持ちはぐっとこらえた。
「その機械って、えと。壊しちゃうのは、だめなの?」
「お前なあ。そんなことしたら爆発すっぞ。大爆発だ、大爆発」
ルリリスは呆れたように答える。
「暴走した太陽機械ってのは莫大なエネルギーの塊だ。下手に手出せば何もかも吹っ飛ぶぜ」
「えと、じゃあ。どうすれば、止められる?」
「一番いいのは冷やすことだ。熱の放出ってのは、反応の結果であり過程でもある。熱くなるほど反応は活性化し、より大量の熱を生み出すんだ。だから逆に、ガツンと冷やしてやれば向こう数年は大人しくなるんじゃね?」
「冷やすって、水や氷の、魔法とか?」
「そんなとこ。つっても、一人二人の魔力量じゃそれこそ焼け石に水だけどな」
そっか……。えっと、それじゃあ、この場で止めるのは難しいかも。
気にはなるけど、太陽機械を止めるのは必須じゃない。私の目的は、あくまでも天使を助けることだから。
そんなことを考えていると、真堂さんが口を開いた。
「……いや。止める手段が、一つある」
「へ……?」
「天使の血だ。小瓶ひとつ分でもあれだけの吸熱ができる血なら、太陽機械の放熱を和らげられるかもしれない」
言われて気がつく。たしかにあの血であれば、太陽機械を冷やせるかもしれない。
だけど……。
「え、と。でも、そんなことをしたら、天使は」
「おそらく死ぬ。だから、絶対に阻止しなくてはならない」
「阻止、ですか……?」
「ルリリスくん、君に聞きたいことがある」
真堂さんは口早にルリリスにたずねた。
「太陽機械は二つの世界を繋いでいると言っていたな。熱を放出しているのがこの場所だとして、吸収されているのはどこかわかるか?」
「……ああ、なるほど。そういうこと」
その質問で、ルリリスは察したらしい。
楽しそうに話していた彼女は、一転して腹立たしそうに答える。
「確実なことは調べなきゃ言えねえ。だけど、状況証拠なら十分過ぎるだろ」
「そうか……。やはり、五層か」
「筋は通ると思うぜ」
:えっ
:もしかしてそういうこと!?
:うわうわうわうわうわ
:天使ちゃん……だからか……
:え、ちょっとまって、ちゃんと説明して
行く手を阻む魔物を斬り捨てて、階段を駆け下りる。
中心部に迫るにつれて、気温はどんどん上がるのに。そら寒い感覚がしたのは、きっと気のせいじゃないと思う。
「あの、真堂さん。説明、してください」
「……さっき見せられた天使の記憶だ。あれとあわせて考えれば、説明がつく」
真堂さんは、一息ついてから話しはじめた。
「翼人たちが住んでいた迷宮五層では、寒冷化が急速に進行していた。太陽機械に熱を奪われたからだ。その寒冷化が集落存亡の危機に関わったがゆえに、天使は血を使って太陽機械を止めに来た。そう考えれば何もかも辻褄が合う」
「え、え、え」
「おそらくこれは、彼女の種族では慣例的に行われていたことなのだろう。太陽機械が暴走するたびに、翼人の誰かが犠牲になって鎮めていた。この遺跡に遺された数々の痕跡は、その際に刻まれたものだ」
ちょっと待て。
だとすると話がだいぶ変わってくる。
もしも本当に、天使の目的がそれだとするならば。
「えっと、えっと、えっと。つまり、天使は。太陽機械を、止めるための」
止めた後は、天使はどうするのだろう。
決まっている。
彼女は、死を覚悟してここに来たのだから。
「……生贄、ってこと、ですか」
真堂さんも、ルリリスも、私の言葉に沈黙を返す。
それが何よりも雄弁に、答えを示していた。