※普通はこうなる
#29-EX 迷子を迎えに(蒼灯すず)
「……なー、すず」
「なんですかー」
「あちいんだけど、ここ」
「そうですねー」
「しんじまう……」
灼けるように熱い廊下を、滝のような汗を流しながらふらふらと進む。
遺跡の奥に潜るほど気温は急激に上がっていく。今の気温は五十度ちょっと。しかも建物の中なので風もない。
乾燥と高温が肌を焼く。まるでオーブンの中に入れられているようだった。
「なー、なんとかしてくれよ。お得意の不思議道具でよぉ」
「そんな猫型ロボットみたいなこと言われても……」
暑さを凌ぐ道具というものも、なくはない。
蒼灯はポーチをまさぐる。こんなこともあろうかと、持ってきていたものがあった。
「じゃあルリリス。じっとして」
蒼灯はルリリスを捕まえて、服の中に冷却スプレーを直接吹き付けた。
「うおぉぉぉぉ…………」
突然の冷気を背筋に浴びて、ルリリスは気持ちよさそうに震える。
:おっさんか?
:うおおってなんだよ、うおおって
:そこはほら、ひゃぁんって言ってくれないと
:乙女ボイス出せんか
:水風呂に浸かるおっさんみたいな声出しやがってよぉ
「おい、蒼灯」
ルリリスを冷やしていると、井口が横から蒼灯をつついた。
「私なら、ひゃぁん、出せるぞ」
「出せるぞ、じゃねーですけど」
「任せてくれ。この胸に燃える乙女魂、今こそ解き放ってくれよう」
「一人でやっててください……」
:めっちゃ面倒くさそう
:コントに付き合う気力もないか
:あおひーだって暑いんよ
今は救助対応中。撮れ高を求めている場合ではないのだ。
とは言え、この暑さはなかなかに耐え難い。しかも七瀬からの情報によると、白石楓がいる地点は六十度を越えているらしい。さすがに、冷却グッズでどうにかできるレベルではない。
どうするべきかと蒼灯が悩んでいると、お子様と悪い大人が内緒話を始めた。
「どうするルリリス。いっそ脱ぐか?」
「アリだな。どうせ誰も見ちゃいねえ、脱いじまおうぜ」
「だが、問題はあの青いのだ。あいつはなかなか脱がないぞ」
「そうか……。わかった桃子、お前がすずを押さえろ。その間に私が服を剥ぐ」
「よし」
「よし、じゃねーですけど」
良からぬ企みをしていた二人の顔面に、蒼灯は瞬間冷却パックを投げつけた。
この場合、悪いのは井口のほうだ。ルリリスは配信というものを理解していないが、井口はわかった上でやっている。
「わかりました、わかりましたよ。ひん剥かれちゃたまりませんからね」
できればもう少し温存しておきたかったが、そうも言っていられないらしい。諦めて蒼灯は奥の手を使うことにした。
取り出したのは、青く透き通るシリンダー。そのボディにはポップなシールが一枚貼られている。
「お?」
「む」
シリンダーに魔力を通すと、周囲にひんやりとした冷気が立ち込める。
氷霜降のシリンダー。周囲の温度を下げる、この状況にはうってつけの氷魔法だ。
「いい魔法持ってんじゃねーか。そんなんあるならさっさと使えよ」
「……あんまり使いたくなかったんですよ、これ」
暑さによる不快感は消えたが、いいことばかりではない。
迷宮にいれば常に感じるざわめきが深さを増す。魔物たちの気配が色濃くなり、どこからともなく視線を感じた。
「戦闘準備。ここから激しくなりますよ」
:氷霜降って常時展開型の魔法だからなぁ
:周囲に魔力を撒き散らしてると、それだけ魔物に気づかれやすくなる
:格下の魔物だったら勝手に逃げてくけど、強い魔物だと引き寄せちゃうんだっけ
廊下の前後から迫りくる魔物たちに応じて、井口とルリリスは散開する。
蒼灯も剣を手に、魔物の群れへと挑みかかった。
振るわれる爪を弾き返し、首を刎ねる。続けざまに、二匹目の攻撃をするりと避けて蹴り飛ばす。
この足技は井口から教わったものだ。剣技の後隙を埋める技として重宝している。
体勢を崩した魔物にトドメを刺して、次へ行こうとした矢先。背後から、ナマケモノの爪が振るわれた。
「……っ」
:わ
:あおひー!
:やっべ、いいのもらった
:大丈夫か?
手痛い一撃を背中にもらう。致命傷は避けたが、鋭い痛みが蒼灯の体を鈍らせた。
悲鳴を噛み殺し、蒼灯は戦闘を続ける。二度、三度と続けざまに攻撃を弾き、四撃目は一歩ずれて回避する。
流れた体を制御して、倒れ込みながら刃を一閃。切っ先は、ナマケモノの首筋を精確に捉えた。
――しかし、浅い。命を取るには至らない。
「なっ……!」
激しく流血しながらナマケモノは甲高くいななく。そして、体勢を崩した蒼灯の上に覆いかぶさった。
すかさず魔物は、大口を開けて、
「こ、のっ……!」
覆いかぶさった魔物を思い切り蹴飛ばし、遺跡の壁に叩きつける。
体を起こした蒼灯は、しゃがんだ体勢で横に一閃。ナマケモノの首が断ち切られ、頭部が地面に転がった。
ひとまず、それ以上の敵影は周囲にはない。
「おい、蒼灯。無事か」
「……二発、貰っただけです」
別の魔物を対処していた井口が駆け寄る。手を差し出されたが、蒼灯は自分で立ち上がった。
傷口を手で抑えると、突き刺すような痛みと、ぬらぬらとした血の感触がする。
強がってはみたが、軽傷ではないことは自分でもわかっていた。なにかしらの回復手段がなければ、撤退も視野に入るくらいの怪我だ。
「蒼灯さん、じっとして」
蒼灯のインカムに通信が入る。それから、蒼灯の足元に魔法陣が展開された。
地脈活性・命陣。七瀬杏の遠隔回復魔法だ。
数秒もすれば出血が止まる。完全に傷が消えたわけではないが、痛みは引いた。
「ありがとうございます。もう大丈夫です、行きましょう」
「落ち着け蒼灯。少し休め」
「こんな場所で足を止めるのはむしろ危険です」
止血も早々に先に進もうとすると、周囲の地形が変化した。
遺跡の床から壁がせり上がってくる。廊下の前後を塞ぐように出現した大きなクリスタルが、蒼灯たちを小さな部屋に閉じ込めた。
「安全地帯なら提供できるから。少し休んで」
インカムからは、七瀬の声がした。
:なにこれ、七瀬さんがやったの?
:地脈活性・晶壁やね
:結晶を生やす便利な魔法だよ
:言うほど便利か……?
:まあ魔法なんて使い方次第だから
:これも遠隔展開できるんだ、すげーな七瀬さん
「……別に、平気ですってば」
蒼灯はおとなしくその場に座る。
そうは言っても、休まなければ納得しないだろう。井口はそういう顔をしていた。